ジャンヌ親子のシフォン家逗留
西の国が新女王の誕生を祝って浮かれていたころ、ジャンヌとその子供たちの姿がシフォン家の領地にあった。
シャークの葬儀と後始末で慌しく過ごしていたが、ようやくその忙しさも薄れ、気落ちしている子供たちを心配したアスクとミッシェルの誘いもあって、子供たちを連れてシフォン家を訪れていたのだ。
久しぶりの母子水入らずの時間を過ごすことが出来て、父を亡くしてふさぎ込んでいた子供たちは久しぶりに大はしゃぎだった。
娘のトスカは、マルセルとジャンヌが幼いころ暮らしていた尖塔に行きたいと、ジャンヌにせがんだ。
ジャンヌも尖塔でのマルセルとの生活に懐かしさを覚え、ミッシェルから尖塔の鍵を借り受けた。
尖塔は今でもシバー家の所有となっているが、管理はシフォン家に任されていた。
尖塔の扉を開けたトスカは、石畳の上に置かれた、分厚いガラス箱の中に入っているガラスの小瓶を見つけた。
トスカは駆け寄り、跪いて繁々とガラス瓶を見つめる。
後から懐かしそうに部屋を見回しながら入って来たジャンヌの方を振り向いたトスカが尋ねた。
「お母さま、これは何?」
「これはね、”検定の小瓶”と呼ばれているわ。五歳になった女の子が聖女の資格を持っているかを調べる物なの」
「どうやって調べるの?」
「女の子があの小瓶に触ると、その子が聖女だったら小瓶が光るの。そうするとその女の子は”聖女の証”を得たと認められるのよ」
「”聖女の証”を得たら、女の子はどうなるの?」
「お嫁さんに欲しいと、男の人たちが群がって来るのよ」
お披露目の日の光景を思い出したジャンヌは、シフォン家のバッセを思い浮かべた。
ーー良いことばかりじゃ無かったわね。
「へえ?私が触っても光るのかしら?」
トスカはまだ気になるみたいだ。
「どうかしらね。ウイルドン家には”聖女の証”を持った人はいなかったわ」
「お母さまは?」
ジャンヌは、隣の幼馴染のマリーの父が大金を払って受けさせた検定で、”聖女の証”が得られなかった時の寂しそうな顔を思い出した。
自分はその検定にさえ行けなかった。
「私はーー触ったことすら無いわ」
「じゃ、触ったら、光るかも知れないのね」
トスカの目が期待に膨らんだ。
「私は平民の子だったから、まず光らないわね」
マリーの父も、駄目だとわかっていながら、”聖女の証”を得ることで大金持ちになる夢を捨てきれなかったのだ。
トスカは残念そうな顔になったが、まだあきらめていない。
「私、触ってみたい」
「駄目よ。今は聖女の検定を行うことは国が禁じているの」
「だから、役目を終えたガラスの小瓶がここに安置されているのよ」
ーーマルセルが、戻ってから何とかすると言っていたのにーー。
ジャンヌは少し寂しげに小瓶を見たが、すぐに母の顔に戻る。
「残念でしょうけど、この国の四家と血がつながる人たちだけ光るのよ」
「ふぅーん、じゃあ、セーナさまなら”聖女の証”を持っているかなぁ」
「そうね、セーナさまのお母さまたちは国でも最強の精霊の力の持ち主だし、最後の”聖女の証”を認められた方々だから、まず間違いないわね」
部屋の中を見回したジャンヌは、マルセルと過ごした時のことを走馬灯のように想い出して口に出して独り言を言う。
「あのガラスの小瓶がマルセルに”聖女の証”を与えてくれたお陰で、マルセルと私は楽しい時を過ごすことが出来たわ。南の森、ウサギ狩りーー」
それを耳にしたトスカは、胸がワクワクするのを感じた。
ーー南の森?ウサギ狩り?面白そう!
