逃亡者
北の国の国王を辞して息子に職を譲ったシャガルクは、南の国のシフォン家の庭師だったマッケン爺さんの弟子となって、園芸を学んできた。
今は砂漠で植林部隊を指揮している。
砂漠にも植林をすることをマルセルと約束していたからだ。
信じられないことだが、これまで西の森で植えた木は一年も経たないうちに、背丈を越えるほどに成長した。
かなりの速さで伐採が進んだにも関わらず、西の森は元の森と変わらない様相をしているだけでなく、西の森に続く運河の周囲の林も、すでに西の森と変わらぬ位の高さに成長している。
マルセルが”精霊の力で成長を早める”と言うのを聞いた時は半信半疑だったが、実際に成長していく様を見ると、精霊に願いを届けたマルセルに感謝するしかなかった。
運河から砂漠に向けて植林をすることになった時、シャガルクは、建材になる木だけでなく果樹を植えることを思いついた。
植林の計画を始めた時こそ建材が必要だったが、今では運河沿いの林だけで十分以上に賄えるようになっている。
植える木の種類を建材に固執する必要は無くなっていたのだ。
まずはどちらにも役立つように、栗の木を植えていくことにした。
今日も砂漠の縁で植林作業に精を出していたが、砂漠の丘の半分沈みかけた西日の中に、黒い点が動くのをシャガルクが見つけた。
目を凝らすと、それは人が動いているように見える。
「おい、人がいるぞ」
シャガルクが叫び、水筒を取り上げ、そばにいた数名に声を掛けて、そっちに向かって走り出した。
歳は取ったが、まだ若い者にも引けは取らない。
そこには北の国とは違う衣服を着た若い男が倒れていた。
「おい、大丈夫か」
シャガルクが水筒の水を男の顔に振りかけた。
「うっ」
気が付いた男は人の姿を見ると慌てて立ち上がり、逃げようとしたが、力無く倒れ込んでしまった。
「何を恐れているのか知らんが、儂らはお前に害は加えんよ」
「無理をするな」
優しく声をかけて、力の抜けた男の口に水筒の口を当てた。
「いっぺんに飲むんじゃないぞ。少しづつだ」
「ありがとうございました」
一息入れると、男は礼を言った。
「お前、どこから来たのだ」
男は砂漠の西の方を指差した。
「サルーンから」
「サルーンだと? お前、知ってるか?」
シャガルクが振り返って仲間に聞いた。
「いいえ」
シャガルクたちはサルーンという国を聞いたことも無かった。
「それは、ここから遠いのか」
「途中にオアシスがありました。そこまで三日、そこから四日、夜通し歩きました」
「一昼夜歩き通して約一週間か」
「よくここまで来れたな」
「あの光を目印にして」
男がそう言って指差した方を見ると、そこには屏風のような山脈にある裂け目から、一本の淡い光の柱が空に向かって伸びているのが見えた。
ーーなるほど、マルセルさまの祝福は、国中のみならず、周辺の世界をも、導いてくれているのか。
ーーそれなら俺も、細やかだが、こいつのために動いてやろう。
シャガルクは、男に問いかけた。
「食べ物はどうした」
「二日前に無くなりました」
「おい、何か食べ物を持ってきてやれ」
「こいつを運ぶぞ。肩を貸してやれ」
「それで、お前は一人だったのか」
「歩けなくなったので、オアシスに一人残しました」
「そいつは食糧を持っているのか」
「二日分置いておきました。それにオアシスのヤシの実をもぎ取って幾つか置いてあります」
「となると、もう食料はとうに尽きてるな」
シャガルクはそばにいた一人の男に声を掛けた。
「こいつを運んで、手当してやってくれ」
「ちょうど今、ファーナ女王が北の国に視察に来ておられる。儂らは砂漠に向かうとお伝えしておいてくれ」
「わかりました」
シャガルクは屈強そうな若者を三人選んだ。
「急ぐぞ」
手元にあった、ありったけの食料と水を担いで、シャガルクと選ばれた三人の男が砂漠に入って行った。
幸いにも風も無く、まだ足跡がくっきりと残っていたので、それを辿るだけでよかった。
