尖塔に泊まる
「ファーナ、今夜は尖塔の屋根裏部屋を使ってちょうだい」
食事が済んだころ合いを見計らって、マルセルがファーナの手に屋根裏部屋の鍵を握らせた。
「えっ、でもあの部屋は義母さまたちの寝室なのでは?」
マルセルの言葉に驚いたファーナは、自分の手の中にある鍵を見つめた。
ファーナはシフォン家の客間に泊まった時、部屋のバルコニーから丘に広がる花園を母と一緒に見た記憶がある。今度は自分の娘たちとその景色を見るのだと思っていた。
「気にしないで。あなたたちがシフォン家に来るとわかってから、ちゃんと準備は済ませてあるわ」
「四人分のベッドを据えたら、さすがに少し狭くなったけれどね」
「ジャンヌ義姉さまたちには三階の部屋を使ってもらうつもりよ。でもね、ファーナより広い部屋を使っては申し訳ないから代わってあげたいと言ってたから、遠慮してると取られてしまうわよ」
意地悪そうにマルセルが言う。
ファーナが違うとばかりに何度も首を振るが、顔は嬉しそうだ。
「広さじゃなくて、あの部屋が使えるだけで特別なのよ。ありがとうマルセル義母さま」
「あら、あんな狭くて天井の低い部屋じゃあ、女王さまに失礼になってしまうじゃない。ファーナ、代わりましょうよ」
そこに入って来たジャンヌがニヤニヤと笑いながら残念そうに言った。
「いいえ、お義姉さまの思い通りはさせませんよ」
「バレたか」
「ともかく、あなたの娘たちにいい夢を見させてあげてちょうだい」
「ありがとうございます。マルセル義母さま」
その夜、ファーナと三つ子は尖塔の屋根裏部屋で、隙間なく並べたベッドに横になって寛いでいた。
「おかあちゃま、オムレツおいしかったね」
「そうね。私が食べた時より、もっと美味しく感じたわ」
「ジャンヌさん、驚いてたね」
「ええ、目の前で大きなオムレツをナイフで割くんだもの」
「フワフワが一瞬でトロトロに変わっちゃったものね」
「忘れられないディナーになったわね」
ーーあのミルクティーも、前に飲んだものとは全然違ってた。
ーーまるでミルクの泡を飲んでいるみたいで、それなのに、茶葉の味と香りはしっかりしていた。
ーーワインは初めてだったけど、これも泡が立っていたわ。ジュナはシバー家から取り寄せた炭酸を混ぜただけと言っていたけど、これを知ったら、若い子たちの間で流行るでしょうね。
ファーナが食事のことを思い出していると、三つ子たちが聞いてきた。
「ねえ、おかあちゃまも小さい時、ここで寝たことがあるの?」
「ええ、私のお母さまと一緒にね」
「ふーん」
「おかあちゃまも誰かに呼ばれた?」
「あら、あなたたち、誰かに呼ばれたの?」
「うん、ここに入ってくる時に。ねえ?」
「呼ばれた」
「呼んでた」
「今日は疲れてたからじゃないの?」
「そんなことないよ。ねぇ?」
「うん」
「そうなの?でも明日は早いから、もう寝ましょう」
ファーナの寝息が聞こえ始めると、三つ子たちが小声で話し始めた。
「おかあちゃま、もう寝た?」
「うん、寝たみたい」
「じゃ、会いに行こう!」
「おかあちゃまを起こさないようにね」
「そーっとよ」
三つ子たちが初めて尖塔に入って螺旋階段の石畳に足を置いた時、不思議な感覚に包まれていた。
それは、石畳の真ん中にある、小さな穴から出てくるように思われた。
ファーナからも、小さい時にこの石畳の上は気持ちが良かったと聞いていた。
そして本当に、そこから誰かが呼んでいるような気がしたのだ。
音をさせないように階段を下りて来た三つ子たちが、穴を中心に車座に座って石畳の上に足を置くと、素足に心地よい温もりが伝わってくる。
「気持ちいいね」
