第二十八話 夢幻
・前回までのあらすじ
天才錬成技師・マルセルの左腕をもぎ取り、義肢の装着を余儀なくさせたのは、マルセルが錬成したオートマータ、オランジュの仕業だった。その一方で重傷を負ったマルセルの右腕に適切な応急処置を施したのは、マルセルの息子であるレオンであり、暴走し掛けていたオランジュは、レオンの冷静な対応に免じてマルセルを許し、マルセルもまた自分の息子の天才性を確認し、歓喜していた。
その話を聞いたベネックス所長は呆れつつも、マルセルの推し進める策謀から降りる事は考えず、マルセルもまた、自身の計画を公安組織である『マリー直轄部会』が嗅ぎつけられつつあると知りながらも、絶対の余裕を見せるのだった。
薄紅色の希釈エーテル製剤で満たされた円筒形の水槽――『錬成用生成器』。
天面部には酸素と希釈エーテルの循環、更に『音響解析』用の機器が設けられている。
エーテル製剤の中、水槽内下部に爪先立つ形で浮かぶのは、肌を晒したエリーゼだ。
小さな身体の至る所に傷を負い、未だ縫合痕も消えてはいない。
プラチナのロングヘアを漂わせながら白い顔を伏せ、静かに目蓋を閉じている。
水槽の中で眠るエリーゼと向き合っているのは、白衣を纏うレオンだ。
『差分解析機』より出力された用紙を確認しつつ、エリーゼの状態を観察している。
レオンの背後には濃紺の修道服姿のカトリーヌが控え、その隣りには頸椎に複数のケーブルを繋いだドロテアが椅子に腰を下ろしている。
更に『差分解析機』のコンソール前には、スーツを着込んだヨハンの姿もある。
「オートマータの睡眠は基本的に自発的なものだが……今のエリーゼ君は違う」
「ええ……連戦の疲労に加えて、負傷箇所の再錬成を繰り返した事が原因でしょう」
横手から声を掛けるヨハンに、レオンが応じた。
ヨハンの言葉通り、オートマータは自然に入眠する事は無い。
『人工脳髄』の疲労を回復させるべく、自らの意思で意識を遮断して睡眠状態に至る。
だが現状のエリーゼは違う、極度の疲労から意識低下の状態に陥っている。
負傷が癒えぬうちに連戦を繰り返し、その都度負傷しては再錬成で補う――通常では考えられぬほどの負荷が心身に加わっていた。疲労と負傷の深さ故に、睡眠の状態を自身の意思で維持出来なくなっているのだろう。
救いがあるとするなら『人工脳髄』及び脳髄に付随する『神経網』に、異常が見当たらなかった事だ。とはいえエリーゼの心身が不安定な状態にある事は事実であり、楽観視する事は出来なかった。
「恐らく覚醒を促す刺激を与えれば目を覚ますだろうが……状況の改善に繋がる明確な手段が無い事を考慮するなら、今は安静を維持した方が良いのかも知れないな」
「そうですね、観察しながら自然回復を待ちます」
その時、工房備えつけの電話機が、甲高い呼び出し音を発した。
この電話はシャルル邸のみと繋がる直通回線だ、故に通話の相手も限られている。
レオンはヨハンに断りを入れると壁際へ近づき、受話器を手に取った。
「レオンだ、シャルルか?」
「ああ、俺だ」
当然の様に受話器から響くのはシャルルの声だ。
発言が続く。
「――『ヤドリギ園』を『ゲヌキス領』へ移設する話だが、『ヤドリギ園』と『衆光会』の双方へ伝えた。どちらも信じ難いと驚いてはいたが、悪くない反応だ。もちろんレオンの施術如何で状況は変わるんだが……そちらはどうだった?」
ヨハンから状況は聞いていた。
ラークン伯より持ち掛けられた『ヤドリギ園』移設の件を、シャルルが『ヤドリギ園』と『衆光会』へ打診すべく動いていると。
レオンは返答する。
「大丈夫だ、施術は無事に終了した。ラークン伯お抱えの技師に後を引き継いだが、問題は無い筈だ。それと伯爵から『ヤドリギ園』移設について後日、正式に書面を送付すると聞かされた、詳細は書面を確認して欲しい」
『ヤドリギ園』をラークン伯が治める『ゲヌキス領』へ移設する計画は、確かに急ではあったものの、金銭的に問題を抱える『衆光会』としても、『工業区画』近郊の危険な場所で子供達を庇護せざるを得なかった『ヤドリギ園』としても、決して悪い話では無かったのだろう。特に『ヤドリギ園』にしてみれば、不景気故に働き口の少ない都市部で、子供達の自立が難しい事を踏まえたなら、これはむしろ好機であったのかも知れない。
確かに貧民街と化した『歯車街』とは決別する事になる――が、『ヤドリギ園』の本分は孤児院であり、子供達の為に最善を尽くす選択をシスター達が下したのは、苦渋の決断であったにせよ、当然であるとも言えた。
