南の森の精霊
デノーテの葬儀を終えた後も、マルセルの姿は南の国のモードネス家にあった。
急いで帰らなくても、北の国のことはジョセやシャガルクがいれば問題なく回っていたので、北の国を優先するためにやり残していたことを、この際片づけてしまおうと思ったのだ。
ーーでないと、また問題が増えるかも知れないからね。
ーーでも何故か、片づけても増えるのよね。
手始めに、デノーテから譲り受けたモードネス家の書庫の蔵書を調べることにした。
それを知ったミッシェルがマルセルのところに駆け込んで来た。
「私にも一緒に調べさせてちょうだい!」
ずいぶん前から、書庫での閲覧はデノーテに許されていたが、蔵書には精霊の鍵が掛かっていた。
それはモードネス家の血を引くデノーテだけにしか、外すことは出来なかった。
そのため蔵書の確認は遅々として進まず、仕方なく北の国の遠征の間は、放っておくしかなかったのだ。
デノーテが命を賭して全ての鍵を外してくれたお陰で、何時でも閲覧が出来るようになったことを知った、学問には貪欲とも言えるミッシェルは、マルセルが腰を上げる日を待ち望んでいたのだった。
「お義姉さまのお好きな時間に書庫に入られてもいいですのに」
「そういう訳にはいかないわ。尖塔では三人で知識の共有をしてたでしょう」
「そうでしたね。お待たせしました。お入りください」
秘密の書庫の扉を開けると、正面の机の上には前と変わらずガラスの小瓶が置いてあった。
マルセルが手を近づけると、ボウっと光を発する。
だが、光ったからと言っても何事も起こらない。
ーーやはり、これも”聖女の証”を探すための道具の一つなのか知らん?
ーー知りたいけど、ここで興味を持ったら、また厄介ごとが増えそうね。
「マルセル!本当に自由に読めるわ。デノーテ義母さまのお陰ね。アスクに当分帰らないと知らせなくっちゃ」
ーー何をしなくても厄介ごとが増えたわね。
マルセルはフゥとため息をつく。
ミッシェルはもうマルセルのことなどお構いなしで、夢中で本を調べ始めた。
マルセルもガラス瓶への興味を断ち切って、古い書物の中から精霊についての手掛りを探すことにした。
一番古い書物は初代の書き残した日記だったが、すぐに精霊についての記述を見つけた。
その日記の中から、精霊は元々湖の向こうの森にいたのだが、だんだん平原に溢れていったと言う文章を見つけ出した。
まだ人がいなかった頃は、精霊たちは警戒心も無く平原に広がって行ったらしい。
もっと南の山の中腹にある大きな木の根元に洞があって、そこから精霊は生まれているらしいとも書いてあった。
確かにそれは、この国に伝わる子守歌の中の一節にもあり、西の泉の精霊が語っていたこととも一致する。
ーーやはり、南の森の大きな木の所に行ってみるしかないわね。
ミッシェルに声をかけたが、夢中になっているミッシェルには届かなかったようだ。
書庫のことはミッシェルに任せることにして、部屋を出たマルセルはメイドにミッシェルの後を頼むと、ファーナの部屋に向かった。
ファーナに南の山に行くつもりだと告げると、ファーナも二つ返事で同行を決めた。
国のことはサックスが上手くやっているので、実は彼女も暇だったのだ。
マルセルとファーナはさっそく森に分け入る準備を進めた。
この森はトールとジャンヌの狩場でもあったので、二人に道案内を頼むことにした。
「二人とも忙しいのに、無理なお願いをしてごめんなさいね」
「いいえ、久しぶりにマルセルと歩くのだもの、それに勝る仕事は無いわ。でも私はあの大木の根元にまで行ったことは無いわ」
「私もですよ」
トールまでが、大木までの道は知らないと言う。
と言うのも、森の中を南の山に向かって歩いていても、いつの間にか森から出て湖のそばに出てきてしまうからだ。
「おかげで、迷子になったことは無いですよ」
トールが笑う。
「私が子供の時でも、一人で歩き回って迷うことは無かったですよ。必ず戻れたのです。不思議ですよね」
ジャンヌもそう言って笑う。
狩りさえ出来れば、勝手に戻って来てしまうのは、便利でこそあれ不便とは思っていなかったので、森の中でなぜ迷わないのか気にしたことは無かったらしい。
