精霊の語る歴史
儂が生まれたのは八百年前だ。この泉のそばで生まれた。
その時には、すでに二人の兄貴がいたぞ。
それから三百年が過ぎたろうか、今から五百年程前に、次々と三人の弟たちが生まれて来た。
そうなると、ここでは少々手狭過ぎての。
どうしたものかと思っていると、最初に生まれた兄貴が提案してきた。
それぞれが一人でいられる場所に移ろうと言うのだ。
儂らには元より反対する気は無かった。
そして産まれた順に住みたい場所を決めることになったのだ。
”一の兄”と呼ばれていた最初の兄貴がどこを選ぶか、皆が固唾を飲んで待っていると、兄貴の口から出たのは意外な言葉だった。
兄貴は崖に囲まれた平原の中にある四つの丘の中で一番北にある丘を指差して言ったのだ。
「儂はあの一番北にある丘に移るぞ」
その言葉を聞いた儂らは驚いたぞ。
てっきり生まれ育ったこの泉から、儂らを追い出すための提案だったと思っていたからの。
「ここにもう千年も居るのだ。もう飽き飽きした。後はお前たちが好きに決めろ」
そう言い残すなり、すぐに平原の北の丘に移って行ってしまったのだ。
そうなれば、この泉に住む権利を持つのは”二の兄”さんなのだが、その兄貴までが、他所に住みたいと言い出した。
「儂も”一の兄”と同じように別な場所で暮らしたい。南の森の大樹の根元の洞穴を儂の新しい住処にする」
儂らの返事を待たずに、”二の兄”さんも南の森に行ってしまった。
そうして儂の番だ。
さて、後に残る三人は慌てたぞ。
実のところ、誰しもが新しい場所に移りたくて、うずうずしておったからの。
儂までが他所へ行けば、三人の内、誰かがここに残らんといかんことになる。
だが儂はどこに住みたいとか、切実に思ったことは無かったので、中々決めることが出来なかった。
迷いあぐねている儂を見た弟たちが、これは説得し甲斐があると思ったのだろう、口々に儂を説得し始めたんだ。
「”三の兄”さん、ここはやはり、残った最長老のあなたがここを守っていただかなくては」
「”三の兄”さん、あなたにしか、ここを守る適任者はいません」
「”三の兄”さん、あなたは私たちの故郷のようなものです」
歯の浮くようなお世辞を散々並べられたわ。
もし儂までが他所に行くと言い出したら、残った自分たちの誰かがこの泉の守り役にならんといかんと、気づいたのだろうな。
特に六番目の弟は必死だったぞ。このままだと、奴が残らざるを得んだろうからな。
儂はまだ三百歳だったので、上の兄貴たちみたいに是が非でもこの泉を出て行きたいとまでは深刻に思ったことは無かった。
それで必然的に、この泉が儂のものになったわけよ。
儂がそれを受け入れたと知るや否や、儂の気の変わらんうちにと、後の三人は挨拶もそこそこに、行き場所も決めずに飛び出して行きおった。
皆、余程あの平原の中にある丘に住みたかったみたいだな。
三つの丘をどう選び分けたかは知らんが、それぞれが気に入った所に落ち着けはしたようだ。
”一の兄”さんが移り住んだ北の丘は、北側に屏風のように高くそびえる山脈の麓の、お前たちのシャンツ家のある丘だ。
”二の兄”さんは南の森、三番目の儂は西の泉、そして四番目がモードネス家の丘、五番目がシバー家の丘、最後の六番目がシフォン家の丘に腰を据えたと後から知った。
ここまで話すと精霊は口をつぐんだ。
この西の森の精霊の話から、以前から聞いて知っていた六人の精霊の居場所がはっきりした。
「”三の兄”さま、”一の兄”さまの前には、どなたかおられたのでしょうか?」
マルセルが尋ねた。
”三の兄”は少し記憶を辿るようにしていたが、首を振って答えた。
「この地に生まれた最初の精霊は、西の森のこの泉で二千年前に生まれた”一の兄”さんとしか知らん」
「その前に誰かいたとしても、儂は会ったことも無いし、感じたことも無い」
「じゃから、”一の兄”さんが最初に生まれたと言っていいと思うぞ」
”三の兄”が話を続け始める。