屈強な男の足だったので、三日目の朝にはオアシスの見えるところまで来ていた。
オアシスに着いて辺りを探すと、オアシスの横にある石の祠の横に、ヤシの葉で作った覆いが掛けてあって、その下に一人の人間が横たわっていた。
「おい、大丈夫か」
シャガルクが声を掛けると、怯えて逃げようとした。
「待て、待て。お前の連れに聞いて、助けに来たんだ」
「チャーシは生きているのですか?」
それは女の声だった。
「お前さん、女ーーか」
「はい、サルーンの皇女の一人です」
「チャーシはどうなりました?」
「安心しろ。ちゃんと生きている」
「良かった」
安心したのか、娘はシャガルクの手の中に倒れ込んだ。
「事情はわからんが、乗りかかった舟だ。助けてやるよ」
気を失っていた娘が気がつくと、シャガルクが、話しかけた。
「いっしょに来るか」
「はい、チャーシに会えるなら」
「よし、では北の国へ連れて行ってやろう。その前に、少し腹ごなしだな」
「お前の足なら、四日は歩くようになるぞ」
「わかりました」
持ってきた食料を広げて、シャガルクたちも食事をとった。
ヤシの実が豊富にあったので、帰りの食料にするために、男たちは木に登ってヤシの実を落とし始めた。
それを見ていたシャガルクが、娘の方を向いて、語りかけた。
「食べながらでいい。事情だけ聞かせてくれないか」
娘は少し戸惑った様子を見せたが、思い切ったように語り始めた。
「国から、サルーンから逃げてきました」
「何か追われる理由があるのか」
「ーー」
ーー余程の事情がありそうだな。
「まあいい 儂らの国に戻ってから、詳しいことを聞かせてもらおう」
「はい」
どうにも歩けそうもなかったので、ヤシの木を切り倒して、ソリを作り、娘を乗せた。
無理矢理歩かせるよりも、そうやって運んだ方が早く帰れると、四人で相談したのだ。
三日後、まだ荒い息をしている、到着したばかりのシャガルクのところにファーナが来て労った。
「シャガルク、お疲れでした。どうでしたか」
「娘を一人連れて戻りました。サルーンの皇女だと言ってます」
「サルーンですか。聞いたことがありませんね」
シャガルクの後ろに控えていた男たちにも声を掛けた。
「皆さんもご苦労さまでした。ゆっくりお休みください」
皆が退出すると、ファーナは精霊の長に声をかけた。
「サルーンという国のこと、長はご存じですか」
「知らんな。儂は南の平原から出たことはないしの」
「つまり、千年はお互いを知らなかったということですね」
「うむ、あちらにも精霊がおるならーー」
「儂も何か感じていても良いはずだがーー」
寝かされている二人を見て言った。
「その二人には邪心は全く無いことだけはわかるがの」
「それなら、保護させていただきましょう」
「そうよな。久しぶりに何かワクワクするようなことが起こりそうな予感がするの」
「冗談が過ぎますよ」
二人が元気を取り戻すと、ファーナは二人を呼び出して、話を聞いた。
「私はこの国の女王を務めている、ファーナです。あなた方は?」
「私はサルーンの皇女、アグナと申します」
アグナは横に立っている若者を手で示して続けた。
「こちらがわたしを支えてくれているチャーシです」
「助けていただいた折に名乗るべきでしたが、名乗りが遅れて申し訳ありません」
「事情が事情ですから、それはいいのですよ。ただ、少し教えてください」
「はい」
「なぜ、この国に向かったのですか。砂漠のこちらに何があるか、わかっていたのですか?」
「いえ」
「不安だったでしょうに」
「おお婆さまが、東に向かえとおっしゃったのです」
「光りの柱を目指して行けと」
「お陰で、迷うことなくたどり着くことが出来ました」
チャーシが口を添える。
ーー光の柱?ああ、マルセル義母さまが残した峠の”祝福”の石柱の光のことね。
”祝福”の石柱は、以前は”結界石”と呼ばれていた。
「あの光は、お国からも見えるのですか」
「いえ、オアシスにたどり着くまでは見えませんでした」
「それでも、おお婆さまはご存じだったの?」
