デノーテの死
デノーテとファーナに付き添って、しばらくぶりに南の国に帰って来ていたマルセルに、デノーテが倒れたと報告が入った。
デノーテを北の国に連れて行ったことが原因で疲労が重なったのじゃないかと、マルセルは申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
だが、デノーテが倒れた原因は別の所にあったのだ。
デノーテは、自分の精霊の力が急に衰え始めたのを悟っていた。
ーーご先祖さまたちが残したことの後始末は、私がやるしかないから仕方ないわね。もう少し時間が欲しかったのにね。
墓所の管理をマルセルに移したときにはすでに、デノーテの精霊の力は残り僅かだったが、それでも寿命が尽きるまで生きられるだけの余力は十分にあった。
ところが、モードネス家の初代が造った秘密の書斎に積まれている蔵書を読むためには、デノーテの持つ精霊の力が不可欠だとわかったのだ。
墓所と同じように、精霊の力を使って、秘密を守るための鍵が掛けてあったのだ。
ーーお婆さまや、お母さまが早死にしたのは、墓所だけでなく、この書庫にも問題があったのかも知れないわね。
ーー本を読むたびに、鍵を掛けたり、外したりして精霊の力を使わせていたんだわ。
デノーテはため息をついた。
幸い、デノーテなら問題なく鍵を外せるようなのだが、そこには千冊を越える蔵書があった。
最初は心配したマルセルが手伝おうとしたが、墓所とは違って、モードネス家の血筋でないと解錠が不可能なようだった。
鍵を外しておかないと、デノーテがいなくなった後は、それらの蔵書は未来永劫誰にも読めなくなってしまう。
デノーテは精霊の力を使って、少しづつ鍵を外していった。
デノーテが最後の鍵を外し終えた時、身体中の力が無くなって、その場に倒れ込んだ。
ほんの少しの時間しか生きられないと悟ったデノーテは、アスクやマルセルたちを自分の部屋に呼び集めた。
デノーテは、外の景色が良く見えるように大きく造られたガラス窓に向けて置かれた、お気に入りのソファに腰掛けて、皆が来るのを待っていた。
黒ずくめのデノーテは、若い時の凛とした姿を取り戻していた。
部屋に皆が入ってくると、笑顔で皆を迎えたが、立ちあがるだけの力はもう残っていなかった。
深刻な顔をして立ちつくしている皆を前にして、デノーテがほほ笑んで口を開いた。
「どうしたの? 今日は誰かのお通夜なのかしら」
「お義母さまっ! 冗談でもそんなことはーー」
「じゃ、私の子供たちの笑顔をみせてちょうだい」
「はい、お母さま」
皆が並んで笑顔を作って見せると、デノーテはにっこりと笑いを浮かべ、威厳を正して口を開いた。
「モードネス家の蔵書に掛けられていた鍵は全部外しておきましたよ。いつでも、好きに読んでちょうだい。もう鍵が掛かることは無いわ」
そして一人ずつ手招きして、ソファに並んで座らせると、語りかけた。
最初はファーナだった。
「ファーナ、あなたには、私のこの部屋を譲るわ」
「私のお父さまが、デノーテ女王に相応しい部屋にすると言って造ったのよ。本当の女王になった、あなたにこそ相応しいと思うの」
「あなたの生みの母であるエレノアのお陰で、最後までここで過ごせたのを感謝してるわ」
「ここから見える尖塔の景色は最高なのよ。シフォン家の尖塔は私にとって心地よいものではなかったけれど、ここの塔は私に平穏を感じさせてくれた」
シフォン家の尖塔を模したものがモードネス家にも建てられていた。
「これもあなたたちのお陰だわね」
「あなたなら、もっといろんなことを感じとることが出来るでしょうね。お国のために役立ててちょうだい」
「ありがとうございます。お義母さま」
次にジャンヌが呼ばれた。
「ジャンヌ、あなたのお陰で、私が人でなしにならずに済んだこと、どれだけ感謝しても感謝し切れないわ」
「もっと早くに、あなたたちと向き合っていれば、シフォン家もまた違っていたかも知れないわね」
「でもこれからは、あなたはシャークと一緒にウイルドン家を盛り立ててちょうだい」
「ファーナとマルセルを、これからもお願いね」
「はい、お義母さま」
次にマルセルを呼ぶと、脇に座ったマルセルをしばらく黙ったまま抱擁していた。
「マルセル、私の酷い仕打ちにも関わらず、最後まで私に母として接してくれてありがとう」
「なのに、私はあなたに大きな重荷を引き受けさせてしまって、申し訳なく思ってるわ」
「いえ、ミネルバ母さんの”祝福”が途絶えた後に、もしデノーテ義母さんがいらっしゃらなかったら、私も不安に打ち負かされていたかも知れません。ありがとうございました。お義母さま」
