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アルカナ・ブラッド  作者: 糸音
第3章
36/50

研究の終わりと、異変

 

 ハネジネズミの研究を始めてから30日目。

 ハネジネズミの縄張りへ向かう中、「そろそろリミットだな」とヴォルターが呟いた。


「リミット? どういうこと?」

「巣立ちが近い。あと数日もすれば、あの子どもたちが親元を離れるかもしれない」


 研究の合間にもハネジネズミの子どもたちは成長し、親とほとんど同じ大きさにまで成長していた。ヴォルターが言うには、成体になれば縄張りから追い出されるらしい。


「巣立つ前に、血液のサンプルが取れればデカいんだけどな。住処を分けられると研究の効率が落ちる」

「あとちょっとで採血器に対する恐怖がなくなるとは思うんだけどね」


 今日までの間、ずっと目の前で採血を行ってから食事を摂ってきたこともあり、食欲が恐怖を追い越しそうなのだが、その二つの狭間を行ったり来たりするように、ヴォルターの間をうろつくに留まっている。

 飼育の為に、採血に対する恐怖を取るのと、血液のサンプルの確保は絶対だった。


「血液サンプルと論文の提出、その承認が下りるまでに3日となると、今日がギリだ。今日中にサンプルを取りたい」


 ハネジネズミの縄張りに到着すると、いつも通り鼻先を突き合わせてきて、『タンッタンッ』と地面を蹴って挨拶をする。

 その後は適度にじゃれあった後に、餌付けの訓練を行った。


「……」


 いつも通り自分の血液を採ってからドライフルーツを食べるが、食事への興味と、採血器への恐怖が半々といった具合だ。採血器を意識している辺り、採血=食事のご褒美という刷り込みは成功している。


