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アルカナ・ブラッド  作者: 糸音
第3章
33/45

幸せから逃げる

「……?」

「明日も使う。洗うな」


 聞き間違いだろうか。

 聞こえなかったふりをして笑顔で笑うアルメリアに、ヴォルターが繰り返した。聞こえなかったから黙っているわけじゃないんだけど。

 無言で洗濯機を開けるアルメリアの手から、ヴォルターが服を奪い取る。


「ちょっと⁈ そんな臭いの放置できるわけないでしょ⁈ 返してよ‼」

「マーキングは友好の印って言っただろうが! こいつは明日も縄張りに入るためのパスポートの役割にもなるんだよ! 折角仲間認定されたってのに、臭いを消すなんざありえねえから!」

「ありえない、って私、寝間着以外の服それしか持ってきてないんだけど⁈」

「ハネジネズミの研究をしている間は、当分この服で過ごしてもらう」

「当分ってどのくらいよ⁈ 一日二日で終わる研究じゃないんでしょ⁈」 


 アルメリアが怒りと困惑で叫ぶと、ヴォルターは斜め下に目をそらしてから、控えめに指を3本立てた。


「……三日?」

「……三十日」

「返せ‼」

「ダメだ‼」


 服を奪い取ろうと腕を伸ばすアルメリアに抵抗して、ヴォルターが服を高く掲げた。


「俺だって好き好んで臭い服着直すわけじゃねえんだよ……! お前が俺の手伝いをするって言うから連れてきてやったんじゃねえか。我儘通して研究の邪魔するなら、明日にはローレンスのところに突き返してやろうか」

「うう……」


 自分の言葉を盾にされ、引くしかなくなったアルメリアは、項垂れながら手をひっこめた。

 抵抗を止めたアルメリアをみて、「よし」とヴォルターが服をしまいなおす。何一つ良くないが、研究の主導者がヴォルターである以上、言うことを聞くしかない。


 また、臭いに包まれる生活に戻るのか……。


 密入国時代に風呂に入れず、酷く惨めな思いをしたことを思い出し、アルメリアが拗ねるようにロフトで布団にくるまった。

 ヴォルターがやれやれとため息を吐いてから、パソコンの前に座り直し、作業に戻る。


 ロフトからぶつぶつと聞こえる文句が、寝息に変わったのを確認して、ヴォルターはタイピングの音を少しだけ落とした。




 ♢ ♢ ♢




 翌朝、アルメリアが起きるとヴォルターがまだ机の上でパソコンを触っていた。


「起きたか」

「うん。……ヴォルターは寝たの?」

「ああ」


 頷いたが、ちゃんと寝てはいないのだろう。

 アルメリアがロフトから降りると、ヴォルターもパソコンを閉じて朝食の準備を始める。

 インスタントのスープに、苺のジャムを塗ったパンに、インスタントのモーニングコーヒー。

 アルメリアが目覚めのコーヒーを口にしているうちに、ヴォルターは例のゼリーをジュッと飲んで食事を終えた。

 一緒のものが食べたいなあ、なんて思いながら、アルメリアがパンをかじる。


 外に出る支度を終えたアルメリアに差し出されたのは、昨日から洗っていない調査服だった。




「着替えたら出るぞ」




 一日放置して、更に匂いの凶悪さが増した気がする。少なくともモーニングコーヒーの後に嗅いでいい香りではない。

 汚れを身にまとうような感覚に身震いしながらも、アルメリアは服を着て、ヴォルターもコートを羽織る。


 最悪の気分で出発し、昨日ハネジネズミにつけた発信機の信号を頼りに歩いていると、早速昨日の親子に出くわした。


 アルメリアたちの姿を見た途端、目にもとまらぬ速さで駆け寄り、ピンと伸びた鼻でアルメリアたちにタッチしてから、『タンッタンッ』と足を鳴らして腹をこすりつけてきた。




 ……うん。めっちゃ歓迎されてる。




 馴染みの臭いに安心してるらしい。やっぱ人間とは違う生き物なんだなあ、と心の中で項垂れてしまう。ハネジネズミの見た目が可愛いだけに、臭いとの乖離が凄い。


 やることは昨日とほとんど一緒だ。縄張り内を見て回り、生態を観察しながら親睦を深める。ハネジネズミたちは完全に気を許しているらしく、アルメリアたちが体に触れても特に抵抗する様子はなく、触る場所によってはむしろ嬉しそうに鼻をピクピクと動かした。


