行脚
「サックス、お話があります」
娘たちが二歳になった誕生日の夜、夕食後に寛いでいたサックスの前に三人の娘を連れてきたファーナが、真剣な面持ちで話しかけてきた。
「改まって、何だい?」
「私、この子たちと一緒に、国中を歩き回ってみようとの」
「この子たちが”聖女の証”を得る前に、肩書を持たない普通の親子としてね」
思いも掛けなかった言葉にサックスは驚いた。
「えっ、でも君はすでに女王の仕事を始めているじゃないか」
「ですからサックス、あなたを宰相にしますからーー」
「私たちがいない間は、あなたが国を動かしてください」
驚いたサックスは両手の平を大きく振り、落ち着けよと言う仕草をした。
「そんな大変な仕事は、僕には無理だよ」
尻込みするサックスに近づいて顔を突き合わせてきたファーナがサックスを睨みつける。
「無理ーーではなくて、やる気が無いーーじゃなくて?」
「私は、あなたに、私と結婚しても王位につくのは固辞すると言われたときには、すごく見直したのよ」
「この人は地位を得るよりも、私を愛することを先に選んでくれたと」
「でもね、最近のあなたを見ていて、すごく幻滅しているの」
「いえ、あなたと言うか、ジョセ兄さまーーあっ、今は義父さまかしら?それにアスクさん、シャークさんも加えた四人にね」
「これにはマルセル義姉さまーーあっ、義母さまだったわ。面倒くさいわねーーそれにミッシェルさん、ジャンヌ義姉さんも同意見だけどーー」
「あなたたち、重要な仕事は皆、奥方たちにやらせてない?」
痛い所を突かれたサックスは思った。
ーーここは褒めておくに限るな。
サックスは愛想笑いを浮かべて声を絞り出す。
「そ、それはーー君たちがすごく優秀だからーー」
その声が終わらないうちに、ファーナの声が響く。
「だからと言って、四人で毎晩遊びまわっているのは、どういうことかしらね」
「ミッシェルさんなんか、”げんこつトリオ”が”げんこつカルテット”になってしまったって嘆いていたわよ」
「殿方の机の上には埃がうず高く積もっているそうよ。誇りだったら、まだ許せるけどね」
身に覚えのあるサックスには言葉も無い。
その様を見て、口元にふっと笑みを浮かべたファーナが勝利宣言をする。
「昨日、お茶会をしたときに、皆で決めたのよ」
「殿方にも、ちゃんと仕事をしてもらおうって」
「だからサックス、あなたがどう言おうと、あなたを宰相に任命するわ。私がいない間は、国の政一切を引き受けてちょうだい」
サックスが最後の抵抗を試みる。
「宰相ならギョルカがいるじゃないか」
「あら、ギョルカなら、昨日隠居したのよ。知らなかった?」
「あなたがこれまで優柔不断だったせいで、隠居するのが二年も伸びたって嘆いていたわよ」
「これからは孫たちに囲まれて、楽しい隠居生活を送るんですって」
「何にせよ、これもサックス殿がいるお陰だと感謝していたわよ」
「そんなーー」
「ついでに、初な私をぬか喜びさせた罰も付け加えておくわね」
うなだれたまま黙っているサックスを見て、後一押しで了承すると見て取ったファーナが続ける。
「この子たちが”聖女の証”の認定を受けるまで、まだ三年あるわ。それまでの間はーー」
「休暇が欲しいの。季節ごとに一ヶ月ずつ、四回でいいわ」
「その休暇中は、私に一切の仕事を持ち込まないことにしていただきたいわ」
不安そうにファーナを見るサックスをちらっと見たファーナが慰める。
「心配性ね。あなたは私が出産している間の政務はちゃんとこなしたじゃない」
「あの時は殆どギョルカがやったようなものでーー」
「大丈夫よ。今度はあなたの三人のお友だちにも参加していただくように頼んであるから」
「お願いしたのはーー奥さま方にだけどね」
「四人で私一人分って言われないようにしてね。でないとーー」
「奥さま方が恥をかくことになるわよ」
逃げられないと悟って唖然とするサックスを尻目に、ファーナは三人の子を促して一緒に部屋を出て行く。
「あなたたち、お父さまのお陰で、私と一緒に旅が出来るわよ」
「わあ、やった!」
「お父さまは来ないの?」
「お父さまは、大切なお仕事があって、来れないんですって」
「なんだ、残念」
「旅先から、お手紙を書いてあげなさい」
「そうするーー」
後には、まだ気持ちの整理がつかないサックスが呆然と立ち尽くしていた。
三つ子たちがファーナに精霊の力を送ってくれていることに気づいていたファーナは、一つの決心をした。
ーーこの子たちと一緒なら、デノーテ義母さまやマルセル義母さまに頼ることなく外を歩けるのじゃないかしら?
