変わるシフォン家
ファーナたちがシフォン家に来ると知ったアスクは、ファーナが王女の時にシフォン家に宿泊した時のことを書き記したノートを書庫の中から探し出してきた。
このノートには、ファーナが喜んだオムレツ、エレノアが驚いたワイン、王都に引けを取らない野菜、尖塔での宿泊、シフォン家で過ごした間の出来事などが事細かに記されている。
実はシフォン家には、いままでやった接待の内容が全て記録されて残っている。
特に執事のタンカ、メイド長のマーサ、料理長のエストールが残す資料は完璧だった。
そこにマルセルとジャンヌが加わって作り上げたものがファーナの目に留まったわけだが、その二人がいなくても勝るとも劣らないものを、今は自分たちで提供出来るとアスクは自負している。
当時の料理長だったエストールはすでに引退していたが、彼の引退を決めるきっかけになったほどの腕前を持った料理人がシフォン家にはいるからだ。
おそらくこの南の国では初めて女性として料理長の座を勝ち取ったであろうジュナだ。
料理だけでなく、彼女はメイドとしても、執事としても完璧にこなせる、今やシフォン家に欠かせない存在として成長している。
ジャンヌがそうであったように、ジュナを中心として良い評判が広まっていけば、これを機会にシフォン家を元の様に立て直せるかも知れないと意気込んだアスクが、ノートに書かれた以上に特別な接待をしようと、ジュナを呼んで話し始めた。
ジュナはしばらくアスクの話を聞いていたが、話の途中でアスクの言葉を遮った。
「ご主人さま、それでしたら、普段通りにやった方が良いと思います」
滅多に意見を差し挟むことの無いジュナがそう言うので、アスクは驚いた。
「なぜだ?」
「マルセルさまとジャンヌさまは、故エレノアさまとファーナさまの接待に特別なことは何もされていません」
「自分たちの普段やっているもてなしを、自分たちに出来る精一杯のことをされただけと伺っております」
「普段と違う特別な行為は、お客様が違和感を抱かれるだけだと思います」
「ーーこんなはずじゃなかったのにと」
「それに今回はジャンヌさまも同行されると聞きます。特別扱いをお喜びになるでしょうか?」
「私たちも、今の私たちが普段やっているもてなしを、精一杯務めるべきだと考えます」
それを聞いて、確かにそうだと納得しかけても、まだ不安の残っていたアスクが、横に立っている執事のタンカの顔を窺った。
タンカは何も言わず、笑顔で頷いた。
不安は消えない。横に座っているミッシェルを見ると、彼女もまた笑顔で頷いた。
ーーそうか、私は我が家で働く皆の仕事ぶりを信じ切っていなかったということか。
ジュナの方に向き直ったアスクが頭を下げた。
「ジュナ、悪かった。私が少し浮かれすぎていたようだ」
「お前に全てを任せよう。悔いの無いようにやってくれ」
そう言うと、アスクは二冊のノートをジュナの前に置いた。
「これは、ファーナさまがまだ王女の時にシフォン家を訪れた時のことを書き記したものだ」
「春と秋の二冊ある。今回のような初夏にも使えるかどうかわからんが、参考にしてくれ」
「ありがとうございます」
「それと今回のご要望は、”オムレツ”と”ミルクティー”と”ワイン”だそうだ」
「承知しました」
ジュナが部屋を出て行くと、アスクがまだ部屋に残っていたタンカに尋ねた。
「タンカ、何も言うことは無かったのか?お前らしくなかったじゃないか」
「ジュナの言ったことが全てでございますよ。嬉しいことに、彼女の言葉を聞いて私の心も決まりました」
笑顔を見せてそう言ったタンカが、大きく息を吸うと普段以上に真面目な顔に戻った。
「執事の座をジュナに譲ろうと思っております」
そばにいたミッシェルもタンカの言葉に続けて言った。
「メイド長のマーサも隠居したいと言っておりましたよ。優秀な後釜が出来たからだとか」
「ジュナがいるからか?」
「そのようですね」
「エストールだけでなく、タンカやマーサもジュナを認めて引退の覚悟をしたと言うのか?」
「祖父の代から支えてくれていた三人が、私の代で一人の娘に代わるなんてことは前代未聞だな」
「この三人は他家の誰にも引けを取らない優秀な人材だったんだぞ」
「でも、ジュナ一人にーーというのは彼女にも過酷でしょう。せめてジュナの手足になれる者が育つまで、二人にはここで頑張って欲しいわ」
「承知しております。実は、マーサはジュナが執事になることを見越して、すでに別の後継者を選んでおります」
「あら、誰なのかしら?」
「レナでございます」
「ああ確かに。レナならメイド長を任せても心配ないわね」
「はい。ただ、料理長については、ジュナが頑なに譲りませんでの」
「料理がしたいからシフォン家に来たので、それが出来ないなら辞めるとまで言いましたわい」
「あの子らしいわね」
「お陰で、エストールは私らより早く隠居ができると、喜んでおりました」
「じゃ、タンカ お前の隠居は、ジュナの料理長への固執があるうちは無理と言うことか?」
タンカの顔が少し曇る。
「はい、ジュナに執事の仕事の方が面白いと思わせるのが、これからの私の仕事でございます」
「ジュナがいたばかりに、他の者への教育を怠っておりましたことが、我が一生の不覚ですな」
「それに、エストールがいない今、料理長の人選まで私がやらねばならなくなりました」
「ハハハ 頑張ってくれよ。失敗したらお前、死ぬまで執事を続けなくちゃならんぞ」
