力の重み
峠を下って行く皆の姿が見えなくなると、マルセルは広場中央に歩み寄り、石柱を見上げてつぶやいた。
「これの役目も終えさせなければいけないーー」
「どうするつもりなのかい?」
マルセルがジョセに目を向けて続けた。
「この石柱の結界を残したままにしておくと、この峠は人一人がやっと通れるだけの道のままになるわ」
「おまけに結界の影響で、未だに北の国の山裾の畑は使えないままだし」
「皆の役に立つようにしておかないといけないじゃない」
ーーこの峠越えが難しくても、今は水路の方が盛んになっているじゃないか。
ーー今の畑のままでも、北の国は十分潤っているじゃないか。
ーーそれなのに、マルセルの命を削ってまでして、やるべきことなのか?
「君は優しすぎる」
ジョセがマルセルの肩を抱き寄せた。
その手を優しく掴んだマルセルがジョセを見上げる。
「あなたの思っていることはわかるわ。でもこの結界はシャンツ家とシバー家が招いた呪いなのよ」
「モードネス家の呪いはモードネス家の血筋の人にだけ振りかかっていたけど、この結界の呪いは、ここに住む人たち全員に振りかかっているのよ」
「それを招いた家の人間には、それを解決する責任があるわ」
「でもファーナには、この国を支えていく責任があるからね。自由な私が呪いを絶つつもりよ」
「私では”結界”を完全に消すことが出来ないのは、最初に北の国に向かった時にわかっていたわ」
「私だけで何とか出来ないかと考えたのだけど、”結界”を”祝福”に変えたらどうかと思っているの」
「そんなことが出来るのかい?」
単に結界を消すという話ではなかったので、ジョセは驚いた。
「ええ、”祝福”はシバー家の力だからーー」
「それに”二の兄”のお陰で、私の中の精霊の力がまだ十分残っているみたいだからーー」
「そしてそれが出来たとしたら、私がいなくなった後も、少しでも長く”祝福”が残るようにしておかないといけないからーー」
「私がこの石に力を注ぎ込むことで、後に誰かの負担になり続けるようにはしたくないからーー」
「この峠で出会った精霊に願えば何とかなるかとも考えたけど、まだ戻ってきていないようだから、当てには出来ないしーー」
「だけど、私の残っている力だけで、どれくらい長く祝福を維持できるのか、それだけが不安だわ」
ジョセはマルセルの覚悟が本気だと、今更ながら気づいた。
「まさか、君の精霊の力を全部注ぐつもりなのかい?そんなことをすると、君は死んでしまうんだろう?」
「私の代わりにファーナとその子たちを見守ると、”二の兄”が約束してくれましたから、自分の思うようにしたいのよ」
「南の国の後のことは彼らに任せるとして、私に出来ることはこれだけですからーー」
「君がそのつもりなら、僕も最後まで手伝うよ。君がいない世界で一人で過ごすのは嫌だからね」
ジョセも覚悟を決めたことを感じたマルセルがジョセに頭を下げた。
「何もしなければ、これからも二人で楽しく過ごせるはずだったのに、ごめんなさい」
マルセルは自分に残っている精霊の力を全て”結界”を”祝福”に変えるための準備を始めた。
元は滝の裏にあった、精霊が潜んでいた窪みにジョセといっしょに腰を落ち着けると、久しぶりの二人だけの会話が始まった。
「ジョセ、最後まで手伝うって言ってくれたあなたに隠しておくのは嫌だから、本当のことを話しておくわ」
「本当のこと?」
「ジョセは、あなたのご両親が何故同時に亡くなられたのかわかってる?」
「恥ずかしいが、僕はそんなことも知らずに生きてきた」
「あなただけじゃなく、今まで誰にもそこの道理はわかっていなかったのよ。当のご本人たちにも」
そう言って、マルセルが崖の窪みを見回した。
「ここはね、精霊の中でも最古参の”一の兄”と呼ばれる精霊がいた所なの」
「その精霊とシャンツ家の娘に、シバー家の娘が協力して、この”結界”を作り上げたらしいわ」
「四百年前のことで、私たちにはお伽噺ですもの。知らないで当然だわよね」
「話しておきたいのは、人間と精霊の関係のことなの」
「ファーナと私で、この結界を張り直したとき、ここで出会った”一の兄”から話が聞けて、本当の事がわかったのよ」
「精霊から精霊の力を手に入れて聖女と呼ばれるようになった女の人は、精霊の力が身体に宿り続けている限り、その精霊と同じだけ生きることも出来るの。北の国のブラーニャさんのように」
「千年でも、二千年でも。力をくれた精霊が存在している限り」
「でも、南の国にはそんな聖女はいなかったじゃないか」
「ええ、長たちと話していても、契約の話は出てこなかった。彼らも契約のやり方を知らないんじゃないかしら」
「それに南の国の皆さんは、人のために精霊の力を使い果たされているの。たとえ知っていたとしても、人として生きたいと願って、永遠に生きる契約などしなかったのじゃないかしら」
「だからこそ、聖女と呼ばれているのよ」
「私のお母さんはーー」
マルセルの顔が曇る。
「ミネルバ母さんは、誤って聖女として生きる機会を無くしてしまった。だから私とチュールに自分の精霊の力を託し続けたのよ--自分の持っている力を全部ーー死ぬまで」
ーー精霊の力を持った女性に、聖女という名誉の代わりに自己犠牲を強いてきたと言うことなのか?
