リンネ・ヴェルブライトとの約束
家に帰ってから、リンネはヴォルターの出生時のことを正直に話した。
感情や憶測を排除して、ただただ、起こったことを並べるように。
全てを知ったヴォルターは、暫くの間部屋に閉じこもって、何もしゃべらなくなった。
自分に母親がいないのは、生まれたときに亡くなったからとは聞かされてはいた。
ただ、その原因が自分だとは知らされていなかったし、母の他にも多くの犠牲者を出したことも知らなかった。
死んだようにベッドの上で蹲っていると、部屋のドアがノックされた。
「……ヴォルター、ご飯を食べよう」
ドアの奥から、焼いた卵と甘いケチャップの香りが漂ってきた。毎週一度だけ作ってくれる、大好物のオムライスの香りだ。
リンネの優しい声に、ヴォルターはうつむいたまま首を振った。
心を閉ざすヴォルターに、リンネは優しく笑ってから、しゃがんでヴォルターの顔に視線の高さを合わせた。
「こんな形で、気づかせてしまってごめんね」
リンネの言葉に、ボロボロと涙が溢れてきた。
なんで父さんが謝るのか。いっぱい謝らなきゃいけないのは俺の方なのに。
思いを言葉にできず、膝の中で嗚咽を漏らすヴォルターの手を優しく引いて、明るい廊下へ連れ出すように、ゆっくりとリンネは立ち上がる。
「いろんな話をしよう。今までや、これからのこと。一緒に向き合おう。一人で苦しむことじゃない。その為にまずは食べるんだ、ヴォルター」
連れ出されて食べたオムライスは温かくて、一口食べた瞬間に堰が切れた。
相も変わらず美味しかったものだから、自分なんかが食べていいのか分からなくなり、泣いて泣いて、泣き切った後に冷めたオムライスを食べた。
食事を終えて、お茶を淹れてから、リンネは話を切り出した。
「ヴォルターがもし、ヴォルターと同じような人に出会ったら、人が死んだのはお前のせいだって責め立てる?」
その問いかけに、ヴォルターは何も答えることができなかった。
客観的にものを見たときに、自分を一概に責められるかどうかは疑問だ。
だけど、大切な人を失った悲しみや怒りの吐き口が誰になるかと言われたら、自分しかないとも思っている。
そんな胸中を察してか、俯くヴォルターの頭に、リンネが優しく手を置いた。
「……誰も悪くないけど、何も背負わなくていいとは限らない。だから、いろんな命に触れよう。自分を好きになれる生き方を一緒に探そうか」
♢ ♢ ♢
それ以降、ヴォルターは言いつけを守り、リンネが仕事をしている間は家でずっと過ごした。ヴォルターは本を読む代わりに、パソコンを使って、火災のことや自分のこと、そして父のことについて調べ始めた。
火災のことは多くの記事が出てきて、被害総額や犠牲者たちの家族のその後など、全容を知れば知るほど、胸が苦しくなった。
ヴォルターについての記事も沢山出てくる。
赤子の自分を裁判にかけた際の記録や、完全な特例として、自分を吸血機で安全に処理しようと署名を募るサイト、やり場のない怒りを父であるリンネに向ける声やそれに便乗して、処分を後押しする声ばかりだ。
だが、父についての情報はほとんど見当たらなかった。
リンネは今まで、自分が携わった研究をヴォルターに話してくれた。大きな研究に多数携わっていたため、界隈では名の知れた研究者だったのではと思ったが、ヴォルターの親族という情報しかヒットしない。
研究について調べても、父の名の代わりに別な研究者の名前が出てくるだけだった。
父や周囲に気づかれないよう、父と親しかった人物に話を聞くと、研究の発表権利を譲る代わりに、金銭面での工面をしてもらっているらしい。
最初は権力争いなどからの逃れる目的もあったそうだが、最近は被害者遺族への賠償に充てるために、金を集めているそうだった。
金の代わりに名誉があれば、リンネに集まる非難や中傷は、いくらかは尊敬や賞賛に変わっていただろうか。
特に、スニードという研究者には、過去の研究の手柄を譲ることを条件に、裁判でヴォルターの出生について、責任能力の無さを研究者の立場から証言してもらうために協力してもらったそうだ。父の研究を、自分の名に変え続けてきた男だった。
日に日に罪悪感が積もっていく日々の中、ヴォルターは一つだけ楽しみにしていることがあった。
それは、いまリンネが研究しているハツデンシロコブウシの飼育実験が、いよいよ完成を向かえそうだということ。
海外で深刻化するエネルギー危機。その解決策として、未開の中央の生物に世界中から注目が集まっている。今電力資源に利用している【アカリオオネズミ】では血液の採血量が少なく、エネルギー支援策として、国外に輸出する血液を確保できない。
ハツデンシロコブウシは体が大きく、飼育も比較的容易だ。野生の個体を捕まえてから、交配実験を何度も繰り返し、ようやく飼育用の個体を生み出せた。
この研究が成功すれば、世界のエネルギー事情は大きく変わる。
だから、この研究でリンネの名が広まれば、リンネは『死者を大勢出した子どもを庇う父親』から『世界を救う偉大な研究者』になれるかもしれなかった。
だが、そうはならなかった。
