調子に乗るな
「……ヴォルター!」
無事を確認した喜びで、一瞬跳ねた声がすぐにしぼんだ。
黒い前髪の陰に隠れた、感情を殺したような虚ろな瞳に胸が痛んだ。
「お前が死刑囚に戻って、迷惑を被るのはそれを庇ったローレンスだ。そいつの計らいで生かされてんだ。どうなってもいいなんて簡単に言うんじゃねえ」
突きつけられた正論に、押し黙る他なかった。
威勢を失ったアルメリアと入れ替わるように、ローレンスが「どうだった?」と尋ねる。
「……発信機の現場に向かったけど、手遅れだった」
発信機と聞いて、モウカハネジネズミの親子のことを思い出す。
「手遅れって、どういうこと……?」
アルメリアが恐る恐る尋ねると、ヴォルターが一瞬だけ口をつぐんでから、抑揚の無い声を絞り出すように続けた。
「現場にあったのは、親の死骸と、外された発信機が2つ。激しく周辺が燃えた現場に、外した麻酔銃の弾痕が散らばっていた。誰かが生体サンプルとして回収に向かったところ、親に抵抗されたんだろ。……親はやむを得ず射殺。子どもの行方は、分からねえ」
あんまりだ。
聞き終えたアルメリアが、体を震わせた。
体をこすりつけられながら、縄張りを回ったことや、足音を使って言葉を交わしたこと。
短くも深く心を交わした30日の情景が走馬灯のように浮かび上がってきて、不意に目尻から涙が零れていた。
「だめだよ、こんなの許したら……」
悲しみや怒りと一緒に、それに勝る悔しさがあふれ出てきた。
人の人生や、生き物の命を、踏み台のように扱われる悔しさから、膝の上に置いた手が自然と拳を作っていた。
迷惑かもしれない。だけど、何もしなければヴォルターはずっと踏みにじられたままだ。
「こんなこと許していいわけない‼ ローレンスさん、どうにかして、あいつの悪事を暴くことはできないの⁈」
「……一つだけ、考えがなくはない」
「! 本当⁈」
アルメリアが食いつくと、「ああ」とローレンスは難しい顔をしながら頷いた。
「でも、首尾よくことが進んだとしても、あいつの別の悪事が明らかになるだけで、それがヴォルターの研究を取り戻すことにつながるかは分からない。上手くいくかどうかは、結果次第ってことにはなるが……」
「それでもいいよ! 可能性があることなら何でもしよう! ねえ、私たちは何をすれば――」
「やるならお前らで勝手にやれよ。俺を巻き込むんじゃねえ」
一縷の望みに弾んだアルメリアの声を、ヴォルターが遮った。
一瞬、何を言われたかが分からなかった。ローレンスも頭が真っ白になったように、目を見開いてヴォルターに向かい直った。
動揺した二人の様子に、ヴォルターは小さく息を吐いた。
言葉を準備する気配がした。
静まり返った病室。ヴォルターは抑揚の無い声で。まるで台本を読み上げるかのように、淡々と、目をほとんど閉じながら続けた。
「……そもそも、お前らの計らいに付き合った結果がこのざまだ。……一緒に行かなきゃよかった。てめえらのせいで、父さんの研究を盗られたんだ。……誰が一緒に動くかよ。研究は俺一人で取り戻す。……部外者は寝てろ」
脳を殴られたように固まるアルメリアたちを、ヴォルターは一瞥してから、逃げるように目を伏せた。
そして、無言で踵を返すヴォルターを、「待って」とアルメリアが呼び止めた。
「……今の言葉、ちゃんと目を見て言える?」
怯んだようにヴォルターが足を止めた。暫く黙り込んだ後、「めんどくせえ」と、蚊がなくような声で呟いた。
「そんな言葉……本心からじゃないって、心が読めなくたって分かるよ。……私たちを気遣ってくれているんでしょ? 巻き込んだことに罪悪感を感じてるんでしょ?」
アルメリアが声を震わええながら尋ねると、ヴォルターは乱れた息を飲み込んで、病室から出ていった。
逃げていく黒い背中に、「待って!」とアルメリアが、痛みも忘れて立ち上がり、遠くなっていく背中に叫んだ。
「なんで人のことは大事にしてくれるのに、どうして自分のことは大事にしてあげられないの⁈ 考えてよ‼ 自分のことも‼ 苦しい時は頼ってよ‼ 傷つくことに慣れようとしないでよ⁈」
遠のいていく背中が、止まっては遠ざかって、乱れた歩幅や足取りが、ヴォルターの心を表している。
早足が少し緩んでから、何かに区切りをつけるように、ヴォルターは歩幅を広くして、床を踏みしめるように歩きながら、病院の外まで出てきてしまった。
その背中に追いつこうとしたアルメリアが走ろうとしたところ、
「――っつぅ‼」
入り口前の段差に気が付かず、バランスを崩したアルメリアが前に倒れこんだ。
激痛で蹲るアルメリアに、ヴォルターが思わず足を止めて振り返る。
「……置いて行ってよ。本当に邪魔なら」
辛そうに眉間に皺を寄せるヴォルターに、アルメリアはよろよろとふら付きながら、体を起こして傍に歩み寄った。
「……人のことばっかじゃん。出会った時からずっと。……あの時の質問、答えてよ。……研究が終わったら、ヴォルターはどうするの。考えてないけど、考えてるんでしょ」
「……」
「自分のこと、もっと大事にしてよ。全部知った上で、そう思ってるんだよ、私も、ローレンスさんも」
よろめきながらヴォルターににじり寄り、シャツの胸倉を力強く握りしめた。
震える手から感情が零れて、それに共鳴するようにヴォルターの体が震え始めた。
「傷つくことに慣れないでよ。理不尽な目にあったら戦ってよ。あなたに幸せになってほしいんだよ。あなたの幸せは、あなたが望まないと始まらないんだよ」
心に触れる恐怖以上に、幸せになってほしいという願いがあふれ出てきた。
慰めるのではなく、思いをぶつけるように、吐き出すようにアルメリアは続けた。
ヴォルターを壊すかもしれない怖さが、震える声に現れた。
でも、当たり障りのない言葉はもう届かない。自分を傷つけるだけの心なら、いっそ一度壊れてしまえとも思っていたかもしれない。
感情がぐちゃぐちゃで纏まらない。だけど、はっきりしていることは、ヴォルターに幸せになってほしい。自分を大切にしてほしいという一点の思いだ。
「だから、苦しい方に逃げるの、止めなよ……」
祈るように、願うように吐き出した。
ヴォルターの胸が、今までにないくらい激しい鼓動を上げている。熱を持っていく胸を抱きしめるように、アルメリアは顔をヴォルターの胸の中に埋めていく。
だが、
「っ⁈」
「――調子に乗んじゃねえ……!」
ヴォルターが乱暴にアルメリアの胸倉をつかみ、怒りで血走った眼で睨みながら、アルメリアの顔を、眼前に引きずり込んだ。
激しい怒りの感情だった。それが今、全てアルメリアに向けられている。
「俺の過去を知って、全部わかったような口をききやがって……! 俺のことを考えろだ? ふざけんな。てめえは一度でも人のこと考えたことがあんのか?」
顔にかかる息が生ぬるく、瞳孔が開いた赤い瞳が、食い殺さんとばかりにアルメリアの瞳を刺してくる。
蛇に睨まれた蛙のように動かなくなったアルメリアに、ヴォルターが怒声をぶつけるように浴びせた。
「お前は一度でも‼ 俺が生まれて死んだ人たちや、その遺族や友人のことを考えたことがあるのか⁈」