ーー私もセーナさまと一緒にいたら、マルセルさまとお母さまのような冒険が出来るってことね。
「ねぇ、お母さん!早く行こうよ」
尖塔の扉の外から声を掛けてきた兄のジャンツの大きな声で、トスカの夢は途切れた。
今日は親子三人で湖岸にピクニックに行くことになっていたので、外で待っていたジャンツが待ちきれなくなったのだ。
ジャンヌとトスカはやれやれと言うように目を合わせると、外に出て三人で歩き出した。
湖岸はシフォン家から程近い場所にある。
大きな楡の木の下に布を広げ、荷物を置くなり、ジャンツはすぐに服を脱ぎ始めた。
服を脱ぎ捨てると水着に着かえ、父に似て無鉄砲なところがあったジャンツは、ジャンヌが注意する間も無く、すぐに湖に飛び込んで行った。
冷たい水を楽しんで泳いでいたが、岸から少し離れた藻場に入り込んでしまい、藻が足に絡みついてきた。
湖には常に水の流れが出来ていて、その流れに沿って水藻も長く伸びる。
慌てていたので、もがけばもがくほど絡みついてくる藻を外すことが出来ない。もがいているうちに力尽き、ジャンツは水に沈んでしまった。
水音でジャンツが溺れていることに気づいたジャンヌが助けを求めようと周りを見たが、近くには人影は無く、ボートが一隻岸辺に繋いであるのが見えた。
ただジャンヌは舟も水も苦手だ。
焦ったジャンヌは、もう一度周りを見回したが誰も見えない。
ジャンヌは覚悟を決めて、ボートに乗り込んだ。
足はガタガタ震えていて、ボートの周りにさざ波が大きく拡がっていく。
「お母さま、大丈夫?」
側で見ていた妹のトスカが、心配そうにジャンヌの顔をのぞき込む。
「大丈夫よ。それよりトスカ、シフォン家に行って、助けを呼んできてちょうだい」
「わかった」
シフォン家の方に走っていくトスカの後ろ姿を確認すると、ジャンヌは大きく息を吸って自分を落ち着かせ、ボートの座席に座り、オールを掴んで漕ぎ出した。
幸いなことにジャンツはまだ動いていた。
ジャンツの周りにさざ波が立っているのを見て安心したジャンヌがオールを差し出す。
「ジャンツ さあ、これに掴まりなさい」
母の声が聞こえたジャンツがオールを掴もうとしたが、冷たい水に長く浸かっていたせいで手に力が入らず、掴むことが出来ない。
ジャンヌがオールをもっと突き出そうと身を乗り出しとき、ボートが揺れて、ついオールから手を放してしまい、オールは手の届かないところに流れていった。
もう一本のオールを手に取り、今度は慎重に差し出して、ジャンツがオールに抱き着いたのを確認して引き寄せ、ジャンツをボートに引き上げた。
さあ、帰ろうとオールを探したが、見えない。
水面を見ると、すでに視界から消えるほど東の方に流されていく二本のオールが見えた。
助けを呼ぼうと岸辺を見たが、まだ誰も来ていない。それどころか、岸が見る間に遠ざかっていく。
ーーこれが噂の、湖の結界なのね。
ジャンヌは覚悟を決めた。
「ジャンツ 身体を拭いてあげる」
ジャンヌは着ていた上着を脱いでジャンツを覆い、寒さに震えるジャンツの背中を擦りながら声を掛ける。
「濡れたままじゃ、風邪を引くからね」
「このボートは東の方に流されているみたいなの」
「助けが来るにしても、時間が掛かりそうだわ」
「無駄な力は使わないようにしましょう」
そうしているうちに、二度目の朝を迎えた。ジャンヌは頭上でしゃべる人の声で気がついた。
「どうだ、生きているかい?」
「大丈夫よ。息をしている」
「ここは?」
ハッとしたジャンヌが起き上がろうとしたが、肩を手で抑えられた。
「まだ寝ていなさい」
「息子のジャンツは?」
「大丈夫ですよ。先ほど目を覚まして、あちらでおかゆを啜っています」
「あなたも召し上がりますか?」
「ありがとうございます」
差し出されたおかゆに口をつけていると、やっと人心地がついた。
「ここはどこなんでしょう」
「あなた方は南の国の方ですよね。ここは海の国から南の国に向かう道の途中から分かれて湖岸沿いにある東の村です」
この湖では常に東に向かう風が吹いている。
湖に出た船が沖に出てしまうと、東の村の近くまで流れ着いてしまうことはジャンヌも知っていた。
ーーじゃあ、もう舟では帰れないわね。
ジャンヌは大きく息を吸うと、これからどうするか考え始めた。




