貰いそびれた心を。
誕生日から暫くして、リンネは職場を辞めた。
「必要な分はもう稼いだ」とおどけた後、リンネはヴォルターに改まった様子で告げた。
「ハツデンシロコブウシの他に、目を付けていた生物がいるんだ。その研究を、今度は一人でやってみようと思う。暫くの間、未開の中央に行くよ」
リンネは普通の人間だ。いくら生物に関しての知識に長けていると言えども、一人で向かえば命が危ない。
ヴォルターは止めたが、リンネの決意は固かった。
出発の朝、力強い抱擁を交わした後、遠くなっていくリンネが乗った車を、「絶対帰ってきて」と、大きく手を振って見送った。
心配がないわけではなかったが、研究に挑む父の姿は好きだったし、なにより今度こそ名誉を得ることで、リンネに対する世間の声が変わってほしかった。
だけど、その後、リンネが帰ってくることはなかった。
行方不明になってから1年後、かつてリンネと研究していた職場の者が、ヴォルターの下に、認定死亡を告げる通知書を届けた。
その時にリンネがどんな思いで、未開の中央に挑んだのかを聞いた。
ヴォルターが職場に怒鳴り込んで以来、リンネは毎日愚痴のようにこぼしていたという。
――ハツデンシロコブウシの研究だけは、譲ってはいけなかった。
――その名誉があれば、ヴォルターを『死者を大勢出した子ども』じゃなくて、『偉大な研究者の子ども』にしてあげられたかもしれない。
と。
膝から崩れ落ちた。
あの時自分が怒鳴りこまなければ。あの時自分が何もせずにじっとしていれば。
父さんは無茶をせず、今もこの家で一緒に暮らしていた。
その後、葬儀への案内が書かれた用紙を渡してくれたが、ヴォルターはそれを受け取らずに、家の中で毎日、リンネの分の食事を用意して帰りを待った。
誰も父さんの死骸を見たわけじゃない。
あいつらが勝手に死んだと思い込んでるだけだ。そうに決まっている。
結局式には行かず、現実から逃げるように家の中でリンネの帰りを待ち続けた。
二人分の食事を作ることをやめたのは、1か月経ってからのことだった。
それからの人生は、全て生まれたことへの贖罪にあてた。
今更何をしても、リンネや亡くなった人が帰ってくることはない。
せめて今を生きる人たちの命と、父さんが残した約束を守ろう。
そう決意したヴォルターは、自分の体を苛め抜いて、未開の中央の生物に襲われても対抗できるよう、強靭な肉体を鍛え上げた。
支給された吸血機を手にしたとき、自分がこの体に産まれた意味は、そのためにあったのかもしれないとほんの少しだけ思えた。
その後は未開の中央に関するトラブルの解決に協力しながら、合間合間でリンネが残した研究を続けていった。自分の為の時間は1秒たりとも存在しなかった。
吸血機を振るって、強大な生物たちから人や街を守り、時に知識を生かしてトラブルを解決し。吸血機を手にして以来、ヴォルターの貢献度はすさまじかった。
それでも、ただの一度も感謝されたことはない。
血を抜かれた生物たちの骸の側にいるヴォルターを、皆化け物を見るかのように見つめた。
誰も、自分の存在を認めようとはしない。被害者遺族の怨嗟に共鳴するように、見る目や扱いが日に日に酷くなっていく。
リンネを良く知る者たちが、ヴォルターを庇おうと、リンネの功績を表にしようとしたが、全員スニードに僻地へ飛ばされた。自分の為に何かをしようとした者は、皆自分の知らない場所へと消えていった。
誰かを幸せにして、父さんを思い出すというリンネとの約束。
生きれば生きるほど、その約束が遠ざかっていく。
無理だよ父さん。
俺には、無理だ。
罪悪感や無力感が積み重なって、心にのしかかっていく。
約束は果たせない。
せめて、父さんの名誉だけでも。と、入れ替わるように生まれた使命。
