父を知る男
誰だお前。
そう問いかける男を見上げながら、アルメリアはあわあわと口を動かし、言い訳を必死に考える。
やばいやばい。どうしようバレた密入国。
父は特別な許可を得て大陸に入国したが、当然自分にそんな許可は下りてない。
バレれば良くて強制送還。 過去の例から最悪秘密裏に消されてしまう。
「あの……、その……」
必死に言い訳を考えようにも上手い言い訳が思いつかず、同時にバレたときのことを考えてしまって、軽いパニック状態だ。
だが、そんなアルメリアをよそに、
「……」
「あれ……?」
男は黙って残りの牛を外に出し、汚れている牛舎の中を掃除し始めた。
「どいて。寝床変えるから」
「あ、はい」
外から大きなスコップのような道具を持ってきて、牛の糞や尿でがちがちに固まった土の寝床を取り換え始めた。
汚れた土を全て掻きだし、新しい土と大鋸屑をブレンドしたものを床に敷いて、全体を慣らして整える。
一連の作業が終わったところで、男が牛たちを中に誘導して、新しい寝床に案内した。
ふかふかになった寝床に、牛たちも満足そうに体を下ろす。
寝床替えを終えた男は牛舎の隅に腰を下ろし、持っていたカバンの中から本を取り出して読み始めた。
「……」
え、この人。私に何か言及しないの?
いや、言及はされたくはないのだが、この状況で何も言及されないのは、それはそれで不自然で気持ち悪い。
自分には目もくれずに読書を続ける男を、アルメリアは改めてまじまじと見つめた。
でかくて黒い男だな。それが謎の男をパッと見て思った感想だ。
ガタイが大きく、先ほど立っていた時には、目算で身長が2m近くあった。
少しだけ目元に掛かりながらも艶のある黒髪が印象的で、髪の隙間からは、炎のように輝く緋色の瞳が伺える。 高い鼻筋がまっすぐに通り、頬から顎にかけてのラインは無駄なく引き締まっており、整っている、というよりは研ぎ澄まされたというような印象の顔立ちだ。
白いシャツの上から黒のロングコートを羽織っていて、何やら分厚い専門書のようなものを読み込む様は、さながら闇医者のようだった。大きな布に包まれた大荷物を背負っていて、布の隙間からは、剣の柄のようなものがはみ出ている。
こうして冷静に観察していると、結構いい顔立ちしてるなあ。とアルメリアは感心した。
黒ずくめのファッションセンスはどうかと思うけど。
などと観察しながら、水筒の水を飲んでいたところで、男が不意に話しかけてきた。
「お前、密入国者だろ」
「ブウウウウウウウウウウウウウウゥ?!」
不意に突きつけられ、アルメリアは思わず吹き出してしまう。
「な、なんでそれを?! ……あ」
吹き出した勢いのまま訊ねるも、それが墓穴だと気づいたアルメリアが慌てて口を押えるがもう遅い。
勝手に自滅したアルメリアを見て、呆れたように男が小さく息を吐くと、その考察に行きついた経緯を淡々と述べ始めた。
「この列車は4日前に始発の駅を出て、明日終点の駅に着く予定だ。お前の体の匂いは3、4 日体を洗ってないだけで発生するようなものじゃない。ずっと前から風呂に入れない状況……ずっと身を隠しておかなければならない状況だったと予想しただけ」
「こ、これは牛さんたちと遊んでいたから匂いが付いただけで——」
「残念ながらただ臭いんじゃない。糞や尿、土の匂いに混じってSTチオジメタン臭がする」
「え、えす、てぃー? ちお、……何?」
「ストレス臭――過度なストレスや緊張で生じる匂いの元だ。ネギのような独特の臭さやアンモニア臭に近い匂いがする。お前はうんこ臭いしネギ臭い」
「あなたデリカシーとかないわけ?!」
あまりに配慮に欠けた発言に、叫ぶように抗議したが、当の本人は気にする様子はない。
「わけあって長期間風呂に入れず、更にそれだけのストレスがかかる環境にいたってことだろ。最近来た貿易船は1隻。お前はその船に忍び込んで密航を決行。その後この牛舎に隠れて今に至るって感じか。長い間気を張って隠れて過ごせば、風呂にも入れず、ストレス臭にまみれても当然だよな」
「あ……あわわ……」
「それに、お前の周辺の土に混ざっていたこのノミ——」
慌てふためくアルメリアに歩み寄ってきて、男は人差し指の腹を見せつけるように差し出した。
「これは外来種だ。どこから連れてきた」
指の上に乗っていた点のようなノミを、男はそのままブチッと指でつぶした。
余所者である証拠を突き付けられ、アルメリアは観念した様に肩を落とす。
そんなアルメリアには目もくれず、謎の男は持っていた鞄の中から本を数冊取り出して、再び牛舎の隅に腰を下ろし、読書を始めた。
「あの……私、これからどうなるの?」
「知らん」
黒い男がそっけなく答える。
「私のこと通報しないの? 密入国者だよ?」
「俺には関係ない。見なかったことにしてやるから俺に関わるな」
あれ、もしかして私見逃されてる? この人いい人?