”一の兄”さんは、”二の兄”さんが生まれるまでは、ただじっとこの泉のそばで瞑想して過ごしていたらしい。
千年経って、ようやく”二の兄”さんが生まれ、”それから二百年が経って儂が生まれたのじゃが、”二の兄”さんは儂に、よく愚痴をこぼしておった。
何でも、”一の兄”さんが二人いるようで、話していても、どちらと話しているか見当がつかんとな。
そんなバカなと思っていたが、しばらくすると、”二の兄”さんが言うように、”一の兄”さんは一人じゃが、まるで正反対の性格をした二人がいるようだと儂も確信するようになった。
まあ、千年以上前に生まれた兄さんだ。変わったことがあっても不思議は無い。儂らもそのうちそうなるのだろうと受け入れるしか無かった。
その後も次々と精霊が生まれ続けたが、儂らのように力の大きい精霊は生まれてこなかった。
時折、お前たちが出会った番人のように、鍵の役目を果たせる者も生まれてきた。
ただただ湧き出るように生まれてきて、長い年月の間に増えても減ることのない精霊たちが森や草原に溢れていった。
気がついた時にはそれこそブヨの大群のように、平原中に精霊が満ち溢れるようになったのだ。
ある時、大きな地震が起こり、北側の屏風のようにそそり立つ山の、一段と高くそびえていた二つの峰の間を割るように、縦に亀裂が入ったのじゃが、不思議なことに、その頃から”一の兄”さんの所在がはっきりせんようになった。
消えているでも無し、生きていると言うには影が薄いというか。
それまで屏風のような山に遮られて平原に人が入ることは叶わなかったが、この時出来た亀裂には、ちょうど人間が通れるくらいの幅があった。
しばらくすると、この北の地に住んでいた人間が、その亀裂を通って南の平原へ下りてきた。
南の平原が豊かであることを知った人間たちは、平原に四つあった丘を中心に集まり、それぞれが農業を始め、村を作った。
これが儂の知る、お前たちの四家の始まりだな。
そのうち、山の峰から流れる雪解け水が、この裂け目に滝となって流れ落ちるようになり、その水は裂け目に沿って北と南に流れるようになった。
それまでお互いをつなぐ道となっていた唯一の峠道が通れなくなり、北と南の人々の交流は途絶えてしまった。
しかし、水の流れは北と南の地を潤したので、それはそれでお互い問題なく生活していた。
それから数百年経っただろうか、また地震が起こると、今度は水の流れが全て南に流れるように変わってしまった。
水が得られなくなった北の地では、水不足による飢饉が頻繁に発生するようになってしまったらしい。
流れが変わったことで、滝も消え、これまで滝の水が流れていて通れなかった川は干上がってしまって、昔のように往来が出来るようになった。
不作で飢えていた北の者たちは、そこを通って南へ行き、裕福な村から略奪を始めたようだ。
最初のころは、捕まえた北の住民の話から北の事情を知った村人たちが、自分たちの僅かな備蓄から分け与えたりしていたが、彼らの要求は留まるところを知らず、村の娘たちをさらったり、人を殺すようにもなってきた。
それに耐えかねた四人の聖女が聖女の力を使って奴らを撃退し、峠に結界を張ったのだ。
その聖女の力と言うのは、儂ら精霊から授かったものだったらしいの。
儂の知るところはそれ位だ。
「聖女の力はどのようにして授けられたのでしょうか?」
精霊の話が終わるや否や、マルセルが問い掛けた。
「どのようにして得たのかじゃと?」
”三の兄”は、話したくないような顔つきになるが、意を決したように語り始めた。
「これまで話したように、この地に長く存在して、大きな力を持つ精霊は六人おる」
「その中で儂は四番目に若い。若いと言っても八百歳じゃがの。精霊はよほどの事が無い限り永遠に生きることになるーーはずだ」
「死ぬことの無い精霊が、どうすれば死ぬことが出来ると思うか?」
「さあ?」
「簡単なことよ。ある時、出会い頭に人間とぶつかった精霊が光を発して消えたのだ」
