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北の国の王

 マルセルは、ようやく北の国へ行くことが叶った。

 ファーナ女王の治世が順調に滑り出していることと、ファーナの娘たちの精霊の力のお陰で、ファーナに対するマルセルの負担と心配が格段に減ったからだ。


 南の国の建国以来、北の国から攻められたことはあっても、大きな被害を受けたことは無かったのは、”聖女の証”を持った娘が精霊の力を込めた結界石のお陰だった。

 ただそれも、込められた精霊の力が失われれば結界も崩れてしまう。

 結界石に精霊の力を込めるのは、王家の聖女の仕事になっていたが、聖女の持つ精霊の力には差があったので、その力が弱まっている時代には、北の国の侵入を少なからず許していたのだ。


 マルセルとファーナが力を合わせて峠の結界を張り直したとき、それまで結界を維持する手助けをしていたと言う精霊が、お前たちの力があれば自分はいなくても大丈夫だから、儂は自分の片割れを探すと言って、北の国に行ってしまった。

 四百年も前から結界を維持する手助けをしていた精霊がいなくなるということは、マルセルとファーナが死んだ後の峠の結界はどうなるかわからないと言うことになる。

 その精霊は、片割れを見つけたら戻ってくるとは言ったが、未だに戻って来た気配は無い。

 峠を守るために精霊を当てにすることは出来なかった。


 結界を永久的なものにするか、必要が無いようにしないといけないーーマルセルはそう思っていた。

 永久的にというのは、聖霊の力が永久的に維持出来ればということである。

 ただ、少しでも精霊の力を持つ幼い娘は、ファーナの三人の娘以外にはまだ見つかっていない。

 しかも、探すことは止めてしまっている。

 ファーナの娘たちがいるお陰で、ファーナ亡き後もしばらくは安泰と言えるが、その先を期待することは出来ない。

 それまでの間に手を打つ必要があるが、まだ方法はわからない。

 必要が無いものにするには、北の国と手を結ぶか、滅ぼしてしまうしかないのではないか。

 そう考えたマルセルは、一度は北の国と話し合う必要があると決心して、ファーナとジャンヌの三人に北の国に行くことを打ち明けていた。

 ジャンヌは最後までいっしょに行きたがったが、マルセルが頑なに断った。


「ジャンヌ姉さまには、これまで十分以上の愛をいただきました」

「これからは、お義姉さまはシャークさんと本当の家族の愛の中に身を置いて欲しいのです。ジョセと二人だけで参ります」

「ではせめて、峠まで見送らせてちょうだい」


 北の国に向かう準備が終わると、マルセルとジョセは峠を登っていった。北の国の兵士といつ戦闘が始まってもいいように、武装したジャンヌも後ろからついてくる。

 峠の広場にある結界石は、まだ結界が維持されていることを示すように、キラキラと輝いていた。

 マルセルが手を近づけると、その光がマルセルの手に纏わりついてくる。ほんのりと心地良い。


「まだ大丈夫みたいね」


 精霊が潜んでいた窪みを覗いてみたが、精霊が戻っている気配は無かった。

 結界を少し緩めて峠を越えたマルセルたちが北の国が一望できる場所に立つと、それを見つけた何人かの北の国の兵士たちがよたよたと山を駆けあがって来た。

 彼らはマルセルを見るのは初めてだ。荒い息をしながら、怪訝そうに遠巻きにして見ている。

 北の国の人間を初めて見たマルセルは驚いた。兵士だというのに痩せこけていて、見るからに飢える寸前だった。


ーー何とか間に合ったみたいね。


 マルセルは彼らの前に進み出て威厳を持った声で言った。


「私はマルセルと言います。あなたたちもその名は聞いたことがあるでしょう。そのマルセルが話がしたいと言っていると、あなたたちの王に伝えてください」


 北の王国でもマルセルの名前は知られていたので、兵士長はすぐに使いを走らせた。


 転びかけながら使いが駆け下りていく道の両側には畑が作られていたが、今の時期なら畑一面に小麦の穂が金色に輝いているはずなのに、所々に申し訳程度に生えていて、しかも実を付けた穂は数えるくらいしか無かった。


