第六話 財産目当てはどっちですか?
第六話 財産目当てはどっちですか?
昼前から、空気が妙だった。
六月の湿気を含んだ風が庭木を揺らし、玄関先の風鈴がちりん、と細く鳴る。その音を聞きながら、玲奈は台所で湯呑みを並べていた。
嫌な予感がする。
理由は簡単だった。
「静江さん来るの久しぶりねぇ」
居間で澄子が呑気に笑っているからだ。
静江。
本家の伯母。
高瀬家の親戚筋で、やたら家の事情に詳しい人物。
玲奈はまだ数回しか会ったことがないが、既に理解していた。
この人は面倒臭い。
噂好き。
詮索好き。
そして人の腹を探るのが趣味。
玲奈が最も嫌いなタイプだった。
「玲奈ちゃん、お茶菓子これでいいかしら?」
「はい」
「羊羹とお煎餅どっち好きだったかしらぁ」
「両方出せばいいと思います」
「あら賢い!」
「普通です」
そのとき。
ぴんぽーん。
インターホンが鳴った。
「はぁい!」
澄子が嬉しそうに立ち上がる。
玲奈は無意識に背筋を伸ばした。
玄関の開く音。
少し高めの、よく通る声。
「あらぁ澄子さん、お久しぶりぃ」
「静江さん、いらっしゃい!」
数秒後。
静江は居間へ現れた。
七十前とは思えない派手な服装だった。ブランド物のスカーフ。強めの香水。口紅は濃いローズ色。
そして目だけが妙に鋭い。
玲奈を見るなり、静江はにっこり笑った。
「あら、あなたが玲奈さん?」
「初めまして」
「綺麗な人ねぇ」
「ありがとうございます」
社交辞令。
だが静江の視線は、値踏みするように玲奈を見ていた。
服。
髪。
指輪。
反応。
全部。
玲奈は心の中でため息をつく。
(来た)
「同居始めたんですって?」
「はい」
「今どき珍しいわよねぇ」
静江は笑いながら座る。
「だって最近の若い子って、義実家嫌がるじゃない?」
「そうなんですか」
「ええ。だから感心しちゃったぁ」
その声は柔らかい。
だが柔らかいだけに、棘がわかりやすかった。
「玲奈さん偉いわよねぇ。だって普通、わざわざ資産家のお家に入りたがるなんて」
空気が一瞬止まった。
澄子はきょとんとしている。
玲奈は湯呑みを置きながら微笑んだ。
「勉強になります」
「あら、何が?」
「遠回しな嫌味の言い方です」
「……まぁ」
静江の眉がぴくりと動く。
玲奈は笑顔を崩さなかった。
こういう会話には慣れている。
むしろ安心する。
この手の悪意はわかりやすい。
対応できる。
「でも実際、同居なんて大変でしょう?」
静江はわざとらしくため息をつく。
「介護とか将来のこととか、色々あるものねぇ」
「まだお義母様はお元気ですので」
「そういうことじゃなくてぇ」
静江は声を落とした。
「財産関係、大変じゃない?」
来た。
玲奈は心の中で冷静に思う。
「親戚って揉めるのよぉ。特にお金がある家は」
「そうですね」
「だからぁ、変な誤解されたら大変よねぇ?」
視線が玲奈に刺さる。
財産目当て。
そう言いたいのだ。
玲奈は静かに息を吸う。
本来なら、ここで腹が立くはずだった。
だが。
(……否定しづらい)
実際、最初はそのつもりだった。
だから妙に居心地が悪い。
すると。
「静江さん」
ふわり、と。
柔らかい声がした。
澄子だった。
だがその笑顔は、いつもより静かだった。
「玲奈ちゃんは、この家に来てくれただけで宝なの」
玲奈は目を瞬いた。
静江も少し驚いた顔をする。
「だってねぇ」
澄子は本当に楽しそうに笑った。
「朝ご飯作ってくれるし、お庭も手伝ってくれるし、お揃いの服まで着てくれるのよ?」
「お義母様その話やめてください」
「この前なんて薔薇の剪定までしてくれて!」
「だから」
「もう可愛くて仕方ないの!」
ぎゅっ。
突然、澄子が玲奈の腕に抱きついた。
「ちょっ」
「うちのお嫁さん最高!」
「離れてください」
静江がぽかんとしている。
玲奈は頭を抱えたくなった。
何なんだこの人。
空気を読め。
普通こういう場面は、もっと牽制とかあるだろう。
なのに。
「玲奈ちゃんが来てから毎日楽しいのよぉ」
澄子は嬉しそうに笑っている。
嘘が一切ない顔だった。
静江は引きつった笑みを浮かべる。
「あ、あらぁ……仲良しなのねぇ」
「はい!」
即答。
玲奈は視線を逸らした。
妙に胸がざわつく。
静江はしばらく居座ったが、空気は完全に澄子に持っていかれていた。
嫌味を言うたび、
「玲奈ちゃんすごいのよぉ」
「玲奈ちゃん優しいの」
「玲奈ちゃん可愛いの」
全部それで返される。
最終的に静江は疲れた顔になっていた。
帰り際。
「……じゃあ、また来るわね」
「はい、ぜひ!」
澄子は最後までにこにこしていた。
玄関が閉まる。
静かになる。
玲奈は深く息を吐いた。
「……疲れた」
「ごめんねぇ玲奈ちゃん」
澄子がしゅんとした顔をする。
「静江さん、昔からちょっと口が悪くて」
「別に慣れてます」
「嫌な思いしたでしょう?」
「……まあ」
本当はそこじゃない。
守られたことのほうが問題だった。
玲奈はそういう扱いに慣れていない。
利用されるか、警戒されるか。
そのどちらかだった。
なのに澄子は、真正面から玲奈を庇った。
しかも一切打算なく。
胃が痛い。
その数時間後。
「玲奈ちゃーん!」
玄関から澄子の明るい声が響いた。
「なんですか」
「ケーキ買ってきたわよぉ!」
玲奈は目を丸くする。
「……は?」
箱から甘い香りが漂ってくる。
苺。
バター。
生クリーム。
澄子は嬉しそうに箱を開けた。
「ほら、この前玲奈ちゃん“モンブラン好き”って言ってたでしょう?」
「覚えてたんですか」
「もちろん!」
栗の甘い香りがふわっと広がる。
玲奈は言葉を失った。
「今日は疲れたでしょう?」
澄子が優しく笑う。
「甘いもの食べると元気出るから」
その瞬間。
玲奈は本気で思った。
(……無理)
勝てない。
こんなの。
どうやって攻略しろというのだ。
目の前の義母は、悪意で殴っても全部抱き締め返してくる。
しかも笑顔で。
玲奈はフォークを握りながら、静かに敗北感を噛み締めていた。




