第二二四話 外殻
・前回までのあらすじ
『レジィナ・オランジュ』に敗北した『コッペリア・ナヴゥル』は、自身が体感した不可解な『レジィナ・オランジュ』の『能力』について、エリーゼに語る。エリーゼはその話を基に考察を続ける中で『レジィナ・オランジュ』が有する『能力』は『エーテル』の錬成概念――『可能性』と『時』に干渉するものではないかと推察する。
見上げた青空には、しかしどんよりとした霞が掛かっていた。
『工業区画』上空に立ち込める灰色の煤煙が『特別区画』にまで流れて来ているのか。
此処で暮らす貴族達にとっては好ましくない季節風だろう。
とはいえ寒さが和らぐ時期だ、過ごし易くはある。
『レジィナ・オランジュ』との仕合を翌日に控えた午後。
レオンとカトリーヌ、ヨハンとドロテアは、シャルル有するダミアン邸の中庭に集合していた。
仕合に際してエリーゼが装備する『強化外殻』の、最終チェックを行う為だった。
「――違和感は無いか? エリーゼ」
芝生の上に片膝を着き、工具を手にしたレオンが問い掛ける。
傍らには追加装備用の装甲板が納まった、金属製のキャリーケースが置かれている。
「はい、何も問題ございません」
エリーゼは普段と変わらぬ透き通った声音で応じる。
ただ、最終チェックに臨むエリーゼの立ち姿は、普段と大きく異なっている。
小さな身体を包むのは、仕合用のタイトな白いドレスでは無い。
白銀に煌めく硬質な『強化外殻』だった。
その外観は中世代の騎士が装備した『甲冑』を髣髴とさせた。
ただ、エリーゼが装備する『強化外殻』は、中世の『甲冑』とは趣きが異なる。
無骨さや重厚さ、雄々しさを感じさせる形状では無い。
エリーゼの纏う白銀のそれは、華奢な体躯を繊細かつ流麗な曲線で包み込んでいた。
一種妖艶な気配すら漂わせている。
軽量化と可動域の確保が、その様な形状となって現れているのかも知れない。
また『強化外殻』は防御重視の『甲冑』とは違い、身体強化に主眼が置かれている。
『外殻』内部にオートマータの血液――『濃縮エーテル』を触媒とする特殊な『蒸気機関』を有し、オートマータの筋力及び瞬発力を大幅に向上させている。
また『外殻』を構成する白銀の装甲板は、数百という細かなパーツで構成されており、可動箇所には繊細な蛇腹構造を採用、捻りや屈伸を一切阻害しない造りとなっていた。
堅牢さと動きやすさの両立に加え、筋力と瞬発力の向上を成した『強化外殻』は、途上国の内戦鎮圧を行うオートマータ分隊にて使用されており、かつては『グランギニョール』円形闘技場に於いても、多くのオートマータが装備し、仕合に赴いていた。
ただ、ギミックの複雑さや重さ、外見的優美さも含めて考慮した場合、現代の『グランギニョール』では、使用に適さないとされている。
『グランギニョール』は、貴族達の自己顕示欲を満たす場でもある為だ。
『強化外殻』で筋力と瞬発力、防御力を補うくらいなら、最初から高性能、高品質なオーダーメードのオートマータを錬成した方が確実である――そういった考え方が、貴族社会では支配的だった。
「可能な限り軽量化を心掛けつつ、筋力と瞬発力の低下も招かず、その上で加撃に耐え、可動を阻害しない装甲の配置を目指したつもりだ」
『強化外殻』の装備を続けるレオンの様子を見守りつつ、ヨハンは言う。
エリーゼは装備した『強化外殻』の腕部を、軽く屈伸させながら応じる。
「ありがとうございます、今のところ可動域に問題を感じません」
「ギリギリまで対応調整するつもりだ、何かあれば言ってくれ」
少し離れたガゼボの下では、『小型差分解析機』を手にしたカトリーヌが、ベンチに腰を下ろしている。『小型差分解析機』は既に起動しており、何時でも使用可能な状態だ。
隣りに座るドロテアは、束ねられたケーブルを解きつつ、起動実験に備えている。
「――『的』は全て並べ終えたよ、あれで良いんだろう?」
