転生した俺はスローライフを満喫したかった
──そして。季節がひとつ過ぎたある日、俺に話があるとアイビーが部屋を訪ねてきた。
いま俺はベンジャミンが治めるプラット子爵領に滞在している。
領主の執務室とそこにつながる夫婦の寝室を使うように言われたが、さすがにそれは躊躇われた。
いくら俺の見た目はベンジャミンのままでも、中身は別の人間だ。夫婦の寝室を使うなどおこがましすぎる。
今はベンジャミンが子供の頃過ごした部屋を借りている。
ベンジャミンの記憶なんてもんは引き継いでいないから、部屋で過ごしてもなんの感傷もない。
なのに窓を開けると眼前に広がる景色は不思議と懐かしい。
異世界転生に気がついた時に想像したスローライフの夢が叶いそうな、のどかな田舎の風景だ。
まあ、結局スローライフは夢のまた夢だったのだけど。
「ベンジャミンが提案してくれたおかげでアンズ狩りは成功に終わったわ。一度だけでなく何度もお越しくださった方もいらしたし、ぶどうやりんごの時期にまた来たいと言ってくださる方も沢山いらしたのよ」
「いや。俺は提案しただけで、成功したのはアッ……アイビー達の日頃の努力の賜物だよ」
領民達に俺がベンジャミンじゃないってバレないように、領地で過ごすなら呼び捨てにすること。と、言われたけれど、本人に面と向かって言うのはいまだ慣れない。口にするたび緊張する自分に、居た堪れない気持ちになって、頭を掻きむしる。長い髪の毛は煩わしくベンジャミンに悪いと思いつつ短く刈り上げた。
「……」
「……」
会話は弾まず、アイビーは「今のベンジャミンは謙虚なのね」と言うと俯いて立ち去ってしまった。
別に謙虚なわけじゃない。
ベンジャミンの治める領地は大きな果樹園があり、特にアンズ栽培が盛んな場所で、収穫されたアンズは干しアンズに加工し王都に出荷されている。
マシューとその父であるモリスに帳簿などの資料をもとに領地について説明してもらってはいたものの、説明と実際に見るのでは違う。
頼み込んで領地に連れてきてもらった俺は、この世界でおそらく初めて「くだもの狩りツアー」を企画し大盛況に終えた。
都会で暮らす貴族達にとっては、人や物にあふれ騒然としていて慌ただしく時間が過ぎるのが日常で、人よりも家畜の方が多くのんびりと時間が流れる田舎で過ごすのは普段とのギャップでむしろ刺激的な体験になる。
刺激が多いはずの都会で暮らす会社員が休みの度にわざわざ海や山に旅に出るのと一緒だ。
田舎の景色に荒み切った心が癒されても、都会に戻ればまた日々の喧騒に振り回され疲弊する。そうすれば再び癒されるために田舎に訪れたいと思うのは自然なことで、成功するのは当たり前のことだった。
だから別に大したことじゃない。
企画が成功したのは、果樹園をきちんと手入れしていた農夫達や、王都で飲食店を開き美食家の顧客に伝手があったモリス、それに試食会でアンズの食べ方をお客様に紹介してくれたアイビー達の尽力があってこそだ。
もっと自分たちに自信を持って欲しい。
「どうしたらアイビーに感謝の気持ちが伝わるんだろうな」
アイビーが立ち去った後に、入れ替わるように訪れたマシューに尋ねる。
「感謝……ですか? なんでまた急に……」
マシューの視線は机の端に重ねた本を睨みつける。
「もしかして……その……元いた世界にお戻りになる方法が書かれて……それでアイビー様に別れの言葉として感謝の気持ちを添えようと……」
「違う! 違う! 普通に感謝したいんだって。調べても元の世界に戻る方法はないって何度も言っただろ?」
どうやらこの世界に転生してきたのは、俺だけではないようだ。過去に何件も事例があるとモリスから聞かされた。
マシューが睨んでいる本はモリスが異世界から転生してきた人の手記を探し集めてくれたものだ。
やはりというか、調べた限り転生者達は元いた世界に戻る方法を見つけることができなかったと記されていた。
ホッと胸を撫で下ろす仕草をしたマシューが、何か思い出したかのように目をみはる。