だからこれまで、マルセルにそのことを話したことも無かった。
実は、マルセルもまだ小さい時に、この森に入ったことがある。
その時にたくさんの小さな光の玉に出会ったと思っていたが、今はそれが精霊だったと知っている。
ファーナも彼女の娘の一人を同行させることにしている。
これはいずれ彼らにも関わってくる話だからだ。
不思議なことに、三つ子たちは離れていても、お互いの意識を共有することが出来た。
残った娘たちは館に居ながらにして、南の山の遠征に参加しているも同然だった。
今回は妹のチュールにも同行するよう頼んだ。娘の一人をシバー家に置くことで、チュールの仕事に問題は生じないからだ。
ジャンヌとトールの記憶を辿り、最も南の山に近いと思われるところまで来ると、マルセルは周りを見渡した。
小道の脇に、座るのにちょうどいい石があるのを見つけた。
この石には見覚えがあった。
小さい時、この先にもう一本の道を見つけたことをマルセルは憶えていた。
その時は入って行くことが出来なかった。
今度はそこが藪のように見えるのにも関わらず、構わずに分け入ってみた。
すると、突然道が開けた。
マルセルはその傍に精霊を見つけると声を上げた。
「この森の精霊の長に申し上げます」
「ご相談があって参りました、マルセルと申します。面会は叶いませんか?」
その精霊はマルセルたちの前に近づいてくると、まるでついて来いと言わんばかりの動きで、森の奥に向けて動き出した。
「行きましょう」
マルセルたちは光の後を追うことにした。
しばらく行くと、山の中腹の大きな木の前に出た。
「へえ、言い伝え通りだな」
トールが感心していると、木の方から声がした。
「儂らと話そうとする人がようやく来たな。どれ、挨拶をしてやろうか」
声の方を見ると、木の根元にある洞の中に、年老いた男の姿をした精霊がいた。
「美女じゃなかったんだな」
期待を裏切られたトールが寂しそうに言う。
「はっ、はっ、は この姿がこの場には相応しいと思っただけじゃよ」
「儂らには実体が無いでのう」
「じゃ、この次は、女神さまの体でお願いしたいですな」
「よかろう、また会うことがあればの」
「そんなことより、儂に話があるとか?」
千年以上生き続けている大木の根元の洞に座っていたその精霊がマルセルに問うた。
「あなたがここの長なのですね」
マルセルが、光っているが向こうが透けて見える老人に言った。
「儂がこの森の守り人の長らしい。なに、ここでは最長老ということじゃがな」
「他の古い精霊の方は、平原に出て行かれたらしいですね」
「ほう、知っておるのか」
「西の森の精霊の方に聞きました。あなたが二番目に生まれて、”二の兄”と呼ばれておられるとか」
「”二の兄”か。そう呼ばれるのは久しぶりじゃ。ここに来てから、他の兄弟と会うことも無くなったからの」
「ですが、この辺りの出来事は全部ご存じなんでしょう?」
「そうじゃの。それで何の用だ?」
「あなたのご存じのことを知りたくて、こちらに伺いました。それと一つ、お願いもありまして」
「ほう、願いとは?」
「私は、出来れば、あなたたち精霊の力の使い方を考え直したいと思っているのです」
「ほう、面白いことを言う奴じゃ。それが儂が知っていることと何の関係があると?」
「私たちが調べたところーー聖女は」
「四人の聖女の誕生に始まっているのはわかったのですが、なぜ聖女が生まれることになったのか、知りたいのです」
長はふぅとため息をつくと、相好をくずした。
「まあ、隠すことでも無いしの」
「もう知る者も少なくなって、詳しく知っておるのは”一の兄”さんか、儂しかおらんじゃろうから、誰かに聞いておいてもらうのも一興かも知れんのう」
精霊は少し遠くを見るような目つきになっていたが、マルセルに向き直ると問いかけてきた。
「昔、北の山が割れたことは知っておるか?」
「はい、西の森の精霊が言われるには、その頃に”一の兄”を始め、四人の精霊が平原の丘に移られたとか」