ハツデンシロコブウシの飼育実験の論文は、スニード・グラファムの名前で世間に公表された。
「ふざけんな‼ それは父さんの研究だ‼ 父さんが完成させた研究なんだ‼」
怒りと悲しみを抑えきれずに、スニードが権利を持った飼育施設に乗り込むも、そこの職員たちはバツが悪そうに、申し訳なさそうに、目をそらして俯くばかりだった。
スニード本人は怒り狂うヴォルターの様子を、取り巻きたちの最後方から、面白そうな様子で眺めている。
「それがあれば、父さんは『俺を生んだ親』じゃなくて、『偉大な研究者』になれるんだ‼」
制止を振り切ってスニードを襲おうとするも、騒ぎを聞きつけた父に宥められて、引き返すことしかできなかった。
結局世間ではスニードが権力を増すことになり、小さいヴォルターの声は何事もなかったかのように握りつぶされた。
そんな風に過ごして、4歳の誕生日を迎えた日のことだ。
「ハッピーバースデー! ヴォルター!」
朝起きてリビングに向かうと、三角帽子をかぶったリンネがヴォルターに向かってクラッカーを鳴らした。
机の上には、朝食だというのに、ビッグサイズのホールケーキやパーティーサラダに七面鳥、オムライスなど、広い机にごちそうが所狭しと並べられている。
自分の誕生日なんて忘れていた。
机の上の料理に、一瞬だけ表情を明るくするも、すぐにヴォルターは暗い顔になって、俯きながら首を横に振った。
「……祝わなくていいよ。俺の誕生日なんて」
おどけたポーズのまま固まったリンネに、ヴォルターが続ける。
「……育ててくれたこととか、守ってくれていることとか、全部感謝してる。……でも、それ以上の苦労をかけさせてる。俺は父さんにとっての疫病神だ」
「……ヴォルター」
「生まれてきたのが俺じゃなければ、父さんは母さんと、別な子と幸せに暮らしてた。俺を守るために、非難や中傷を浴びることもなく、幸せに暮らしてた」
続けようとする言葉が、思わず喉の奥で詰まった。
吐いてしまえば、リンネを傷つけてしまう言葉だと分かっていた。だけど、いつかは一緒に向かい合わなければいけない言葉だと思っていた。
小さく体を震わせながら、拳を握り、絞り出すようにヴォルターは続けた。
「俺が、生まれないほうが、父さんは幸せだった……! 俺が、父さんの、皆の……! 生きる邪魔をしてる……!」
きっと、父さんも母さんもこんな子を産むつもりでいたわけじゃないだろう。
自分のような子どもが生まれてくると分かっていれば、きっと未然に防いでいただろう。
父さんも、母さんも、誰も悪くない。ただ、腹の中に不幸が自然と宿りついただけの話だ。
その不幸を今、背負わせてしまっている。一番大切な人に。
リンネとの幸せが積み重なるほど、申し訳なさが日に日に増してきて、誕生日を祝われたことでそれが爆発して、声を殺してヴォルターは泣いた。
リンネは三角帽子を脱いで、小さく息を吐いた後、ヴォルターの前に屈んで、小さな頭に三角帽子をかぶせてあげた。
「……母さんの亡骸の中で泣きじゃくる君を見つけたとき、正直、どうしようか迷ったんだ。この子を育てていいものかって」
震える体を慰めるように、リンネはヴォルターの体を抱き寄せ、ヴォルターの顔を、自分の顔の傍まで引き寄せてから、優しい声で続ける。
「不安な気持ちで赤子だった君を抱きしめたとき、君はすぐに泣くのを止めて、まだ真ん丸だった手で、僕の頬を撫でてくれたんだ。こんな生まれたばかりの子が、人を労わる優しさを持っている。……それに気づいた後は、迷うことなんてなかったよ。僕は君の父さんになるってことを」
強張る背中をポンポンとやさしく叩きながら、リンネは薄く目を閉じた。
「君無しの幸せなんて考えつかないよ。君が不幸と呼ぶそれは、僕が選んだ幸せだ。他の子が生まれていても、僕は幸せに過ごしていたかもしれない。だけど、世界一幸せなのは今の僕だ。僕は何も背負わされちゃいないよ。世界一やさしい君の父親になれた、世界一幸せな父親なんだよ、ヴォルター」
体を包み込む温かい熱に、ヴォルターがリンネの体を抱きしめようとして、止めた。
ヴォルターの涙で服を濡らしながら、リンネは少し寂しそうに笑った。
「……でも君は優しいから、自分の幸せよりも他者の痛みに寄り添ってしまうし、君は頭が良いから、僕の言葉に親としての責任を重ねてしまう。僕と二人だけで過ごすうちは、そんな考えが離れないのかもしれないね。だからヴォルター。一つだけ約束をしよう」
ヴォルターの体を少しだけ突き放して、伏し目がちな顔を少しだけ起こしてあげて、リンネが小指を差し出した。
「君がもしも僕じゃないだれかを幸せにしたときに、君が幸せにした人間がここにいたことを、必ず思い出して。君は人も、君も幸せにする力を持っている」
「……そんな時なんて、一生来ないよ」
「来るさ。必ず来る」
リンネは宙に浮いたヴォルターの手を握り、小さな小指をそのまま自分の小指と重ねた。
ゆびきりげんまんをしながら、リンネはヴォルターの心に刻みつける様に、何度も何度も、小指を堅く結んだ。
「君は誰かの幸せを、幸せと思える人間なのだから」