「それに北の国のモードネス家のことも心残りだけど、申し訳ないけれど、あなたに任せるわ」
「お任せください」
「申し訳なさついでにね。マルセル」
「私が死んだら、私がファーナに注いでいた精霊の力も、あなただけに任せないといけなくなると思うと、それだけが気懸なの」
デノーテは、デノーテに大きな負担が掛からないようにと、ファーナの三人の娘たちがファーナに力を注いでいるのを知らない。
折角のデノーテの好意を無にはしたくなかったので、知らせていなかった。
「それは元よりそのつもりでしたが、お義母さまの代わりが務まるかどうか」
「簡単だったわ。母になるの」
「私があなたの母になれたようにーー心から」
それはデノーテにとって過酷に近いものだったとマルセルは知っている。
モードネス家の精霊の力は、他家の精霊の力と相容れない部分があるからだ。
デノーテに不安を抱かせないように、笑顔でマルセルは答えた。
「そうします。それもお任せください」
「それに、ファーナの娘たちは優秀ですから、私がいなくなっても大丈夫だと思います」
「そうみたいね。あなたを最後まで困らせて、本当にごめんなさいね」
マルセルの目が大きく見開く。
「ご存じだったのですか?」
デノーテは黙ってもう一度マルセルを抱いた。
手が離れた時、そこには慈愛に満ちた母の顔があった。
「お義母さま」
マルセルの目から涙が溢れる。
それを見たデノーテが、マルセルを皆の方に優しく押し戻して、一人の名前を呼んだ。
「チュール」
チュールは自分が呼ばれるとは思っていなかったので驚いたが、デノーテの前に進み出た。
「デノーテさま」
「チュール、あなたと私は母娘の契りこそ結ばなかったけど、あなたも私の娘だと思っているわ」
「ありがとうございます。ーーお義母さま」
「短い間だったけれど、楽しかったわ」
「私もです」
最後にアスクとミッシェルを手招きすると、そこには領主の妻の威厳を取り戻したデノーテがいた。
「アスク、あなたが立派にシフォン家を支えているから、私は安心して旅立てるわ」
「これまで僕は自分のことしか考えず、我が儘し放題ですみませんでした」
そう言って、アスクが堪え切れなくなり涙を流す。
それを見たデノーテは少し驚きの表情になった。
「アスクがこんなに素直になったのは、ミッシェルさんのお陰ね」
「何も出来なかった親から、本当に礼を言います」
「ただ、アスクには”モードネス家の呪い”が残ったままなのが心残りです」
「マルセルは請け合うと言ってくれたけど、あなたたちには辛い思いをさせるかも知れないわ。ごめんなさいね」
ミッシェルがデノーテの手を取った。
「とんでもないことです。それにもう覚悟は出来ていますから。お義母さま」
自分を見つめている皆の顔を見渡して、デノーテは泣き笑いの表情になった。
「今まで気がつかなかったけど、私、五人も娘がいたのね」
「あれだけ自分に娘が出来なくて悩んだというのに」
そしていつもの真面目な表情に戻ると、皆に部屋を出るように頼んだ。
「私、待ちたい人がいるの。一人にしておいてくれない?」
皆が部屋を出て、扉を閉めるとすぐに、か細いデノーテの声が聞こえて来た。
「あら、バッセ やはり待っていてくれてたのね」
「君が楽しそうだったからね。ずっと見てたんだ。あんなに楽しそうな君をしばらくぶりに見た」
「意地悪ね。あなたのことを誤解してたのがわかってから、もう迎えには来てくれないだろうと思っていたのよ」
「君はどんな時でも僕の最愛の人だよ。嫌ったりするものか」
「ありがとう。あなた」
「それより、もう皆とのお別れは済んだのかい」
「ええ、長いこと待たせちゃったわね。ごめんなさい」
「僕こそ、君に謝らないといけない。僕が君のためにと思ってやってきたことは、間違っていたみたいだからね」
「結局、君にもアスクにもマルセルにもーー辛い思いだけさせてしまった」
「僕には、君と一緒に”モードネス家の呪い”に向き合う勇気が無かったんだ」
「君と一緒に戦っていれば、どんな結末を迎えようとも、満足出来ただろうにね」
「いいえ、あなたはあなたで、私とアスクのために戦ってくれていたのよね」
「僕はマルセルを実子として認めることが怖かったんだ」
「認めれば、君やアスクを不幸にするんじゃないかとーーだが結局は、皆に迷惑をかけただけだった」
「そうよ。いまさらだけどね。でも私、五人も娘を持つ身なのよ。お陰で楽しく過ごすことが出来たわ」
「君に尻拭いをさせてしまったね。申し訳なかった」
「謝らないで。何もかも私のモードネス家のことが発端だったのに、あなた一人を悩ませ続けさせてしまったわ」