 体に自然と触れるようになったので、足の裏や歯型の撮影、体の各部位に触ったときの調査を行っておく。基本的には腹や額、後は手の届かない個所を触られるのを喜び、しっぽを触られるのをやや嫌うぐらいか。


 そして、生態調査と同時に、準備しなければならないことがもう一つ。




「血液採取の準備も行う。これから飯を食う前に、俺たちの血液を採取する」

「血液採取イコール、ご飯がもらえるって学習させるってこと?」

「その通り」




 ハネジネズミたちを前にサンドイッチを広げたヴォルターが、鞄の中から採血器を取り出した。

 何かの薬らしきものを飲んでから、自分の腕の静脈に、針を立てようとするヴォルターをアルメリアが制した。


「針を刺して大丈夫なの⁈ ぶわーって炎が上がらない⁈」

「さっき飲んだ薬に、血中成分の発現を抑える効果がある。完全な無力化はできないけど、幾分かはましになる」


 アルメリアに距離を取らせてからヴォルターが採血すると、一瞬だけゴウッと巨大な炎が立ち上った。

 抑えてなお、この火力。ハネジネズミたちも一瞬驚いたあたり、ヴォルターの火力はその辺の生物の中でも随一らしい。


 無事に採血できたらしく、シリンジに溜まった血を見て頷いてから、「飯をくれ」とアルメリアにサンドイッチを催促した。


「見た感じは普通の血だよね。ヴォルターの血も、他の生物の血も」

「見た目はな。見た目だけだ。人間の血じゃねえ」


 ヴォルターは0番染色体の血液を無力化する鉱物――血水晶が入った瓶の中に、自分の血液を流し込んだ。血水晶が乾いたスポンジのように、瞬く間にヴォルターの血を吸収しきったのを見て、瓶のふたを閉じる。


「燃えること以外は一緒でしょ」


 アルメリアがサンドイッチを差し出しながら告げると、ばつが悪そうにヴォルターが受け取って、サンドイッチを食べ始めた。それ以上の回答を避けたのがアルメリアに伝わった。


 採血器を変えて、アルメリアの血液も採取した後、同じようにサンドイッチを食べる。そのようすをハネジネズミたちは興味深そうに眺めていた。




 ♢ ♢ ♢




 研究を手伝い始めて15日。ヴォルターが言うには、ペースはかなり順調とのこと。


「仲間として受け入れられたのはデカかった。お前の力が無かったら、最低でも数か月は生態調査にかけるつもりだった」


 日が沈んで、キャンピングカーで論文のようなものを作成しながらヴォルターが礼を言った。顔は不愛想だが、声色がいつもよりも明るかった。


「連れてきてよかったでしょ?」

「ああ。流石はハイマー博士の娘さんだな」

「……」

「? どうした」

「ヴォルターって、私のこと、名前で呼んでくれたことないよね」


 ロフトの上からアルメリアが不服そうに見つめると、ヴォルターが「……そうか?」と下手糞にとぼけた。意図して名前呼びを避けているのはアルメリアにはお見通しだった。


「ねえ、わたしのことさ、『アル』って呼んでよ。お父さんとか、親しい人は私のことアルって呼んでくれるの。ローレンスさんも『アルちゃん』って呼んでたでしょ」


 あえて楽し気に提案するも、ヴォルターの反応は鈍い。

 少し間を開けた後、「気が向いたらな」と会話から逃げた。


「気が向いたらって何よ。ここまで一緒に研究したんだもん。もう仲間でしょ、私たち」

「……利害が一致しただけのビジネスライクな関係だ。何勘違いしてやがる」


 眉をしかめながら語気を強めたヴォルターに、アルメリアが少し怯んだ。

 怯んだ顔を見てヴォルターも少し動揺した。気まずい空気が流れた後、「ごめん」とヴォルターが独り言のように呟いた。




「手伝ってくれてることには感謝してる」




 謝意と同時に自分を責めるような声色だった。

 自分の喉を絞めるような声色のヴォルターに、アルメリアは口に溜まった唾を飲み込んだ。


 踏み込む恐怖を唾と一緒に飲み干して、少し声を震わせながら切り出した。




「……ヴォルターはさ、逃げるよね。自分の幸せから」


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