第二一一話 失意
・前回までのあらすじ
『エリンディア遺跡』より逸失した成果物の行方を追うマルセルは、ミュラー男爵が所有する『エリス』と共謀し、ミュラー邸の工房から遺跡の成果物と『エリスのエメロード・タブレット』を奪取する事に成功する。しかし奪取の直後、マルセルはエリスを裏切り、正式な蘇生の手順を無視して、エリスの意識だけを覚醒させる。
そしてマルセルは、成果物を探し求めていたシュネス伯との約束を守り、成果物を提供する。シュネス伯は成果物の回収に満足しつつも『エルザンヌ共和国』の再興まで寿命が持たぬ事を悟り、後の事柄を孫のオスカーとマルセルに託し、息を引き取る。
マルセルは『エルザンヌ共和国』再興と、自身の望みを叶えるべく、新たな策を思いつくのだった。
淡く漂う水蒸気の中、精緻な無数の歯車が、休む事無く回転を続けている。
工房の壁面を覆う様に聳え立つ『蒸気式精密差分解析機』が稼動しているのだった。
巨大な鋼鉄製のパイプオルガンにも似た『蒸気式精密差分解析機』の傍らには、薄紅色に透き通る、希釈エーテル製剤で満たされた円筒形の水槽――『錬成用生成器』が鎮座していた。
カトリーヌは『蒸気式精密差分解析機』のコンソール前に椅子を近づけ、タイプアウトされる専用紙に目を通しながら、時折『錬成用生成器』に視線を移すと、希釈エーテル製剤に浮かぶ、傷ついたエリーゼの姿を見守る。
一糸纏わぬエリーゼの裸身には、幾筋もの縫合痕が刻まれていた。
そんな痛々しい裸身の各所からは、何本もの金属ソケットが露出している。
ソケットにはそれぞれ赤と青のケーブル群が接続されており、希釈エーテル製剤の中で連なり揺れて、緩く弧を描きながら生成器上部へと吸い込まれていた。
それらケーブル群と共に、煌めくエリーゼのロングヘアが揺らめいている。
繊細なロングヘアは、口許を覆う無骨な酸素吸入器に絡まぬよう、軽く束ねられており、それ故、長い睫毛を伏せて目蓋と閉じ、穏やかに眠る目許が良く見えた。
しかし、そんな穏やかさとは裏腹に、エリーゼの状況は芳しく無い。
確かに『錬成用生成器』による身体の再錬成措置は、適切に行われている。
『グランギニョール』で受けた裂傷も、浅くは無いが一週間もすれば全て塞がる筈だ。
筋繊維及び骨格、神経網に受けたダメージも、一週間あれば八割方回復するだろう。
だが、シスター・マグノリアの『針』にて刺突を受けた右上腕と左足首には、未だ重篤な麻痺が残っており、一週間では回復が覚束ない。
麻痺した部位の『神経網』を、外科的に治療するしか無いのかも知れない。
いずれにしても、一週間での回復は不可能だ。
にも関わらず一週間後、エリーゼは仕合を行わねばならない。
それは回避する事も、逃げる事も許されない仕合だ。
『マリー直轄部会』との『司法取引』を成立させる為の仕合だった。
◆ ◇ ◆ ◇
――四〇年前。
『神聖帝国ガラリア』にて行われた特殊なオートマータの起動プロジェクトは、凄惨な事故を引き起こし幕を閉じた。
『エリンディア遺跡』より出土した『神性帯びたるエメロード・タブレット』――『タブラ・スマラグディナ』。その『タブラ・スマラグディナ』を搭載したオートマータが、起動と同時に暴走したのだ。
プロジェクトに参加した錬成技師チーム、警備を担当した衛士小隊、観覧希望を希望した複数の貴族、その他数十名を巻き込む大事故だった。
想像を超える甚大な被害を受けて『錬成機関院』及び『枢機機関院』は『タブラ・スマラグディナ』を禁制品に指定、ガラリア国内での所持使用を一切禁じたのだった。
しかし、そんな危険な禁制品が密かに拡散されている可能性を、公安組織である『マリー直轄部会』が察知、独自に調査を開始する。
その結果、『錬成機関院』にも強い影響力を持つ高名な錬成技師『マルセル・マルブランシュ』が、『タブラ・スマラグディナ』拡散の手引きを行っている可能性が高い――『マリー直轄部会』は、その様に判断していた。
エリーゼの後見人たるレオンは、マルセルの実子だ。
更に『マリー直轄部会』所属の『シスター・マグノリア』は、エリーゼの立ち居振る舞いと戦闘手法に強い疑念を抱いていた。
それら二つの事柄から『マリー直轄部会』は、エリーゼに疑惑の目を向けていた。
『タブラ・スマラグディナ』の使用、それがエリーゼに掛けられた嫌疑だった。
