転生した俺はスローライフを満喫したかった
第二章から視点が変わります。
よろしくお願いします。
その日も俺──赤穂樹は緊張による寝不足と軽い胃痛に見舞われながら神社を歩いていただけ。のはずだった。
初めて商談相手に会うため訪れた地ではその街で一番歴史のある神社に向かうことにしている。
もちろん商談がうまく行くように願掛けという意味合いもある。
バイヤーとしては商品だけでなく、付随する物語も含めて紹介したい。
そのためにも、商品が生まれた土地の歴史や風土を知っておくべきで、それには信仰の中心であったろう寺社仏閣に訪れるのが最良だと考えてのことだ。
街を一望する小高い丘の上に建てられた神社に参拝し、さあ、いざ商談先に……。と石段を下り始めたその時、強い目眩に襲われた。
手すりに掴まろうと伸ばした手は空を切り、バランスを取ろうと出した足はたたらを踏んだ。
やばい。
そう思ったときにはすでに手遅れで石段から足を踏み外す。肩から叩きつけられた身体はそのまま転がり落ちる。受け身を取ることも叶わず、勢いよく転がっているはずなのに景色はゆっくりと流れていく。
ガンガンと頭が何度も石段に打ち付けられ、次第に目の前が暗くなる。いつの間にか俺は気を失っていた。
──そして気がつくと、硬い石段ではなく柔らかな感触に包まれていた。
ってことは、病院にでも運ばれたのだろうか。救急車で運ばれた記憶もないのだけれど。
それにしても、石段から落ちてどれだけ時間が経ったのだろうか?
女性達が話す声が聞こえるが内容までは聞き取れない。 看護師? やはりここは病院なのか?
それにしては、消毒液と薬品が混じったような病院特有の匂いはない。
人の気配が近づいたように感じ、混乱しながらも重たいまぶたをゆっくりと開ける。
話をしていたと思われる女性が俺の顔を覗き込み手を伸ばしていた。
目を凝らしても、女性の奥には点滴や呼吸器などの機器は見当たらない。
看護師……にしては白衣は着ていない。そもそも顔が日本人じゃない。それになんだか古めかしい襟が詰まった服を着ている。
「えっと……誰?」
バチン! と急に頬を叩かれますます混乱する。
「何が『誰?』でございますかっ! 女遊びをしすぎて妻の顔まで忘れたとでも言うのですかっ!」
混乱した頭に追い打ちをかけるように、顔を覗き込んでいた女性の後ろから叫ぶ声がする。
「つ……ま……? って妻⁈ 俺の⁈」
結婚してたってことか? そんな覚えはないぞ。仕事が忙しすぎて彼女を作る暇だってないのに。
もしかして、記憶喪失? いや、自分の名前はわかってる。この場所はわからないけれど。それは知らぬ間にここに連れてこられたからで……
「当たり前でございます! 何をおっしゃってるんですか!」
思考から引き離すような金切り声に慌てて声の方に視線を向ける。
「えっと、妻ってどちらが……」
叫んでいる女性に問いかける。怒気を露わにしているが、やはり目鼻立ちのはっきりした、とんでもない美人だ。
「こちらにいらっしゃるアイビー様に決まってるじゃありませんか」
見知らぬ美女の顔を交互に見る。アイビーってのがこの人の名前なんだろうか?
「……こんな、美人が、俺の妻? 本当に?」
身に覚えがない。
「びじ……」
見開いた瞳は青みがかっている。
ちょっと待てよ。
明らかに日本人じゃないのに、言葉が通じてるんだ?
俺の英語力は大したことはない。寝起きにいきなり英語で話すなんて、それこそ夢のまた夢だ。
なら、この女性たちが日本語を話しているのか?
いや、俺に話しかけている時ならまだしも、女性たちだけで話している言葉まで日本語なのはおかしくないか?
もしかしてこの女性たちはそれぞれ別の国出身で母国が異なり、共通言語が日本語だったとか……
にしては日本語ペラペラ過ぎるな?
ああもう。
よくわからなくなって頭を掻きむしる。
あれ?
……自分のいつもの癖に、とんでもない違和感を覚える。
髪の毛が指に絡む。かなり髪が長い。
どういうことだ?
