交渉
「何だと!」
王が声を荒げた。今にも飛び掛からんとする形相で睨みつけてくる。
「あなたがおっしゃったじゃありませんかーー」
「民さえ残ればいいと」
マルセルが両手を広げて唄うように続けた。
「その民を、私が拾うところから始めることにしましょう」
王はぽかんと口を開けて、しばらくマルセルを見つめていた。
マルセルは王を見返して、ニヤリと笑う。
「私には、民を見捨てようとするあなたと違い、その民と生きる覚悟を持って、ここに来ましたのよ」
マルセルは笑みを崩さない。
唖然としてマルセルを見つめていた王は、急にいたずらっ子のような顔になって、手を差し出した。
「面白いことを言う奴だ。儂はシャガルクだ。話を聞こう」
差し出された手をマルセルが掴んだ。
「マルセルと申します。そしてこちらは夫のジョセと義姉のジャンヌです」
ジョセとジャンヌも手を差し出した。
その手を掴んだシャガルクは、急にくだけた口調になってしゃべり始めた。
「実はな、最近になって急に、この肩の荷の重さに耐え切れなくなっているのだ」
「投げ捨てたくてしょうが無いのだが、退位したいと言っても、それを拒むくせに代わりを務めようと言う者などおらん」
「辞めようにも辞められんのだ。辞めたらどうなるかも想像がつく」
そう言って、シャガルクはマルセルの顔をじっと見つめる。
「お前がその重荷を引き受けてもいいと言うのか」
「はい」
マルセルも見つめ返す。
シャガルクとマルセルはしばらく見つめ合った。
「滅びたとして、民はどうなるのだ。何か手があるのか」
マルセルは肩をすぼめると、事も無げに言った。
「難しいことではありません。しばらくは我が国からの食糧支援で凌ぐしかないでしょうね。ですが、略奪されたと思えば何てことはありません」
それを聞いてシャガルクが苦笑いをするが、マルセルは気にも留めずに続ける。
「私が見る限りではこの国が貧しいのは土地が痩せているからだと思います。そうですよね、ジャンヌ義姉さま?」
土を手に取って見ていたジャンヌが頷く。
「畑を肥沃にする術を知っている者を連れてきますから、来年は必要な量の半分でも収穫を見込みましょう」
「そうやって年々収穫を増やしていきましょう」
シャガルクの顔が輝いた。
「出来るのか?」
「まずは、やり方を知らなければ何事も進みませんからね。知ると知らないとでは大きな違いが出来ます」
「加えて、この国の若者にも教育を進めましょう」
マルセルが思いもかけないことを言ったので、シャガルクの顔に怪訝が浮かぶ。
「教育だと?」
「今日を生きていくのに、教育に関係があるのか?」
「未来のためです」
「誰の未来だ」
「この国は滅びたのですよ。新しい国に生まれ変わる必要があります」
「これからの国を支える、未来ある若者を作るために学ばせるのは当然のことでしょう?」
「私達の学園で学ばせ、卒業したら、こちらで民の教育を担ってもらいます」
「それが上手くいけばーー」
マルセルはフーッと長く息を吐くと言った。
「その後は彼らの好きなようにさせればいいかと」
「壮大な夢だな」
「私たちが手を貸せるのは、長くても五年と考えています」
「それから先はあなた方次第です」
それを聞いたシャガルクは驚いた。
ーーそれは、見返りを求めずに北の国に五年もの施しをするということか?
「お前の国に併合して搾取するつもりじゃなかったのか」
「この国の皆さんがそう望まれるのであれば、それでもいいですよ」
「そのときが来たら、お好きな方を選んでください」
シャガルクは考えた。
ーーこいつのこの自信はどこから来るのだ。
ーーだが、言ってることに何故か疑う余地が全く無い。
ーーそれどころか、すべてがうまくゆく確信しかない。
「不思議な奴よのう。お前の言うことを聞けば聞くだけ、必ずうまくいきそうに思える」
「我が国でも、私のことを”人たらしのマルセル”とおっしゃる方はいますが、真にやる気を出さねば、うまくいくはずがありません」
「私はそのお手伝いをするために来ているだけです」
そう言って、マルセルは頭を下げた。
「わかった。では明日、ここに族長たちを集めて会議を開こう」
「お前も参加してくれるか」
「御心のままに」
山を下りて行くシャガルクたちの姿が見えなくなるまで見送っていた三人も山を下った。
「うまくいくかしら」
ジャンヌが不安げにつぶやいた。
「シャガルクさんが皆をどう説得するかだけどーーまあ、大丈夫じゃないかな。明日になればわかるわよ」
「マルセルには、不安というものは無いのかしら」
「私、大きな愛に包まれているからね」
「ああ、デノーテ義母さまの?」
「そうだと思うわ」
ジャンヌが肩をすくめて言い放つ。
「そうね、じゃ、明日は二人で頑張ってね。私は用無しみたいだから」
「はいほい」
「お前ら、いつもそんな調子なのか」
そばで見ていたジョセが呆れる。