「ごめんなさいね。もう何があっても、ずっと一緒にいるわ」
それからしばらく、部屋からは何も音が聞こえなくなった。
マルセルがドアノブに手を掛けたが、不意にバッセの明るい声が耳に入り、その手を引っ込めた。
「さあ、ここに座ってごらん。久しぶりに二人だけで我が家の庭を見ようじゃないか」
「あら、ここはシフォン家の私の部屋じゃない?変わっていないわね」
「ああ、君が出て行った後もずっと、アスクとミッシェルさんがそのままにしておいてくれたようだね」
「いつでも帰って来れるようにって」
「私の子供たちは皆優しい子たちで嬉しいわ」
「ほら、あそこのバラの植え込み、憶えているかい」
「ええ、二人で一緒に植えたバラよね。ずいぶん前に枯れてしまったと思っていたけど、きれいね」
「指にトゲが刺さって泣いたよな」
「だって、痛かったんですもの」
「それから、あの林檎の木はーー」
「初めて実が生って、収穫しようと木に登ったあなたはーー」
「枝が折れて落ちたのよね」
「ああ、痛かった」
「私が枝先に残った林檎を取ってくれと言ったばかりにーー」
「あの尖塔の小窓にマルセルの顔がーー」
デノーテの声が少しずつ聞こえなくなり、静まり返ったのを感じた部屋の外で待機していた皆が、そっと扉を開けて中に入った。
窓に向けて置かれたソファに、まるで誰かに寄り添って座っているようなデノーテの後ろ姿が見えた。
その顔は、慈愛に満ちてほほ笑んでいて、まだ誰かと話しているようだった。
「しばらく、このままにしておいてあげましょう。まだ話が続いているようだから」
涙をこらえて、そこに立ち尽くしているアスクの手を引っぱって、マルセルたちは部屋を出た。
部屋を出たアスクの目から涙が溢れた。
「僕は、父さんや母さんの気持ちも知らずに、二人を苦しめる事しかしてこなかった」
「アスクさん、それは違います。シフォン家の皆さんは、言い知れない不安の中で生活されていただけなのですよ」
ジャンヌが慰める。
「そうね。そこに私が飛び込んで行ったしね」
マルセルがしたり顔で頷く。
「本当にどこにでも首を突っ込むんだから」
ファーナがあきれ顔で続ける。
「あら、新しい義母に向かってそんなことを言うの? 私の苦労も知らないくせに!」
「ハハハ、お陰で何もかもうまくいってまーす」
「でしょう?」
そう言って、マルセルが腰に手をやり、得意げなポーズをする。
その姿を見て、シフォン家に来たころのマルセルを思い出したアスクも釣られて大笑いをした。
「そうだね、これからは僕もミッシェルと一緒に出来るだけ頑張ってみるよ」
ミッシェルが、横からそっとアスクの手を取り、握りしめた。
デノーテの亡骸は遺言通りにモードネス家の小島の墓所に収められた。
棺を墓所に収めた後に墓所の扉の前でマルセルがポツリと呟いた。
「これで良かったのかしら」
そばにいたジャンヌがそれを聞き咎めて問いかけた。
「どうしたの」
「お母さまをどこに葬ったら良かったのか、悩んでいるの」
「このモードネス家の墓所じゃ、いけなかったの?」
「お母さまには遺言でそう言われていたので、そうしたんだけれどーー」
「でもお母さまが亡くなられたときの声を、ジャンヌも聞いたでしょ」
「シフォン家のバッセさんと、ずっと一緒にいるとかおっしゃってたわね」
「でも、バッセさんはここにはいないのよ」
「それに最後はシフォン家の庭を見てらしたわ」
「それならシフォン家の墓地に一緒に葬ってあげた方が良かったのかなって。でも遺言も守りたいしね」
悩んでいるマルセルの肩にジャンヌが手を置いた。
「あなた、デノーテ義母さまがモードネス家の墓所に入りたいと言われたのは、墓所の管理をマルセルに託してしまった負い目からかもって思ってるんじゃない?」
「義母さまは、そんな方じゃないわ。それに私はそんな風には思っていない」
「それなら、何が気になるのかしら?」
「むしろ、皆にここに来てもらうことは出来ないのかって」
「そんなことが出来るのかしら?」
「でもそれでも何か感じるのよ。いずれは皆がここに集まって来れるんじゃないかって」
「それが可能なら、私もここに葬って欲しいわ」
「まずは”呪い”を解かなきゃいけないんだけどね」
「じゃ、マルセルに頑張ってもらうしかないじゃない」
「えーっ、どうすればいいか見当もつかないのに」
「まだまだ先のことだわ、がんばってちょうだい」
「ジャンヌが死ぬまでにか。ジャンヌこそ、がんばって長生きしてね」
「期待してるわよ」
「はいほい」
「あーまたそれだ。どこで覚えてくるのかしら」
「前世ーーかな?」
「冗談はよしこさんにしてね」
「あーっ、ジャンヌまで変なこと言い始めた!」