バイヤーの仕事上相手先は食品関係が多い。清潔感を大切に髪の毛は短く切り揃えていた。
思っていたよりも気を失っていた期間が長くて、髪の毛が伸びた……なんてレベルじゃないくらい長い。
寝転がって頭を掻きむしっている場合じゃない。身体を起こして女性達の方に向いた。
「あの……すみません」
「すみません⁈」
驚いた声を上げられてこちらも驚いてしまう。
お互い戸惑ったままでいると、妻だという女性から話を進めるように促される。
「えっと、鏡を見たいんですけど」
いや、そんなはずがない。とは心の中で否定しつつも、思い当たった可能性を確認しなくてはいけない。
女性陣は何かぶつぶつと言いながらも手鏡を用意してくれた。
まだ勇気が出ない俺は受け取った鏡を裏返したまま自分の顔の前まで持ってくる。
深呼吸をしてゆっくりとひっくり返す。
「ああ……やっぱり……俺じゃない……」
鏡には顰めた眉の下に緑の瞳が揺れて映る。長い髪の毛を乱し悲嘆にくれる、とんでもないイケメンが映っている。
異世界転生か……
思い当たった可能性が肯定され、疲労と混乱からか再び気を失ってしまった。
***
「つまり、この身体の持ち主のベンジャミンは、アイビーさんに田舎の領地を任せきりにして自分だけ都会で遊び呆けてたっていうのか? 信じらんねぇ野郎だな」
世話をしてくれているマシューの話に俺は盛大に眉をひそめる。
──異世界転生したことに気がついてから数日がたった。
転生したのはやはり夢ではなかった。寝ても元の世界に戻ることはなく、何度目覚めてもこの異世界が現実世界だという事実を突きつけるだけだった。
それであればと、せっかくの異世界転生。
この身体の主であるベンジャミンは貴族で、大きな果樹園を抱える町を治める領主だと聞いた俺は、のんびり領地に引きこもってスローライフでも決め込もうなんて考える。
まずはベンジャミンの妻であるアイビーさんから情報を仕入れなくては。
なんて思って話しかけても、睨むような視線を送られるだけで話はろくにできないままだった。
一応見た目はベンジャミンだとしても、中身はしがない日本の会社員でベンジャミンとは全くの別人だ。
そこはちゃんと弁えている。
まあ、そりゃあんな美人と結婚してるベンジャミンを羨む気持ちがないわけではないが。
断じてベンジャミンの外見を利用してどうのこうのなろうとしてるわけじゃない。
下心なんてない。信用して欲しい。
と、弁明しようにも、今日もまた話が出来ないままアイビーさんと侍女のスザンナは外出している。
見送りすらできなかった俺の「まあ、アイビーさんからしてみれば愛する夫の身体を奪われたんだから話したくないって思うのは当然だな」という呟きに顔をしかめたマシューが教えてくれたのは、思ってもいなかったベンジャミンとアイビーさんの関係で、それはもう不愉快としか言いようがない。
つまりは「愛する夫の身を奪われた」わけじゃなく「愛想をつかした不愉快な夫が、魂が入れ替わったとか言い出して騒いでいる」わけだ。
そりゃ距離もとるだろうな。
にしても、そんな愛想をつかしてる旦那なのに、ベンジャミンが雷に打たれて気を失ったって聞いて悪天候の中駆けつけてくれるなんてアイビーさんは女神か聖母か。
そんな素晴らしい女性と結婚してほったらかすなんてベンジャミンのやつは本当に信じられない。
という思いで、先ほどの発言に繋がったわけだが、マシューは俺の発言に「そうなんです! いくらなんでもあり得ないですよね⁈ しかもですよ、アイビー様だけじゃなくて私はベンジャミン様付きの使用人なのに領地に置き去りにしたうえに、王都にいた使用人達を私に黙って解雇しているし──」と、堰を切ったように話し出した。
マシュー達は代々ベンジャミンが領主を務めるプラット子爵家に仕えていること、マシューの父親が都会の屋敷を差配していたが誰にも知らせず解雇してしまったこと。新たに雇った使用人にろくに指示もせず屋敷を荒れさせていることをつらつらと説明した。
マシューが特に許せないのは尊敬する父を解雇したことだそうで、今日アイビーさん達が出掛けた先はその父親が働いていると噂される酒場らしい。