「奴の話とは少し違うかもしれん。これが正しいということは無いからの」
「儂の思いで語る話として聞いてくれ」
精霊はしばらく間を置き、語り始めた。
「儂らを”精霊”とお前たちは言うが、儂らは単に寿命が人より遥かに長い生き物ということだ」
「北の山脈がまん中から割れてしばらくすると、あちこちで人を見かけるようになった」
「割れた隙間を抜けて北から人が入り込んできたのだ」
「儂ら精霊は、それまで人と言うものを見たことがなかった」
「それゆえ、人と言うものに出会うのを極端に恐れた」
「人と会うことでどんなことが起きるか、誰にもわかってなかったからのう」
「そんなある時、人の娘と精霊が出合い頭にぶつかってしまったんじゃ」
長は悪戯っぽい目をマルセルに向けて言った。
「どうなったと思う?」
「実は私がまだ小さい時に、同じことを経験しました。小さな光の玉がたくさん私に向かってきて、私に当たると消えてしまいました。お陰で歩くのが楽になったのを憶えています」
マルセルが、首を傾げて考えて言った。
「もしかしてそれが、人の娘が精霊の力を授かるということですか?」
長はうなずいた。
「人から見たら、そういうことになるの。じゃが、その精霊は光りと共に消えてしまうのが常じゃ」
「それは、殺されたーーと同じことなのですか」
「いいや、儂らにとっては逆に、それが大きな希望となったのだ」
長はしばらく黙っていた。
「儂らには死というものが無いのじゃよ。千年でも二千年でも」
「わかるか? 皆、毎日の退屈さに飽き飽きしておったのじゃよ」
「人に触るだけで消えることが出来ると知ってしまった精霊たちは、我先に人の元に走ったのだ」
「そして、人を見つけては触ってまわった」
「当時は人の周囲に精霊がまるでブヨのように、たくさんまつわりついていたらしい」
「その力が人に吸われる時に、普段は見えない精霊が光るのじゃ」
「”聖女の証”のことですね」
「何のことは無い、この世界で生きることを捨てた時の光に過ぎん」
そう言って、長は舌打ちした。
ややあって、長は話を続ける。
「そのうち普通の娘には触っても、相手は痺れるか、気絶するか、悪ければ死ぬとわかって来た」
「精霊の力を蓄えるための器のようなものを持った娘でないと、精霊の力を貯めることが出来ないし、使うことも出来ない」
「はい、その力を使って北の国を退けたとモードネス家の歴史書にありました」
「器を持っている娘には、器の大きさ分だけの精霊の力を蓄えることが出来るわけじゃ」
「言い換えれば、何千、何万の精霊を消すことが出来る者もいる」
「お前さんが生まれた時に消えた精霊は相当な数のはずじゃ」
「それが、私は生まれた時は光らなかったそうなんです」
「そんなはずは無いのだが、おかしいのう」
「もうすでに満腹じゃったのかのう」
「ふむ、お前さんの場合は、少しづつ貯めていったと言った方が正しいのかも知れん」
「見えなかったかも知れんが、お前さんのところには精霊の行列が続いていたんじゃなかろうか」
「そうまでして? 消えるとわかっているのに?」
「あいつ等も、この世界に長く存在することに、もう疲れ果てておったのよ」
「それが、器を持った娘に触るだけで、簡単に自らを消し去ることが出来るのを知った時には大喜びしたものだ」
「だから案ずることは無い」
「それどころか、お前は受け入れる器が大きい。まだまだ入るだろう。ただ残念ながら、それを満たせる精霊が、もう残り少ない。」
「”聖女の証”の検定の時は、七色に光ったと聞きました」
「ほう、どれだけの精霊を消したのやら」
「すみません」
「いや、精霊が望んでやったことだ。気に病むことは無い」
そして、ファーナの前に行くと、ジロジロと全身を見回す。
「お前さんは、なかなか面白い器を持っているなぁ」
何を言われるのかと、ファーナは身構える。
「精霊の力を使えるが、精霊の力を得ることが出来んようじゃ」
「じゃ、使えないのと同じじゃないですか」
ファーナが肩を落とす。
「いや、精霊から力を受け取った人がそばにいれば、その力を借りて使うことが出来る」
