葛藤
ブラーニャが昔を思い出したように目を細めて、懐かしむように話を続けた。
「お披露目が終わった夜に、わたしの所に精霊が来て、言ったんだ」
「お前、私といっしょに永遠に生きる気は無いか?ーーとさ」
「あいつは私の前では冗談ばかり言っていたんだ。だからいつもの冗談だと思って、軽くふざけて返事を返したのさ」
「”はい”ーーと」
「あいつは飛び上がって喜んだよ。私は特に何も感じなかったので、やはり冗談を言ってたんだと思っていたんだけどね」
ブラーニャの顔に後悔と諦めの表情が浮かんだ。
「その時から私は歳を取らなくなった」
「おかげで、楽しいこともたくさん見てきたが、見たくもないものも嫌と言うほど見せられてきたよ」
「父が亡くなってから、一人っ子だった私に、皆が父の跡を継げと言って来たけれどーー断った」
「私が継いでしまうと、この国を未来永劫引き継がなきゃいけなくなるからね。そんなのはおかしいじゃないか。嫌だ!と駄々をこねてね」
「シャガルクの先祖に、王位を譲ったのさ」
「だけどね、まさかこの目で、ここまで困窮した国を見ることになるとは思いもしなかった」
「私のせいで、シャガルクには重荷を負わせちまったね」
そう言って、シャガルクに向かって頭を下げたブラーニャの肩を、シャガルクが慌てて引き起こす。
「婆さん、四百年前のことに、あんたが責任を感じる必要はないぞ」
「今は、このマルセルたちのお陰で北の国は前以上に栄えつつあるんだ。だからこれからも俺たちの頑張りを見続けていて欲しい」
「そう言ってくれるのは有り難いけれどね」
「ただ精霊も、いつも私のそばにいるわけじゃないんだ」
「そんなときは、止まっていた時が急に速足で走るように進みだして、私は人以上に速く歳を取るのさ」
「最近は彼も、私のそばを離れる時間が長くてね。だから、いつまで見届けられるか」
ブラーニャの話を聞き終えたデノーテは、ブラーニャのそばに歩み寄って跪くと、ブラーニャの手を取り、話し始めた。
「ブラーニャさま、実は私も南の国で精霊の加護を受けて、モードネス家の墓所を守っていたのです」
話を聞き終えたブラーニャは驚きを隠せない。
「何と、精霊の力とは面白いものだね」
「はい、ですが、その代わりーーあっ」
急に何を思ったのか、サーニャの方に振り向いたデノーテが、サーニャに笑顔を向けた。
「サーニャさん、大変申し訳ないのですが、氷河から氷の欠片を取ってきて頂けないかしら」
「お婆さまの汗が酷いようなので、拭いて差し上げたいの」
「わかりました」
素直に答えたサーニャが壺を持って外に出て行き、足音が遠ざかるのを確認したデノーテが、ブラーニャの方に向き直って顔を近づけると、耳元で小声で話し始めた。
「ブラーニャさま、モードネス家には”呪い”が掛けられているようなのです。実はーー」
デノーテの話を聞き終えたブラーニャの目に涙が溢れた。
「それは、私が精霊と付き合っていることが原因なのかい?」
「いえ、この”呪い”は別の精霊によるもので、その原因は南の国のモードネス家の初代であるキャッツさまと、彼に手を貸した精霊にあります」
「ブラーニャさまには何の罪もありません」
「何とも、モードネス家には不運が重なるんだねぇ」
「元々は三兄弟がいたのに、皆離れ離れになってしまって、今日までお互いが会うことも出来なかった」
「ですが、こうしてようやく会えることが出来ました」
「そのうち必ず”呪い”を解く方法を見つけますので、ご安心ください」
デノーテがチラッとマルセルの方を見る。
ーーそうよね?