「おお婆さまは、生まれつき目が見えません」
「少し前に急に、驚いたように東の方を見ておられましたが」
「その時から、目が見えないのに、まるで目が見えるような振る舞いをされることが多くなってーー」
「今度も、おお婆さまが、早く逃げろとーー」
「東に向かえとーー」
「このままではきっと悪いことがあるからとーー」
「お祖母さまは、何か不思議な力を持ってらしたのかしら」
「いいえ、そんなことは聞いておりません」
ーー目が見えない代わりに、マルセル義母さまの”祝福”を感じることが出来たのかしらね。
「それで、お国では何が起きているのかしら」
「サルーンは今、後継者争いの最中です」
「父の王が急に死んでしまいました。私が唯一の後継者のはずでした」
「ところが父が街の娘に産ませたと主張する、私の兄だと言うトカクが現れて、王になろうとしているのです」
「おお婆さまはそれに反対されていて」
「正統な血筋なら、この私が継ぐべきだとおっしゃられました」
「それで、おお婆さまは軟禁されてしまいました」
「私も殺されそうになったので、チャーシの助けを借りて逃げてきました」
「彼は私の許婚です」
そう言って、改めてチャーシを紹介すると、彼が叫び始めた。
「王さまはトカクに殺されたんです!」
「チャーシ、滅多なことは言うものではないわ」
「ですが!」
「ここは他国よ。落ち着きなさい」
ファーナの目が自分に向けられているのに気づいたチャーシは、自分が見ず知らずの人の前で確証の無いことをしゃべってしまい、アグナの立場を悪くしかけたことを恥じた。
「すみませんでした」
チャーシが落ち着いたのを見定めたファーナがシャガルクに尋ねた。
「問題は追手が来るかどうかですね。シャガルクはどう思いますか?」
「少なくとも、砂漠の夜には松明の火は見えませんでしたぞ」
「来るとすれば、向こうの国がある程度落ち着いてからでしょうな」
「その時は、おお婆さまとやらも、どうなっているか」
そう言って、シャガルクが首を振る。
「では、手を貸すなら、その前に何とかしないといけませんね」
「ファーナ女王、どうされますか!」
シャガルクの目は冒険に魅せられた子供のように輝いていた。
その目を見たファーナもムズムズしている。
ーー私だって行きたいわよ
「西の国のことはよくわかりませんが、マルセル母さまならもう動き出しているでしょうね。私が行きましょう」
「それは危険です。私が行きます」
シャガルクがあわてて止めた。
「大丈夫ですよ。”二の兄”さんがついていることですし」
「あのなあ、ファーナ。儂は確かにお前のそばにいるとはマルセルに約束したが、護衛兵になるとは言っておらんぞ」
そばで話を聞いていた長が呆れる。
「私の娘が一緒なら、どこにでも行けるようになりましたが、不穏な所に娘を連れまわすのもどうかと思いますし、何と言っても、あの三人は、お互いの行動が筒抜けですから、彼女たちと一緒では、私には自由が無いのですよ」
ファーナがため息をついて、長の顔を見る。哀願するような目で言葉を続けた。
「長のお陰で、私は自由にどこにでも行けるようになっているのです」
「行きたくてしょうがないのです」
「マルセル義母さまの気持ちがよくわかるのですよ」
「では、私がファーナさまの警護をしよう」
そばで話を聞いていたシャークが名乗りを上げた。シャークはファーナの警護隊長を務めていた。
「シャーク、よろしいのですか」
「むろんです」
「ジャンヌもよろしいのですか」
「夫が言うことに反対はいたしません」
「そういうことならお願いします」
シャークは頭を下げると本音を漏らした。
「いや、ウイルドン家はジャンヌの功績によって再興したものでーー」
「今、当主の椅子に座っている私は、いまだ当主としてあるべき功績を残しておりませんからな」
「その機会をいただけるだけでうれしいのです」
「そうですか。それではよろしくお願いします」
「ですが、絶対に功を焦らないでくださいね」