「もし、国中の聖女を、お前が束ねることが出来れば、全精霊の力を、お前は使うことが出来る」
「最後の一滴までな」
「その時は」
「手を貸した者を引き連れてお前は死ぬがの」
「それは、怖いですね。」
「精霊の力を貯めることが出来ないくせに、こいつよりもーー」
そう言って、マルセルを指差して続ける。
「大きな精霊の力を使えるようじゃ」
「ああ、それはわかります」
「マルセル義母さまの力を借りて、北の山の峠にある結界石に結界を張り直しました」
ファーナが得意気に言った。
「お陰で山全体が結界に入ってしまいましたけどね」
「今はその後始末を行っているようなものです」
マルセルが笑いながら付け加える。
「あの結界は、お前たちの先祖が張ったものだが、結界を張らざるを得ないことになったのはーー」
長はすまなさそうに、頭を掻いた。
「儂らのせいじゃろうな」
皆は驚いた。
精霊の長はしゃべり始めた。
「元はと言えば、精霊と人を接触させたくないという気持ちから、北の山脈に割れ目が出来たとき、南北に分かれて流れるように滝を造った」
「その水の恵みにより、北の村々は豊かになった」
「だがその後の地震で滝が枯れると、山脈の北側では不作が続くようになったらしい」
「滝が枯れて通れるようになった川底を通って北から人が南に出て来ていたが、そこの食料を奪って行くようになった」
「そしてその行為は段々酷くなっていった」
「それを防いだのが、南の国の基を築いた四人の聖女だ」
「その頃には、気が付いてみると精霊の数がぐんと減っていて、森の中でも見かけることがなくなってしまった」
「さすがに、これではいかんと思ったぞ」
「四人の聖女の一人が、北の山の峠に、精霊の力を使って結界を張ったと聞いた時ーー」
「人に出来ることなら儂らにも出来るはずとーー」
「この森と人の間に結界を張り、人が入れないようにしたのじゃ」
「精霊の数がこれ以上減らないようにな。じゃが、結界を張って人が入って来るのを拒んでも、精霊が出て行くのは止められなんだ」
「それから数百年の間に、平原にいた多くの精霊が消えていった。この森にいた精霊も数えるほどしかいなくなってしまった」
「お前さんたちが最後に大掃除をしてくれたようじゃしの」
「誰しもが消えることを望んだのだろうの」
「それが儂の知る、これまでの人と精霊の間の歴史よ」
しばらく長の声が途切れる。
「さて、お前たちが本当に知りたい本題に入ろうか」
「お前たちも気づいているようじゃが、精霊の力を使うということは、人にとっては、自分の命を削ることでもある」
「それは儂らが作った結界でも同じだった」
「結界を維持するためには、それに見合っただけの力が必要になるが故に、精霊たちも消えてゆく」
「人に精霊を消させないために作った結界のつもりが、精霊の数を減らすことになろうとはの」
「皮肉なことよ」
「お願いと言うのは、その結界のことです」
「西の森の結界を、たった今、解除していただくわけにはいきませんか」
「このまま放っておいても、あの結界は数百年も持たないだろうて。精霊がいなくなるからの」
「でもそれでは遅すぎるのです」
「なぜじゃ」
「先程おっしゃられたように、北の国には水が足りません」
「それで、湖から北の国まで水路を引こうと思うのですがーー」
「間にある森の結界のせいで人が入れず、水路を通せないのです」
「昔はあの辺りには森が無く、北の国まで湖の湿地が広がっていたと聞きました」
「うむ、北の国は湖のおかげで、広い湿地と草原があったな。憶えておるわ」
「今は森によって湖の水が届かなくなり、西の砂漠からは砂が運ばれ、このままだと数年もしないうちに砂漠化するでしょう」
「それからでは遅いのです。今でも作物が育ちにくい状況です」
「人と精霊を守るために張ったつもりの結界で出来た森が、そんな風に人を苦しめておるのか」
「考えてもみなかったぞ」
「湖との間の森だけ伐採すれば、以前のような湿地が生まれると思うのです。その周囲には手を付けないことをお約束します」
「とは言ってもな」
精霊は腕組みをして少し考え込んだが、ややあって、口を開いた。