マシューは「プラット子爵家に誇りを持って仕え大旦那様の代わりに采配を振っていた父上が、酒場でならず者たちに頭を下げている姿を想像するだけで悔しくて涙が止まりません。きっとベンジャミン様のことを恨んでいるでしょう。もしかするともうこの屋敷の敷居を跨ぐことはないかもしれません」そう言って涙を流す。
留守番を任されたはいいものの色々と我慢をしていたらしい。
二十代半ばくらいの青年とはいえ連絡の取れない父を心配して涙をこぼす事は非難されることではない。
そうだ。俺も元の世界とは連絡が取れない。
きっと俺は元の世界じゃ神社の石段から落ちて死んだことにでもなってるんだろう。
うちの親も俺のことを心配してるに違いない。
もう会えないのだろうか……
マシューの話を聞きながら両親について思いを馳せているとにわかに屋敷内が騒がしくなる。
「アイビーさん達が帰ってきたようだから迎えに行こう」
慌てて玄関に向かうとアイビーさん達と一緒に白髪混じりの男性が立っていた。
「父上!」
「マシュー元気だったかい? 少しやつれているようだが」
「父上こそ……」
繰り広げられる父子の感動の再会に、つい自分を重ねて自然と涙があふれる。
「ベンジャミンは泣く立場にないと思うわ」
冷静なアイビーさんの言葉に現実へと引き戻された。
「ああ。家族を引き離したのは、ベンジャミ……俺なんだろ? なんて酷いことしやがるんだ。俺は最低な野郎だな」
「最低の自覚がおありになるのね」
「ああ。最低な野郎だ。アイビーさんにも酷い扱いをしてたんだろう?」
「え? そう思うの?」
「マシューさんにこれまでの話を聞いて、はらわたが煮え繰り返るかと思ったよ」
「……そう、はらわたがね」
訝しげなアイビーさんの表情からは、ベンジャミンの身体に俺の魂が憑依したことを信じてもらえていないことがありありと伝わる。
不愉快な相手なのに雷に撃たれたからと馬車で駆けつけ看病をし、ベンジャミンが勝手に解雇したマシューの父親を探し出すなんて尻拭いをしている人格者のアイビーさんに、俺がベンジャミンとは違うことを伝え、安心してもらいたい。
「あの、さ。アイビーさんやマシューさんたち家族に、俺がお詫びをしたら少しでも気分は変わるかな」
「お詫び? その……ベンジャミンが?」
「あぁ。謝って許されるもんじゃないのはわかっている。それにそもそも俺はベンジャミンの見た目をしているだけでベンジャミン本人じゃない。たださ、ベンジャミンの姿をした俺が謝ることで少しでもみんなの溜飲が下がるなら、いくらでも謝ろうと思うんだ」
アイビーさんは考え込んだ。
「それでしたら……謝罪ではなく、今後どうされるのか私どもにお聞かせ願えますか」
返事のないアイビーさんの代わりにマシューの父親が答える。
「今後の見通しってことか」
「はい。いまの貴方様はご自身がベンジャミン様ではないとお思いなのでしょう。ベンジャミン様ではないと言い張る者から形だけの謝罪を伺っても何の解決にもなりません」
マシューがこちらを見ている。父親に状況を説明してくれたのだろう。
渡りに船だ。
「そうだな。謝りたいのは俺の自己満足だ。うわべの謝罪だけされても困るって言うのはよくわかる。しかし……ただのしがないサラリーマンでしかない俺が、貴族の当主として今後の見通しを勝手に話してもいいもんだろうか」
「もし、本当に貴方が『異なる世界から来たベンジャミンとは別の人間』だというのが事実なのであれば、ベンジャミンが立てないような見通しを立てれば、貴方が本当にベンジャミンではない証拠になるんじゃないかしら」
「なるほど」
やはり聡明な女性だ。
「わかった。今後の見通しを立てるために、ベンジャミンの治める領地について教えてもらえないだろうか」
よし。と膝をたたいて教えを請うとアイビーさんもマシューも目をみはる。
俺は頭を下げた。
「モリス、マシュー。ベンジャミンに領地について教えてあげてくれるかしら」
「かしこまりました」
「ありがとう!」
許可してくれたアイビーさんの手を握る。小さな手は緊張しているのか冷えて強張っていた。