 どうしたものかとヴォルターたちが考えていた時、アルメリアは子どものハネジネズミがそわそわと前に出てきたことに気が付いた。




「「……!」」




 二人は顔を見合わせた後、はやる気持ちを抑えながら、ドライフルーツと採血器を取り出した。


 アルメリアがハネジネズミの上方にフルーツを掲げ、採血の準備をするヴォルターを視線から逸らす。

 アルメリアが気を引いている間に、ヴォルターが体をさすりながら後ろに回り、擦る流れで採血個所をアルコールを湿らせた脱脂綿で吹き上げる。

 忙しなく揺れるハネジネズミの体が止まるの、針を構えて静かに待つ。


 上空に掲げたフルーツを、そっと口元に近づけたタイミングで、


「……よし!」


 ヴォルターが素早く採血し、炎が溢れる前に止血絆を採血個所に張った。

 一瞬だけ炎がボウッと舞い上がり、ハネジネズミたちが一斉にヴォルターの方へ振り返るが、特に痛がる様子はない。

 採血器に溜まった血を見ても動じない当たり、何をされたかは理解しているようだ。


「はい! ご褒美のフルーツだよ~!」


 採血をした個体に、アルメリアがフルーツを渡すと、それをむしゃむしゃと興奮した様子で食べ始めた。

 むしゃむしゃと美味しそうに食べる様子を見て、他のハネジネズミもアルメリアに詰め寄った。

 先ほどと同じ手順で採血を行い、順番にドライフルーツを与えていく。


「採れた?」

「ああ、三匹分!」


 珍しくヴォルターが興奮したように、採ったサンプルをアルメリアに見せつけた。


「後は論文と一緒に提出して、飼育実験の承認を貰うだけだ!」




 ♢ ♢ ♢




 その後、ハネジネズミたちにつけた発信機の動作確認だけ行い、ヴォルターたちは車に戻った。

 採血された血液サンプルは、車の揺れでも衝撃が加わらないように、緩衝材が詰められた特殊な耐衝ケースに入れられ、がっちりと壁に固定した。


「万が一強い衝撃が加わったら、車ごと吹き飛ぶからな」


 などとおっかないことを呟きながら、固定が緩くないか確認をした後、アニマグラムの方へと車を走らせた。

 凹凸の激しい道を、車体が大きく跳ねないようにスピードを落として走る。

 外は既に日が落ちていて、すっかり暗くなった未開の中央(セントラルアンノウン)を、車のライトだけを頼りに進んだ。


 静まり返った森の景色を眺めながら、アルメリアが少し寂し気な様子で語り掛けた。


「……ねえ、これで研究は終わり?」

「まさか。実験の承認が下りてからが大変なんだ。認可が下りれば飼育用の個体の保護、資料の開発に、繁殖サイクルの確立。他にもやらなきゃいけないことが沢山ある」

「ここからが本当の始まりってこと?」

「そういうこと」


 本人は気が付いていないが、運転をしながら微笑むヴォルターを見て、よかった、と心の中で呟いた。

 良かったというのは、一先ず研究のターニングポイントまで来たこと、その研究の力になれたという実感が湧いたこと。


 そして、ヴォルターにまだやることが残っているということ。


 ここで微笑んでいることを指摘すれば、きっとわざとらしく仏頂面になるんだろうなと思いながら、アルメリアも視線は向けずに微笑んだ。


 走っているうちに未開の中央(セントラルアンノウン)を抜け出して、遠くにアニマグラムの都市の影が見えた。

 その光景を見て、研究が、ヴォルターと共に歩む未開の中央(セントラルアンノウン)の旅が、一つの終わりを迎えたことを実感して、感慨深くも、胸が詰まる思いになった。


 多分、アニマグラムに戻れば、ローレンスの下で第7衛兵隊として働く日々に戻るのだろう。そうなれば今回の旅のように、ずっと一緒に過ごすことはなくなってしまう。


 そう思ったときに、過るのはヴォルターが苦し気に語った過去と、あの言葉。




 ――俺とお前の関係性にも、俺の人生にもこれ以上はねえ。




「ねえ、ヴォルター」

「……何?」


 平静を装ったが少し震えた声色に、ヴォルターが改まった顔になって、前方のガラス窓に反射するアルメリアの様子を伺った。

 何かを察されたことを感じ取り、アルメリアも一瞬息が詰まりかけた。


 言うかどうか迷った後、アルメリアは一呼吸おいてから、明るい声になって、一生懸命に笑ってヴォルターに向かい直る。


「ハネジネズミの研究が終わったらさ、今度はどんな研究をするの?」


 アルメリアの様子に瞬きをしてから、ヴォルターは顔をそらしながら、「……そうだな」と呟くように続けた。


「……今の研究が終わってから、考える」

「……」


 逃げた、というのはアルメリアも気づいたし、アルメリアが気付いたことにもヴォルターは気付いた。


 再び気まずい空気が流れ、近づいてくるアニマグラムの都市を見て、帰りたくないとアルメリアは思ってしまった。一方でヴォルターは、気づかれないようにアクセルを優しく踏んで、車体をほんのり加速させた。


 感情を殺して、死んだように遠くを見つめ始めたヴォルターの瞳を見て、苦しくなる。


 終わりが近づいてくる。

 今回の旅の、研究の、自分とヴォルターの関係と、


 ヴォルターの、終わりが。



「ねえ、ヴォルター。……一つだけ、逃げずに答えて欲しい」



 逃げずに、という言葉に、ヴォルターが息を止めた。

 少しだけスピードを緩めた車体に揺られながら、アルメリアは呼吸を整え、優しく触れるような落ち着いた声で、視線を前に向けたまま尋ねる。





「研究を完成させたら、ヴォルターはどうするの?」





 自分で尋ねた言葉が、静かに頭の中に残り続けた。

 その言葉に揺さぶられたのは、アルメリアだけではなかった。

 尋ねられたヴォルターは、逃げるように、耐えるように沈黙を貫いた。

 回答を探る気配すらない。このまま時が過ぎて、アルメリアが諦めるのを待っている。


「ヴォルター」

「……」


 優しく呼びかけると、ヴォルターのハンドルを握る手が強まった。


 分かっている。自分はもう一度楔に触れようとしている。

 ヴォルターの過去を聞いたときのことを思い出し、アルメリアも強張って、膝の上に置いた拳を、ぎゅっと堪えるように握りしめた。



「………、――…………?」



 心を震えさせながら、ヴォルターの言葉を待っていた時、ヴォルターが何かに気付いて目を見開いた。

 異変に気が付いたアルメリアも、ヴォルターの視線と同じ方向を見ると、アニマグラムの西区にある農業地区がぼんやりと地平を紅く染めている。


 赤い地平から舞う火の粉。黒い空をさらに黒く染めながら立ち上る煙。




「……火事⁈」




 轟々とうねりを上げる炎。風に乗って流れてくる熱を持った焦げた空気。

 アルメリアたちは顔を見合わせた後、燃え盛る農業地区の方へ、車を勢いよく加速させた。


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