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アルカナ・ブラッド  作者: 糸音
第3章
34/52

【生まれた】罪


 暫くの間、時間が止まったかのような静寂が訪れた。静まり返る車内に、風で木々が揺れる環境音だけが静かに響く。

 


「……何それ。意味わかんね」



 まっすぐなアルメリアの視線に耐えかねたヴォルターが、顔を逃がしながら、負け惜しみのように告げた。

 いつも笑わないヴォルターは、作り笑いも下手だった。



「ヴォルターは悪口が苦手だよね。顔には出さない。だけど明らかに言い慣れてない。悪口をいう時には必ず間が開くし、無理に言ってるから心が揺れてる」

「……」

「……それに、いつも人のことばっかり。出会ったときからそう。愛想が悪いようにふるまうけど、人が困ったり、傷ついたりするのを絶対に放っておかない。嫌な奴との仕事でも、必要なことだったら必ずやりきる。でも――」


 この先へ進んだら、今の関係には戻れなくなるだろうか。

 関係性が壊れる恐怖で、吸う息が一瞬詰まったが、胸に手を当てて呼吸を整えてから、アルメリアが続けた。




「ヴォルターが自分の為に何かをしているの、見たことない」

「……今こうやって、俺の我儘で研究をしているだろ」

「それはお父さんの為であって、ヴォルターの為じゃないんでしょ」




 ロフトの上からはヴォルターの表情は見えない。

 だけど、ヴォルターが触れられたくない部分に触れてしまったということは、心の読めるアルメリアには嫌でも分かる。


 動かない背中から、膨れ上がる憎悪がひしひしと伝わってきた。胸の内を黒く染め上げられるような感情の増幅に、アルメリアの心臓がバクバクと悲鳴を上げる。


 だが、その憎悪はアルメリアではなく、ヴォルター自身に向いていた。


 時折感じていたことだった。


 生物のことで我を忘れて話に花を咲かせたり、不意に褒められたり、感謝されたりしたときに、ヴォルターは芽生えた幸せを、自分自身で握りつぶす。

 悪口が苦手なのに、人との距離が縮まりそうなときに無理に吐き出すのは、その人の為に距離を置こうとするからだ。




「私には分からない。なんであなたが皆から邪険に扱われているのか。腫れ物みたいに扱われているのか。……だけど、ローレンスさんもその理由を教えてくれない」




 原因を探ろうとしたときも、ローレンスは決まって説明から逃げた。話したことについての責任を背負いきれないと感じていたからだった。

 だからきっと、自分では想像もつかない何かが、ヴォルターの人生に大きな楔を打ち込んでいるのだとは思う。

 今アルメリアがやっているのは、その楔を無理やり引き抜く行為だ。

 

 抜けば壊れるかもしれない。元には戻らないかもしれない。ヴォルターのことは人として好きだ。苦しい時に支えてもらった恩もある。




 だから、これ以上先に踏み込むことは、怖い。




 今まで感じたことのない恐怖に苦しみながらも、アルメリアは必死で言葉をつないだ。


「教えて欲しい。あなたがどうしてそうなったのか。なんで自分の幸せを考えたくないのか。……教えてよ。あなたとちゃんと、向き合いたい」


 自分に何ができるとは思わない。ただ、大切な人の心には、真正面から向き合いたい。

 苦しそうに、怖そうに、肩を震えさせるアルメリアの言葉に、ヴォルターが薄く、長い息を吐いてから、ほんの少しだけアルメリア側に顔を向ける。




「……俺はアニマグラムの中央区にある、中央病院で生まれた」




 長い沈黙の後、死んだような声でヴォルターが語り始めた。

 ロフトから降りようとするアルメリアを、「そこにいろ」とヴォルターが制す。




「……父さんも母さんも普通の人だった。俺のこの体は遺伝によるものじゃない。人間離れした肉体も、血に宿る炎も、突然変異的に生まれたものだ」




 核心に迫っているものの、その核心が何か分からずに、表情を歪めるアルメリアに、ヴォルターは、唇を強く噛みしめてから、消えそうな声で続けた。













「出産予定日。母さんの腹の中で癇癪を起した俺は、炎を制御できなくて、腹の内側から自分の母親を焼き殺し、入院患者や病院の職員を含め、計984名の死傷者を出した」













 頭が、真っ白になった。





 

 言葉が理解できなかったわけじゃない。打ち明けられた事実を、理解することを拒んでしまった。

 その言葉だけで、ヴォルターが生まれたときに背負ったものを分からされてしまった。すべてを聞き終えたわけじゃないのに、欠片だけでも頭を踏みつぶされそうなほど、重い何かだった。


 瞳孔が開き、呼吸を忘れて固まるアルメリアに、ヴォルターが続けた。


「俺の炎は特別で、既存の消火装置じゃ火の勢いを収めることはできなかった。死傷者の親族や友人は、10時間の間消えない炎で燃やされる病院を眺めていた。燃えるものがなくなって鎮火した後、腹を抱えるように蹲る、人の形をした煤の中から拾い上げられたのが俺だ。……列車で熊に襲われたとき、『寄るな』って言ってきた女性の人、覚えてる?」


 声が出ず、首を小さく縦に動かすことしかできない。


「あの人は病院の院長の嫁さんだよ。旦那さんは俺が殺した。ああなって当然だろ」

「でも……ヴォルターは、そのとき赤子で――」

「関係ねえだろ。憎むのにそんなこと」


 震える喉で絞り出した弁明は、一瞬で踏みつぶされた。


「裁判でも相当揉めたらしい。赤子の俺をどうするのか。次がある前に殺すってのが大半だった。でも、突然変異が起こった原因の究明もできてねえし、赤子に責任能力を持たせる判例を生むのも、裁判所が拒んだ。街から離れた場所での生活を条件に、俺の父さんが無罪を強引に勝ち取った。……いろんなものを犠牲にして」


 ヴォルターの声に怒りが滲んだ。誰に向けられたものでもなく、その矛先は常に自分の内側にだけ向き続けていた。




「いつ街一つ燃やし尽くすか分からねえ爆弾が、人の形して歩いてんだ。忌み子にも差別の対象にもなるさ。………………わかったか? 向き合ったところで、どうなるって話だろうが」




 話を終えたヴォルターが立ち上がり、アルメリアの方へ改まった顔で向かい直った。

 不愛想に見える表情は、何度も何度も、自分の幸せを握りつぶしているうちに、動かなくなってしまったせいによるものなのだろう。

 全てを知って、細い涙を流すことしかできないアルメリアを一瞥し、ヴォルターは頭を乱暴に掻いてから、車の外へ出ていった。




「俺とお前の関係性にも、俺の人生にもこれ以上はねえ。これ以上を望むなら、俺はお前を捨てていく」




 繋がりかけた糸を断ち切るように、ヴォルターはドアを乱暴に閉めた。

 静まり返った車の中に、アルメリアが嗚咽する声だけが響いた。

 触れたいって思ったのは自分なのに、返ってきたものがあまりにも重すぎて、

 後悔は湧かないのに、覚悟足らずに触れてしまった無力感がじんわりと心をむしばんでいく。


 その晩、ヴォルターは帰ってこなかった。

 

 自分を呪うように泣き続け、目を閉じているうちに疲れ果てて、気づかないうちに眠ってしまっていた。

 夢と現実のはざまをさまよいながら、アルメリアは苦しそうに拳を握りしめ続けた。


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