今までほんの一部しか見たことが無い自分の国を、子供たちと一緒に見たいと思ったのだ。
マルセルに相談し、デノーテや、ジャンヌ、ミッシェルたちの了解も得て、夫どもには気付かれぬよう、計画を練ってきたのだ。
手先の器用なカストに頼んで、三つ子たちを乗せるための軽い乳母車を作ってもらった。
三つ子たちを外に出せるようになると、その乳母車に三つ子たちを乗せて、モードネス家の敷地の中を歩き回るようになった。
そのうちに、散歩と称して、敷地の外まで出て行くようになった。
それまでそんな時には、必ずデノーテかマルセルがそばにいる必要があった。
ファーナが三つ子たちを載せた乳母車を押して門を出ようとするのを見かけたデノーテが、心配してついて来ようとしたが、ファーナはそれを断った。
「お義母さま、私は今、私自身の巣立ちの練習をしているのです」
最初こそ、心配する皆をやきもきさせることがあったが、問題なく帰ってくるのを見ると、誰も何も言えなくなった。
轍や、ぬかるみの残る道を、軽く作ってあるとは言え、三人の子を乗せた乳母車を押して動き回るのは、さすがに女一人には大変だったが、それでもファーナは音を上げなかった。
サックスたちに任せた政務が滞りなく進み、任せておいても問題ないと確信出来たころには、娘たち三人は乳母車が無くても歩けるようになっていた。
するとファーナは、王館の周りだけではなく、時にはどこかで一泊して帰ってきたりするようになった。
何も言わずに出て行くので、その度にデノーテや館の人たちは大騒ぎするのだが、夫のサックスだけは全く慌てる素振りを見せなかったので、館の人たちを訝らせた。
サックスにはファーナの気持ちが痛いほどわかっていたのだ。
「これまで私はエレノア母さま、デノーテ義母さま、マルセル義母さまの力にすがって生きるしかなかったの」
「この子たちのお陰でやっと、私とあなたが一緒に作った家庭の中で、自由に生きることが出来てるのよ」
そう言って笑みを浮かべるファーナに、サックスは全幅の信頼を寄せていたのだ。
そのうち、三人の女の子と一緒に荷物を積んだカートを押して歩く、お揃いのオーバーオールを着た母娘の姿を領地のあちこちで見掛けるようになった。
最初は、それが女王とその娘たちとは誰にも気がつかれなかったが、どこに行っても好印象で迎えられた。
彼らがこの国の女王とその娘たちだと知れ渡ると、自分たちの村もに来てもらいたいと願うようになった。
「おい、聞いたか?川下の村にファーナ女王がお姿を見せられたらしいぞ」
「本当か?すぐにうちの村までの道を整えて、お迎えできるようにしろ」
「川向こうの奴らに気づかれないうちに、案内の者を川下の村まで走らせるんだ」
そうやって隣村から自分たちの村までの道を、子供が歩き易いように整えて、村の入口で彼らの到着を待つのだった。
結果としてそれが村々を結ぶ道路の整備につながり、馬車が奔りやすい道になったことで、商人たちが頻繁に行きかうようになり、村々を豊かにしていった。
モードネス領内のほぼ全てを歩き回ったファーナが、今度は国中を巡るつもりだと耳に挟んだジャンヌは、流石に幼児と若い娘だけの、しかも女王の旅なので、何かあってもいけないと心配してトールに相談した。
それを聞いたトールは二つ返事で引き受けた。
「私に良い考えがある。だが旅の準備に時間が掛かると思う」
「準備が出来たら君に連絡するよ。それまでに旅に必要な荷物だけ用意してもらっておいてくれ」
ジャンヌからその話を聞いて、ワクワクしながら準備を整えたファーナたちに、トールがいつでも出発できると言っていると、ジャンヌから知らせが届いた。
出発の日が来て、モードネス家の門の前で待っていた、オーバーオール姿のファーナたちの前に、小さな二台の荷馬車が現れた。
その御者台に乗っていたのは、何とトールと息子のハッシュだった。
しかも妻のジェミーと娘のシェーンまで連れて来ていた。
「皆さまのお世話は妻と娘のシェーンにお任せください」
「女王さまは、お嬢さま方との触れ合いの時間を多く持たれていただきますように」
「この計画をお聞きして、私たちも国中を回ってみたいと、うずうずしていたのですのよ」
ファーナたちに合わせたオーバーオール姿のジェミーが嬉しそうに言った。