ーーこちらでは深刻な状態のようね。


 さほど間を置かず、武装した部下を大勢引き連れた、王と思われる男が峠まで登ってきた。

 兵士たちよりも頭一つは背が高く、がっしりとした体格をしている。

 マルセルを見ると、恐ろしい形相で足早に近づいてきた。

 マルセルの前まで来ると、マルセルを見下ろすようにしてジロジロと眺めまわした後、横柄な態度で問いかけてきた。


「降参すると、頭を下げに来たのか?」


 そう言って、にやりと笑う。

 そんな相手の目をじっと見つめていたマルセルが静かに口を開いた。


「私たちの国には憂いが一つ残っていましてね。その憂いを消し去りたくて参りました」


 その言葉を聞いて、王は驚いて声を上げた。


「お前の国の憂いを消し去るだと!それはどう言う意味だ?」

「我々とあなた方の関係を、今後どうすればいいか決めたいということです」

「我々を滅ぼそうとでもいうのか?」

「時と場合によってはですが。あなた方のこれまでの蛮行を罪に問わねばならないこともあるでしょうね」


 マルセルの自信に満ちた言葉に王はたじろいだ。


「そ、それは以前の話であろうが!」


 確かに、ファーナとマルセルが峠に結界を張り直してからは、北の国からの侵略は無い。

 マルセルは周りの兵士たちに目を向けて言った。


「今でも常に機を窺っておられるのは知っておりますよ。それを憂いだと言っているのです」

「私はその憂いを未来にまで残したくないだけです」

「それを晴らすためならーーあなたのおっしゃるように、あなたたちを滅ぼすのも一つの方法かも知れないけれどーー」


 なんとも気の抜けた物言いをした。


「何だと!」


 王は鬼のような表情になり、剣を抜いてマルセルの喉元に突き付けた。切っ先が少し食い込み、血が滲んだ。

 あと少し力を加えると、剣先は喉を突き破ってしまうだろう。

 それでもマルセルはじっと王の目を見つめたまま、身じろぎもしない。

 ジャンヌが助けようと剣を抜きかけたが、その気配を察したマルセルがジャンヌを手で制して静かに呟いた。


「ーーでも滅ぼすだけしか方法が無いわけじゃないしーー出来ればーー手が結べれば上々かとーー」

「憂いさえ無くなればいいのですから」


 王はじっとマルセルを睨みつけていたが、ふうと息を吐くとそれまでと打って変わって柔和な表情に変わった。


「手荒なことをしてすまなかった」


 剣を引いて収めると、兵士たちの方を向いて吐き捨てるように言った。


「こいつ等を見るがいい。お前たちもわかっているはずだ。儂らの国は作物が取れん。それと言うのもーー」


 境界石を何度も指差して叫ぶように語り始めた。


「昔はこの左右の崖の上からそれぞれ大きな滝がここに落ちていたと聞く。その滝つぼの中心にあったこの岩を分水嶺として、今、道がある所は、南北にそれぞれ流れる川であったらしい」

「北に流れていた川は山麓に湖を作り、畑を潤していたのだ」

「それが地震のせいで今のように滝が消えてしまった」

「滝が無くなってからは湖も干上がってしまって、儂らの国では山から水を得る手立てが無くなっている」

「山で作物を収穫するのは難しくなった。それがーー」

「新しく張られた結界のせいでその範囲が山すそまで広がった」

「民を守るためには、他所から取って来るしかなくなったのだ」

「それに、お前らは元々儂らと同じ国の人間だろう。結界を解いて助けてやろうというのが筋ではないか?」


 流石にそれは虫のいいことだと気づいたシャガルクの顔が少し赤くなった。

 マルセルはそれを見て安堵した。


ーー話せばわかる人のようね


 気を取り直したシャガルクが続ける。


「助けを求めて話し合おうとは思ったこともあるんだ。だがお前の国が峠に張った結界は話し合いさえも拒んできた」

「今ではその結界が山すそまで広がって来て、山の近くでは作物が全く作れなくなってしまった」


ーーやはりファーナと一緒に張った結界のせいかしら。やりすぎたかもね。


「それだけじゃない。なぜか急に我が兵の士気まで下がってしまう始末だ。いくら鼓舞してもどうにもならん」

「兵どころか、儂でさえ弱気になり始めている」


 王は天を仰ぎ、悲痛な声を上げる。


「土地はたくさんあるというのに、南の湖の水は、西の森に阻まれて使えんし」

「西からは砂が押し寄せてきて砂漠がどんどん広がっている。今年もかなりの農地が失われた」

「北も東も年中氷で覆われた山脈だ。山の近くでは寒くて作物など採れん。おまけにそこも最近何かがおかしくなって来ている」

「残る南の山麓も、お前たちの張った結界のせいで耕作が出来なくなった。放棄した荒れ地が広がり始めている」

「儂らがどうにかできる土地は狭くなる一方なのだ」


「お前に滅ぼされなくとも、このままでは滅びてしまう。だから、お前たちの国を奪うことを止めるとは、儂には約束は出来ん」

「ですが、手を結んでいただかなければ、滅びる道しか残りませんよ」


 しばらく間を置いて、王がボソッとつぶやいた。


「それが運命なら仕方がない」


 王が思いもかけないことを言うので、マルセルは驚いた。

 これまでの記録にあるような北の国なら、そんな女々しいことは言わないはずだからだ。


「では、このまま滅びてもよろしいと?」

「さっきも言ったが、儂の力ではどうにもならんほど、民が弱気になって来ている」

「そんな国は滅びて、儂がいなくても、残った民が自分たちで何とかするしかないさ」

「そんな自暴自棄のことは、おっしゃらないでください」


 マルセルは声を大きくして語り掛けた。


「では、今ここでもう国が滅びてしまったことにしませんか」




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