第二十九話 人心
・前回までのあらすじ
神聖帝国ガラリアのエリク第二皇子の要請により『グランギニョール』の序列を決め直すトーナメント戦が開催されていた。全ての仕合が熾烈を極める中、エリーゼも薄氷の勝利を重ね、トーナメントを勝ち上がり続ける。そんな仕合を繰り返す中で『ヤドリギ園』周辺の土地を巡る問題が偶発的に解決され、危険なトーナメント戦から逃れるチャンスが出来たものの、公安組織である『マリー直轄部会』にエリーゼの違法性を指摘され、やはり仕合を続ける以外の道が閉ざされてしまう。
そんな状況にあってエリーゼは、夢の中で自身の胸中に影響を与えるオートマータ――『アーデルツ』と出会ったのだと打ち明けた。
「――その後も少し言葉を交わしたのですが……内容は殆ど覚えておりません」
「……」
「ただ、とても優しい方なのだと……そう感じました」
「……そうか」
仕合を繰り返し、負傷と疲労を重ね、エリーゼの心身は限界に達していたのだろう。
『シスター・マグノリア』との仕合を終えて十数時間、エリーゼの意識は無かった。
それはオートマータ特有の『自主睡眠』では無く、制御不能の昏睡に近い状態だった。
そんな昏睡状態の中でエリーゼは『アーデルツ』の夢を見たと言う。
夢の中でアーデルツは、『先生』と『マスター』を頼みます――そう告げたのだと言う。
レオンには、ただの夢だとは思えなかった。
アーデルツは生前、レオンの事を『先生』、シャルルを『マスター』と呼んでいた。
その呼び方を知る者は、レオンとシャルル以外には数えるほどしかいない。
もちろん『アーデルツ』の死後に顕現したエリーゼは知らぬはずだ。
にも関わらずエリーゼは、『アーデルツ』しか知り得ぬ事柄を知っている。
これは、エリーゼの裡に宿る『アーデルツ』の想いに因るものか。
円筒形の水槽を思わせる『錬成用生成器』の内側で、エリーゼは再び眼を伏せる。
透き通った薄紅色の希釈エーテル製剤に長い髪を漂わせながら、呟く様に言った。
「……数多の人間が願い、望み、想い描く『妖魔精霊』という形は、そうそう崩れるものではございません。オートマータとしてこの世に顕現したとしても『妖魔精霊』としての己を己と認め、行動するのです」
「……」
「以前お聞かせ頂いた通り、彼女は温厚で誠実な森林の精霊――『ドリアード』そのものでした。対立を避け、争いを嫌い、協調と平穏を望む……それが『ドリアード』という精霊の本質。数多の民草が願い望んだ森林の精霊が『ドリアード』――」
「……」
「――にも関わらず彼女は、安寧と温厚の心を抱えたまま、刃を握り闘技場へと赴いた。その事実に私は驚きを隠せません。本来、戦える様な性質では無いのに、ご主人様の為、子供達の為、その様な決断を下したのです……」
「……」
訥々と言葉を紡ぐエリーゼに、レオンは耳を傾けている。
背後のカトリーヌも、ドロテアも、傍らのヨハンも同様だ。
エリーゼは目蓋を閉じ、静かに続けた。
「私は『戦闘精霊』……あらゆる戦闘格斗に悦びを見出し、痛みと死の恐怖すら、愉悦と感じておりました……。『アーデルツ』の身体を借り、再びこの世に顕現した時も、私は私の全てを賭して、再び極限の愉悦へ向かうべく、偽りと詐術を用い、嘘に嘘を重ねて、この場所に辿り着き、闘争を求め……ですが私は『アーデルツ』の想いに触れ、気づきました――」
「……」
「私は『アーデルツ』の様に『恐怖』を『恐怖』と認識した上で刃を構えた事など、ただの一度も無かった。敗北と死の恐怖に酔うばかりで、誰が為を願い、想い、その『喪失』を恐れる様な、真の『恐怖』を直視して闘争へ向かう事など、ただの一度も無かった……」
「……」
「……闘争とは『死』と『別離』の『恐怖』そのものであり、『勝利』に固執する姿は醜悪ですらある、それでも刃を握るのは、誰が為の安寧を想うが故。それが『アーデルツ』の……いいえ、望まぬ闘争に巻き込まれた、数多の民草にとっての闘争……」
「……」
「私は次の仕合……きっと初めて、人心地で刃を握るのでしょう」
「……」
レオンは何も答える事が出来ない。
どう答えれば良いのか、解らない。
――ふと。
エリーゼは軽く息を吐きつつ、微かに笑った。
レオンは小さく問い掛ける。
