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アルカナ・ブラッド  作者: 糸音
最終章
43/52

貰いそびれた心を。


 誕生日から暫くして、リンネは職場を辞めた。

「必要な分はもう稼いだ」とおどけた後、リンネはヴォルターに改まった様子で告げた。


「ハツデンシロコブウシの他に、目を付けていた生物がいるんだ。その研究を、今度は一人でやってみようと思う。暫くの間、未開の中央(セントラルアンノウン)に行くよ」


 リンネは普通の人間だ。いくら生物に関しての知識に長けていると言えども、一人で向かえば命が危ない。

 ヴォルターは止めたが、リンネの決意は固かった。


 出発の朝、力強い抱擁を交わした後、遠くなっていくリンネが乗った車を、「絶対帰ってきて」と、大きく手を振って見送った。

 心配がないわけではなかったが、研究に挑む父の姿は好きだったし、なにより今度こそ名誉を得ることで、リンネに対する世間の声が変わってほしかった。


 だけど、その後、リンネが帰ってくることはなかった。


 行方不明になってから1年後、かつてリンネと研究していた職場の者が、ヴォルターの下に、認定死亡を告げる通知書を届けた。


 その時にリンネがどんな思いで、未開の中央(セントラルアンノウン)に挑んだのかを聞いた。


 ヴォルターが職場に怒鳴り込んで以来、リンネは毎日愚痴のようにこぼしていたという。




 ――ハツデンシロコブウシの研究だけは、譲ってはいけなかった。




 ――その名誉があれば、ヴォルターを『死者を大勢出した子ども』じゃなくて、『偉大な研究者の子ども』にしてあげられたかもしれない。


 と。


 


 膝から崩れ落ちた。

 あの時自分が怒鳴りこまなければ。あの時自分が何もせずにじっとしていれば。

 父さんは無茶をせず、今もこの家で一緒に暮らしていた。


 その後、葬儀への案内が書かれた用紙を渡してくれたが、ヴォルターはそれを受け取らずに、家の中で毎日、リンネの分の食事を用意して帰りを待った。

 

 誰も父さんの死骸を見たわけじゃない。

 あいつらが勝手に死んだと思い込んでるだけだ。そうに決まっている。


 結局式には行かず、現実から逃げるように家の中でリンネの帰りを待ち続けた。

 

 二人分の食事を作ることをやめたのは、1か月経ってからのことだった。




 それからの人生は、全て生まれたことへの贖罪にあてた。

 今更何をしても、リンネや亡くなった人が帰ってくることはない。

 せめて今を生きる人たちの命と、父さんが残した約束を守ろう。

 そう決意したヴォルターは、自分の体を苛め抜いて、未開の中央(セントラルアンノウン)の生物に襲われても対抗できるよう、強靭な肉体を鍛え上げた。

 支給された吸血機を手にしたとき、自分がこの体に産まれた意味は、そのためにあったのかもしれないとほんの少しだけ思えた。


 その後は未開の中央(セントラルアンノウン)に関するトラブルの解決に協力しながら、合間合間でリンネが残した研究を続けていった。自分の為の時間は1秒たりとも存在しなかった。


 吸血機を振るって、強大な生物たちから人や街を守り、時に知識を生かしてトラブルを解決し。吸血機を手にして以来、ヴォルターの貢献度はすさまじかった。




 それでも、ただの一度も感謝されたことはない。




 血を抜かれた生物たちの骸の側にいるヴォルターを、皆化け物を見るかのように見つめた。

 誰も、自分の存在を認めようとはしない。被害者遺族の怨嗟に共鳴するように、見る目や扱いが日に日に酷くなっていく。


 リンネを良く知る者たちが、ヴォルターを庇おうと、リンネの功績を表にしようとしたが、全員スニードに僻地へ飛ばされた。自分の為に何かをしようとした者は、皆自分の知らない場所へと消えていった。

 

 誰かを幸せにして、父さんを思い出すというリンネとの約束。


 生きれば生きるほど、その約束が遠ざかっていく。


 無理だよ父さん。

 俺には、無理だ。


 罪悪感や無力感が積み重なって、心にのしかかっていく。


 約束は果たせない。

 せめて、父さんの名誉だけでも。と、入れ替わるように生まれた使命。

 

