転生した俺はスローライフを満喫したかった
山積みにされた帳簿を開く。
自動翻訳機能でもついているのか、アルファベットに似た文字は何が書いてあるのか悩むこともなく自然に読める。便利だ。
収入の欄には果物の加工品の売り上げや、加工品にするために工房へ卸した売り上げが、ずらりと並ぶ。
勝手に俺の知る単語に翻訳されているのか、この世界でもそう呼ばれているのかはわからないが、アンズにぶどうにりんごといった今まで見慣れた名前ばかりだ。
特にアンズに関する売り上げが多い。日本だとアンズの名産地といえば青森や長野だ。
ってことは……。
「アンズの生産量が多いということは、緯度が高いか、標高が高いか。いずれにしても冬は雪で寒そうだ」
「そんなこともお忘れなんですね」
帳簿にメモを走らせつつ呟くと、マシューが答える。
「申し訳ない。ベンジャミンの記憶は、何も残ってないみたいだ」
「そうですか」
目の前の複雑そうな顔は、俺が本物のベンジャミンじゃないからだろうか。
マシューをはじめとした屋敷の使用人たちは、俺とベンジャミンの違いを突きつけられるたびに悲しみなのか苦しみなのか何かに耐えるような表情を浮かべる。
だというのに、ベンジャミンの姿かたちをしているだけの俺を誰も追い出そうとせず屋敷に置いたままにしてくれる。
頭を掻きむしる。
「本当は俺はここから出ていった方がいいんだろうな」
「え⁈」
心底驚いた顔を眺める。
「ベンジャミンじゃないくせに、代わりに今後の見通しをつけてここに置いてもらおうなんて図々しいっていうのはわかってんだ。とはいっても、この世界のことが何もわからない俺はいきなり追い出されても困るもんだからさ」
「そうですよ」
「ああ。俺は魔法が使えるのかもまだわかんないんだ。魔物に出くわしても退治できるかわからない」
自動翻訳機能は搭載されているだけで、神の声も聞こえなきゃ、ステータス一覧が宙に浮かぶ事もない。
残念ながら、俺にはいわゆるチート能力みたいなやつはなさそうだった。
「魔物ですか⁈」
「ああ。いるんだろう?」
あれ?
俺に向けられている見開いた目がキラキラと輝きだした。
「貴方が元いた世界には、魔物がいて誰でも魔法が使えたのですか? なるほど。それでこの不思議な現象を受け入れていらっしゃるということですね?」
「えっ? 違う違う!」
勝手に納得してるマシューを、慌てて否定する。
「以前板の中で絵画が動いて芝居を始めるとか、馬よりも速い乗り物があるとか空を飛ぶとかおっしゃっていたじゃないですか」
「いやいや、それは魔法じゃなくて科学というか技術というか……とにかく俺が元居た世界に魔法なんてないんだよ」
俺の言葉にあからさまに肩を落とすマシューに少し申し訳ない気分になる。
わかるよ。魔法のある世界って男のロマンだよな。
俺も期待しちゃってたもん。
「じゃあ魔法もないし魔物もいないってことは、俺のいた世界の中世くらいな感じなのかな。まあどうにせよ、魔物が出ないにしても着の身着のままで、この屋敷から出るのは厳しいからもう少し待ってほしいんだけどさ」
「アイビー様は着の身着のままで追い出すようなことをする方ではありませんよ」
「そうだよな。あんな美人で真面目で優しいお嬢さんはなかなかいないよな」
愛想を尽かしていたとはいえ、自分の夫の身体に全く別人の魂が入れ替わったなんていう状況に置かれていても、使用人たちが混乱しないように女主人らしく振舞っている。
「ですよね!」
「え? あ、おう」
再び目を輝かせたマシューの顔が近い。
「大奥様がお亡くなりになってからというもの陰惨だった屋敷の雰囲気が、アイビー様が嫁いでらしてからは活気を取り戻したのです。だというのにベンジャミン様ときたら領地も屋敷も顧みず、自分の好きなことをしてばかり! そもそもベンジャミン様は自分に自信がないちっちゃい男なんですよ。なのにプライドばっかり高くて、自分に自信がないことがバレたくないもんだから傲慢な振る舞いばかりで!」
「ちょっ。マシューはベンジャミンに仕えているんじゃないのか? そんな悪いように言わなくても……」
唾を飛ばす勢いでまくしたてるマシューに面食らう。
「私はプラット子爵領を護るために代々プラット子爵家に仕えているのです。ベンジャミン様付きの侍従ではありますが、ベンジャミン様がこの土地にふさわしくないのであれば、ほかの方がこの土地を護るべきなのです」