「それを見ていた他の精霊たちは気づいたのだ」
「人間に触れば、精霊の力が抜けて消えることが出来るーーお前たちの言うところの”死”だな」
「だが、そうは言っても、消えるとはどういうことなのか知る者はおらん」
「不安ばかりが募る。消えた後はどうなるのだーーと」
「お前たちの死に対する不安と同じものだ」
「願望と不安の中で儂らが導き出したのがーー消えれば別の世界で新しく生まれ変わるーーということだ」
「実際にはどうるのかわからんが、そう思えば今の長い退屈な時からやり直せるのなら、これは喜びでしかない」
「人間に精霊の力を全て注げば消えることが出来るとわかっていても、消えた後にどうなるか不安を覚えて躊躇していた連中が、己の寿命の長さに辟易していた連中が、次々と人間に精霊の力を注ぎ始めた」
「瞬く間にこの地の精霊が減っていくのを見ては、さすがに儂らも見過ごせんかった」
「それに、人とて、精霊の力に負ければ死んでしまう。精霊と接触して、死んだ娘も多かったろう?」
「そこで西と南の森の儂ら最長老の二人が、森から精霊が出て行かないように、また人間が森に入って来れないようにと、結界を張ったのじゃよ。湖の西は儂が、南と東は”二の兄”さんが」
少し興奮気味にしゃべっていた精霊は、少し間を置いて落ち着くと、ボソッと声を出す。
「じゃが、後の奴らは、今どこで何をしとるんかのう?結界を張ったことで森の外の世間が見えなくなってしまった」
「儂にはとんと興味が無かったで、気にもならんかったが」
マルセルは、多分そのうちの一人はモードネス家の墓所の番人かも知れないと思った。
「あなたが張ったと言う、湖の西の結界だけでも解いてもらう訳にはいきませんか」
「それは儂だけで決められることではないからの」
「では、”二の兄”さまの承諾が得られればよろしいのですね」
「ああ」
「その方はどちらに」
「南の森の大樹の下におるわ」
やはり、あの大樹の下には精霊が住んでいたんだとマルセルは納得した。
精霊が結界を張っていたから、大樹の元に行こうとしても行けなかったんだと。
「ではまずそちらに伺うことにしましょう。”二の兄”さまの承諾が得られた時には、結界を解くことをお願いします」
「おうよ、じゃがーー」
「兄貴も結界を張っておるで、会えぬやも知れんぞ」
「あの兄貴の力は相当なものだぞ」
ニヤニヤ笑いながら精霊は言った。
精霊の前を辞して戻りながら、三人が話し合った。
「精霊が六人ですか」
「西の森と南の森、あとの四人はどこにいるんでしょう」
「多分、一人はモードネス家の墓所の番人ですよ」
「ああ、あの無愛想な番人ね」
デノーテが納得気に頷く。
「それに、峠で会った人。これが”一の兄”でシャンツ家に関係があった人」
「シバー家は泉の洞穴に精霊がいたと、チュールが言ってたわね」
「今、私たちが抱えている難題には、この四人が絡んでいるんだわ」
ファーナは次々と疑問が解けていくので興奮していた。
「シフォン家は行方不明だけど、その残滓が尖塔の石畳の上にあったわ」
ジャンヌと暮らした尖塔での生活の中で石畳の上にいると癒されたのをマルセルは思い出した。
「”聖女の証”の検定に使っていた小瓶を石畳の上に置くと、小瓶が光ったのよ。あれがシフォン家の精霊に間違いないわ」
マルセルに請われて検定の小瓶をシフォン家の尖塔に安置したファーナが言った。
「でもどうやって森の結界を解けばいいのかしら」
「そうね、やり方を間違えないようにしないといけないわね」
ファーナが考え込む。
「ファーナなら、すぐ解決出来るんじゃない?」
「精霊を見つけたら、パッと触って消しちゃうとかさ」
「でもそうすると、ファーナの問題だけはいつまでも残るのよね」
「その解決方法がまだわかっていないし」
マルセルが考え込む。
「やはり南の森の精霊の話も聞きに行くしかないわね」
そう言うと、二人を促して西の森を後にした。




