第二三〇話 入場
・前回までのあらすじ
『グランギニョール』再編トーナメント決勝戦当日。マルセルとの問題を残しつつもエリーゼは、全ての準備を整えて闘技場へと向かう。その途中でエリーゼは、『マリー直轄部会』の要請にてこの仕合を決死決着で終えねばならぬ事を理由に、カトリーヌへ闘技場へ視線を送らぬ様にと告げる。しかしカトリーヌは、ここで発生した業は私も背負うと答え、エリーゼを送り出すのだった。
オランジュは地下通路を歩いている。
介添え人はいない。オランジュただ一人だ。
以前はマルセルを支持する若い錬成技師達が、介添え人を務めた事もあった。
何かしらの参考になるだろうと、マルセルが帯同を許したのだ。
しかしオランジュの仕合は彼らにとって、何の参考にもなりはしなかった。
木の棒一本を手に闘技場へ趣き、数分後には汗もかかずに勝利して戻る。
どんな技術が用いられたのかどころか、何が起こったのかすら解らず仕合は終わる。
やがて介添え人に名乗りを上げる錬成技師はいなくなった。
エーテル式黄色水銀灯の明かりが点々と連なり、仄暗い地下通路を照らし出している。
この通路を真っ直ぐに進めば、やがて巨大な鉄扉が見えて来る。
重厚にして頑強な、魔物でも封印しているのではと思わせる物々しい鉄扉だ。
そんな鉄扉の向こうには、熱気と狂喜が渦巻く円形闘技場のアリーナが広がる。
白銀の刃が乱舞し、血潮の紅が飛沫いて咲き誇る、至福の桃源郷であり遊技場。
これまでも幾度と無く足を踏み入れ、幾度と無く闘争の愉悦を堪能して来た。
幾度も、幾度も、幾度も……その繰り返しで気がつけば一〇年。
如何ともし難く愉悦は色褪せ、やがては退屈という萎えた色彩に堕してゆく。
それでも未だ残された望みは、ふたつある。
ひとつは産みの親たるマルセルが打ち建てた、永劫の愉悦を成す『計画』。
いまひとつは、もう一人の『自分』――『姉』という存在との対峙。
マルセルの『計画』は恐らく完遂される――否、既に始まっている。
故にもうひとつの希望――『姉』との戦闘を、まずは叶えよう。
「キミがそこまで万全に装備を整えるとはね」
歩を進めるオランジュに、横手から声が投げ掛けられた。
オランジュは足を止め、声の主に視線を送る。
長身痩躯を包む漆黒のフロックコート、シルクハット、黄金の左義肢。
マルセルだった。
観覧席に繋がる関係者用通路のドアに凭れ、モノクルのレンズを光らせている。
オランジュは白い美貌に夢の様な微笑みを浮かべる。
「これは『お姉様』に対する私なりの『礼儀』なの。『お姉様』がいなければ、私は存在しなかった。そうでしょう? その事に対する『礼儀』……そして『けじめ』の為の礼装ってところかしら」
『礼儀』と『けじめ』。
その様に表した装備が、オランジュの佇まいに現れていた。
優美な肢体を包む衣装は、紅い刺繍をあしらったダークグレーのドレスだ。
その美貌も相まって恐ろしく蠱惑的だが、しかし舞踏会に参ずる出で立ちでは無い。
足元は何時もの素足では無く紅色の革ブーツ。
くびれたウエストには太い紅色の革ベルト。
豊かな胸元を覆うのは、革製の紅いバック・アンド・ブレスト。
何より眼を惹くのは、オランジュの両手に握られた得物だ。
それは過去の仕合で使用し続けた、先端を削いだ木の棒では無かった。
鋼鉄製の槍だ――それも二本。
二本を一纏めに、両手で携えている。
一本は重々しくも鈍い鋼色。
一本は狂おしいほどの紅色。
いずれの槍も、長さは一七〇センチほどの鋼鉄製。
いずれの槍も、両端共に冷たく鋭い穂先が設けられていた。
この『双頭双槍』こそが、オランジュの『魂』が求める真の武装だった。
「確かに『エリーゼ』は別格の存在だ、それはボクが補償する。それでもキミには届かない。なのにそこまで装備を整えてしまって、キミが臨む『良い勝負』になるのかね?」
「手抜きの凡戦を長く味わう事に飽き飽きしているの。一瞬でも良い、『お姉様』の神髄に触れたい、例え一方的であってもね。闘争の宴に咲く刹那の華をこそ、愛でたいのよ」
マルセルの問いに答えたオランジュは、改めて闘技場の方へ向き直る。
「――行って来るわ。介添えは不要、パパは次の『ステージ』を用意して待ってて?」
「任せたまえ、キミが戻る頃には、既に始まっている筈だ」
歩き始めたオランジュの背に向け、マルセルはその様に告げた。
◆ ◇ ◆ ◇
聳える巌と見紛うばかりの重厚な鉄扉が、鈍い音と共に左右へ開かれる。
途端に湧き上がる大歓声は明確な質量と熱を伴い、渦を巻きながら轟き渡る。
石造りの巨大な円形闘技場――そのアリーナは、縦にも横にも一五〇メートルはある。
広大なアリーナを取り巻き見下ろす観覧席には、絢爛と着飾った貴族達が喜色満面に連なり並び、汗の滲む拳を突き上げては、盛大に吠えて叫ぶ。
叫びは低く高く響いて溢れ、やがて一定の音程を伴い広がり始める。
同じタイミングでオーケストラ・ピットの管弦楽団が勇壮な曲を奏でる。
その傍らに、目許をマスクで隠した青いドレス姿の歌姫が姿を現す。
歌姫は白い喉を反らせると、グラスハープの如きソプラノ・ヴォイスで歌い始めた。
見よ! かの者を見よ! 現世に降り立ちし戦乙女の姿を見よ!
