タンカの記憶
「そうなのか?エルナねぇ?調べてはみるがーー」
ジャンヌから、東の村のエルナはシフォン家の領民の子ではないかと尋ねられたアスクが首を捻る。
「私が知っている限りでは、女の子が湖に流されたという話は初耳だな」
「お手数をお掛けします。東の村に流れ着いたと言う話だったので、私のように南の国から流れついたのではないかとーー」
「そうなると、湖に面しているシフォン家の領地の人間ではないかと思っただけでして」
ジャンヌはエルナが”聖女の証”を持っているかも知れないということは伏せた。
それを言うと、アスクの父であるバッセの名誉を傷つけることになるかも知れないと思ったからだ。
「だが二十年以上前の話だろう?どこから調べたらいいものか」
二人がお互いが黙ったままでいる所に、もう隠居している元執事のタンカが執事のジュナに手を支えられてやってきた。
ジャンヌが来ていると知って、挨拶に来たらしい。
それを見たジャンヌが駆け寄って、タンカの手を取った。
「タンカさん、お久しぶりです。お元気そうですね」
「孫がいると、若返りますからなぁ」
「お孫さんは何人?」
「驚きなさんな。十人おりますよ」
「まあ、そんなに!」
「ファーナさまにあやかってか、三つ子が三組もおりますでな」
「見分けるのに、頭を使いますよ」
「多分、それで老けないのかも知れませんね」
そばにいたジュナがそう言って笑う。
それを聞いて笑っていたアスクが、はたと気がついたようにタンカに尋ねた。
「なあ、タンカ 僕たちと同じ年頃のエルナという娘のことを知らないか」
「もし彼女が父上に関係している娘だったとしたら、お前が良く知っているだろう?」
「エルナーーですか?何故それを今更?」
タンカの目が少し泳いだのをジャンヌは見逃さなかった。
ーー間違いない!タンカさんは知っている。エルナさんはバッセさんの子だ。
今度はジャンヌがタンカの前に立って話を継いだ。
「東の村に、”聖女の証”を持っていると思われる娘さんに会ったのです」
「”聖女の証”だと?」
初めて聞いたアスクは驚いた。
ジャンヌがアスクに聞いた意味がわかってきた。
「最初からそう言ってくれればーー」
ジャンヌはアスクの言葉に構わず、タンカに話を続ける。
「その娘さんは小さい時に湖で溺れていたのを救われたそうです。私のようにこのシフォン領から流されたかも知れないのです」
「しかも”聖女の証”を持っているかも知れないということはーーバッセさまと関係があるかも知れないと思ったのです」
今度はバッセの名誉など気にもせずに、真っ直ぐタンカの目を見て問うた。
タンカはしばらくジャンヌと見つめ合っていたが、観念したように口を開いた。
「旦那さまが連れて来られた子を、湖のそばの親元に返しに行ったことがありましてな。確か、母親がエルナと呼んでいたような」
「ですが、東の村にいるというのは、私も知りませんでした」
「本当にいたのですね!」
ジャンヌは驚いて、口に手をやる。
「その人は今、どこに住んでいるのですか?」
「家を知っておりますので、ご案内いたしましょう」
ジャンヌはシフォン夫妻に挨拶をしてシフォン家を辞すると、タンカと一緒に丘を下り、湖岸に建つ白い家の戸を叩いた。
一人の老婆が戸を開けて顔を出した。
「おや、タンカさん。何十年ぶりかね」
そう言うと、タンカの後ろにいるジャンヌに気がついた。
「そちらさんは?」
「ジャンヌと申します。娘さんのエルナさんのことでお話がありまして」
老婆は驚いて目を見開き、ジャンヌたちの肩越しに周りを窺うと、ジャンヌたちを招き入れた。
急いで扉を閉め、閂を掛けると、掴みかからんばかりの勢いでタンカに話しかけた。
「タンカさん。お前さんがしゃべったのかい?私たちのことは口外しないとの条件でーー」
「すまんな。事情が変わったんだ」
「まあ、いつかは問われることもあるんじゃないかと思っていたさ」
老婆の肩から力が抜ける。
「旦那がお亡くなりになってからは、もし問われたらどうしようと、そればかり考えていたよ」
「その時が来たんだね」
「むさ苦しい所で申し訳ないが、座っておくれ」
ジャンヌたちがテーブルのイスに腰掛けると、老婆がお茶を出してくれた。
力無く身体を投げ出すように椅子に腰を下ろした老婆が、観念した様子でジャンヌに問いかけた。
「さて、何が聞きたいんだい?」
「あなたの娘さんはエルナさんとおっしゃいましたか」
「ああ、もう二十年も前に私が産んだ子だ」
「父親はーーシフォン家のバッセさんですよね?」
「ーー」
「エルナさんの瞳の色がシフォン家の紫でした」
老婆は不安そうにタンカの方を見る。