「はいほい」
マルセルとジャンヌが同時に答えた。
「何だよそれ」
次の日の昼近く、マルセルとジョセは交渉のため、峠を登って行った。
峠を抜けた先にはテントが張られていて、その中にテーブルとイスが用意され、既に北の国の族長たちが座っていた。
どの族長も痩せこけている。
マルセルたちがテントに入ると、族長たちから敵意を込めた目で迎えられた。
「よく来てくれた」
そんな空気を打ち消すように声を上げたシャガルクが二人を席に案内する。
席に座ったマルセルたちの前に、皿に高く山のように盛られた、蒸したジャガイモが出された。
シャガルクが勧めてくる。
「食ってくれ」
マルセルたちが躊躇していると、シャガルクが言った。
「今の儂らに出来る、精一杯のもてなしだ」
席に座っている族長たちの目は皿に盛られたジャガイモに向けられていたが、彼らの中から、グゥと腹の鳴る音が聞こえてくる。
こんな中で、食べられるものではない。
「折角のご厚意ですが、私たちは先ほど食事を済ませて来ました」
「そうか?では、皿を下げさせよう」
そう言って、シャガルクが皿を下げるよう合図する。
族長たちの顔に安堵の表情と、そわそわする気配が見て取れる。山と積まれた食べ物を目の前にして、会議など出来るわけがない。
「もし、お食事前なのであれば、どうぞ先に済まされてください。待っておりますので」
「そうか、では少し時間をもらおうか」
その言葉が終わらないうちに、族長たちが我先にテントを出て行った。
その後ろ姿を見ていたシャガルクがマルセルと目が合うと、肩を竦める。
「族長でもああなのだ。許してやってくれ」
「では、民のことを考えると、事は早急に運ばないといけませんね」
「わかっている」
改めて皆が席に着くと、シャガルクがマルセルと交わした話を伝え、シャガルクが退位してマルセルを五年間の代王にすることに対する意見を問うた。
当然のことながら、その会議は紛糾した。
しばらく議論が続いていたが、とうとう痺れを切らしたシャガルクがまるで子供のように駄々をこねた。
「なあ、お前たち、わかっているのか?お前たちがさっき食ったジャガイモは、儂らが彼らに貢いだものを、彼らから下賜されたものだぞ」
「嫌なら、なぜあれを食った?」
そう言われると、殆どの族長は黙ったが、まだ何人かがブツブツと文句を言っている。
「儂にはもう、お前たちの面倒を見切れないんだ」
「自分ならどうにか出来ると言うなら、儂の代わりに王になると言ってからにしてくれ」
「こんな得にもならないこの国でも、マルセルは継いでくれると言っているんだぞ」
もとより、火中の栗を自ら本気で拾おうとするものは無く、王が決めたことに従うこととなった。
マルセルが立ちあがり、皆を見回した。
「では五年間だけ、私がこの国の代王として務めさせていただきますのでよろしく」
「それが過ぎれば、その後は結果に関係なく、あなたたちの好きなようになさってください」
「手始めに、明日からでも食糧支援の準備を始めようと思います」
そう言うと、深々と頭を下げた。
周りにいた族長たちはその姿を見て、あわてて立ち上がり、彼らも頭を下げた。
シャガルクは長年の胸の痞えがようやく取れた気がして、彼もまた族長たちに向かって深く頭を下げた。
南の国に戻る途中、マルセルは峠の結界石の前に立ち、結界を消そうと試みたが、人がやっと通れるくらいの穴しか造れないことがわかった。
「改めて、ファーナの力はすごいと思い知ったわ」
「君の力をファーナが使ったんだろう? 君だってすごいじゃないか」
ファーナとマルセルが作った結界は、さすがのマルセルでも、一人だけでは消すことが出来なかったのだ。
崖の窪みを覗いてみたが、まだ精霊の姿は見えなかった。
南の国に戻ったマルセルは、マルセルが北の国の代王になった経緯をファーナに説明し、協力を求めた。
「お義母さまの願いは私の願いでもありますわ。すぐにでも北の国の食糧支援を始めましょう」
食料運送のために峠の結界を解放しようとした二人だったが、ファーナがいてさえも完全に取り除くことは出来なかった。
やはり、峠の精霊の協力が必要なのかも知れない。
それでも小さな荷車程度は通すことが出来るようになったので、食料を運ぶことに支障は出なかった。
むしろ、南の国と北の国のそれぞれの民が力を合わせて峠で荷を積み替えて運んだことは、両国民同士の理解を深めていくのに役立った。
食糧支援が十分行き届いていくのを見届けると、マルセルたちは北の国の王宮に赴いた。
改めてシャガルクが退位し、マルセルが代王になった。
そして、村々の長に知恵の優れた有望な子供を何人か選ばせ、王室学園のミッシェルの元に送り込んだ。
マルセルが次々に決めていく施策について不平不満を言う者はいたが、退位したシャガルクがまとめてくれた。
国さえ動けば、この元王の統治能力は高かったのだ。