その様に声を掛けたのは、ネクタイをしていないラフな格好のシャルルだ。
中庭のあちこちに、ワインボトルの乗ったワイン樽が並んでいる。
数にして八つ――ワイン樽とワインボトルが共に八つ、セットされている。
『的』とはこれらであり、エリーゼの起動実験に使用する道具立てだった。
「はい、ありがとうございます」
ガゼボの方へ歩み去るシャルルに視線を送り、エリーゼは返答する。
レオンは最後のパーツを装着すると、エリーゼを見上げて言った。
「武装も含め、全ての準備が完了した。皆が距離を取ったらテストを始めてくれ」
「はい、ご主人様」
エリーゼは短く答える。
レオンの言葉通り『強化外殻』と共に、仕合で使用する武装も全て揃っていた。
大腿部の装甲に設けられた、一六箇所のスロット。
これら全てに投擲用のスローイング・ダガーが納まっている。
腰部には刃渡り六〇センチほどの、ブロードソードを納めた革製の鞘。
そして背中には、金属と強化ガラスで構成された小さな円盤が取り付けられている。
円盤前面部は強化ガラスで覆われ、ガラス越しに幾つもの歯車が見える。
精密な機械式時計の様だが、側面には八本の金属アームが設けられている。
バイオリンネックを思わせる金属アームの先端部には、それぞれ金属フックが備わる。
金属フックは極細のワイヤーと繋がっており、釣り糸の様に長く伸ばす事が出来る。
このワイヤーとフックを用いてエリーゼは、スローイング・ダガーを自在に操るのだ。
それはエリーゼにしか扱えぬ特殊武装――『ドライツェン・エイワズ』だった。
「――それでは始めます」
皆が中庭の端に建つガゼボへ移動し終えたタイミングで、エリーゼは告げた。
ゆっくりと、白銀の装甲に包まれた両腕を広げてゆく。
ガントレットに包まれた指先も、ピンと伸ばされている。
その指先が、虚空にて軽やかに波打つ。
宙に浮かぶ透明な弦楽器を、爪弾くような動きだ。
次いで、左右の腕が優雅に振るわれる。
背筋を伸ばして立つ姿と併せて見れば、オーケストラの指揮者を思わせた。
ヒュン……という風切り音が、立て続けに響いた。
『ドライツェン・エイワズ』より紡ぎ出された、フック付きワイヤーが立てる音だ。
エリーゼの動きに併せてワイヤーは空間を引き裂き、縦横に掛け巡り、乱舞する。
同時に、キラキラと陽光を乱反射させる光球が、エリーゼの周囲に浮かび上がった。
数にして八つ、揺らめきながらに宙を舞う。
フック付きワイヤーにて操作され、高速旋回を続けるスローイング・ダガーだ。
重力を無視した現象は、極限の技術を以て行われるジャグリングとでも言うべきか。
「出力される数値、安定しています」
ガゼボの下、ベンチに座るカトリーヌは『小型差分解析機』からタイプアウトされる用紙を確認しつつ、レオンへ声を掛ける。
『差分解析機』から伸びるケーブルはレオンの右義肢と繋がっており、右義肢に内蔵された『知覚共鳴処理回路』を介して、エリーゼの身体情報を確認する事が出来た。
レオンは中庭のエリーゼを見据えつつ、カトリーヌの声に小さく頷き応じる。
レオンの見据える先、エリーゼはおもむろに、両の腕を大きく振るった。
途端に八つの光球は、八本の流星となって帯を引き、弧を描きながら周囲へ放たれる。
コッ……という乾いた音が、中庭のあちこちから響く。
中庭に並べられた八つのワイン樽それぞれに、一本ずつダガーが突き刺さった音だ。
次の瞬間。
それらワイン樽の上に乗っていた八本のワインボトルが、一斉に宙へ舞った。
ダガーを放ったフック付きワイヤーによって絡め取られ、跳ね上げられたのだ。
宙を舞うワインボトルは、すぐに鈍い音を響かせながら高速で回転し始める。
これもフック付きワイヤーによるものだ、ワインボトルを用いてのジャグリングだ。
瞬く間に深緑色の光球と化した八本のワインボトルは、ゆらりと宙を漂う。
