第二二七話 対立
・前回までのあらすじ
『グランギニョール』再編トーナメント決勝戦当日。全ての準備を整えて、レオン達は『グランギニョール円形闘技場』へ向かう。駆動車にて敷地へ乗り入れて下車したところで、あろう事か決勝の相手、マルセルたちと遭遇してしまう。
マルセルはレオンに気づくと、モノクルのレンズを光らせながら微笑んだ。
頭に被ったシルクハットを右手で軽く持ち上げてみせる。
「やあ、まさか同じタイミングで入場とは……楽しい偶然だね、レオン」
そう言って更に口角を吊り上げた。
傍らに立つベネックス所長も、ドレスの裾を軽く捌き嫣然と微笑む。
「……あんた達の仕組んだ計略に乗ってここまで来た、これで満足か?」
レオンは厳しい眼差しで二人を睨みつけると吐き捨てた。
マルセルは肩を竦めてみせながら、それでも余裕の笑みを崩さない。
「そうだね、十二分に満足出来る情報が得られたよ。はは……そんなに怖い顔するな。キミだって本当は愉しかったんだろう? そういう性質さ、キミはね。だってキミにも、ボクと同じ、マルブランシュの血が流れている」
「貴様……」
「よせ、レオン」
声に怒気を滲ませながら、レオンはマルセルに歩み寄ろうとする。
怒らせた肩にシャルルが手を掛けて抑える。
背後に立つカトリーヌとヨハンは、口を閉ざしたまま状況を見守っている。
「そんなにカリカリするなよ、ここの係員だって見てる。そういう感情は、そこの『エリーゼ』に託して『グランギニョール』でボクにぶつけりゃ良いのさ。そうだろう?」
軽い口調でマルセルは言う。
レオンはシャルルに肩を抑えられたまま、マルセルを激しく睨みつけている。
その時、傍らに立つエリーゼが静かに告げた。
「――恐らく貴方だと感じておりました。『ウェルバーグ公国』以来でございましょうか……『アルバン』様」
マルセルはエリーゼに視線を送り、モノクルの下で目を細める。
白い歯を見せて嗤った。
「ほう? その偽名を良く覚えていたね……『エリス』嬢」
エリーゼは静かな眼差しで、マルセルを見上げている。
二人のやりとりを訝しむ様に、レオンは眉を顰める。
「ま、ボクが関わっている事は、事の前後を推察すれば自ずと解ろうというものだ……とはいえ身体感覚も無く『人工脳髄』すら喪失して三〇年近く、キミの記憶がどの程度劣化するのか多少気になっていたんだが、随分と鮮明そうだ。――で? 久しぶりの再会だが、ボクに恨みを感じるかな? ん?」
「……」
嘲る様なマルセルの声音には、明確に挑発の意図が含まれていた。
それでもエリーゼの表情に変化は無い。
エリーゼの背後ではヨハンが、困惑した表情で二人の様子を伺っている。
ヨハンにとってのマルセルは恩人であり、尊敬すべき偉大な錬成技師だ。
それだけに眼前で行われているやり取りの意味を計りかねているのだろう。
困惑しているのは、その隣りに立つカトリーヌも同様だった。
カトリーヌも以前、負傷したレオンの施術を終えたマルセルと対話した事がある。
その時マルセルより受けた印象は、風変わりであっても決して悪いものでは無かった。
なんにせよマルセルの言葉は、レオンの神経を逆撫でするのに十分すぎた。
苛立った様子でレオンは口を開き掛ける。
「ふざけた事を……」
「――パパ? 安い挑発なんていらないわ」
涼やかな声が響いた。
姿を現したのは、場の空気が一変するほどの美貌だった。
緩く弧を描きながら腰まで流れる、ブロンドのロングヘア。
長い睫毛に縁取られた切れ長の双眸、物憂げに煌めくエメラルドグリーンの瞳。
天才的な筆致で描かれた様な整った柳眉、すっきりと通った鼻梁、瑞々しい唇。
滑らかな磁器の如くに艶やかな白い肌。
モスリン地の白いシュミーズドレスに包まれた肢体も、気が遠くなるほどに美しい。
