第二一四話 不安
・前回までのあらすじ
トーナメントの準決勝にて一〇年無敗の絶対女王――『レジィナ・オランジュ』に敗れたナヴゥルは、頭部に重傷を負った。ナヴゥルの治療を行うべく『ヤドリギ園』周辺の土地を巡って対立していたラークン伯より、施術を依頼されたレオンは、持てる技術の限りを尽くして施術を成功させる。
「マルブランシュさん……恐れ入ります、マルブランシュさん……」
何度か声を掛けられ、レオンはようやく目を覚ます。
数時間は眠れただろうか。
視線を巡らせれば窓を塞ぐカーテンの隙間から、昼間の陽光が差し込んでいた。
革製のソファに身を横たえていたレオンは、未だ疲労の残る身体を軋ませつつ起こす。
ラークン邸宅敷地内に建てられた錬成工房――そこに隣接する建物。
伯爵お抱えの錬成技師達が、寝泊り出来る様に設けられた建物だ。
レオンはそこで仮眠を取っていた。
軽く頭を振って眠気を掃ったレオンは、傍らに立つ眼鏡を掛けた男を見上げる。
ラークン伯お抱え錬成技師の一人だった。
「お休み中のところ申し訳ない、マルブランシュさん」
「……いえ、お気になさらず。何か変化がありましたか?」
レオンの質問に丸眼鏡の錬成技師は答えた。
「ナヴゥルの意識が戻りました。血圧、心拍、体温、許容範囲、ただ……『コッペリア・エリーゼ』に伝えるべき事があると訴え続けて、興奮状態で……」
「エリーゼに? いったい何を……いや解りました、すぐに準備して伺います」
レオンはソファから立ち上がる。
丸眼鏡の技師は、工房でお待ちしますと言い残して部屋を出た。
◆ ◇ ◆ ◇
顔を洗い、手早く身支度を整えたレオンは工房へ向かう。
コンクリートで造られた巨大な錬成工房の入口は、鉄扉で閉ざされている。
鉄扉の前には黒いスーツ姿の男達が並んでいる、ラークン伯の護衛だ。
護衛達はレオンの姿を確認すると、一礼と共に工房の鉄扉を解錠した。
工房へ足を踏み入れたレオンは、白衣に着替えるとフェノール希釈溶液で消毒を行う。
そのまま工房最奥で稼動する『蒸気式精密差分解析機』の前へ、そこにはパーテーションとテントで区切られた、施術を行う為のスペースが設けられている。
レオンはテント入口から、施術スペースに立ち入った。
テントの内側は既に片づいており、施術台や施術用機器の類いは取り払われていた。
代わりに巨大水槽を思わせる『錬成用生成器』が、制御用機器と共に配置されている。
『錬成用生成器』は、レオンの工房で使用されている円筒形では無く、長方形の水槽そのものだ。水槽内は薄紅色に透き通る希釈エーテル製剤で満ちており、そこへ口許のみを酸素吸入器で覆ったナヴゥルが、肌を晒した状態で仰向けに沈み、寝かされていた。
ナヴゥルの頭部は半ば頭髪が剃られており、痛々しい縫合痕が露わとなっている。
損壊した右眼球の錬成は未だ成されていない為、右眼窩は錬成措置に反応しない金属カバーで覆われている。
そんなナヴゥルが横たわる生成器の傍らには、太った身体を白衣で包んだラークン伯が寄り添っていた。
椅子に座ったまま身を乗り出し、真っ赤な眼に涙を溜めて、ナヴゥルを見つめている。
白衣を纏う二人の技師は『差分解析機』からタイプアウトされた用紙を手に、負傷箇所の再錬成が適切に行われているかを確認していたが、レオンに気づくと歩み寄り、用紙を差し出しつつ口を開いた。
「先ほどお伝えした通り、身体状況は許容範囲、再錬成措置も問題ありません。意識も戻り、会話も可能です。ただ、心身への負担を考慮して、長時間の会話はご容赦下さい」
「――解りました、配慮します」
受け取った用紙に目を通し、レオンは頷き応じる。
そのタイミングで、しわがれた声が低く響いた。
「マルブランシュ殿……いや、マルブランシュ先生……」
振り返れば椅子から立ち上がったラークン伯が、レオンを見上げていた。
ラークン伯は丸々と突き出た腹の上に右手を添え、頭を下げた。
「ナヴゥルの施術、ありがとうございます……技師の二人より、生命に別条無しと聞き及びました。先生のおかげです、感謝致します……」
「いえ、サポートを頼んだお二人の尽力と、ラークン伯のご決断あればこそです」
レオンは右手を胸元に添え、グランマリー式の作法にて返礼する。
顔を上げたラークン伯は改めて謝意を口にし、『錬成用生成器』を右手で示した。
「マルブランシュ先生……どうかナヴゥルの話を聞いてやって下さい。先生に、いや……『コッペリア・エリーゼ』に、伝えたい事があると言って聞かんのです」
解りましたと応え、レオンは『錬成用生成器』へ近づく。
そして、希釈エーテル製剤の中で横たわるナヴゥルに声を掛けた。
「あなたの施術を担当した、レオン・ランゲ・マルブランシュです。エリーゼに伝えたい事があるのだとか……どの様な話か、仰って下さい」
薄紅色の揺らぎの中で、ナヴゥルは薄く左眼を開き、レオンを見上げた。
次いで酸素吸入器越しのくぐもった声が、伝声管から響いた。
「――我は……『レジィナ・オランジュ』と相対し、有り得ぬ『もの』を『視た』……」
「有り得ぬ『もの』……ですか?」
「決着の刹那……『勝利』と『敗北』の『可能性』を『視た』のだ……」
「……」
レオンを見つめるナヴゥルの瞳が揺れる。
眉根を寄せ、声を震わせる。
「あれは決して『幻』などでは無い、あれは、あれこそが……」
「……」
「頼む、レオン・ランゲ・マルブランシュ殿……。『コッペリア・エリーゼ』に、引き合わせて欲しい、どうしても、どうしても伝えねばならん事があるのだ……」
ナヴゥルは首を巡らせ、腕を動かそうとする。
その時『錬成用生成器』の加圧弁が音を立てて反応し、蒸気が漏れ出した。
丸眼鏡を掛けた技師の一人が歩み寄り、レオンに声を掛ける。
「マルブランシュさん……いえ、マルブランシュ先生。ナヴゥルの血圧と心拍、過負荷を示す値がタイプアウトされました。申し訳ありませんが、聞き取りはこの辺りで……」
「ええ、解りました……」
求めに応じてレオンは頷く。
しかしそれを見上げるナヴゥルが異を唱えた。
「駄目だ……伝えねばならんのだ、今のままでは勝てぬ……あの異常を伝えねば……」
「ナヴゥルよ、聞き分けよ……。何の為にマルブランシュ先生が手を尽くして下さったのか、すぐというわけにはいかんのだ……今は、己が傷を癒す事に専心せい……」
レオンの傍らに立つラークン伯が、宥める様に告げた。
ナヴゥルはラークン伯を見遣ると口を噤み、悲しげに目蓋を閉じる。
『錬成用生成器』の伝声管より、ナヴゥルの乱れた呼吸音が暫く続いた。
・レオン=孤児院「ヤドリギ園」で働く練成技師。エリーゼの後見人。
・二人の技師=ラークン伯お抱えの双子の技師。有能だが著名では無い。
・ナヴゥル=ラークン伯所有の非常に強力な戦闘用オートマータ。
・ラークン伯=ヤドリギ園一帯の土地買い上げを狙う実業家であり大貴族。