いい意味で予想外な方へ事が傾きそうになり、キョトンと目を丸めてから、アルメリアは男に詰め寄った。
「あなた、半年前に大陸に来た調査団って知ってる? 聞きたいことがあるんだけど……」
「関わるなっていったよな?」
言った傍から質問をしてしまうアルメリアに呆れた息を吐いてから、男は本を畳みその場を去ろうと立ち上がった。どうやら調子に乗りすぎたようだ。
だが、今のアルメリアが誰か頼れるとすれば、この男ぐらいだろう。
「待って!」
外に出ようとする男の手を反射的につかむと、鬱陶しそうに顔を引きつらせながら、黒髪の男は振り返った。
「お願い! お礼は何でもするから、私を【アニマグラム】って都市まで連れて行ってほしいの! そこでどうしてもやらないといけないことがあって……!」
「勝手にやってくれ」
「お父さんを探しているの‼ ハイマー・クロウリー、動物心理学者!」
力強い声で一方的に叫ぶと、黒髪の男が名前に反応して、アルメリアに視線を落とした。
「クロウリー先生? あの動物心理学者の?」
「知ってるの?! お父さんのこと」
「……話したことはない。論文は何度も読んだ」
父は界隈では有名な動物心理学者だったが、どうやらこの大陸にもその名声は届いているらしい。
思わぬところで繋がった細い縁をつかんで離すまいと、アルメリアは必死に男の手を両手で握りしめながら頭を下げた。
「この大陸に『奇跡の燃料』について調べに来てるんだけど、もう3か月も連絡が取れてなくて……! 役所に安否を確認しても、何も答えてもらえなくて……! だから、自分の足で探しに行くしかなくて……!」
話しているうちに、肉親と連絡が途絶えた不安が溢れ出てきたのか、先ほどまでの元気な様子から一転して、震えた声で、途切れ途切れに言葉を紡ぐ。
「お父さん見つけたら帰るから……! それまで私を匿って……!」
「……」
最後の方で少しだけ涙が溢れそうになって、声が滲んだ。
両手で強く手を握られた男は、手を振りほどけないままバツが悪そうに、俯くアルメリアを見下ろした。
黙り込んで何も言わないのは自分の頼みを引き受けるか悩んでくれているからか、それとも断り方を考えているからか。
二つの選択肢で揺れる男の顔を見て、アルメリアが不安な様子で回答を待っていた所、車両のドアが開く音がした。
「お、きれいになってるじゃん。流石だな……って」
現れたのは先ほど牛たちに威嚇され引き返した二人組だ。
「ヴォルター。誰だコイツ」
「……」
答えあぐねているうちに第三者がやってきてしまい、匿うにも見て見ぬふりをするにも取り返しのつかない状況になってしまった。
アルメリアと兵服の男、2人から真っすぐな視線を浴びせられ、ヴォルターと呼ばれた黒髪の男は、小さくため息をつきながら揺れる牛舎の照明を仰いだ。