「それは、あまりにーー」
何か言いかけたジョセの顔色を見たマルセルはジョセの口に指を当てた。
「その先を言ったら、彼女たちは浮かばれないわ」
「ブラーニャさんは、南の国の聖女たちのように必要に迫られて聖女になったわけじゃないの」
「偶然、永遠の命とやらを精霊からもらっただけ」
「だから、精霊と契約して永遠の命を授かることに躊躇しなかったのよ」
「その力がどんな力を持つのか、どう使えばいいのか、死ぬまで知らなかったと思うわ」
「その結果、周りの人間が生まれて死んでいくーーという永遠の走馬灯を見る破目になったわけ」
ーー目的があったか、無かったかということか?
「じ、じゃあ、夫婦で同時に亡くなるというのはどういうことだい?」
「それがあなたに一番関係あることよね。聞きたい?」
「ああ」
「二人で番の契りをするのよ。あなたのご両親が最後におっしゃらなかったっけ?」
「ごめん、覚えていない」
「番の契りはね、契りをする男性に聖女の精霊の力を渡し続けるようにすることなの」
「男の人でも、少しだけなら、精霊の力を取り込んだからと言って、すぐ死ぬことは無いから」
「でもね、一旦精霊の力を受け取ってしまうと、精霊の力が注がれなくなったりして体の中の精霊の力が無くなってしまうと、その人は死ぬの」
「つまり、聖女が先に死ぬか、遠く離れて精霊の力を注ぐのが難しくなると、聖女から精霊の力をもらっていた男の人は死ぬの」
「ファーナと同じになると言えばよくわかるかしら」
「だからね、番の契りをした後で男の人が浮気でもして、聖女の機嫌を損ねたらーー聖女の気持ち次第では、男の人は死ぬかも知れないわね」
「逆に、先に男の人が亡くなったとしても、聖女には何も起こらないけどね」
「だから、聖女は自分の死を迎える時が来たら、夫が番になることをどう思っているか気に留めておくの」
「番になったら、聖女の精霊の力が無くなるまで二人は生きられるわ。明日かもしれない。三十年後かも知れない。聖女次第になるの」
「”死ぬときは一緒”と言えば情熱的に聞こえるけど、殉死をすると言うことと変わらないわ」
マルセルはジョセの顔を覗き込んだ。
「あなたは私と一緒に行くと言ってくれたけど、この話を聞いた後でも、それでも私と一緒に進むことを望むと言うなら、精霊の力を分けてあげるわ」
ジョセが同意しようと口を開きかけたが、マルセルが遮った。
「焦らないで。その先には、もっと魅力的な、もう一つの道があるのーー」
マルセルの目が意地悪そうに笑っている。
「今までの話をジョセは、ここで私たちが死ぬことを前提にして聞いてたでしょう?」
「ここであなたと私が番になった後に、結界石には何もせずに山を下りたら、どうなると思う?」
「寿命まで生きられると言うことだよね」
「ええ、でも千年以上生きられるかも知れないのよ」
「”二の兄”の話だと、私にはまだ千年を生きるくらいの精霊の力が残っているらしいわ」
ジョセは北の国のブラーニャを知っている。
彼女は精霊と契りを交わして、四百年生きた。四百年生きたらーー
「それもいいかも知れないね。あちこち旅をして、いろんな所を見れるかも知れないな」
どうなっているのか考えが及ばず、ジョセが冗談のように笑った。
マルセルも笑ったが、残念そうに言う。
「そう言われたら、すごく期待するでしょう? でもねーー」
「私が精霊と契約して初めて、私の命が精霊並みになるらしいの。でも契約をしたら、精霊と常に一緒にいないといけないみたいよ」
「離れてしまうと、ブラーニャさんのようになってしまうわ」
「南の国で契約が出来そうな精霊は、六人知っているんだけどーー」
「”三の兄”はファーナと協力して消しちゃったし、”二の兄”にはファーナのことをお願いしてる」
「”四の兄”のカールさんは、モードネス家の呪いを無くすためには、どうしても消えてもらわないといけない」
「”一の兄”は、多分まだ北の国のどこかにいるし、後の二人は消息が掴めてない。その二人はーー」
「一人はシバー家の精霊だと思うのだけど、私は会ったことがないわ。会えたとしても、シバー家にはチュールがいるからね」
「すると残るのは”聖女の証”の検定で使われたガラスの小瓶の中にいた精霊で、彼がシフォン家の精霊に間違いないわ」
「実はね、五歳で”聖女の証”の検定を受けた時、検定のガラス瓶の中の精霊に話しかけられたことがあったの」
「今、思えば、あの精霊は私と契約がしたかったんだと思うわ」
「後で、ブラーニャさまから精霊にまつわる話を聞いた時に確信したの」