 父さんの名誉を取り戻したら、誰にも迷惑が掛からない場所で、吸血機を自分に刺して死のう。


 そう決意してからは、ヴォルターは毎日を死んだように生き抜いた。毎日自分を責め続けて、謂れのない扱いにも心が動かなくなってしまった。



 それでも時折、リンネに対して贖罪の念が顔を出す。



 親不孝にもほどがある。葬式にもいかず、約束も果たせない。

 でも、葬式に出なくてよかったと思うことが一つだけある。


 体は土に。心は体に。


 葬式に出て、心を貰わなくてよかった。

 返さなきゃいけないものばかりで、これ以上何か貰うわけにはいかない。


 奪ったものを、出来る限り返すだけの人生だ。


 約束の先は無い。自分の人生にこれ以上は無い。


 身を粉にして誰かの為に尽くしても、何も返ってこなくて当然だ。唯一心を許しかけた人たちも、自分の不幸に巻き込んだ。

 傷ついたアルメリアを見て、決心がついてしまった。今までも、この先も。自分は誰かを幸せにすることはできない。




 だから、もういい。






 だから、自分なんかに、もう誰も関わらないでくれ。






「私は――‼‼」







 だから、もう誰も不幸になんかならないでくれ。






 だから――








「――あなたに会えて‼ 幸せだった‼‼」








 ――だけど、父さん。


 もし誰かを幸せにできたら。


 もし誰かの幸せになれたのなら。



 

 あの時貰いそびれた心を。







 今更貰ってもいいですか。








 アルメリアの声が響き渡った、病院の前。

 ヴォルターは大粒の涙を目に貯めて、アルメリアに寄りかかるように、崩れ落ちた。


「――……っ! う“……あ”……っ……!」


 溢れる思いを声にできず、喉の奥に封じ込めるような嗚咽が、少しだけヴォルターの喉から漏れる。

 アルメリアが自分の胸の中に、ヴォルターの顔を埋めると、堰が切れたヴォルターの泣き声が、辺りに響き渡った。




「う“あああああああああああ‼ あああああああああ‼」




 今まで吐き出せなかった悲しみや苦しみ。怒り、怨嗟、罪悪感。

 そして、誰かの幸せになれた喜びで、ヴォルターは少年のように、顔をぐちゃぐちゃに歪めながら、溢れる思いを声にして吐き出し続けた。


 雨が止むまで、アルメリアはヴォルターを抱きしめ続けたのだった。



 ♢ ♢ ♢




 雨でぬれた体でアルメリアの病室に戻ると、ローレンスが待っていた。


「……あの、さ――」


 ヴォルターが何かを切り出そうとして、口をつぐんだところ、アルメリアが後押しするようにわき腹を肘で突いてきた。


「……父さんの研究を、取り返したい。……だから――」


 ヴォルターの中に、恐怖の感情が膨れ上がった。

 膨れ上がった感情で喉が詰まったが、それでも何とか、絞り切るように言いきった。


「……力を、貸してほしい」


 俯きながら告げたヴォルターに、ローレンスは長く、重いため息を吐いた。


 そして、


「――っ⁈」

「おっせえんだよ‼ バーーーーーーーーっカ‼」


 胸倉をつかみ、ヴォルターの顔を強引に起こしながら叫んだ。

 優しい怒鳴り声が病室に響いた。

 目を丸めて固まるヴォルターの胸倉を解放し、ローレンスが「ふん」と優しく突き放してから続ける。


「てめえに頼まれなくても、やることなんざ変わんねえんだよ。悪事を働くやつを放っておけるわけもねえ。被害者が善人なら尚更だろうが」

「何か手はあるの?」


 アルメリアが尋ねると、ローレンスが開き直ったように答えた。


「管轄外だから手を出すなって話なら、管轄内なら容赦なく首を突っ込めるわけだ。【未開の中央(セントラルアンノウン)】絡みの事件なら、第7衛兵隊だって口を出せるんだよ」

「「……?」」


 意図が分からず、顔を見合わせたアルメリアたちの前に、ローレンスがとある資料を突き出した。

 それはヴォルターがまとめた、未開の中央(セントラルアンノウン)で見つけた、密猟者たちの痕跡の資料。




「最近起こっている密猟事件。その首謀者として、スニード・グラファムを徹底的に洗う!」


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