更にレオンは続ける。
「もう一つ……もしも『ナヴゥル』の容態に変化があった場合、シャルルの邸宅へ電話回線を繋ぐよう、向こうの技師に回線のアドレスを伝えてある。僕の工房はシャルル邸の電話と直通で、他に繋ぐ事が出来ないからね」
「解った、その時は対応する。それとレオン、ヨハンさんから話を聞いていると思うが……」
何処か沈んだシャルルの声音に、レオンは言わんとしている内容を察して応じた。
「――『マリー直轄部会』の話か……聞いている。一週間後に仕合を行う方向で、こちらでは調整を続けている」
「そうか……エリーゼの事では力になれないが、土地に関する交渉は任せてくれ」
「ありがとう、シャルル」
「ああ」
通話を終えて受話器を置いたレオンは、改めて『錬成用生成器』の方へ向かう。
とはいえ今しがたヨハンと話し合った通り、状態の観察以外にすべき事が無い。
ならばヨハンとドロテアには、自宅での休息を勧めるべきかも知れない。
シスター・カトリーヌにも休息を取らせるべきだろう。
そんな事を考えていると『差分解析機』の前に座るヨハンが、タイプアウトされる用紙を手に声を上げた。
「エリーゼ君の意識レベルに変化があった、恐らく覚醒する筈だ」
頷き応じたレオンは水槽のガラス越しに、目蓋を閉じるエリーゼを見つめる。
カトリーヌもまた、ヨハンの言葉を受けて『錬成用生成器』に近づく。
薄紅色に透き通る希釈エーテル製剤の中、エリーゼの長い睫毛が震える。
やがてゆっくりと目蓋が開き、ピジョンブラッドの瞳がレオンとカトリーヌを映した。
「体調はどうだ、エリーゼ」
「……エリーゼ、気分はどう?」
「ご主人様……シスター・カトリーヌ……」
『錬成用生成器』に取り付けられた伝声管より、エリーゼのくぐもった声が響く。
口許を酸素吸入器で覆っている為、表情は良く解らない。
ただ、長い睫毛に縁どられた切れ長の眼は、言い様の無い憂いを帯びている。
その眼が軽く伏せられ、改めてエリーゼの声が伝声管より流れた。
「シスター・カトリーヌ、昨晩の礼を失した言動、心より謝罪致します……」
「ううん、気にしなくて良いよ。エリーゼは何も悪くないんだから」
謝意を示そうとするエリーゼに、カトリーヌは穏やかな口調で応じる。
エリーゼを気遣い、心苦しさを感じさせぬ様、配慮しているのだろう。
「ですが……」
「それよりも傷の具合はどう? 痛みや不具合を感じるところは無い?」
カトリーヌの問いにエリーゼは顔を上げると、問題ございません――そう答えた。
二人のやり取りを見ていたレオンが、おもむろに口を開く。
「……エリーゼ。どんな些細な事でも良い、何か問題や違和感があるなら、相談して欲しい。僕も、カトリーヌも、ヨハンさんも、シャルルも、エリーゼの力になりたいと思っている」
言葉通りの意味だった。
エリーゼの精神的な問題に寄り添えたならと思う。
どんな些細な事でも手掛かりが欲しかった。
その結果が仕合の行方を――エリーゼの生死すら左右するかも知れない。
水槽の中からエリーゼがレオンを見遣る。
束の間の沈黙を経て、やがて小さく答えた。
「夢を……見ました」
「――夢?」
「はい……亜麻色の長い髪を束ねた少女が、青い瞳でこちらを見つめておりました」
「亜麻色の長い髪……」
心臓がひとつ、大きく打つのを感じた。
亜麻色の長い髪、青い瞳。
「太陽の光が差し込む窓辺、椅子に腰を降ろして……」
「……」
「寂しそうな眼差しで、私に話し掛けたのです」
「……なんと言っていた?」
レオンの質問を受け、エリーゼは僅かに口籠る。
しかし、すぐに続けた。
「――『先生』と『マスター』を頼みます……と」
「……」
レオンは目蓋を閉じると軽く頭を振る。
『先生』と『マスター』――その呼び方には覚えがあった。
「彼女が『アーデルツ』なんですね……」
エリーゼはそう言って、俯いた。
・レオン=孤児院「ヤドリギ園」で働く練成技師。エリーゼの後見人。
・ヨハン=シュミット商会の代表。マルセルの再来と呼ばれる程、腕が立つ。
・カトリーヌ=グランマリー教のシスター。レオンのアシスタントを務める。
・ドロテア=ヨハンが錬成したオートマータ。エリーゼのサポートを行う。
・シャルル=貴族でありレオンの旧友。レオンよりアーデルツを預かっていた。
・エリーゼ=レオンが管理するオートマータ。高性能だが戦闘用の身体では無い。
・アーデルツ=レオンが錬成したドリアードの魂を有する非戦闘型オートマータ。




