第二二一話 屈辱
・前回までのあらすじ
『レジィナ・オランジュ』との死闘に敗れた『コッペリア・ナヴゥル』は、エリーゼに伝えるべき事があると言って聞かず、無理を推して車椅子に乗せられた状態で、ラークン伯と共に、レオンの工房を訪ねて来る。
ナヴゥルはエリーゼと対面し、自身が『レジィナ・オランジュ』との戦闘で体感した、理不尽な『能力』について語り始める。
レオンが所有する錬成工房は静かだった。
居並ぶ皆が口を噤み、二人の会話を見守っていた。
会話を続ける一人は、頭部と片目を包帯で覆い、白いローブ姿で車椅子に座るナヴゥルだ。
闘技場での暴力的な威容は影を潜め、今は力無く背中を丸めた姿勢で項垂れている。
今一人は希釈エーテル製剤に満ちた『錬成用生成器』の水槽内に浮かぶエリーゼだ。
未だ縫合痕の消えぬ白い肌を晒し、ガラス越しに俯くナヴゥルを見つめている。
「……この『敗北』が、力の差、技量の差、経験の差、そういった『差』に因る結果ならば、我はこの様な醜態を、貴様の前で曝そうなどとは思わなかった」
「……」
ナヴゥルは目蓋を閉じ、俯いたまま低く呟く。
エリーゼは黙したまま、耳を傾ける。
「しかしこの『敗北』は……恐らく違うのだ。何も知らぬままに挑めば……誰もあの『レジィナ』を超える事など出来んと感じる……」
「……」
「あの様な『敗北』は……己が何を以て『敗北』したのかすら解らぬという『敗北』は……屈辱以外のなにものでも無い、だから我は……」
「……」
低く響くナヴゥルの言葉に、エリーゼが応じた。
「……どの様に些細な事でも構いません。思い出せる限り、話せる限り、仕合に関する詳細をお聞かせ下さいませ」
ナヴゥルは顔を上げると、エリーゼを見上げる。
微かに頷き、解った――そう答え、仕合内容について改めて語り始めた。
◆ ◇ ◆ ◇
仕合開始直前。
互いに名乗りを受け、対峙する。
ナヴゥルの武装は戦斧。
オランジュの武装は木の棒を加工した槍。
仕合開始。
静かな立ち上がり、オランジュは緩やかな足取りで距離を詰める。
対するナヴゥルは自身の『エーテル粒子』を両腕のガントレットより散布しつつ後退。
己が能力――『深海』となる領域を築く。
怯まず真っ直ぐに歩を進めるオランジュ、ナヴゥルの『深海』へ足を踏み入れる。
射程に達したところでナヴゥルは一気に攻勢へ転じ、戦斧を用いての刺突。
しかしオランジュは、その攻撃を槍の穂先にて容易く受け止め、後方へ飛び退る。
射程の外へ逃れたオランジュは、臆する事無く、再び歩いて距離を詰め始める。
ナヴゥルは油断無く身構え、射程ギリギリを見極めた上で大きく踏み込み攻撃。
下段からの跳ね上げで闘技場の床板を砕き、粉塵の目晦ましを用いて逆袈裟に斬り掛かる。
この攻撃をオランジュは、右側面へ移動して回避――と同時に、カウンターを取る形でナヴゥルの右脇腹へ突きを放つ。
オランジュの刺突をナヴゥルは、右ガントレットの仕込み爪を用いて紙一重で弾く。
更に左腕一本で戦斧を振るい、カウンター返しによる反撃を試みる。
が、意表を突くこの攻撃も、オランジュは余裕をもって後方へ退き、回避する。
三度目の激突へ向け、やはりオランジュは自然体のまま歩み寄る。
対するナヴゥルは『深海』の能力にて、オランジュの動きを読み切ろうとする。
先の攻防で二度、読みを覆されているが、それはオランジュの『欺瞞行動』――『フェイント』によるものでは無いかと推察する。
『フェイント』にて無策を装い、ナヴゥルに攻撃を誘発させ、カウンターを取る、そういった策を用いているのではと考える。
ならば『見』に徹し、オランジュに先手を取らせる――ナヴゥルはその策を選択した。
戦斧を構え、機を伺い、『フェイント』を警戒し、迎撃に備える。
オランジュは更に距離を詰めて近づく。
彼我距離四〇センチに達したところで、オランジュは足を止める。
互いの得物――戦斧と槍は、近過ぎるが故に使えぬ距離だ。
オランジュは挑発の言葉と共に、ゆっくりと素手の左手を伸ばす。
そのまま指先を、ナヴゥルの双眸へ近づける。
オランジュの指先が眼前三センチへ迫ったところで、ナヴゥルは迎撃した。
右ガントレットの仕込み爪を展開して一閃、オランジュの顔面を狙う。
この攻撃をオランジュは、踏み込みつつ身を沈めて回避する。
仕込み爪を回避したオランジュに対し、ナヴゥルは左手の戦斧にて追撃を仕掛ける。
やはり不意打ち気味に放たれた横薙ぎの加撃も、オランジュは柔軟に回避、次いでバックステップを繰り返して距離を取る。
この攻防にて双方とも、頬に小さな傷を負う。
オランジュは仕込み爪で。
ナヴゥルは突き出された左の指先で。
ナヴゥルはオランジュの方へ向き直り、戦斧を構える。
距離を取ったオランジュは、指先に絡むナヴゥルの血を舐め取り微笑む。
次いで不可解な言葉をオランジュは吐く。
全ての『可能性』は私のもの――
互いに傷を負う『可能性』の中にしか勝機を見出せなかった――
