第三話「家族という檻から脱出した彼は」
面会室を出た瞬間、空気が変わった気がした。
この感覚を私は知っている。
ふと、朝霧一郎のことを思い出した。彼は私にとって初めての取材対象だった。
彼のことは今でも鮮明に覚えている。永遠に忘れることはない。
廊下の白い蛍光灯は、やけに眩しく感じた。さっきまで向かい合っていた蕪城の言葉を私なりに咀嚼していく。
静かな部屋の中でキーボードを叩く音だけが響いている。
私は記事を書いている。
【”家族”という檻の中で起きた事件】
そんなタイトルを打ち込んだ。
家族は、本来は最も近い存在であるはずだ。
しかし同時に、その距離の近さが、人を追い詰めることもある。
私自身にもそのような経験があるから。
誰もが、似たような経験をしているはずだ。
家族という名の檻の中に閉じ込められ、息苦しさを感じた。
そんな経験が。
蕪城凌佑は家族四名を殺害した。
その背景には長年にわたる家庭内の暴力や支配関係があったとされている。
やがて蓄積された怒りと悲しみが爆発し、事件に至ったとみられている。
【蕪城凌佑被告は落ち着いた様子で面会に応じた。
検察側・弁護側ともに診断自体については争っていないが、責任能力の有無および程度が主要な争点となった。
人が人を殺すという行為は、いかなる事情があっても許されるものではない。
それは社会の基本的な前提である。
しかし同時に、その「事情」をどこまで切り捨てることができるのかという問いも残る。
法律は何のために存在するのか。
罪を裁くためなのか。それとも人を救済するための枠組なのか。あるいはその両方なのか。】
法律の存在意義か…。
正直、私も分からない。
法律は社会の混乱を招かないために存在する。適切な言葉なのかは不明だが、私たちの平和は法律によって確保されている。
けれど、問わずにはいられなかった。
私は書き進める。
【別人格による犯行という側面以上に、考えなければならないものがある。
それは蕪城凌佑被告が長年置かれてきた環境そのものだ。
蕪城凌佑被告は確かに許されないことをした。
しかし、その生い立ちを振り返ると、そこに至るまでの過程はあまりにも過酷だった。
幼少期、父親からの暴力を受け続けていた。
母親に対する暴力を目の前で見せられることもあった。
性的な虐待や搾取が日常の中に存在していたとされる。
さらに家庭内では金銭的な強要や搾取も続き、正常な成長環境とは言い難い状況だった。
第三者からの支援はなかったのか。
近所の通報により、数回児童相談所が訪問に来ていた記録はあったが、
いずれも緊急性はないものとして、保護はしなかった。
警察もまた、家庭の問題に強く介入することはできず、
時々訪問をする程度で蕪城一家の異常な関係に気が付かなったと思われた。
第三者からの助けがない状態だったが、蕪城凌佑被告は、
やがて「人を守る側」に立ちたいと警察官を志した。
十七歳の頃にはその道を目指し、努力を重ねていたとされる。
二十歳で交番勤務となり、地域の子どもたちを守る仕事に就いた。
しかしその背景にある家庭環境の影響は、完全に消えることはなかった。
そして二十四歳の春、ある事件が起きる。
父親が起こした事故により複数の子どもが命を落としたとされ、
その出来事が蕪城凌佑被告の精神に決定的な影響を与えたとみられている。
そのとき、長年積み重なっていた“何か”が壊れたのではないか。
あなただったらどうしただろうか。
不謹慎な問いであることは理解している。
しかし、その問いを完全に無視することもまたできなかった。
筆者は正直に言えば、同じ立場に置かれていたらどうなっていたのか分からない。
もっと早い段階で限界を迎えていた可能性すらある。
それでもなお、人を殺すことは許されない。
その原則だけは、社会の基盤として揺らがせてはいけないものだと筆者は考える。
しかし同時に、その原則の中でどれだけ人を理解できるのかという問題が残る。
人が人を裁くからこそ、その裁きには慎重さと想像力が必要なのではないか。】
深呼吸をする。別れ際の彼の微笑みを思い出す。
彼は罪を受け入れていた。
もう確定された刑について、とやかく言う立場ではないし、言ったところで結果が変わることもない。
それはよく分かっている。
それでも、私は今、この記事を読んでいるであろうあなたに問いかけたい。
【ーー果たして、懲役三十五年は妥当な判決なのだろうか。
裁判とは、”最後の救済の場”でなければならない、と筆者は強く感じている。】
記事を完成させた。しばらく、画面だけが光っていた。