嫌疑を晴らすべくエリーゼの身柄を『マリー直轄部会』に引き渡し、頭部を開いて『タブラ・スマラグディナ』の使用を確認するか。
或いは、現在行われている『トーナメント戦』への参加を続行し、マルセルが所有するオートマータ――『レジィナ・オランジュ』を、決死決着にて討ち取るか。
討ち取った『コッペリア・オランジュ』に『タブラ・スマラグディナ』が使用されていたなら、それはマルセルの不正を暴く為の絶対的な証拠となる。
そうなればエリーゼを検証して、間接的にマルセルの証拠を探る必要は無い。
それが『マリー直轄部会』より提示された『司法取引』だった。
◆ ◇ ◆ ◇
カトリーヌは『差分解析機』からタイプアウトされた専用用紙を手に取る。
そこにはエリーゼの身体情報が記載されている。
疲労と負傷は未だ癒えぬ状態だが、脈拍と体温は安定している事を告げている。
傍らではオートマータのドロテアが、椅子に腰を下ろしたまま俯き、静かに寝息を立てている。その首筋からは複数のケーブルが伸びており、『錬成用生成器』を介してエリーゼと繋がる事で、その身体情報をリアルタイムに確認、把握していた。
ドロテアの主でありエリーゼの調整に協力しているヨハンは、二時間ほど前に工房の小部屋で仮眠を取るべく、席を外している。
エリーゼの状態が安定していると判断しての離席だった。
確かに体調の急変は無さそうだと、カトリーヌもそう感じている。
ゆっくりと天井を仰ぎ、目頭の辺りを親指と人差し指で揉む。
僅かに緊張が解けたカトリーヌは、身体の奥から疲労が滲み出すのを感じていた。
それは無理もない事だった。
今日一日だけで、耐え難い事柄が幾つも押し寄せて来たのだ。
エリーゼとシスター・マグノリアの凄惨過ぎる仕合。
ラークン伯と交わした『コッペリア・ナヴゥル』及び『ヤドリギ園』を巡る取り引き。
エリーゼの身柄を懸けて行われた『マリー直轄部会』との司法取り引き。
エリーゼの全身を蝕む、夥しい負傷。
乗り越えねばならぬ数々の問題に直面し、絶えず神経を擦り減らしていた。
このままエリーゼの状態が安定するなら仮眠を取ろう――カトリーヌは軽く息を吐く。
――が、眠っていた筈のドロテアが、不意に顔を上げた。
次いで『錬成用生成器』上部の金属パーツから、微かに水蒸気が漏れ出す。
加圧弁がエリーゼの身体状況に反応、適切な圧力となる様に自動調整されたのだ。
同時に、コンソール脇に設置された印字機器が稼動する。
デイジーホイール状に並んだ印字用金属アームが、カタカタと波打つ。
変化に気づいたカトリーヌは『錬成用生成器』内のエリーゼを見遣る。
薄紅色に滲む水槽の中でエリーゼは、微かに眉根を寄せていた。
その表情は、苦悶している様にも見えた。
思わず声を掛ける。
「――エリーゼ?」
カトリーヌは椅子から立ち上がると『錬成用生成器』の方へ歩み寄る。
すると希釈エーテル製剤に浮かぶエリーゼが睫毛を震わせ、ゆっくりと目蓋を開いた。
「シスター・カトリーヌ……」
囁くほどに小さな声が、カトリーヌの耳朶を打つ。
伝声管越しに聞こえる、エリーゼの声だ。
「良かった。ずっと眠ったままだったから、少し心配してた……」
カトリーヌは覚醒したエリーゼに安堵し、微笑む。
しかしすぐに姿勢を正すと、頭を下げた。
謝意を伝える為だった。
「……エリーゼ、聞いて? 私、仕合を終えたばかりのエリーゼに酷い事を言った。その後もエリーゼの手当てもせずに逃げ出した。本当にごめんなさい……反省してる」
数時間前、エリーゼがシスター・マグノリアとの仕合を終えた直後。
『待機スペース』に戻った血塗れのエリーゼに対してカトリーヌは、こんな事は耐えられないと伝え、項垂れて泣き伏し、すべき事を全て放棄した。
レオンとシャルル、ヨハンの三人は、その事を責めたりなどしなかった。
カトリーヌの事情を知っていた為だ。
それでもカトリーヌは、自身の身勝手な行いが許せなかった。
深く恥じ入り、謝罪したいと思っていた。
頭を下げたまま、言葉を続けた。
「もうそんな事しない。もう迷わない。ごめんね、エリーゼ……」
しかし、カトリーヌの発した謝罪の言葉を、エリーゼの消え入りそうな声が遮った。
「謝罪すべきは私です……」
思いがけぬ言葉にカトリーヌは顔を上げ、エリーゼを見つめる。
