災い転じる
暖かいおかゆがジャンヌの身体を芯から温めたことで、目の前の男が誰なのか考える余裕が出来た。
ジャンヌは向こうを向いて立っている男の横顔をまじまじと見つめた。
その横顔には見覚えがあった。
「あなたは海の国から南の国に来ている商人さんではないですか?」
問われた男はジャンヌの方に振り向くと、笑顔を見せて軽くお辞儀をした。
「はい、サンクス商会のダルウィンと申します」
「やはり!助けて頂いてありがとうございます。私はウイルドン家のジャンヌと申します」
それを聞いたダルウインが、慌ててジャンヌの口に手を押し当てると、窓の外を窺いながら、小声で話し始めた。
「存じておりますよ。いつもマルセルさまとご一緒におられましたよね」
「ですが、ウイルドン家のお方と言うのは、ここではおっしゃらないでください。面倒なことになりますからーー」
「理由はお判りでしょう?」
ジャンヌの口からゆっくりとダルウインの手が離れる。
「ええ、東の村でのことはファーナ女王からお聞きしております」
それを聞いて安心したように、ダルウインが付け加えた。
「あの一件以来、ここの連中は神経を尖らせているんですよ」
「何言ってんだい。それは、あんたのせいじゃないか」
ダルウインの後ろに立っていた娘が、呆れたように吐き捨てて、奥に引っ込んだ。
驚いて振り向いて、その後ろ姿を見送っていたダルウインが、困ったような顔をして、頭を掻きながら言い訳を始める。
「その、私は口が軽くて、ついーー」
その様子を見ていたジャンヌは、ここには長居をしない方がいいようだと感じた。
ーーすぐにでも村から出たいのだけど、どうすればいいだろう?
「国に帰るのに、早い便はありませんか」
言い訳をしなくても良くなったダルウインがホッとして話し始める。
「ここから岸沿いに帰るとなると、馬車でも二十日は掛りますからーー」
「それにその準備にも、かなりの時間が必要です」
「その間はあちらへの連絡の取りようがありませんから、向こうでは大騒ぎになるでしょう」
「海の国へ行けば、ここからだと七日で南の国と連絡をつけることが出来ます。ご存じのように、私は一日で南の国へ行けますから」
サンクス商会は溶岩洞窟を移動に使えるのだ。
「あなた方も、まずは私といっしょに海の国へ行かれると言うのはどうでしょうか」
「店へ着いたらすぐ、私が南の国へ報告に参ります。あなたたちが必要な身の回りの品も持ち帰るようにします」
「そうすれば向こうでも安心出来るでしょうし、迎えを寄こす準備もするでしょう」
「迎えが来るまで一ヶ月は見ておいた方がいいですから、その間に海の国を見て廻られておくのも良いかと」
ダルウインの提案は的を射ている。
「そうですね。連絡がつきさえすれば、向こうでも心配しなくてすみますね。それにジャンツにとっても、外の世界を知る良い機会かもしれませんね」
ジャンヌは折角の機会を無駄にすまいと決めた。
「ダルウィンさん、面倒をお掛けしますが、そのお役目、お願いできますか」
「どうせ今日は海の国へ帰るつもりだったのですよ。お気になさらず」
「では、出立の準備を急ぎましょう。その間にお食事でもなさっていてください」
「よろしくお願いします」
ジャンヌたちが食事を摂っていると、さっきの娘が入って来た。
「ご挨拶に伺いました。私は東の村の村長を務めているエルナと申します」
「これはご丁寧に。私は南の国のウイルドン家のジャンヌと申します。この子は私の長男でジャンツです」
ジャンツはエルナに見とれていたが、母に背中を押されて、慌ててペコッとお辞儀をする。
「ジャ、ジャンツです」
すると、エルナの表情が和らいだ。
「ハッ、ハッ お姉さんが美人なので驚いた?」
ジャンツの顔が見る間に赤くなる。
「小さくても男だねぇ、ちゃんと見ているじゃないか」
「見てませんよっ」
「ハッハッハッ」
笑っているエルナの編み上げた髪が光りを放っているのを、ジャンヌが気がついた。
よく見ると、エルナの髪の毛の中に編み込まれた石が光って、エルナの頭に光の輪を作っている。
「エルナさん、その石、きれいですね。それに光ってる」