「私と息子で皆さまをお守りしますので。さあ、どうぞお乗りください」
トールがそう言って、ロバが引く幌のついた小さな荷馬車を指差した。
「これなら、どんな場所でも入って行けますからな」
それはカストの自信作で、小さいながらも、野宿をしても困らないような仕掛けが施されていた。
山道の幅に合わせた荷馬車なので、行動範囲が格段に広がる。
ーーこれまで諦めていた、あの丘の上にだって立つことも出来るのね。
ファーナは期待に胸が膨らんだ。
「さて、それでどちらに向かわれますかな?」
「父母の墓参りがしたいわ」
「では、手始めにシャンツ領を回りましょうか」
見送りに出ていたサックスにファーナが女王として指示をする。
「サックス、私がシャンツ領に向かうことを、向こうの代官に伝えておいてね」
「くれぐれも、女王としてではなく、領民と同じ扱いをするように言っておいて。尖塔にいるお兄さま、いえお義父さまにもお伝えしておいて」
「わかりました、女王さま」
「では、いまからは私の権限をサックス公爵に渡します」
「お受けします。では気をつけて行ってくるんだよ」
「あなたも頑張ってくださいね」
「トール、行きましょう」
こうして、トールと息子のハッシュが御者を務める二台の荷馬車を連ねたファーナたちの旅は、シャンツ領から始まった。
荷馬車での旅は、すぐにファーナと三つ子たちのお気に入りになって、その後は年に四回の旅は荷馬車で行うことが恒例行事になっていく。
そうなると、次は誰が随行するかで、ひと悶着起きるようになった。
「トールたちだけにやらせるということは無いでしょう!」
「ですが、トールたちは、この荷馬車旅の発案者なのですよ」
「それでは、私たちも加えて頂きたい」
誰もが行きたいと手を上げるのだったが、流石に荷馬車をキャラバンのように長く連ねて移動するのは、ファーナの本意では無かった。
困ったファーナがトールに相談すると、以外なことに随行を他者に譲っても構わないとトールが言った。
「皆の気持ちもわかります。私どもも女王さまの旅のお供を独占するつもりはありません」
「それに、これを抑えてしまうと、逆に女王に対する反感が生まれないとも限りませんからね」
「年の何回かは、手を挙げた家族の中から、条件に合った家をくじ引きで決めても良いのではないですか?」
「女王さまが必要と思われたときにだけ、私どもを指名していただければよろしいかと」
「そうですね。心遣い、感謝します」
そこで、一度に一家族、男女二名ずつを条件として希望者を募り、候補者が多い場合はくじ引きで決めることにした。
すると今度は、マルセルが駄々をこねてきた。
「私だって一緒に行きたいのに。その条件だと、私はいつまでも行けないじゃない!」
「お義母さまは北の国に行かれるんでしょう?」
「あちらを平和にして頂ければ、私たちも北の国が歩けますわね。その時は、向こうのことを良く知っておられるはずのお義母さまにお願いしますわ」
「でも、条件はちゃんと整えておいて下さいね」
暗に、早く子供を二人作れと言わんばかりのファーナの態度に、マルセルはタジタジとなる。
「うっ、それまでお預けかぁ」
そんなマルセルが、ファーナの三つ子たちが五歳の誕生日を迎える一週間前にシフォン家を訪ねて来た。
そして、アスクとミッシェルを前にして、自分の考えを語った。
「アスクさんにはモードネス家の呪いが掛かっているのは承知しています」
「もしデノーテ義母さまや私が亡くなった後、お二人の血筋の女の子に災いが降りかかるかも知れません」
「その対策を考えないといけないのはわかっているのですがーー」
「今は北の国の対策を先に進めるつもりでおります。ミッシェル先生、申し訳ありません」
ミッシェルは頭を深く下げているマルセルのそばに行き、頭を上げさせると、優しく抱いた。
「マルセル、あなたが誤ることは無いわ」
「大丈夫よ。アスクと結婚するときすでに、そのことは覚悟できているから」
「だから、心置きなく働いて来てちょうだい」
「そうだ。私たちのことは気にするな」
アスクも近寄って来てマルセルの肩を叩く。
「そう言って頂けると、有難いです」
「あなたこそ、無理はしないでね」
「なるべく早く帰ってきますので」