同時にエリーゼが、軽やかな足取りで中庭中央へ歩き出す。
歩く間もエリーゼの両腕は、留まる事無く踊り続ける。
宙を舞うワインボトルも、落下する事無く回転し続ける。
と――、何の前触れも無く、深緑色の光球が高速で流れて帯を引き、帯が弧を描く。
回転するワインボトルが恐るべき勢いで移動したのだ。
瞬く間に位置を変えると隣りのワイン樽へ、そのまま真っ直ぐに着地していた。
直後入れ替わる様に、ワイン樽へ突き刺さったダガーが一斉に引き抜かれる。
フック付きワイヤーによる操作だ、更にダガーは回転し、煌めく銀の光球へ変化する。
光球は飛翔し、八本の曲線を空中に描き上げる。
エリーゼの腕と指先は、優雅に澱み無くたなびき続ける。
大きく弧を描いた光球は、急激に速度を増し、再び一直線にワイン樽へ撃ち込まれる。
次間髪入れずワインボトルが跳ね上がり、再度空中にて回転を始める。
これら一連の行動が、何度も何度も繰り返される。
ダガーとワインボトルが、交互に飛翔と回転、移動と停止を繰り返す。
その繰り返しの中でエリーゼは、中庭を散策する様に、ゆっくりと歩き続ける。
時に身を屈め、身を反らし、膝から脚を高く上げては、爪先立って身を捻る。
次いで軽く跳躍し、跳躍から後転、更にステップを踏む様に移動する。
全身に纏った『強化外殻』の状態を、慎重に確認しているのだろう。
その間も、八本のスローイング・ダガーとワインボトルの飛翔と停止は留まらない。
何本ものワイヤーが交錯しつつ風を裂く音は、何処か剣呑で、高く、低く、響き流れる。
辺りには『強化外殻』より漏れだした水蒸気が、淡く漂い流れる。
「相変わらず、とんでもない技術だ。理解が及ばないな……」
低く呟いたのはヨハンだった。
エリーゼのメンテナンスにも深く関わっており、その身体スペックは熟知している。
故に眼前で披露される技の精度について、驚嘆せざるを得ない。
その挙動は『強化外殻』装着の有無に関わらず、想定を大きく超えるものだった。
以前、エリーゼの仕合を観た際には、明確な弱体化の兆候を感じた。
しかし今、眼前の動きを見る限り、そんな懸念はまるで感じられない。
あの時に感じた不調は、やはり精神的なものが大きかったという事か。
ヨハンはエリーゼの挙動を注視し続ける。
宙を舞っていた八本のワインボトルが、一斉に樽の上へ着地する。
同時にワインボトルを操作していた八本のワイヤーが、音を立てて一気に回収される。
直後。
エリーゼは勢い良く踏み込みながら、腰のブロードソードを抜き放った。
煌めく刃を脇へ構え、瞬く間にワインボトルが乗った樽へと距離を詰める。
キン……という、硬質な音が響いた。
姿勢を低く沈めた状態での横薙ぎ一閃。
その瞬間は、誰の目にも映らなかった。
斬りつけられたワインボトルの首だけが、僅かずつ斜めにスライドし始める。
その落下を見るよりも先に、身を翻したエリーゼは、次のワインボトルを斬りつける。
更に次、更に次、更に次。
甲高い音が連続して聞こえる。
脚を止める事無く、流れるが如き巧みさで、エリーゼは刃を振るい続ける。
八つ目のワインボトルを斬りつけると同時に、最初に斬りつけたボトルの首が落ちる。
程無くして次のボトルが、更に次のボトルが、次々と切断面を露わにする。
最後のボトルが首を失うと、姿勢を正したエリーゼは、腰の鞘へ刃を納めた。
・レオン=孤児院「ヤドリギ園」で働く練成技師。エリーゼの後見人。
・カトリーヌ=グランマリー教のシスター。レオンのアシスタントを務める。
・シャルル=貴族でありレオンの旧友。レオンよりアーデルツを預かっていた。
・ヨハン=シュミット商会の代表。マルセルの再来と呼ばれる程、腕が立つ。
・エリーゼ=レオンが管理するオートマータ。高性能だが戦闘用の身体では無い。
・ドロテア=ヨハンが錬成したオートマータ。エリーゼのサポートを行う。




