西の森の解放
腕を組んでいた精霊が再びしゃべり始めた。
「西の森の結界は儂の弟の、”三の兄”と呼ばれておる奴が作ったものでの。いや、弟と言っても儂より二百年ほど若いというだけのことだが」
「奴にやらせねばならん。たぶん奴もそうすることを望んでいるのではないか」
「ここに呼んでみようか?」
簡単には承知してもらえないだろうと思っていたマルセルは、”二の兄”の申し出に喜んだ。
「ぜひ、お願いします!実はここに来る前に”三の兄”さんにお会いして参りました。その時に、あなたの了解があればとおっしゃったのです」
「儂など気にするような奴ではないのだがのう」
精霊の長が目を瞑り、しばらくして目を開けた時には、目の前に西の森の精霊が立っていた。
「呼び出しするとは珍しいな?じいさん。四百年ぶりか」
「せめて”二の兄”さんと言え。お前もじいさんだろうが」
「二百年も歳が離れてりゃ、人間で言えば、あんたはとっくに御先祖様なんだよ!」
「せっかく良い話を聞かせてやろうと思ったんだが、減らず口をたたくなら帰れ!」
「何だよ。呼んだのは”二の兄”さんだろが!」
むくれた精霊がマルセルたちに気がついた。
「なんだ、お前らもいたのか?」
「以前お話したことのケリをつけたいと思いまして」
「そうか。それで、じいーー”二の兄”さん、どうするつもりだ」
「お前、前から消えたがってただろう」
「ああ、俺の周りの精霊は数えるほどしかいなくなっちまって、あの森で俺は独りぼっちみたいなもんだ」
「おまけに、こいつ等が儂の森の結界の鍵まで消しやがったからな」
「たった一人の話し相手だったのによう」
むくれる”三の兄”を無視して、”二の兄”は問いかける。
「どれくらい、そうしているつもりだ?」
「どうするもこうするも、消えるまでじっとしているしか無いだろう」
「そりゃ、可哀そうにな。千年は長いぞ」
がっくりと肩を落とす精霊を森の長は愉快そうにニヤニヤと笑いながら、しばらく見ていた。
「この娘さんたちがな」
マルセルたちを指差して、”三の兄”の耳元で囁いた。
「お前を消せるかも知れんとさ」
「この娘がか?」
マルセルをジロジロと眺めまわす。
「ふーん、確かに相当な力を受け止められそうに見えるがーー」
「俺の力はすごいぞ」
二の腕をポンポンと叩いて、得意そうに言う。
それに構わずマルセルが言う。
「前にもお願いしましたように、西の森の結界を解いて欲しいのです。湖の水を里まで引きたいのです」
”三の兄”はマルセルを無視して、”二の兄”に詰め寄った。
「兄さん。あの結界を張ろうと言ったのは、兄さんじゃないか」
「うむ、だがそれも四百年も前のことだ」
「精霊からしてみれば、さっき言ったことをもう覆すのかということになるがーー」
「人からしてみれば、四百年も前からの理不尽な制限は止めて欲しいということかの」
「兄さんは人の側に立つというのか?」
「いや、そうではなくてだな」
「結界を張った目的を考えてみろ。精霊を減らさないようにするためだったろう?」
「それも虚しく、もう精霊は数えるほどしか残っておらん」
「結界を張る意味が無くなったのだ。それに加えてーー」
長は一呼吸置いた。
「さっきも言ったように、すぐにでも儂らは消えることが出来るんだぞ?」
「儂らが消えるために人に頼るとしたら、いったいどのくらいの人間が死なんといけんか、考えてみろ」
「この嬢ちゃんたちなら、たった一人でそれが簡単に出来る」
「交換条件だと考えればええ」
長は西の森の精霊をじっと見ていたが、耳元で小声で聞いた。
「どうする?」
「わかった。実はな、あの結界が無くても、精霊たちが北の国に入り込んでいくことは無かったのだ。何故かあそこは精霊たちには住みにくいらしくてな。じゃから、結界を解いても何の問題も無い」
「儂が消えれば結界も解ける。儂はすぐにでも消えたい。儂を消してくれ」
「よろしいのですか?」
「問題ない。すぐやってくれ」
マルセルが、事の次第を少し離れて見ていたファーナを呼んだ。
「ファーナ、お願いできるかしら」
「はい」
「おい、ファーナさんと手をつないでみろ」
どうなるのか興味津々の長が急かせる。
「ほっほ、若いご婦人の手を取るなど、生まれて初めてのことじゃぞ」
西の森の精霊がモミ手をしながらファーナのそばに行く。
「最初で最後になるのか。それは惜しいの」
手を出したり引っ込めたりする。
「いいから早くやれ」
その声に押されてファーナの手に触れようとした西の森の精霊が何かを思い出した。
「そうじゃ、北の国にも精霊が一人おったのを忘れておった」
「”二の兄”さんより年上じゃと思う。”一の兄”さんによく似ておったが、雰囲気が全く違っておった」
「俺らとは違って、何と言うか、”邪念”を食らって生きておるような」
「儂らが北の国に入り込めなかったのは、そのせいかも知れんぞ」
「少し前まで北の国に居たようだが、今はもっと西の方に存在を感じる」
「まあ、心に留めておいてくれ」
そう言い残して西の森の精霊がファーナの手を取ると、精霊とファーナが光りに包まれ、ファーナの身体から光の柱が天を貫いた。