それは一切の不完全を否定した美であり、あらゆる無駄を削ぎ落した美でもあった。
何もかもが融解する溶鉱炉の奥底で結晶した、純粋極まる宝石を思わせる、そんな美。
『グランギニョール』序列第一位――『レジィナ・オランジュ』だった。
「初めまして『お姉様』――伝わるかしら?」
甘い微笑みを口許に浮かべ、オランジュはそっと囁いた。
一点の曇りも無い翠玉の瞳は、真っ直ぐにエリーゼを見つめている。
「――恐らくは、私を基に錬成された私の『複製』。同種同質の存在……という事でしょうか」
透き通った紅玉の瞳が、眼前のオランジュを見つめ返す。
オランジュの笑みは、見る者に恍惚感を与えるほど深まる。
「その通り……察しが良くて嬉しい。だから私達はとても似ている。例えば私の名前は『オランジュ』――投げ込めば現世に災いと混沌をもたらす『黄金の果実』。お姉様は『エリス』――現世に災いと混沌をもたらさんと『黄金の果実』を投げ込んだ女」
「……」
「ふふっ……姉妹で同じ伝承を示唆して愉しんでいただなんて面白い……。だから期待しているのだけれど、でも大丈夫かしら?」
「……」
オランジュは軽く小首を傾げる。
「お姉様の脚元から、微かに金属の軋む音が聞こえた。『強化外殻』かしら? 準決勝で受けた傷が癒えなかったってこと?」
「……お気遣い無く」
「もし、つまらない仕合になりそうなら……手早く終わらせるわね」
「左様でございますか」
短く答えるエリーゼに、オランジュは笑みを深める。
更にレオンへ視線を送った。
「お久しぶり……レオンくん。とっても素敵になったのね? 私の事は覚えているかしら? パパの腕を捥ぎ取った、怖くて悪いオートマータよ?」
「……」
レオンは微かに眉根を寄せると、微笑むオランジュから視線を逸らす。
「あら、つれないのね? 私とお話するのは恥ずかしい? 私はレオンくんのこと、今でも好きよ? だってレオンくんは、子供の頃から格好良かったんですもの」
「……」
「覚えているかしら? 私は今でも覚えてる、血塗れのパパに寄り添って、レオンくんは私にこう言ったの――『パパは錬成技師だ、皆を救う為に真理を探求している、ボクがどうなろうと、ボクはパパを救う、パパはボクの誇りだ』ってね」
「止めてくれっ……」
俯いたままレオンは、短く拒絶の言葉を口にする。
オランジュは悪戯っぽく微笑むと、傍らのマルセルに告げた。
「――行きましょう、パパ。『相互不干渉』のルールがあったのよね? こんなところで、あまりじゃれ合っているのも良くないわ」
「そうだね、オランジュの言う通りだ。それじゃあレオン、ボクらは行くよ。『グランギニョール』での決闘ゲームを、共に愉しもうじゃないか」
マルセルはレオンに向けて左手をひらひらと、子供をあやす様に動かしてみせた。
そのままオランジュと共に、闘技場の関係者専用入場口へと歩き出す。
後に続くのは駆動車の運転手と、各種機器を搬送するスタッフたちだ。
ベネックス所長だけが未だ立ち止まり、レオンを見つめている。
「……まだ何か、言いたい事でもあるんですか?」
顔を上げたレオンは、複雑な表情で尋ねる。
ベネックス所長は指先で眼鏡を押し上げながら、軽く首を振った。
「いや……長らくレオンを騙していたからね、少しばかり罪悪感があったのさ。でもまあキミを『錬成技師』としての高みへ誘えたのは、間違いじゃ無かったと思ってるよ」
「……」
レオンは口を閉ざし、何も答えない。
ベネックス所長も返事を待つ事無く、歩き始める。
「それじゃ、さよならだレオン」
流し眼と共にそう言い残し、闘技場の中へと消えていった。
僅かに沈黙が落ちたが、シャルルが口を開く。
「――俺達も行こう。彼らの控え室は逆サイドだ」
レオン達『衆光会』には、闘技場・西側の控え室が用意されていた。
