表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
<全98ep> 婚約破棄されたSEと、恋を捨てた美術教師は恋をしないはずだった  作者: 第三ひよこ丸
最終章 砦の朝

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
94/98

第70話 賑やかな嵐 ~詩織視点~

 陽斗さんと二人きりで過ごした、夢のように穏やかで甘い初日の夜。

 あの一時が永遠に続くのではないかと思えるほどの平穏は、二日目にして早くも、心地よくも賑やかな嵐によって塗り替えられることになった。


 二日目の昼下がり。

 陽斗さんのお母様である陽子さんと、私の母、瑞穂。以前の顔合わせで意気投合した二人は、なんと午前中から三ノ宮駅で待ち合わせていたらしい。

 二人で連れ立って前乗りしてきた彼女たちは、私たちが驚く間もなく、まるで手慣れた厨房の主のように我が家のキッチンを占拠した。


「陽斗、詩織さん。今日はお邪魔するわよ。瑞穂さんと三宮で美味しい食材をたくさん仕入れてきたから、楽しみにしていてね」


「そうよ、詩織。陽子さんとお話ししながら作るお料理、とっても楽しいわ。二人とも、花火が始まるまで座って待っていなさい」


「ねぇ、お母さん。お父さんは?」


「さぁ? 適当にくるでしょ」


 お父さんの扱いが酷い。


 陽子さんと母は、「陽子さん!」「瑞穂さん!」と呼び合い、学生時代からの親友のような親密さでエプロンを締める。

 キッチンからはトントンという小気味よい包丁の音と、出汁の香りが漂い始めた。

 女同士の会話は尽きることがなく、仕事に打ち込む陽斗さんの健康状態や、私たちが普段どんな生活を送っているのか、時には私の幼少期の失敗談まで飛び出して、リビングは終始柔らかな笑い声に包まれていた。


 夕暮れ時、そんな賑やかな女性陣から少し遅れて、私のお父さんが静かに足を踏み入れる。

 お父さんは玄関で陽斗さんと短く挨拶を交わすと、リビングの窓から見える神戸の夜景に目を見張った。陽斗さんはそんなお父さんの視線を受け止め、丁寧に頭を下げる。


「お父さん、ようこそいらっしゃいました。お口に合うか分かりませんが、冷えた酒を用意しています。どうぞ、あちらの特等席へ」


 窓際では、お父さんと陽斗さんが並んで腰を下ろした。

 お父さんは、陽斗さんが自分のために用意してくれた特別な席に少し照れくさそうにしながらも、窓の外に広がる夕暮れの空を静かに眺めている。

 陽斗さんは、そんなお父さんの様子を察してか、余計な言葉はかけずにそっと隣に寄り添っていた。


 二人は夜空に咲き誇る大輪の花を肴に、静かに酒を酌み交わし始める。

 陽斗さんは、自分を支えてくれた陽子さんを気遣いながらも、お父さんのグラスが空くのを決して見逃さず、絶妙なタイミングで冷えた日本酒を注いでいた。


(お父さん、あんなに楽しそうに笑って……。陽斗さんと男同士、何か通じ合うものがあるのかしら)


 陽斗さんは普段、それほど饒舌な方ではない。どちらかと言えば無口なほうだ。

 それが、お父さんが仕事の苦労話や建築の美学、あるいは私が初めて絵を描いた時の思い出話を振ると、適度な相槌を打ちながら真剣な眼差しで耳を傾けている。

 お父さんは普段、家では少し厳格なところがあるものの、陽斗さんの前では一人の男として、すっかりリラックスしているようだった。

 陽斗さんが「この銘柄はお父さんの好みに合うと思って用意しました」と差し出した酒を、お父さんは一口飲み、満足そうに頷く。


「陽斗君。……いい酒だな。私の好みをよく知っているじゃないか」


「いえ。お父さんの好みに合うものを、自分なりに探してみただけです」


「そうか。……旨いな」


 お父さんは短く、それでいて心底嬉しそうに呟いた。

 その背中は、まるで実の親子のようにも見えて、私の胸の奥をじわりと温かくさせる。


 夜空に巨大な華が咲くたびに、リビングには家族の歓声が上がる。

 母たちが腕を振るった色鮮やかな料理と、陽斗さんが入念なリサーチで用意した好みの飲み物。

 家族たちは思い出話に花を咲かせ、最後には「この二人なら安心ね」と、私たちを見て優しく微笑んでくれた。



―――― 

 そして三日目。この日は打って変わって、若さと圧倒的な熱気がリビングに溢れかえることになった。私が顧問を務める美術部の由紀ちゃんと香奈ちゃんが、期待に胸をパンパンに膨らませてやってきたのだ。