「じゃあ今度は何をお調べになってるんですか?」
「何って、別に大した事じゃないさ」
「別に大した事ないなら、お話いただいても問題ないのでは?」
じっと見つめて逃がす気がない。
「……俺が自分から元の世界に戻ることはできなくても、ベンジャミンの魂がこの身体に戻ってくる可能性があるのかを調べてたんだ」
「ベンジャミン様の魂が……身体に戻る」
「ほ、ほら俺からのお詫びはいらないって言われたし、今後の見通しを立てる話もして領地の発展に繋がるような企画も考えた。でも、やっぱりさ、ベンジャミン本人から謝ったほうがいいと思ったんだよ」
目の前の顔は嫌そうに歪む。明らかな拒絶だ。
「わかるよ。マシューもアイビーもみんなベンジャミンのせいで嫌な思いをしたんだろ? でも、ずっとそれに囚われてるくらいなら、一度腹を割って話した方がスッキリするんじゃないかって思ってさ」
「それで貴方はベンジャミン様に謝らせるために、ベンジャミン様の魂が身体に戻る方法をお探しだとでも言うのですか?」
歪んだ顔のまま睨み付けるようにマシューは俺を見つめる。
「……悪い。そんなのただの言い訳だ。俺は、別にベンジャミンの魂がこの身体に戻る方法を探してるわけじゃないし、戻したいわけでもない。ベンジャミンが戻ってくる可能性があるかどうか知りたかっただけだ」
「知ってどうされたいと言うのです」
マシューはまだ睨んでいる。
「もし、ベンジャミンの魂がこの身体に戻るのであれば、俺の魂はどうなってしまうのかなと思ってさ。元の世界に戻らないならこの世界で成仏するのか気になるだろ?」
「ジョーブツ?」
険しい顔のまま小首を傾げたマシューを見て、自動翻訳機能が万全じゃないことを思い出す。
西欧諸国っぽい雰囲気だもんな。成仏は伝わらなくて当然か。
「えっと、じゃあ天国?」
「天国? ですか?」
まじか。天国も通じない。天使とか神様とか信じてそうなのに。
「あの世はちょっと日本的すぎるか? あとはえっと冥土の土産とか言うから……あ、冥界?」
「冥界⁉︎ ってあの冥界ですか?」
「そう。冥界送りにされちまうのかどうかを知りたかったんだ」
「そっそれでお調べになった結果は? 手記にはどのようなことが書かれていたのですか?」
マシューの顔から険しさが減った。
わかる。わかるぜマシュー。死後の世界とか不謹慎に思いつつワクワクしちゃうよな。
興味を隠しきれない様子に俺も心の中で頷く。
「この世界に転生してきた人物たちは元の世界に戻る事も体の持ち主の魂が戻って追い出されるようなこともなく、この世界で死ぬまで暮らしてたみたいだ」
調べてみたところ、異世界からきた魂は胎児に宿るか魂が抜けた身体に宿る事例ばかりだった。
おそらく俺のケースでは雷に打たれたベンジャミンの魂は身体から抜けてもうこの世にはいない。
俺の魂がベンジャミンの身体に偶然憑依しなければ、そのままベンジャミンの心臓は止まり死んでいたのだろう。
まあ、とはいえ元の魂が戻ってきて追い出されて冥界行きになった人たちがいたとしても、手記を残せないから記録に残らないだろうと思うのは内緒だ。
「それよりも気になることがあってさ」
「なんですか? 教えてください!」
ほっとしたような、でも少し残念そうな顔をしていたマシューが食い気味に尋ねた。
「手記を読むと転生者の大半がどんどん元の世界の記憶をなくしていってしまうみたいなんだ」
最初に手記を読んだ時には戻る方法があるのかばかり探していたが、改めて読むと記憶が失われていくことについて触れる内容が多いことに気がついた。
そもそも人間は全てのことを記憶しておくなんてできやしない。まあテレビで何でもかんでも覚えている人が出てきたりするのを見たことはあるけれど、そういう人は珍しいからテレビに出てくるわけで。
つまり忘れるのは当たり前だ。
当たり前ではあるけれど、手記によると元の世界についての記憶を忘れる速度が早すぎるそうだ。
この世界に慣れるためには元の世界の記憶は不要と判断されるのだろうか?