タンカはゆっくりと頷いた。
それを見て、老婆は安心したようにしゃべり始めた。
「やはり隠せないよね。おっしゃる通りさ。待ちな!まさかエルナに会ったのかい?」
「ええ」
老婆は驚きの表情を見せた。
「エルナは生きているのかい?」
「はい、私たちの知っているエルナさんは東の村で暮らしていますよ」
「良かった!とうの昔に湖の底で眠っていると思っていた」
「それはどういうことですか?」
老婆は話してもいいものか迷っていたが、意を決したようにしゃべり始めた。
「この話は地獄まで持っていこうと思っていたんだけどね。実はーー」
「私には物心ついたころから、精霊が一人、そばにいたんだよ」
「精霊は人に触ると、自分が消えるか、人が死ぬかで、長くそばに置いておけるものじゃないはずだよね」
「この子は変わっていてね、私には触ろうともしなかった。そのくせ、どんな時でも、どこに行っても、そばについていて離れないんだ」
「そのせいで”精霊の証”が貰えたんじゃないかと思っている」
「お披露目の時も光の環が出たんだけど、私はどっちも、あの子の悪戯だと思っていた」
「だって私は普通の庶民だよ。聖女なんて柄じゃないじゃないか」
「お披露目が済んでしばらくしたら、領主のバッセさまがやって来て、子供を産むように言われたんだ」
「当時は我が家も貧乏だったし、ご領主さまの命令だからね。従うしかなかったのさ」
「要望通りの女の子生んだのに、なぜかバッセさまはご機嫌が悪くてね」
「生まれた時に光が舞わなかったとか言ってね。返されてきたんだよ」
「仕方なく、エルナと名付けて、自分の手で育てることにしたんだ」
「タンカさんの世話で、この家に住むことになったんだけど、バッセさまから多額の金を貰っていると言う噂を聞いた男がすり寄って来たのさ」
「エルナを育ててるから一緒には住めないと言って、追い返しておいたんだが、しばらくしたらーー」
「エルナが湖に落ちて流されたらしいと、知らせがあったんだ」
「すぐに駆けつけたけど、もう娘の姿はどこにも見えなかった」
「そしたらそこにーー彼奴が立っていたんだよ」
「どうしたの!と聞いたら、魚を捕まえようとして水に落ちたようだと言うじゃないか」
「どうしてすぐに引き上げなかったの!と問い詰めるとーー」
「あっと言う間に霧の向こうに吸い込まれてしまったと言うのさ」
「この湖では泳いだり舟を出すと、東の方角に吸い寄せられるように流れていく伝説があるのは知っていた」
「実際にそうなった者もいると聞いてたからね」
ーー私もその一人です。
ジャンヌが頭をかく。
「だから、私もすぐに諦めてしまった」
「しばらくして気がついたのだけど、今まで私から離れたことがなかった精霊もいなくなっていてね」
「結局、私は身近にいた愛する者を二人とも無くしちまった」
「だから、愛せる人がそばに欲しくて、その男と一緒になったのさ。しばらくは平穏に暮らしていたんだが、酒を飲んでいた彼奴が口を滑らせてね」
「うまく伝説に託けて、彼奴がエルナを湖に投げ込んだのを知ったんだ」
「それで彼はどうなったのですか」
「うんと酒を飲ませて、そのまま湖に向けて歩かせてやった。湖で泳いで酔いを醒まして来なって言ってね」
「上がってきたら、シフォン家の秘蔵のワインを飲ませてあげるよと言ったら、喜んで水の中に入って行ったよ」
「それだけのことさね」
しばらく沈黙が流れる。
「まだ、東の村のエルナさんがあなたの娘のエルナさんだとは断定出来ていません。知りたいですか?」
「そりゃあーーでもシフォン家からは秘密にしろとーー」
「大丈夫ですよ。了解は頂いてますから」
「そういうことなら、よろしくお願いします」
「その時が来たらお知らせしますよ」
そう言って、ジャンヌとタンカは家を出た。
「良かったですな」
ジャンヌは黙っていた。タンカは、何か言いかけては口をつぐみを繰り返していたが、とうとう声にした。
「あなたはーー」
「旦那さまのお子は、まだほかにも見つかるかも知れないと思っておられるのでしょうな」
「ええ、本当は全部ご存じなのでしょう?」
「不覚にも今回はジャンヌに知られてしまいましたが、墓の中まで持って行くつもりですよ」
「それに、不幸にさせた者はおりませんですしーー」
「とは言え、エルナのことは私も初耳でした。私も一度は確認しておく必要はありそうですな」
「わかったわ。私の耳に入って来たことを、あなたに聞いた時だけ、正直に教えてくれればいいわ」
「全部聞かれてしまいそうですなぁ」
「それまで死なないでね」
「それは約束できませんなあ。手早くお願いしますよ」