デノーテの願いを感じたマルセルがコクコクと頷いた。
「ですが、サーニャさんに不安を与えたくはないので、当分の間は、彼女には黙っておいて頂きたいのです」
「そう言うことかい。わかったよ」
「やれやれ、私一人が抱えていけば済む話だと思っていたのにね」
「サーニャ以外に身寄りの方はいないのですか」
「少なくなったね。探せばいるんだろうけれど、どういう訳かモードネス家の女は早死にでね」
「だが、あんたの話を聞いて納得がいったさ」
「実は、私は彼女らの命を吸い上げて生き長らえているんじゃなかろうかと、ずっと恐れていたんだよ」
ブラーニャが本当に安心した様子を見せたので、デノーテは改めてブラーニャに問いかけた。
「先ほどの話で、モードネス家は元々三家あったと伺いましたがーー」
「ここと、私の家とーーもう一方はどちらに?」
「三男は一族郎党を引き連れて砂漠を越えて西へ行ったと父は言っていたね」
「その方たちのご子孫はご健在なのでしょうか」
「わからないねぇ。四百年の中で噂を聞いたことも無い」
四百年を生きているブラーニャも知らないとなると、手掛かりは無い。
「向こうからこっちに来たという話も聞かんし、こっちから行こうとする者もおらんよ」
「この西の砂漠は広過ぎてな、向こうに何があるかもわからんのだ」
「時折、砂漠から商人がやってくるが、彼らは海の国から来るし、西のことなどは知らんと言っている」
今まで黙って聞いていたシャガルクが口を挿んできた。
「私はアスクとミッシェルの将来だけが気掛りでしたが、サーニャさんに加えて、西の砂漠の向こうにいるかも知れない家の心配も増えてしまいましたね」
デノーテが肩を落として悲しい顔を見せた。
そんなデノーテを見たマルセルが、デノーテの肩を抱き、元気づけようとする。
「お義母さま、それは私たちが解決しますので、ご心配は無用です」
「そうね、マルセルはそんな子だったわよね。厄介ごとに首を突っ込んでは解決するのよね」
「ええ、お義姉さまが乗り出して解決しないことはありません」
ファーナまでが横で変な励ましをするので、マルセルがファーナに釘を刺す。
「ファーナ、あなたのことが一番厄介なんだからね。わかってる?」
「はいほい」
「もう! 私の真似なんか、しないでちょうだい」
二人のやり取りを聞いていたデノーテがようやく笑顔を取り戻す。
その様子を見ていたブラーニャが問いかけた。
「ところで、あんたたちは精霊と関係があっても、永遠の命は持っていないのかい?」
「はい、南の国ではそんな話は聞きません。むしろ、精霊の力を使うと命が縮まると言われてます」
「そりゃあ困ったものだね。だけど、永遠の命なんて、寂しいものだよ」
「まわりの人間が、走馬灯のように現れては消えていくんだ」
「見たいものも、見たくないものも、あっという間に流れていく。喜んだり、怒ったりする暇も無いさ」
しばらく世間話に花を咲かせた後、皆はモードネス家を辞して帰って行った。
その後姿を見送っていたサーニャに、家の中からブラーニャが声を掛けた。
「彼女ーーデノーテはモードネス家の墓所を精霊の助けを借りて守っていると言ってたね」
「ええ、そう聞こえました。何か?」
「北のモードネス家の私についていた精霊は、我が家の裏山の奥に広がる氷河の洞窟にいたはずだよ」
「デノーテの言う精霊は誰なんだろうね」
ブラーニャはモードネス家に所縁のある精霊は一人しかいないと思っていたのだ。
「シャンツ家にも強力な精霊がいて、峠の結界を張っていたとも言っていましたね」
「その方が、ブラーニャさまについている精霊と関係があるような話しぶりでした」
「モードネス家に所縁のある精霊は、一人じゃないかも知れないと言うことかい?」
「やれやれ、心配事が一つ増えたかねぇ。長く生きるのも考え物だね」
そう言って、ため息をついたブラーニャがサーニャの手を取った。
「ところでね、サーニャ」
サーニャは驚いた。
今まで、ブラーニャからサーニャに触ることなど無かったからだ。
「サーニャ、私はーーこれから先は長くないかも知れないよ」
「えっ、なぜですか?」
「精霊が戻ってこなくなってから、どんどん歳が進むのが自分でもわかるのさ」
ブラーニャの見た目は、昨日と今日では十歳以上違って見えるのは、サーニャも気がついていた。
「お婆さま、そんなことは言わないでください。私の方が先にお別れするものと思っていますのに」
そう言って、ブラーニャの手を握り返す。
「私にお前の最後を看取れってかい?」
「そういう意味ではありませんよぅ」
自分の周りの人間は、目の前に現れては自分を残して死んでいく。
自然と精霊とのおしゃべりに毎日が費やされるようになった。
その間にも、次々と娘がブラーニャの前に現れては、年老いて死が間近になると去ってゆく。
最初こそ、その死を知る度に涙を流していたブラーニャだったが、冬には葉が枯れて落ちるように、ただの季節の移り変わりのように感じるようになっていた。
愛情を持って接することが自分の哀しみを大きくすると知ってからは、身の回りの世話をしてくれる娘に一切の感情を向けないようにして来た。
老いた世話役の後任として、ブラーニャの前にサーニャが連れて来られたのは、つい最近のことだ。
世話役は少しでもモードネス家の血を引く娘の中から選ばれていた。
サーニャが連れて来られた時も、感情は押し殺して接するつもりでいたが、サーニャの天真爛漫さがブラーニャの氷で閉ざされた心を少しずつ溶かし始めていった。
時にはサーニャの冗談に笑顔を見せるまでになっていた。
それを見て喜んだのは精霊だった。
ーーサーニャがいれば、ブラーニャが喜ぶ。サーニャにも永遠の命を与えてやろう。
精霊は、ブラーニャと二人で過ごすうちに、ブラーニャの心がだんだん凍っていくのがわかっていたが、どうすることも出来なかったのだ。
「年寄りが先に行くのが世のならいだよ。ようやく私も人としてこの世を去ることが出来るかも知れない」
「彼女たちのお陰だろうね」
「そうなったら後は頼んだよ。でもどうするかは、しっかり自分で決めな」
「お婆さま」
ブラーニャの言葉はサーニャの気持ちを不安にさせた。
後を託されるということは、ブラーニャのように永久に精霊と共にいることを承諾するということだ。
自分の方がブラーニャより先に逝くと思っていたサーニャには、未だその覚悟が出来ていなかった。