「おお、俺の力が無くなってゆくのがわかるぞ」
「ああ、あれは先に消えていった仲間たちが見えるぞ。あそこには新しい世界が待っているのか!」
「皆、俺もすぐ行くぞ」
「達者でな、”二の兄”さん。あっちで待っておるぞ」
光りが消えると、そこに精霊の姿は無かった。
ファーナは信じられないというように自分の手を見つめていた。
「何か私、すごく無駄遣いしたんじゃないでしょうか」
「そうね、うまく使っていれば、この国は永遠に栄えたかも知れないわね」
「どうしましょう」
「永遠に生きられるはずの精霊が、死ぬことを選んだのよ」
「人間が永遠のものを望んでも仕方ないんじゃない?」
二人の話を聞きながら気配を探っていた長が、何事も無かったように口を開いた。
「奴は消えたのではなく、別の世界に生まれ変わった様じゃの」
「あちらでは奴が一番若いじゃろうから、下っ端という訳じゃ」
「面白いのう。儂が往ったら、それこそ下っ端の下っ端じゃ」
「さて、あちらにも、お前さんたちみたいなのが居ればいいがのう」
「今度は何千年、続くのかのう」
楽しそうに精霊の長が笑っていたが、急に真面目な顔になった。
「さて、次はここの結界を外すとしようか」
結界を外そうと立ち上がった精霊が、気がついたように頭を掻いた。
「こちらの結界を解除するには、儂が今持つ力を相当出さんといかんのじゃがーー」
「では、あなたも消えてしまうかも知れないのですか?」
「儂とて退屈だったのじゃよ。消えることができるなら願ったり叶ったりじゃが、そうではないので安心しろ」
「ただのう、歳を重ねたせいか、一時に大きな力を引き出せそうにないのじゃ」
「そこでじゃ、頼みがある」
精霊の長はファーナの方に向き直った。
「さっきと同じように、今度は儂の力を使って結界を解いてみてくれんか」
急に話を振られて、ファーナは驚いた。
「わたくしが結界を解くのですか?」
「うむ、お前さんは儂の力でさえも最大限に引き出せる力を持っておる様じゃ。それはこのマルセルでも難しいぞ」
「あなたが消えてしまいませんか?」
「大丈夫だ。結界を解くだけじゃ」
「そういうことなら喜んで。でも怖いので、この子と一緒じゃいけませんか」
ファーナはそばにいた末娘のセーラを指差す。
セーラはそこで何が起こっているのか理解できないでいる。
「構わんよ。お前さんにも、娘さんにも害は無いよ」
「セーラ、私の手を離さないでね」
「わかった」
精霊の長はマルセルに向き直った。
「お前さんも同じような悩みを持っておる様じゃから」
「儂のやり方を見ていてくれ」
精霊の長は、ファーナとセーナの後ろに回り、ファーナの肩に手を当て、耳元で何かを囁いた。
頷いたファーナの身体が光り始める。
それを見ていたマルセルたちには、光がファーナたちを包み込み、ファーナが大きく唱える声がはっきりと聞こえた。
「精霊の長の名において、私、ファーナが結界を”浄化”します」
その言葉が終わると同時に、ファーナに集まっていた光が、パァッと南の森に張られていた結界の上に覆い被さるように広がって行った。
その光が結界に接触した途端、燃えるような赤い閃光を発して結界が消えていき、広い森の隅々まで赤い光が覆い尽くしていった。
その赤い光が消えると、そこには驚きで立ち尽くすファーナと、ハァハァと息を荒くした長がいた。
セーナは何が起きたのかわからず、キョトンとしている。
息を整えた長がマルセルに向かってまだ荒い息の中で言った。
「”浄化”で結界を消したぞ」
ファーナの横で一人泰然と立っているセーナに気がついた長は、苦笑いを浮かべる。
「この子はすごいの。じゃが、儂もまだまだ働けるの」
「消えることが出来んかったのは残念じゃが」
「それにしても」
ファーナが自分の両手を見つめて言った。
「”浄化”ですか。かなりの力が私の身体を通って、先ほどのように手から流れ出ていくのを感じました」
「合わせ技かぁ。それがファーナの持っている力なのかも知れないわね」
「そう言えば、四人の聖女様も、お互いの力を合わせて戦ったと言われているわね」
「シャンツ家に伝わる精霊の力って、そういうものなのかも知れないわ」
「だから、これまでずっと、王家を保ち続けることが出来たのかも知れない」
マルセルは精霊の長に向き直り、頭を下げた。
「結界を外していただき、ありがとうございました。ですが今まで通り、この森、特にこの木の周りには、人が近寄らないようにします」
「好きにするがいい」
「ありがとうございます。それでは失礼いたします」
マルセルが深く頭を下げ、皆を促して帰ろうとしたが、誰かに呼び止められたような気がして精霊の方に振り返った。
すると精霊が真顔になって、マルセルに語りかけた。
「お前さんと二人だけで少し話がしたい」
「話しておかんといかんことがある」
「それにお前さんは、本当に知りたいことを儂に聞いてないのじゃろう?」
ーーここで全ての答えが得られそうな気がする。
マルセルは皆を先に帰らせると、精霊の長に向き直った。
「何を教えていただけるのでしょうか?」