あらゆる『可能性』、それら全てにあなたは対応した――
ナヴゥルは聞き流しつつも、オランジュの『能力』に目星をつける。
それは己が意を極限まで鎮め、『無我』に等しい境地で刃を振るうという物だ。
これによって『深海』を無効化しているのでは無いか――その様に予想する。
しかし、打つ手はあるとナヴゥルは考える。
オランジュの動きを読み取る『深海』の濃度も、己が知覚も限界まで昂ぶっている。
ならば、肉を斬らせて骨を断つ覚悟で臨むなら、『レジィナ』を討ち果たせる筈だ。
――が、オランジュは微笑みながら必勝を宣言する。
でも今の交錯で、あなたの『可能性』は確定した――
その言葉を考慮しつつ、ナヴゥルは油断無く戦斧を構え、迎撃に備える。
微笑むオランジュは、悠然とした足取りで静かに歩み寄る――が、次の瞬間。
オランジュは一気に加速し、ナヴゥルの射程へ飛び込んで来る。
ナヴゥルもまた、これをカウンターで撃ち落とさんと高速で反応、踏み込む。
展開した『深海』の能力は万全。
オランジュの全身を駆け巡る『神経伝達』を完全に捉える。
ここからどの様に動くのか。どの様な攻撃を仕掛けて来るのか。
完璧に読めた。
そして交錯の瞬間――ナヴゥルは勝利を確信した。
◆ ◇ ◆ ◇
「――にも関わらず……敗北した」
ナヴゥルはそう呟いた。
表情は険しく、苦しげだ。
「先刻伝えた通り……勝利の瞬間を我は、幾度も幾度も『実感』した、否――複数の勝利を同時に『実感』したのかも知れぬ。しかしその『実感』は虚ろで、朧げで……幻の様で、それらの幻が消えた時、我は敗北を喫していた」
「……」
ナヴゥルの述懐に、エリーゼは聞き耳を立てている。
時折確認する様に質問を挟んでいたが、今は口を噤んでいる。
「敗北の直前――オランジュは手にした木の槍を床石に突き立て、バネとして跳ね上がった、我は戦斧にて木の槍を叩き折り、そこから斧を放棄して、頭上に逃れたオランジュを仕込み爪にて仕留めようとした、が――その爪を回避され、長さが半分となった槍を、右の眼窩へ突き込まれた」
「……」
「幾度もの虚ろな勝利の『実感』を経て、現実的な敗北を『体感』した。が……この様な道理の通らぬ敗北など受け入れ難く、我は再度、仕込みの爪を構え、オランジュに迫った」
「……」
「しかし、その攻撃は届かず……否……攻撃へ至る前に、敗北を『実感』した……」
「……攻撃へ至る前に、敗北を『実感』――ですか?」
エリーゼが、何度目かの問いを投げ掛ける。
ナヴゥルは頷き、続ける。
「ああ、先の状況と同じよ……。幾度も、幾度も、敗北の瞬間を『実感』した。それは……複数の敗北を同時に『実感』した様にも思えた。幾度も、幾度も、どうやっても、眼前のオランジュには届かぬと……」
「……」
「届かぬと悟り、敗北した……」
「……」
「……度し難いほどの理不尽に敗北し、何も見えて来ぬ。再起したとて、どの様に仕合えばアレに届くのか……見当もつかぬ」
「……」
ナヴゥルは俯くと、深く息を吐いた。
未だ傷の癒えぬ状態で質疑応答を続けたのだ、その表情に疲労の色が張りついている。
束の間の沈黙を経て、ナヴゥルは改めて口を開いた。
「貴様は小賢しく、目端が効く……が、故に、貴様に頼みたい」
「……」
「あの理不尽が、どういった類いのまやかしか、暴いてくれ……」
「……」
「あのまやかしを暴かねば……誰も『レジィナ・オランジュ』には勝てぬ」
「……」
ナヴゥルは顔を上げる。
憔悴の色が滲んでいる。
絞り出すように問い掛ける。
「或いは……あれが『頂点』なのか……?」
「……」
「あれは、誰も届かぬ『無双』の高みにあると言うのか……?」
「……」
青褪めて乾いた唇が震える。
白いローブに包まれた肩が震える。
揺れる赤い瞳で、エリーゼを見つめる。
背後で見守っていたラークン伯が、身を屈めてナヴゥルを気遣う。
水槽の中に浮かぶエリーゼが、静かに断言した。
「闘争の果てに『頂点』など無く、『無双』もまた存在しません」
ピジョンブラッドに煌めく宝玉の如き瞳で、ナヴゥルを見つめていた。
「そして『頂点』と『無双』の傍らにこそ『敗北』が在るのです」
ナヴゥルは深く息を吐くと顔を伏せ、目蓋を閉じる。
そのまま唇の端を吊り上げ、薄く笑った。
「貴様なら……いけ好かん言葉を吐いてくれると、思っておったわ……」
・レオン=孤児院「ヤドリギ園」で働く練成技師。エリーゼの後見人。
・カトリーヌ=グランマリー教のシスター。レオンのアシスタントを務める。
・シャルル=貴族でありレオンの旧友。レオンよりアーデルツを預かっていた。
・エリーゼ=レオンが管理するオートマータ。高性能だが戦闘用の身体では無い。
・ナヴゥル=ラークン伯所有の非常に強力な戦闘用オートマータ。
・ラークン伯=ヤドリギ園一帯の土地買い上げを狙う実業家であり大貴族。
・二人の技師=ラークン伯お抱えの双子の技師。有能だが著名では無い。