何言ってんだと言わんばかりに胸を張っている。
そうか。商品や会社を守るようなものか。
会社や商品を守るために責任を取って経営者が更迭されることはいくらでも聞いた。
創業者の苦労を知らないお坊ちゃんの後継者がほかの事業に手を出して会社を潰してしまったのを、昔からいる従業員たちが商品を引継ぎ再興する話だって、そこここに転がっていた。
俺だって会社勤めで忙しくしてはいたけれど、別に会社の上層部のために仕事をしてきたわけではない。
まだあまり知られていない名品を多くの人に知ってもらいたい。このまま消えてしまうような名品を未来に繋げたい。そんなバイヤーとしてのプライドを持って仕事をしていた。
マシューの気持ちは痛いほどよくわかる。
何か、俺ができることはあるだろうか。
俺は開きっぱなしだった帳簿に視線を落とし、何か妙案はないものかと頭をひねる。
物語だとチート能力を神様かなんかに授けてもらったり、前世の記憶を使って解決するんだろうけど……
チート能力はなさそうだし、前世の知識を活用するにも帳簿を見ているだけでは何も思いつかない。
そうだ、百聞は一見に如かず。
今まで現地に直接訪れて、いろんな企画を考えてきたじゃないか。
「なぁ。マシュー。今って何月?」
「なんがつ?」
「えっと。あ、暦的な」
「あぁ。いまは初夏の月です。今日は初夏の月の十八日です」
マシューに暦について教えてもらう。
呼び方は少し違うものの、この国のカレンダーは日本とほぼ一緒だ。
一か月が約三十日。十二か月で一年。
初夏の月は話からすると六月ごろ。
「ってことは、そろそろアンズの収穫時期か。ちょうどいい。マシュー。ベンジャミンの領地に行きたいんだがどうすればいい?」
「やっぱり、貴方はベンジャミン様なんじゃないですか? 雷に打たれて気を失ったのをいいことに他人になりすまして私たちを騙そうとしてるんですね?」
「え? どうした、急に」
訝しむマシューの態度に俺も訝しんだ。
「……アンズの収穫時期がわかるなんてプラット領の人間に決まっています」
「決まってるって、普通、アンズは暑くなる前に収穫するもんだろう? そんな常識的な事知ってるくらいで、俺がマシューたちを騙そうとしてるなんて判断するのは早計だ」
マシューはふんと鼻を鳴らした。
「プラット産の干しアンズが市場に出回るのは秋になってからです。暑くなる前に収穫するのを知っているのは普通じゃありません」
そうか。帳簿を見る限りアンズは加工品として出荷されている。
加工品として流通していると、本当の旬がいつなのかを知らないケースも多い。
「これは、前世の知識ってやつだ。俺がベンジャミンだって証拠にはならない」
「あなたはもともとアンズについてお詳しいんですか?」
「栽培は門外漢だけども、アンズの加工品を売った経験はあるよ。マドレーヌとかパウンドケーキとか」
「マドレーヌ? パウンドケーキ?」
「あれ? 知らない? 通じないのか?」
確か、マドレーヌの名前の由来はフランス貴族に仕えた召使いの少女だ。パウンドケーキの由来もイギリスの重さの単位だ。異世界だと通じないのか。
なるほど。この世界にないものは、この世界の言葉に変換してくれないってことか。
思ったよりも自動翻訳機能は万全ではないみたいだ。
「フルーツ大福もどら焼きも伝わらないよな。うーん。そうだ! ジャムも取り扱ったよ」
「ジャム!」
「あ、ジャムは通じるよな。安心した。マドレーヌじゃなくて焼き菓子とかバターケーキって言えば伝わるかな、さすがに和菓子系は無理だろうけど」
「ジャムを売っていらしたなんて、貴方様はもしかしたら本当に私たちの救世主様なのかもしれません」
そう言ってマシューは俺の手を取り、領地に行くようにと勧めてきた。
もちろんそのつもりだった俺は旅支度を始めるが、ふと気がつく。
ベンジャミンのフリなんてできる気がしないんだけど、どうすればいいんだ?
どう考えたって、しがないサラリーマンの俺がベンジャミンのフリなんてできるわけがない。
バレたら……多分まずいよな?
そう思った俺は、恥をしのんでアイビーさんに「ベンジャミンのフリができないから助けてくれ」と頼み込み、アイビーさんにも一緒に戻ってもらうことにした。
道中でホームシックを感じて、年下の女性に慰めてもらう……なんていう恥ずかしい思いをしつつも、ベンジャミンの領地に辿り着いた。