「――エリーゼ?」
「いえ……」
エリーゼはそっと首を振り、薄く眼を開くと俯いたまま答えた。
「想いを口にする事で、幾分胸の裡が楽になりました……」
「……そうか」
レオンは答える。
そして、これからも思う事があれば何でも言って欲しい――そう続けた。
◆ ◇ ◆ ◇
その後、タイプアウトされたエリーゼの身体情報を元に、レオンは改めて問診を行う。
再錬成半ばの身体に異常が生じていないか、詳細に確認する。
カトリーヌは『錬成用生成器』に満ちる希釈エーテル製剤の濃度を微調整する。
ヨハンはドロテアと共に、『差分解析機』を用いて現状把握を続ける。
全ての工程が終了すると、エリーゼはレオンに言った。
「――身体を休めるので、暫く睡眠状態を維持します」
そのままエリーゼは意識を閉ざした。
◆ ◇ ◆ ◇
工房内には『差分解析機』の歯車が噛み合う音だけが、静かに響いていた。
レオンも、ヨハンも、カトリーヌも、誰も何も言わなかった。
何も言えないのだ――レオンはそう思う。
エリーゼの心に寄り添う、その困難さに言葉を失っているのだろう。
刃を握り、敵対する者を自らの手で殺傷する。
どの様な心理でそれを成すのか、想像もつかない。
いや……想像はつかなくとも、その覚悟はあった筈なのだ。
その覚悟をもって子供達の為、『グランギニョール』への参加を決めたのだ。
父・マルセルの悪意を退ける為、エリーゼの進言を聞き入れたのだ。
しかし、その重さについての思慮が浅く、事実に遠く及ばなかった。
敵対する者を殺傷する行為に、自らも加担する――その事実に思い至らなかった。
思い至らぬが故、現状のエリーゼに寄り添う事が出来ない。
エリーゼは『アーデルツ』の想いに触れ、自身の在り方に疑問を持ったのだろうか。
そんなエリーゼに、なんと声を掛けるべきだったのか。
気にしなくても良いと伝えれば良かったのか。
或いは次の仕合も負けるなと、励ませば良かったのか。
選ぶ言葉が見当たらなかった。
「――あの問診で、僕は正しかったと思う。レオン君は間違っていないよ」
思い悩んでいると、声が投げ掛けられる。
レオンは顔を上げ、振り返る。
『差分解析機』の前に座るヨハンだ。
ヨハンは穏やかな眼差しで続けた。
「さっきはエリーゼ君の状態について、レオン君に負担を掛ける様な事を言ってしまったが……結局のところ、やるべき事に全力で取り組む、それで十分だろう」
確かにそれしか無いのかも知れない。
レオンは小さく頷き応じる。
ヨハンは続ける。
「エリーゼ君は……状態はどうであれ、仕合を行う心積もりでいる。ならば僕らも最後まで手を尽くす事に変わりは無い。今の問診も有効だった筈だ。状況は改善されたと考えるべきだ」
「……私も、そう思います」
ヨハンの言葉を引き継いだのはカトリーヌだった。
カトリーヌは出力された用紙の束を手にしたまま言った。
「出来る限りの事をする、それ以上に正しい事は、今は無いと思うんです――昨日、レオン先生やモルティエ様に、散々ご迷惑をお掛けしておきながら、こんな事を言うのは差し出がましいとは思うのですが……」
「いや――そんな事は無いよ、シスター・カトリーヌ。ありがとう、君の言う通りだ」
カトリーヌの方へ向き直り、レオンは微笑む。
また、ヨハンにも謝意を伝える。
ヨハンは頷き、改めて口を開く。
「僕は一旦『シュミット商会』の工房へ戻り、エリーゼ君の『強化外殻』を再度調整しておくよ。麻痺が残る腕と脚――外殻側で完璧に対応出来るよう仕上げる」
「ありがとうございます、ヨハンさん」
ヨハンは片手を挙げて応じると、戸口の方へ歩き出した。
・レオン=孤児院「ヤドリギ園」で働く練成技師。エリーゼの後見人。
・ヨハン=シュミット商会の代表。マルセルの再来と呼ばれる程、腕が立つ。
・カトリーヌ=グランマリー教のシスター。レオンのアシスタントを務める。
・ドロテア=ヨハンが錬成したオートマータ。エリーゼのサポートを行う。
・シャルル=貴族でありレオンの旧友。レオンよりアーデルツを預かっていた。
・エリーゼ=レオンが管理するオートマータ。高性能だが戦闘用の身体では無い。
・アーデルツ=レオンが錬成したドリアードの魂を有する非戦闘型オートマータ。