三人は小さな穴の周りに腹這いになり、交代で穴に顔を近づける。
「いい匂いがするね」
そう言いつつ、三つ子たちは代わる代わる穴を覗き込んでいたが、何の反応も無かった。
「いないねぇ」
「お出かけなのかな」
「会いたかったねぇ」
「あら、誰かと思えば」
しばらくして、気配に気づいて起きて来たジャンヌが、石畳の上で腹這いになったまま寝ている三人の娘たちを見つけた。
そこに、娘たちがベッドにいないことに気づいたファーナが慌てて降りてきた。
「あら、ジャンヌ 娘たちを見なかった?」
「そこで寝てるわよ」
ジャンヌが指差した先には、石畳の上で居眠りしている三つ子の女の子たちがいた。
「あらあら、あなたたち、風邪を引くわよ」
慌てたファーナが三つ子たちを揺り起こそうとしたが、ジャンヌが手で止めた。
「ファーナ、少しそのままにしててあげたら?それに今日はなぜかこの石畳が暖かいのよ」
そう言われてみると、石畳の上に立っている足元から暖かさが伝わってくる。
「本当だ。暖かい」
「毛布だけ掛けてあげましょう」
そう言って、ジャンヌがソファの上に置いてあった毛布を三つ子たちに掛けてやる。
「ありがとう。ジャンヌ」
「まだ竈に火が残っているから、ポットのお湯も暖かいわ。お茶を入れるわね」
「それまでソファに座って待っていて」
ジャンヌが暖かいポットのお湯で手早くお茶を入れ、テーブルの上に置き、ファーナに勧めた。
お茶の入ったカップを両手で包むようにして持って、部屋を眺め回していたジャンヌが口を開いた。
「この石畳のある一階は、私とマルセルが出会ってから長く暮らした場所なの」
「マルセルもあの石畳の上が好きで、あんな風に、あの上で寝ていたものよ」
「でも私には、この石畳がこんなに暖かいと感じたことは一度も無かったけどね」
そう言うと、カップのお茶を一口すする。
ファーナが相槌を打つ。
「私が初めて屋根裏部屋に泊まった時にも、この石畳の上を素足で歩いたけど、こんなに暖かいと感じたことは無かったわ」
「でも心地よい気持ちには、なれたわね」
「そう言えば、デノーテ義母さまは、この尖塔を嫌ってらっしゃったわね」
「ええ、アスクさんもそうだわ」
「もしかして、モードネス家の血と関係があるのでは?」
「そうかも知れないわね」
「今夜のことは、マルセルにも話だけしておきましょう」
二人は三つ子のそばに行き、石畳の上に座ると、その心地良さにすぐ睡魔に襲われて、そのまま添い寝をしてしまった。
次の日朝早く、目が覚めたシャークがジャンヌのいないのに気づき、ジャンヌを探して階下に降りて来ると、石畳の上で眠っている五人を見つけた。
五人の寝顔を見て安心したシャークは、壁に立てかけてあった剣を手に取ると、そーっと脇をすり抜けて外に出て、日課の剣術の稽古を始めた。
「あら、シャークさん 朝から稽古なの?」
ファーナの代わりにシフォン家で夜を過ごしたマルセルが、朝の準備をするために尖塔に向かうと、尖塔の扉の前で剣を振っているシャークを見つけて声を掛けた。
「ええ、もう日課になっていますから」
「ファーナたちはまだ寝ているのかしら?」
「ええ、石畳の上で、五人揃って寝ていますよ」
「えっ、大変、風邪を引かなきゃいいけど」
「心配しなくても大丈夫みたいですよ。でも、見ていただいた方が安心ですよね」
マルセルがそっと扉を開けて中を覗くと、石畳の上で眠る五人の姿が目に入った。
そっと扉を閉める。
「シャークさん、もう少し後でまた伺います。ファーナたちが起きたらそう伝えていただけませんか」
「わかりました。私もその間、稽古を続けます」
そう言うと、シャークはいつもより激しく剣を振り回し始めた。