父さんの名誉を取り戻したら、誰にも迷惑が掛からない場所で、吸血機を自分に刺して死のう。
そう決意してからは、ヴォルターは毎日を死んだように生き抜いた。毎日自分を責め続けて、謂れのない扱いにも心が動かなくなってしまった。
それでも時折、リンネに対して贖罪の念が顔を出す。
親不孝にもほどがある。葬式にもいかず、約束も果たせない。
でも、葬式に出なくてよかったと思うことが一つだけある。
体は土に。心は体に。
葬式に出て、心を貰わなくてよかった。
返さなきゃいけないものばかりで、これ以上何か貰うわけにはいかない。
奪ったものを、出来る限り返すだけの人生だ。
約束の先は無い。自分の人生にこれ以上は無い。
身を粉にして誰かの為に尽くしても、何も返ってこなくて当然だ。唯一心を許しかけた人たちも、自分の不幸に巻き込んだ。
傷ついたアルメリアを見て、決心がついてしまった。今までも、この先も。自分は誰かを幸せにすることはできない。
だから、もういい。
だから、自分なんかに、もう誰も関わらないでくれ。
「私は――‼‼」
だから、もう誰も不幸になんかならないでくれ。
だから――
「――あなたに会えて‼ 幸せだった‼‼」
――だけど、父さん。
もし誰かを幸せにできたら。
もし誰かの幸せになれたのなら。
あの時貰いそびれた心を。
今更貰ってもいいですか。
アルメリアの声が響き渡った、病院の前。
ヴォルターは大粒の涙を目に貯めて、アルメリアに寄りかかるように、崩れ落ちた。
「――……っ! う“……あ”……っ……!」
溢れる思いを声にできず、喉の奥に封じ込めるような嗚咽が、少しだけヴォルターの喉から漏れる。
アルメリアが自分の胸の中に、ヴォルターの顔を埋めると、堰が切れたヴォルターの泣き声が、辺りに響き渡った。
「う“あああああああああああ‼ あああああああああ‼」
今まで吐き出せなかった悲しみや苦しみ。怒り、怨嗟、罪悪感。
そして、誰かの幸せになれた喜びで、ヴォルターは少年のように、顔をぐちゃぐちゃに歪めながら、溢れる思いを声にして吐き出し続けた。
雨が止むまで、アルメリアはヴォルターを抱きしめ続けたのだった。
♢ ♢ ♢
雨でぬれた体でアルメリアの病室に戻ると、ローレンスが待っていた。
「……あの、さ――」
ヴォルターが何かを切り出そうとして、口をつぐんだところ、アルメリアが後押しするようにわき腹を肘で突いてきた。
「……父さんの研究を、取り返したい。……だから――」
ヴォルターの中に、恐怖の感情が膨れ上がった。
膨れ上がった感情で喉が詰まったが、それでも何とか、絞り切るように言いきった。
「……力を、貸してほしい」
俯きながら告げたヴォルターに、ローレンスは長く、重いため息を吐いた。
そして、
「――っ⁈」
「おっせえんだよ‼ バーーーーーーーーっカ‼」
胸倉をつかみ、ヴォルターの顔を強引に起こしながら叫んだ。
優しい怒鳴り声が病室に響いた。
目を丸めて固まるヴォルターの胸倉を解放し、ローレンスが「ふん」と優しく突き放してから続ける。
「てめえに頼まれなくても、やることなんざ変わんねえんだよ。悪事を働くやつを放っておけるわけもねえ。被害者が善人なら尚更だろうが」
「何か手はあるの?」
アルメリアが尋ねると、ローレンスが開き直ったように答えた。
「管轄外だから手を出すなって話なら、管轄内なら容赦なく首を突っ込めるわけだ。【未開の中央】絡みの事件なら、第7衛兵隊だって口を出せるんだよ」
「「……?」」
意図が分からず、顔を見合わせたアルメリアたちの前に、ローレンスがとある資料を突き出した。
それはヴォルターがまとめた、未開の中央で見つけた、密猟者たちの痕跡の資料。
「最近起こっている密猟事件。その首謀者として、スニード・グラファムを徹底的に洗う!」