対してマルセル達は東側の控え室だ、それは対戦相手同士が出会わぬ為の配慮だった。
レオンが首肯すると、シャルルは改めて『衆光会』の職員達に機材の搬入を指示した。
◆ ◇ ◆ ◇
円形闘技場の地下に設けられた控え室は、これまでと何も変わらない。
落ち着いた風合いの壁紙、明るい色彩の風景絵画、アンティークな家具調度品。
出入り口側に設置された豪奢なソファ・セット、天井にはシーリングファン。
部屋の中央を木製の間仕切りで区切り、奥側に広がる作業スペース。
機材を収納する為の各種ロッカー、デスクに丸椅子、簡易ベッド。
ヨハンとカトリーヌ、ドロテアは、運び込まれた機材の再確認を行っている。
シャルルは『衆光会』代表として、職員達と共に闘技場のバルコニー席へ向かった。
エリーゼは簡易ベッドの縁に腰を下ろし、下半身を覆う外殻の除装作業を受けている。
仕合開始まで五時間ほど、外殻を装備したままでは疲労するだろうという判断だ。
左脚は麻痺しているが、出歩かなければ問題は無い。
レオンは作業を進めながら低く告げた。
「――マルセルが君に対して行った非礼は……すまなかったと思っている」
初対面と思えぬエリーゼとマルセルの会話に、思うところがあった。
いや、レオンも薄々は感じていた事だ。
かつてマルセルより受け取った手紙には、エリーゼの魂が刻まれた『エメロード・タブレット』を『ある人物から受け継いだ』と記載されていたが、実際にはマルセルが何らかの方法で窃取したのでは無いか。
むしろ先ほどの会話を踏まえるならば――マルセルはエリーゼを騙し、エリーゼの身体から『エメロード・タブレット』を抜き取ったと考えるべきか。
いずれにせよ、マルセルの行いは許されるものでは無い。
それ故の謝罪だった。
――が、エリーゼの反応は謝罪に対するものでは無かった。
「いえ……それよりも、気になる事がございました」
「――気になる事?」
レオンの声が微かに緊張感を帯びる。
仕合直前にあって、エリーゼが万全とは言い難い状況にある為だ。
「先ほどの、ご主人様とお父上とのやり取りに、若干の違和感を覚えたのです」
心身のトラブルでは無かった事にレオンは安堵する。
とはいえ、エリーゼが言わんとする内容も気になる。
更にエリーゼは続けた。
「いえ……予てより疑問に感じていたのです。どういった理由でお父上が、私とご主人様を引き合わせ『グランギニョール』の舞台へ立つ様に仕向けたのか」
「……理由?」
「或いは、お父上の妄執は明確な形を成しておらず、ご主人様を『ピグマリオン』とする事自体が目的であり、その時点で満足されたのか、とも考えたのですが……違法行為すら厭わずとなれば、やはり間尺に合わぬと感じておりました」
「……」
静かに語るエリーゼに、ヨハンとエリーゼも作業の手を止めて聞き耳を立てる。
言葉が続く。
「ですが先ほど、お父上と直接お会いして、朧げながら理由が見えた気がします」
「――どんな理由があると?」
レオンが問う。
エリーゼは答えた。
「私を実際に戦わせ、詳細な交戦記録を得る為では無いかと」
・エリーゼ=レオンが管理するオートマータ。高性能だが戦闘用の身体では無い。
・レオン=孤児院「ヤドリギ園」で働く練成技師。エリーゼの後見人。
・カトリーヌ=グランマリー教のシスター。レオンのアシスタントを務める。
・シャルル=貴族でありレオンの旧友。レオンよりアーデルツを預かっていた。
・ヨハン=シュミット商会の代表。マルセルの再来と呼ばれる程、腕が立つ。
・ドロテア=ヨハンが錬成したオートマータ。エリーゼのサポートを行う。
・マルセル=達士、天才と呼ばれる錬成技師。レオンの実父。
・ベネックス所長=レオンの古い知人で実の姉。有能な練成技師。
・オランジュ=マルセルが錬成した最強のコッペリア。『レジィナ』の称号を持つ。