「それだけはご勘弁願いたいですな」
ーーそうか、タンカも直にこの家からいなくなるのだな。
当主になった頃から、アスクはタンカが自分のことをどう評価してくれているのか聞きたかった。だが、その答えを聞くのを恐れて、ずっと聞きそびれていた。
今までの自分の行いが良いものではなかったことはわかっていた。
当主になって、自分なりにシフォン家の立て直しに努めて来たつもりだったが、その成果が知りたかったのだ。
タンカの隠居という現実が迫ってくると、今聞いておかないと聞けなくなるかもしれない。
アスクは意を決して、タンカに問いかけた。
「ところでタンカ、お前から見て、私のシフォン家の当主としての採点は何点だ?」
「藪から棒なご質問ですな。それは、ご自分のことを冷静に知りたいというお気持ちの表れと取ってよろしいですかな?」
図星を指されたアスクは赤面した。
「お前がどう思っているか、お前が辞める前に知っておきたいだけだ」
「シフォン家のご当主さま方は、人の意見を聞くのは余り得意ではございませんでしたがーー」
「知っておきたいと言われたのは初めてでございます」
「私は三代のご当主さまにお仕えしてまいりましたので、その三人の評価をということでよろしいですか?」
「ああ、遠慮なく話して欲しい」
「では、遠慮なく申し上げましょう。まず、アスクさまのお爺さまは優しいお方でしたがーー悪く言えば、何もなされなかった」
「奥さまがなさることを、ただ承認されるだけのお方でした」
「当時は、私も働き始めたばかりでまだ若かったので、そんなお爺さまのやり方を歯がゆく感じたものです。この家はもう駄目だと」
「ですが、バッセさまの奥方としてデノーテさまを迎えることに尽力されて、結果としてシフォン家に王位継承権を残されたということでは、その功を認めて及第点を差し上げてもよろしいでしょうな」
小さい時のことなので、アスクは祖父母のことはよく覚えていないが、使用人たちから慕われていたのは知っていた。
ーーお亡くなりになる直前まで、お二人は尖塔から出て来ることは無かったな。母屋に来られることは滅多に無かった。
ーーお二人の仲が良いからだろうと思っていたが、一度だけ、祖父母に会いたくて尖塔に行った時、足を踏み入れた瞬間、何とも言えない嫌な気持ちに襲われたのはどうしてだろう?
それ以来、アスクは尖塔にも祖父母にも近づくことは無かった。
そんなことを考えていたアスクの耳にタンカの声が入ってきた。
「お父上のバッセさまは、国中を放浪されて、シフォン家のことには全く関わられなかった」
「デノーテさまがおられなかったら、シフォン家はどうなったかわかりませんな」
「お陰で私は、バッセさまの尻拭いに追われる始末で。陰の仕事まで引き受けざるを得ませんでした」
アスクは驚いて尋ねた。
「影の仕事だって?そんなものがあるのか?」
「そのことは棺桶の中まで持っていく所存でありますよ」
タンカは何事も無かったように言葉を続ける。
「バッセ様はーー最後まで王位継承権を継ぐことばかり考えておられましたが、肝心のマルセルさまをお認めにならなかった」
「その結果、王位継承権は消えてしまいました。ですからシフォン家当主としては零点と言いたいところですが、マルセルさまという聖女を残されたことを評価して、お爺さま同様に及第点を差し上げましょう」
父のやったことは、本人は家のためにと思ってやったことでも、実際には家のためにはならなかったと思っているアスクは、もしマルセルがいなかったらシフォン家は今頃どうなっていたかを考えると、母のデノーテと二人、荒れた屋敷に取り残されていたんじゃないかと今でも恐怖に襲われることがある。
「さて、アスクさまはーーお小さい時には、今度こそシフォン家は終わると何度思わされたか知れませんな」
「デノーテさまの苦悩を知っておりましたから、私も手を引くわけにはまいりませんでした」
「信じられないことですが、アスクさまがご自分の力でミッシェルさまを奥方に迎えられたことで、今のシフォン家がございます」
「いずれにしても、皆さまが素晴らしい奥さま方を迎えられたことには間違いはございません」
アスクは自分に与えられた点数は何点だろうかと聞き耳を立てていたが、タンカは一向に口を開かない。
焦れたアスクが問いかけた。
「それで私の点数は何点なのだ?」
すると、タンカはミッシェルを指差し、ニコッと笑った。
「お二人一緒であれば、百点を差し上げましょう」
アスクはホッとした。
「本当か?」
「はい、奥さまを大切になされませ」
「えっ」
「そう言う意味では、お爺さまもお父さまも百点ですがな」
それを聞いてアスクはがっかりしたが、考えてみれば祖母も母も”聖女の証”を持った、精霊の力の大きい女性だ。
ミッシェルは、”聖女の証”こそ持っていないが、国で一番の才女だと噂されるほどの女性だ。
自分だけに点数をつけろと言うのは、虫のいい話だったと気がついた。
「タンカ、ありがとう。私はミッシェルと一緒にシフォン家を盛り立てていくよ」
「良く気がつかれましたな。特別に十点、おまけしておきましょうかな」
「それは恥ずかしいから止めてくれ」
タンカとミッシェルの笑い声が響いた。
釣られてアスクも笑いだす。
それを聞きつけたメイドが何事かとそっとドアを開けたが、三人の笑い声はしばらく続いていた。




