復讐のカウンドダウンが始まるその前に
馬車から降りたアイビー達は帰宅の挨拶もろくにさせてもらえず、夫婦の部屋までモリスに追い立てられる。
「さて、それでは朝まで誰も近寄らないようにいたしますね」
「な、モリス! 何を言ってるの!」
アイビーは非難の声を上げた。
「そ、そうだぞモリス、そういうのはまだ早い」
「そうよ! ベンジャミンの言う通りだわ!」
「左様でしょうか? アイビー様も旦那様も、馬車の中で何か言いたそうにしては、顔を見合わせて譲り合って、結局口をつぐまれて。お二人でじっくり話し合うお時間が必要だと存じますが?」
アイビーはベンジャミンと顔を見合わせる。
顔は真っ赤に染まっていた。
「まあ、私といたしましては早くお子様のお世話をしたいところでございますけれども」
「なっ!」
ばたん!
扉が閉まる間際にアイビー達が見たのは、したり顔のモリスだった。
「……」
「……」
沈黙が重たい。
アイビーは隣に立つベンジャミンを見上げる。
相変わらずこちらを見ないように顔を背けて、頭を掻きむしっていた。
「ふっ、ふふっ」
「な、なに? なんかおかしかっただろうか」
ついアイビーは吹き出してしまう。
慌てふためくベンジャミンの様子を見ているうちに、身体の強張りが緩むのを感じる。
「ふふっ。だってパーティーでの振る舞いとあまりにも違うから」
パーティー会場でエスコートをしていたベンジャミンとは違う、いつものベンジャミンの姿にアイビーは安心した。
ベンジャミンもアイビーに合わせて恥ずかしそうに笑う。
「きっと部屋からすぐ出てこないように、今はモリスが見張ってると思うわ。少し時間を置きましょう」
アイビーはベンジャミンにソファの向かいに座るように促す。
テーブルにはリキュールの瓶とグラスが二つ、まるで二人で部屋に戻ると確信していたかのように置かれており、付け合わせに干しアンズや干しぶどうが用意されていた。
顔を上げるとフリル付きのピンク色の寝具で整えられたベッドが視界に入る。
パーティーに出る前に見た時はもっとシンプルな寝具だったはずだ。
スザンナの仕業だと察したアイビーは、慌てて視線を逸らした。
「パーティーの時はまるで別人かと思ったわ」
アイビーは気が付かなかったことにして話を戻す。
グラスに注いだ酒をベンジャミンに渡した。
「……貴族らしい振る舞いができるようにモリスやマシューに協力してもらったんだ。商談は信用が大切だからさ。アイビーに別人のようだと思ってもらえたなら及第点かな」
ベンジャミンは、スザンナの余計な心配りに気がついていないようだった。
「そうね。貴方の振る舞いを見れば多くの人が信用すると思うわ。きっと今までのベンジャミンじゃ話を聞いてもらえなかったもの」
アイビーは自分の発言でパーティー会場で考えていた事が頭によぎる。
(社交界で浮き名を流すようなベンジャミンに相応しい田舎貴族として義父に選ばれたわたしは、今のベンジャミンに相応しくない……。今のベンジャミンなら、わたしなんかとは違う立派な家柄の女性と再婚できるんじゃないかしら)
ぎゅっと唇を噛む。
そうしないと余計な事を言ってしまいそうだった。
「すまない」
突然ベンジャミンが頭を下げた。
「えっ? どうして謝るの?」
「いや、いまアイビーが思い詰めてるのって……その、やっぱり俺のせいだろうし」
「なっ……!」
(やだ、やだ、やだ! わたしの考えてることがベンジャミンに見透かされてるの?)
アイビーは叫びそうになって、両手で顔を覆い俯いた。
触れた顔が熱い。
「……いくらベンジャミンに対していい感情を抱いてないからって、後ろ盾が急にいなくなったら不安だったろ?」
「え?」
アイビーは顔を上げると眉根を寄せて深刻そうな顔のベンジャミンと目が合った。
「アイビーがしっかり者だからって、アイビーの気持ちに気が付かずに自分の事ばかりでさ」
「わたしの不安?」
「ああ。貴族の女性にとっては夫というのは最大の後ろ盾で、その後ろ盾がなくなるっていうのは立場を揺るがすようなものだろう? ベンジャミンが死んだんだからアイビーも不安だったろうに……」
(そんなこと考えてもみなかった)
アイビーはベンジャミンが雷に打たれて亡くなったとされるあの日には、すでに離縁することを決めていた。
離縁し、ベンジャミンが領主として相応しくない事を貴族院に訴え出て、ベンジャミンから爵位を剥奪するためのカウントダウンが始まるところだったのだ。
ベンジャミンという後ろ盾がなくなることに対する不安などなく、むしろこれからの未来に向けて気持ちが昂っていた。
ベンジャミンの身体から魂が離れ、異なる世界から来た全く別人の魂が入れ替わったなんていう不思議なことが起こらなければ、すでにアイビーはベンジャミンとは別の道を歩んでいるはずだった。
「あの日、わたしはベンジャミンに離縁を申し出るところだったの」
「離縁?」
アイビーが正直に告げると、ベンジャミンは目を見開いた。
橄欖石のような瞳がアイビーを捉える。
「だからベンジャミンが雷に打たれて意識を失ったって聞いても不安に思うこともなかったし、貴方の魂が死んだベンジャミンの身体に代わりに入ったって聞いても不安は感じなかったわ。ううん。むしろ……」
「むしろ?」
アイビーを見つめるベンジャミンの表情は戸惑いを隠せない。
再び沈黙が訪れる。
話を続けるべきだと思うのに、喉が渇いて次の言葉が出ない。
アイビーは手に持っていたグラスを揺らす。赤みのある琥珀色の液体が波打つ。
甘くて苦い液体が口の中に広がる。
飲みなれたアンズのリキュールはアルコール度数が高い。一口だけでも喉が焼けるようにチリチリとした。
喉はちっとも潤わない。
アイビーは唇を噛み締めた。
「なあ、アイビーはいまもベンジャミンと離縁したいと思っているのか?」
「えっ……離縁……」
沈黙を破ったのはベンジャミンの質問だった。
(ベンジャミンからそんな話をされると思わなかった)
アイビーは自分が最初に切り出した「離縁」の言葉に心が冷えるのを感じる。
「もし、まだ離縁したいと思ってるなら……」
ベンジャミンは急に口ごもり、先ほどのアイビーと同じようにグラスを揺らす。決意したように一気にリキュールをあおると、空のグラスをテーブルに置く。
ベンジャミンは髪の毛をかきむしる。
大きく息を吐き出し、瓶を手に取りグラスにアンズのリキュールをなみなみと注いだ。
「これからする俺の話は笑って聞き流してもらえないか?」
ベンジャミンはアイビーをまっすぐ見つめた。
第三章は一話ごと交互に視点が変わります。
あと残り三話です。
よろしくお願いします。