 

「うわあ! 陽斗さん、今日もマジで超絶イケメン……!」


「本当、モデルさんみたい。先生、やっぱりずるいですよ! 全女子の敵ですよ!」


 玄関を開けるなり、十代の少女たちが嵐のように騒ぎ始めた。陽斗さんは少し困ったように、どこか事務的な態度で彼女たちを迎え入れる。

 特に、気心の知れている由紀ちゃんや香奈ちゃんに対しては、慣れがあるせいか余計に愛想がない。


「……ああ、本当に来たんだな。今日も元気だな。騒ぎすぎるなよ。近所迷惑にならない程度にな」


 陽斗さんは淡々とそれだけ言うと、すぐにインターホンに対応した。

 届いたのは、彼が事前に手配していた山盛りの宅配ピザや、山積みのフライドポテトといったサイドメニューの数々。

 普段、この清潔な部屋ではあまり見かけない、ジャンキーで食欲をそそる香ばしい香りが一気に立ち込め、生徒たちのボルテージは最高潮に達した。


「先生、ピザパーティー最高です! 陽斗さん、本当にありがとうございます!」


 由紀ちゃんがはしゃぎながらピザに手を伸ばそうとしたその時。陽斗さんがピザの箱を一つ、ひらりと避けて彼女を制した。


「由紀、食べる前に言うことがあるだろ。約束の美味しいケーキを出せ」


 陽斗さんは少し低めた声で、逃げ道を塞ぐように由紀ちゃんに詰め寄った。

 由紀ちゃんは「相変わらず記憶力良すぎですよ」と頬を膨らませながらも、大事そうに抱えてきた保冷バッグから、宝石箱のようなケーキの箱を取り出した。


「はいはい、出しますよぉ! 朝から行列に並んで買ってきたんですから、大事に食べてくださいね!」


 陽斗さんは満足げにそれを受け取ると、隣で笑っていた香奈ちゃんの方へ鋭く視線を向けた。


「香奈。お前はなにもないのか? 貰うばかりが礼儀じゃないだろ」


 冗談めかして、それでいて有無を言わせない風に言ったその言葉に、香奈ちゃんは「完全にとばっちりだ!」と大袈裟に肩を竦めて見せた。


「ちゃんと用意してありますよ、私からはとっておきの差し入れ、高級フルーツティーです!」


 陽斗さんはそれらを受け取ると、代わりに二人へ、高級感の漂う小さな包みを無造作に差し出した。

 それは彼女たちが「一生手が出ない」と嘆いていた、予約困難なショコラトリーの限定菓子だった。


「ええっ!? 嘘、これって……あの、伝説のショコラ!?」


「陽斗さん、これ、あのお店のですよね!? マジ!?」


 驚愕と喜びに声を震わせる二人に対し、陽斗さんはふいと鼻を鳴らしてそっぽを向いた。


「……たまたま近くを通りかかっただけだ。余り物みたいなもんだから気にするな。早く座れ」


 贅沢な贈り物に、二人は狂喜乱舞してリビングを飛び跳ねている。陽斗さんはようやく僅かに口角を上げて、柔らかい表情を見せた。


「よし。糖分の補給だ。効率よく鑑賞してくれ。集中力が切れたら良い絵は描けないだろ」


 彼はそう言って、ピザを丁寧に並べていく。

 窓外で弾ける色彩豊かな花火。それを見る彼女たちの瞳は、夜空の光に負けないほど輝いている。

 ピザを頬張り、高級な菓子を大切そうに口に運びながら、夢中でスケッチブックに筆を走らせる教え子たち。


「陽斗さん、至れり尽くせりじゃないですか。先生、この人絶対離しちゃダメですよ!」


 教え子たちの真っ直ぐな言葉に、私は思わず頬を林檎のように赤く染めてしまった。陽斗さんは、そんな私を隣で静かに見守っている。その視線には、生徒たちに向けるものとは明らかに違う、微かな熱が宿っている気がした。


(陽斗さん、ありがとうございます。皆、本当に楽しそう……)


 家族の深い愛に触れた昨日と、若いエネルギーに満ち溢れた今日。どちらも、陽斗さんがいなければ得られなかった、私にとってかけがえのない宝物のような時間だった。

 

 明日からはさらに大きな()()が待ち構えていることを、この時の私はまだ、理解していなかった。

ブックマーク、評価をお願い致します。

レビュー、感想等もお待ちしております。

誤字、脱字等がありましたらご報告をお願い致します。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