「ブラーニャさまは、永遠の人生がどんなものか知らずに契約をしたと嘆いておられたから、私はあの時、瓶の蓋を開けなくて本当に良かったと思っているわ」
「もしあの時、瓶の蓋を開けて、精霊の誘いに乗って契約していたら、私はずっと幼女のままで、あなたと出会うことも無かったでしょうね」
「それどころか、この国の栄枯盛衰をずっと見続けないといけなくなる」
「そんなの御免だわ」
少し間がある。
「あなたが永遠に生きてみたいと思うなら、あのガラス瓶は尖塔に置いてあるから、あそこに行けば望みが叶うかもよ」
そう言って、悪戯っぽく笑う。
ジョセが今度は真剣な面持ちで、マルセルの手を取る。
「でも、君がどうしてもやりたいと思っていることは、君の中にある精霊の力を全て使う必要があるんだよね」
「そう」
「じゃ、僕は君のやりたいことに寄り添うよ。そのガラス瓶の中の精霊のことは忘れて欲しい」
そう言うと、ジョセはマルセルを抱き寄せた。
「いいのですか?ジョセ」
「老いる僕の目の中に、若いままの君がいるのは辛い」
「かと言って、君の死に顔を見るのはもっと辛い」
「短くても君と同じ時を生きて、やり遂げる喜びを共にしたいんだ」
「私もです」
「どこか二人だけで暮らすことも確かに捨てがたいけどーー私はこの南の国が、いえファーナの言うところのサザンヒルズ国が、末永く続くのを願っているの」
「僕もそれに同意するよ」
しばらくしてマルセルが口を開いた。
「”一の兄”は北の国でやることがあると言って、すぐに消えてしまったけど、北の国では会えなかったわね」
「その精霊がその後どうなったかはわからない。もしかしたらその精霊が私たちの国に何か影響を与えるかも知れないというのが、最後に残る不安かしら。ここで再会しようとは言ってたんだけどね」
「だから私が出来るだけのことをして、ファーナを助けーー」
ジョセがマルセルの口に手をやり、後を語らせない。
「”一の兄”やこれからのことは、”二の兄”とファーナ女王に任せればいいさ」
「そうね、ファーナには強力な聖女が三人も付いているものね」
「ああ、”二の兄”が不幸な結末にはならないようにしてくれるさ」
もう辺りは暗くなりかけていた。ジョセが薪を集めて来て火をつける。
「不思議ですね。最初にあなたに会った時には、愛し合えるなんて思わなかった」
「僕こそ、君のおかげで立ち直ることが出来た」
「私たちの子供の顔を見せられなくて、すみませんでした」
「それは、お互い様だよ。僕はシャンツ家を捨てた時点で、それを願う資格はないと思っている」
「でもそのお陰で、未練なく事が進められますから、それはそれで良かったのかもしれません」
「そうだな」
「ねえ、ジョセ 今だから言うけどね」
「私、本当はすごく怖かったのよ。失敗したら、この先どうなるんだろうと考えると」
「ミネルバ母さんやデノーテ義母さんがいた時には、怖いものなんて無かった」
「きっと、二人から”祝福”や愛をたくさんいただいていたからでしょうね」
「今は僕がいるじゃないか」
「それにーー」
ジョセが結界石を見上げて手を当てる。
当然ながら、結界石はジョセには全く反応を示さなかった。
肩を竦めてジョセが続ける。
「この石の結界が必要とされるほどの、四百年も続いてきた北の国との問題を、君は解決したんだ」
「これからのことがうまくいかなくても、誰も君に文句は言わないさ」
二人は固く抱き合ったままでいた。
二人の気持ちが一つになると、先王に倣って、死ぬときは一緒にと”番”の誓いを立てた。
そして二人で石の前に立ち、ジョセとマルセルが石に触ると、彼の手に光が纏わりつく。
マルセルとジョセが精霊の力で結ばれ、”番”となったことがわかった。
ジョセはマルセルを促し、石の前に立ったマルセルをしっかりと抱き支えると、マルセルは持っている聖女の力を全て結界石に注ぎ込んだ。
石が光りに包まれ、光の粉が国中の空を覆いつくす。
しばらくして、フッと光が消えると、そこには七色に輝く透明な石の柱と、周りを雪のようにキラキラと舞う光が見えた。
柱の天辺から空に向かって細い光が伸びていた。
マルセルが聖女の力を使い果たすと同時に、二人は抱き合ったまま、柱の根元にに倒れこんだ。
すると、モードネス家の墓所の番人のカールが現れた。
「ようやく儂の願いが叶う時となったか」
「かねてからの約束だったからな。墓所までお前たちを運んでやるぞ」
カールは二人を光に包むと、モードネス家の墓所に向けて運んだ。