転生者たちはみな、元の世界で自分がどんな暮らしをしていたのかも、親しかった友人の名前も、親や兄弟の顔も、最終的には自分の名前まで自力では思い出せなくなり、最後は自分の手記だけが、元の世界を思い出すためのよすがとなっていた。
「──だからさ、俺も忘れないうちにバイヤーとして元の世界でどんなイベントを計画して運営してっていう仕事のことを書いておこうと思って」
「仕事のことを書くのですか? ご自身の記憶を留めるためではなく?」
「ああ。本当に元いた世界の記憶を失うなら、失う前に少しでもアイビーの役に立てばいいなと思って」
「自分のためではなく、アイビー様のために……ああ、アイビーを愛していらっしゃるのですね」
「愛⁈ や、これは日頃の感謝を伝えるためにアイビーに役に立つようなことができないかなって思って! ただそれだけだって!」
あからさまに動揺して捲し立ててしまったことに気がつき、俺は咳払いをする。
「本当にそれだけだ」
「本当にそれだけでしょうか?」
「いや、だってアイビーはそもそもベンジャミンの奥さんだし」
「貴方様は誰が見てもベンジャミン様です。問題ありません」
「いやいやそういうわけにはいかないって! それに俺とアイビーは歳が離れてるんだ、ありえないだろ」
アイビーさんは前世でいえば新入社員くらいの年齢だ。十歳は離れている。
「何をおっしゃいますか。ベンジャミン様とアイビー様は五歳しか離れておりません」
「それはベンジャミンとアイビーだろ。俺とアイビーは十歳くらい違う」
「もしそうだとしても、たかだか十歳です。貴方が元いた世界がどうかは知りませんが、後ろ盾のない貴族のご令嬢の行く末は老いぼれ貴族の後妻です。アイビー様もベンジャミン様とご結婚なさらなければ祖父ほど離れた貴族の家に嫁がれていたことでしょう。いえ、もし今貴方様がアイビー様とご離婚されることがあれば老いぼれ貴族の後妻に……うっううっ」
マシューが手で顔を覆い俯くと、肩を震わせる。
「いや、別に離婚は考えてないって」
「本当ですか? 言質はとりましたからね?」
顔を上げたマシューの瞳は濡れちゃいなかった。
「……騙したな」
「わかってらしたくせに」
悪びれもせず笑う姿に、俺は苦笑いするしかない。
「そうだ。貴方がいらした世界にはアンズを使ったデザートがたくさんあって、貴方はそれを売ってらしたんですよね?」
「ああ」
「アイビー様へ、そのデザートを作られたらいかがですか?」
なるほど。この世界にないアンズのデザートを売り出せれば俺の記憶が役に立つかもしれない。
そうとなれば何を作ろう。
俺はアンズを使ったデザートを思い浮かべる。
「焼き菓子系はこの世界でも受け入れやすそうだったな。焼き菓子の王道っていったら、マドレーヌか? 作るなら貝殻を焼き型にすれば……いや、別に型にこだわらなくても、天板いっぱい大きく焼いてカットしてバターケーキをつくって、シロップにアンズのリキュールを染み込ませて。いいな。日持ちがするお菓子は土産物にぴったりだ」
「いいですね」
「ああ、でも、焼き菓子もいいけど冷たいデザートも捨てがたい。冷蔵庫がないから難しいか? あの時のムースはメレンゲを蒸して固めてたもんな。いや、でも地下水や井戸水で冷やす程度で固まるデザートが作れたりしないか? もし出来たらこの世界の人が誰も食べた事がないものを作れるんじゃないか? 話題になるぞ。いいな」
「ええ。いいでしょう? 愛を伝えるのに甘いデザートはぴったりですよ」
「そうだ、アンズはペクチンが多いから生クリームと混ぜるだけでとろみがつくはず……あ、そういや杏仁豆腐はどうだろう。種はリキュールを作るのに使うって言ってたけど、それでもあの量なら余るよな。杏仁豆腐はアンズの種から核を取って乾かした杏仁霜を使って作るけれど、この世界でもし杏仁霜が作れれば、種の使い道にもなって一石二鳥じゃないか? よし、それなら──」
考え事に夢中で独り言を呟いていた俺は、マシューがしたり顔で部屋から去っていったのに気が付かなかった。