エリーゼはカトリーヌの視線を避けるかの様に、顔を伏せていた。
「ううん、そんなこと無いよ。エリーゼが謝ることなんて無い」
カトリーヌは執り成す様に、そう伝える。
事実、エリーゼが謝罪すべき事なんて無いと思っている。
むしろ、エリーゼの苦痛を顧みずに取り乱した、自身の弱さこそ謝罪すべきだろう。
それでもエリーゼは僅かに頭を振り、否定の意を示した。
「違うのです……」
「……え?」
何が違うのか、カトリーヌには解らない。
エリーゼは俯いたまま口を開く。
「仕合前、私はシスター・カトリーヌが望む形で仕合を終えると約束し、シスター・マグノリアと相対しました。確かに不殺のまま仕合を終える事は出来ました。ですが私は……それを成すべく、仕合前よりシスター・カトリーヌの事を、裏切っておりました……」
「裏切って……?」
エリーゼが何を言わんとしているのか。
確かに仕合は凄惨だった。
あまりの凄惨さに耐え切れず、カトリーヌは取り乱した。
それでもエリーゼは動ずる事無く仕合を続行し、カトリーヌとの約束を守ったのだ。
エリーゼが謝罪すべき事など、やはり無いと思う。
エリーゼは更に続けた。
「……仕合に際してモルティエ様は、シスター・カトリーヌに代わり、介添え人を務めると仰いました。それはシスター・カトリーヌを慮っての言葉でした。ですが私は、シスター・カトリーヌのサポートが必須だと伝え、モルティエ様の申し出を断りました」
「……」
「それは『策』を用いる為の方便……私は『ヤドリギ園』の子供達やご主人様、シスター・カトリーヌとの生活を愛おしいと口にしながら、その実、闘争に際しては勝算を打算し、合理を優先し、シスター・カトリーヌを利用し、その心情を踏み躙りました……」
「エリーゼ……」
顔を上げる事無く、エリーゼは静かに言葉を紡ぐ。
カトリーヌは『錬成用生成器』の前に立ち尽くし、動けない。
「仕合の最中、私は敢えて、シスター・カトリーヌの目前で声を上げました……。血に塗れた私と、シスター・マグノリアが刃を交えるところを、シスター・カトリーヌに見せる為に……。必ずシスター・カトリーヌは取り乱すと……そしてシスター・カトリーヌの取り乱した姿は、必ずシスター・マグノリアの精神を揺さぶり、隙を生じさせるはずと……」
「……」
カトリーヌの背後から、すすり泣く声が低く響いた。
それはドロテアの嗚咽だった。
接続ケーブルを介してエリーゼの神経網と繋がるドロテアが、椅子に腰を下ろしたまま両手で顔を覆い、俯き泣いていた。
「シスター・カトリーヌとの約束を果たす、子供達にこれ以上の業を背負わせぬ……その願いを叶えんと選択した策が『それ』なのです。私は、闘争の中に見た筈の、刹那に咲き誇る華の真実すら……」
「……」
「よもやこれほどに、胸の裡が軋むほどに……なぜ私はこの様な選択が行えるのか……」
「……」
「愛おしむべき人の為、決然と刃を構えるフリをしながら、その実、愛おしむべき人の想いを闘争の具とする事に躊躇が無い、その無思慮、その無分別。この様な、これを闘争と呼ぶ事など烏滸がましい……」
「……」
紡がれ続けるエリーゼの言葉は止まらなかった。
発せられる声音は憂いを帯びており、如何ともし難く震えていた。
「否……違いましょう。きっと闘争とは……華も無く、愉悦も無く、瀬戸際に在り続ける資格とは、誇るべき事ですら無く、或いは唾棄すべき醜悪なものと、そう断ぜられても仕方の無いもの……」
「……」
「そんなものを誉として私は……なんと浅ましく、なんと愚かな……。ですが安寧を望み、穏やかに暮らす人々にとっては……。シスター・カトリーヌにとっても……シスター達にとっても……子供達にとっても……マスターにとっても……先生にとっても……それが、それこそが……」
「……」
「きっとそれこそが……闘争の本質……だったのでしょう……」
「エリーゼ……」
俯いたまま絞り出すようにそう呟き、エリーゼは再び目蓋を閉じた。
悲嘆に満ちたドロテアの嗚咽は留まる事無く、工房に響き続けた。
・カトリーヌ=グランマリー教のシスター。レオンのアシスタントを務める。
・ドロテア=ヨハンが錬成したオートマータ。エリーゼのサポートを行う。
・エリーゼ=レオンが管理するオートマータ。高性能だが戦闘用の身体では無い。




