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アルカナ・ブラッド  作者: 糸音
最終章
40/52

生きる資格

 体を半分持ち上げられながら浴びせられた言葉に、アルメリアは口を少し開けたまま、身を固めることしかできなかった。

 真っ白になりかけているアルメリアに、ヴォルターの殴るような怒声が響く。


「全員の未来を奪ったんだ‼ 全員の幸せを奪ったんだ‼ そんな俺に自分のことなんか考える余裕があると思うのか⁈ 人のことばっかで当然だろうが‼ 遺族の前で同じこと言えんのか⁈ 幸せに生きていいだなんて、死んだ奴らを思ってどの口から湧き出る言葉だ⁈」

「でもそれは――」

「故意じゃなければ何も背負わなくていいのか⁈ 違うだろうが‼ てめえで生み出した不幸をてめえで背負う責任がある‼ 俺のことなんかその後だ‼ 幸せ以前の話なんだよ‼」


 アルメリアの思いを踏みつぶすように、ヴォルターは両手でアルメリアの胸倉を自分の顔に引き寄せながら、魂に刻み込むように叫んだ。







「生きる資格が‼ 俺には‼ 無い‼」







 アルメリアの頭が真っ白になった。

 その言葉を受け入れるのを拒んだ。

 だけど、少しずつ意識が戻っていくにつれて、わなわなと体が震え始めた。


「それ、……本気で、言ってる、の?」

「お前はそれがわかるんじゃないのか」


 怒声から一転して、諭すように落ち着いた声に、アルメリアの目からボロボロと涙が零れ始めた。

 出会ったときから気付いていた。

 小さな悪態や、無理して吐いた悪口。人を遠ざけようと横柄を装うときに、ヴォルターの心はいつも揺れる。それだけ人を傷つけることに、ヴォルターは耐性がない。


 それなのに、




 自分を傷つける時だけ、ヴォルターの心は揺れない。


「……あ、……ああ」


 もう返す言葉も残っていなくて、崩れたようにアルメリアが声を濁して泣き始めた。

 それでも寄りかかろうとする体を、ヴォルターは優しく突き放すように押し返す。


「……研究が終わった後のことなんか考えてねえ。俺は俺の責任で、父さんの名誉()()を取り戻す。そこで終わりだ。その先なんてない」


 分かってたことだった。

 研究が終わったらどうするのか。その先に何もないことを、ヴォルターが決めているのは分かっていた。

 ヴォルターは研究が終わった後、死を考えていることは分かっていた。


「もういいだろ。最初から命としてのスタートラインにすら立ってねえんだよ、俺は。人の腹から生まれちゃいけなかったんだ。……分かったら、消えろよ」


 肩を震わせて、泣くことしかできないアルメリアを突き放しながら、「……違うな」とヴォルターは首を傾げた。






「――俺が消える」






 消えるような声で言い残してから、ヴォルターはゆっくりとアルメリアに背を向けた。

 背後で聞こえる嗚咽に、ヴォルターは苦し気に口をつぐんでから、足音もなく、その場を立ち去り始めた。


 暗い空に雨雲がかかり、振り始めた雨が、石畳の床の上で優しい音を立て始めた。


 雨が降り注ぐ中、ヴォルターは体を濡らしながら、街灯の明かりが少ない方へ歩き出した。

 黒いコートが、黒い闇の中へ消えていく。


 幽霊のように、暗がりへ溶けていくその背中を、






「……おい」


 アルメリアがコートの裾を弱々しくつかんで、引き留めた。


「……放せ」


 ヴォルターが背を向けたまま呼びかけるも、アルメリアはしゃくりあげて泣きながら、その手を放そうとしない。

 大きくため息を吐いて、再び歩き出そうとする背中に、アルメリアがボロボロに崩れた声で尋ねた。







「……生きる資格って、……何?」







 歩み出そうとする足が止まった。

 背中越しに、ヴォルターが言葉を探しているのが伝わった。考えることから逃げたわけではない。

 それでも、ヴォルターは黙ったまま、何かを口にすることはなかった。

 死んだように立ち尽くすヴォルターに、アルメリアがコートを掴む手の指先を震わせる。


「……答えられないよね。そんなの誰にもわかんないもん。もしもヴォルターと同じことに苦しむ人がいたら、あなたはその人に生きる資格がないって言うの? 言わないでしょ……?」


 今度はヴォルターが返す言葉を失った。

 行き先を探すヴォルターの背中に、「でもね」とアルメリアが呼びかける。


「幸せを奪ったことで、それが無くなったって言うのなら……、私はあなたに、言わなきゃいけないことがある」


 呼吸を整え、アルメリアは息を大きく吸い込んだ。

 コートの裾から手を放し、ヴォルターの前に回り込む。

 濡れた前髪から見えるヴォルターの顔は、とてもひどいものだった。

 言いたくない言葉を吐いて傷ついて、光を失った瞳。

 苦しさを堪えて口をつぐみ、皺が刻み込んだ唇。

 熱が奪われたように白く死んだような肌。


 そんなヴォルターに、アルメリアは「私は――」と震える声で一拍置いてから、続けた。


「この大陸に来て頼る先が無い時に、心配してもらえてうれしかった」


 ヴォルターの目が少しだけ開いた。赤い瞳がわなわなと揺れる。


「お父さんが死んで辛い時、優しく寄り添ってくれて、嬉しかった」

「――もういい」


 強くなっていくアルメリアの語気に、ヴォルターも耐えかねるように体を震えさせ始めた。

 そんな制止を振り切るように、アルメリアは言葉に力を込めていく。


「一緒に未開の中央(セントラルアンノウン)の冒険ができて、楽しかった……!」

「……やめろっ! アル‼」

「私は――‼‼」


 やめてくれ、と言わんばかりに、ヴォルターがアルメリアの肩を掴むが、天を貫くような声が、雨音をかき消すように響き渡る。






「――あなたに会えて‼ 幸せだった‼‼」






 堪えきれずに涙が溢れて、濁った力強い声がヴォルターの心臓を震わせた。

 揺れるヴォルターの脳裏を駆け巡ったのは、幼い時に交わした父と交わした、とある約束だった。


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