「ああ、これ?私が小さい時から持っているんだけど、私のそばに置くと光るのさ」
そう言って、髪に編み込まれた石をつまんで揺らすと、光が手の動きに合わせて明滅する。
「面白いから髪飾りに良いかと思って髪に編み込んだら、これを見た人が私を”聖女”だって騒ぎだしてね」
「ホント、困ってるのよ」
ジャンヌに対しても、砕けた物言いになる。
「聖女ーーですか?」
「何でも、南の国じゃ、聖女が生まれた時に光るらしいじゃないの」
「それに、お披露目の時には頭上に花環のように光が舞うらしいね」
「ええ、その通りです」
「それを知っている人たちが、私を聖女だと言って、無理矢理に村長にさせられちまったけどーー」
「まあ、飾りのようなものだよ。南の国に対抗したいんだろうね」
いつの間にか戻って来て、話を聞いていたダルウィンが、苦虫を噛みつぶしたような顔でエルナに言う。
「お前、そろそろちゃんと聖女じゃないと打ち明けとかないと、大変なことになるぞ」
「わかってるわよ」
「何か問題があるのですか」
「こいつ、村の奴らにいいように使われているんですよ。」
「そんなことを言うもんじゃないよ。彼らは何かにすがりたいだけなんだ」
「事情がありそうですね」
「ところで、南の国の聖女さまって何をしてるんだい?」
エルナが唐突に聞いてきた。
「特に何をしているともーー」
ジャンヌはマルセルのことを思い浮かべた。
「居るだけで何事もうまくいくーーという感じでしょうか」
「他には、北の国との境に結界を張るとか、墓所を管理するとかーーされてますね」
「へぇ、すごいね」
「でもそれには、命を代償にしないといけないんですよ」
「それ見ろ。お前もどうなるかわからないぞ」
「おやぁ?親切なんだね」
「そりゃあ、私はお前がーー」
「なあ、前にも言っただろう。俺と一緒に海の国に行かないか」
「考え中」
「そうしているうちに、お前ーー殺されるぞ」
ジャンヌが驚いていると、またかという顔つきでエルナが言う。
「この人はね、私が人身御供にされるんじゃないかと心配しているんだ」
「昔、この村に現れたっていう聖女さまが湖に沈められたらしいんだよね」
「人身御供だってさ」
「何のためにですか?」
「ほら、あんたたちが流されてきた風さ。それを止めるように湖の神さまに願ったって言うんだけどね」
「それはーーうまくいったのですか?」
「はっ、あんたたちがその風に乗って、ここに流れ着いたってのが答えだよね」
「結局、聖女は死んだだけじゃないか。溺れたといっていたが、本当かどうか」
ダルウインは聖女は殺されたんじゃないかと疑っている。
「人身御供の質が良くなかったからだと言い張る連中もいるんだよ」
「力を持っている奴に限ってだけどね」
「それで今は、お前が目を付けられてるってわけだろう」
「なあ、俺はお前のことが心配なんだ。一緒に海の国へ行かないか」
「それって、プロポーズかい」
「そう取ってくれても構わない」
「ありがとうね。考えとくわ」
「お前、そう言ってもう三年になるぞ」
ダルウインが諦めたようにため息をつくと、ジャンヌに向かって言った。
「準備が出来てますよ。行きましょう」
「わかりました。ジャンツ、馬車に乗りなさい」
「エルナさん、お世話になりました。お礼はまた改めて」
「助けたのはダルウィンだ。気にしなくていいよ」
海の国へ向かう途中の馬車の中で、ジャンヌはダルウィンに話しかけた。
「ダルウィンさんはエルナさんがお好きなのですか」
「ええ、誰が見てもそう思いますよね」
「でもあいつはーー知ってか知らずかーーずっとあんなのです」
「他に好きな方でもおられるのでしょうか」
「それならそう言ってくれれば、諦めもつくんですがーー」
「あいつも南の国から流されてきたらしいですが、向こうで何かあったのかも知れません」
「帰ろうと思えば帰れるのに、ずっとあそこにいますからね」
ジャンヌも気になっていた。
「南の国の湖岸はシフォン家の領地になりますから、帰ったらアスクさんに調べてもらいましょう」
「そうですか?よろしくお願いします」
ダルウインの安心したような声が帰ってきた。