崇めよ! かの者を崇めよ! 練成の奇跡に現れし戦乙女の勇姿を崇めよ!
清浄の極みを思わせる歌姫の歌声に、観覧席の貴族達も寄り添い声を上げる。
我らが聖女・グランマリーに仕えし兵!
我らが聖女・グランマリーが遣わせし兵!
この世の悪意に抗う花ぞ! この世に光をもたらす力ぞ!
管弦楽団の演奏に合わせて歌姫の美声が踊り、更に貴族達の合唱が吹き上がる。
大音響となった合唱は、大瀑布の勢いで闘技場内を駆け巡る。
熱狂と絶叫の坩堝と化したアリーナ。
おもむろに管弦楽団の奏でる演奏が変化する。
同時に、開け放たれた西側入場門から、メインイベンターがゆっくりと姿を表す。
エリーゼだった。
途端に観覧席から、どよめきにも似た歓声が溢れ出した。
エリーゼの小柄な肢体を包むのは、精緻に作り込まれた白銀の鎧。
『強化外殻』だ。
攻撃力と防御力を高める為の装備だが、エリーゼの纏う『強化外殻』は別格だった。
鈍重な印象は一切無く、その繊細な造形は気品と妖艶さすら漂わせていた。
しかしエリーゼはこれまでの仕合、全て純白のドレスを着用してきた。
それがこのトーナメント・決勝戦では『強化外殻』を着用している。
それは『レジィナ・オランジュ』の力量を警戒しての事か。
或いは、準決勝での負傷が治り切らなかった為か。
その様にエリーゼの状態を想像し、貴族達はどよめいたのだ。
そんな貴族達のどよめきを、マスクを着けた歌姫の高音が一瞬にして塗り替える。
白き姿を朱に染め! 静寂斬り裂く不可視の一閃!
可憐なるかな夢幻の乙女! 玄妙極まる至高の一閃!
我らの誓いを聖女に示せ! 我らの祈りを聖女に捧げよ!
我らの技術を聖女に示せ! 我らの闘争聖女に捧げよ!
鮮烈かつ煌びやかな歌声に触発されてか、貴族達も一斉に声を上げる。
管弦楽団の演奏に歌姫の美声、そして群れを成す貴族達の叫び。
粘りつく様な熱と狂喜の中を、エリーゼは静かな足取りで歩き続ける。
纏った外殻は些かも軋まない、レオンの入念な調整のおかげだ。
一歩ずつ歩を進め、やがてアリーナの中央で停止した。
足を止めたエリーゼは、紅い瞳は真っ直ぐに前方を見据えている。
視線の先は、円形闘技場東側に設けられた入場門。
その奥から歩み出て来る『レジィナ・オランジュ』の姿を捉えていた。
・エリーゼ=レオンが管理するオートマータ。高性能だが戦闘用の身体では無い。
・レオン=孤児院「ヤドリギ園」で働く練成技師。エリーゼの後見人。
・カトリーヌ=グランマリー教のシスター。レオンのアシスタントを務める。
・シャルル=貴族でありレオンの旧友。レオンよりアーデルツを預かっていた。
・ヨハン=シュミット商会の代表。マルセルの再来と呼ばれる程、腕が立つ。
・ドロテア=ヨハンが錬成したオートマータ。エリーゼのサポートを行う。
・マルセル=達士アデプト、天才と呼ばれる錬成技師。レオンの実父。
・ベネックス所長=レオンの古い知人で実の姉。有能な練成技師。
・オランジュ=マルセルが錬成した最強のコッペリア。『レジィナ』の称号を持つ。




