第二一〇話 神性
・前回までのあらすじ
『エリンディア遺跡』より逸失した成果物の行方を追うマルセルは、ミュラー男爵が所有する『エリス』と共謀、その後、エリスの計画に沿って工房へ潜入、『エリンディア遺跡』の成果物と『エリス』の魂が宿るタブレットを、ミュラー邸の工房から見事奪取する事に成功する。
数多の民が、人を凌駕する存在として『妖魔精霊』を思い描く。
突出した『能力』と圧倒的な『個性』。
人並外れた超常をこそ望まれた存在が『妖魔精霊』だ。
実体は持たずとも畏敬と羨望を以て、その存在を強く祈願され続けた。
それは『妖魔精霊』の多くが、いにしえの神々である為だ。
妖しげな魔を司り人々を惑わす――『グランマリー教団』に、その様な烙印を押された古き神々だが、長い歳月を経て彼らは『妖魔精霊』となった。
オートマータは、そんな『妖魔精霊』の性質を魂に宿し、この世に顕現する。
ある者は傍若無人に振る舞い、ある者は己の強さを殊更に誇示する。
ある者は非道な行いに抵抗が無く、ある者は強さを誇る他者を憎悪する。
その立ち居振る舞いが妖しげで、魔を司るかの様であるのは、数多の民が望んだ結果だ。
「――確かにキミは優秀だ、ボクが認めざるを得ないと感じた瞬間があったほどにね……それでもキミは『妖魔精霊』なのさ」
ワインが注がれたマグカップを傾けつつ、マルセルは言う。
シャツのボタンを外した格好でベッドの縁に腰を下ろし、唇を歪める。
「いや――『タブラ・スマラグディナ』か。或いはもっと高次の『何か』が顕現したのかも知れない。だから人間を好きに出来る『権利』があると、確信していたのかも知れない。でもね? 例え『妖魔精霊』を超える存在であったとしても、所詮は憐れで身勝手な有象無象――『民草』の想いが結晶した『俗』な存在に過ぎないんだよ」
二杯目のワインを飲み干したマルセルは、ゆっくりと立ち上がる。
そしてテーブルの上に置かれたジュエリーボックスへ近づく。
ボックスを手に取ると、留め金を外して蓋を開け、ビロードに保護された『簡易生成器』を取り出す。
小型のガラス水槽を思わせる『簡易生成器』内は、透明な薄紅色の希釈エーテル製剤で満ちており、その底には『エリス』の『タブラ・スマラグディナ』が固定されていた。
薄翠色に煌めく『タブラ・スマラグディナ』は、精緻な宝飾品の様にも見える。
しかし、その煌めきの中には『エリス』の魂が宿されているのだ。
マルセルは『簡易生成器』の底面を探る。
金属パーツで構成された底面は『簡易生成器』の制御部位だ。
スライド式スイッチを指先で捉え、制御状態を変更する。
スイッチを『起動』に切り替えたのだ。
つまりマルセルは『エリス』の意識を『休眠』から『覚醒』へと切り替えていた。
本来『エメロード・タブレット』単体での起動は、『差分解析機』の機能を用いて、身体感覚を模した疑似信号を送り、タブレットに定着した魂の状態を確認する為に行う、一次的な処置に過ぎない。
しかしマルセルは『差分解析機』に繋ぐ事無く、タブレットを起動した。
つまり『エリス』は、視覚、聴覚、嗅覚、触覚、痛覚はおろか、体内の臓器感覚すら知覚出来ぬまま、覚醒を強要されたに等しい。
それはまさに漆黒虚無の空間へ突如として投げ出された様な状態だ。
常人なら三〇分も経たぬうちに、精神が崩壊するだろう。
にも関わらずマルセルは『エリス』の意識を覚醒状態に留め置いたまま、元のジュエリーボックスへ『タブラ・スマラグディナ』を片づけた。
そして、三杯目のワインをマグカップに注ぐ。
カップを手に取ると、改めて口をつける。
半分ほど飲み干し、そして息を吐く。
「……憐れな『民草』は己らに都合の良い結果だけを哀願し、人間を慈悲の眼で見下ろす『神』なんて概念を生み出した。惰弱な我々を導けと、貧弱な我々を誘えと、畏敬の念を以て祈り望んだ。だから『神』と、その眷属は無駄に傲慢なのさ。ボクはそんなモノに縋らない」
マグカップの内で紅く透き通るワインを見つめながら、低く呟いた。
「ボクは想像を超えて創造する事の悦びを知る『錬成技師』だ。ボクにとって『神性』は道具だ。ならば道具足り得ない『神性』なんてモノは全て否定する」
◆ ◇ ◆ ◇
数週間後――マルセルは『ウェルバーグ公国』での活動を終えて出国する。
そのまま『シュネス平安財団』のクルーゾーと共に『エルザンヌ共和国』へ帰還した。
エリスを失ったミュラー男爵はどうなったのか。
後にフルニエが鉱物資源の定期購入を二年間継続する旨、男爵に伝えるべく邸宅を訪問したところ、立ち入った邸内は酷く荒れ果て、応接室で再開した男爵もまた、髭も剃らぬ乱れた姿で酒気を帯び、呂律の回らぬ口調で取り引きの継続を喜びつつ、しかし力無く嗤ったそうだ。
男爵はフルニエに対して独り言の様にポツポツと、所有していた『エリス』がメンテナンス中に暴走、錬成技師達に重傷を負わせた上で自壊したと告げた。
その事故が原因で、男爵につき従っていた執事にも見限られたのだと言う。
最後に参加した『ジングシュピル』の戦勝で得た莫大な払い戻しと、地下資源の輸出ビジネス継続が無ければ首でも括りたい気分だと、男爵は自嘲気味に呟いた――その様に伝えられた。
そう――『エリス』の『タブラ・スマラグディナ』とすり替えるべく、一ヶ月掛けてマルセルが錬成した『エメロード・タブレット』は、狂暴な精霊である『ナックラビー』の顕現を目指したものだった。
『ナックラビー』の顕現に成功したなら、勇猛かつ強力無比なオートマータとして完成しただろう。
しかし狂暴凶悪な『妖魔精霊』は、己が主を心底認めねば、現世で活動する事は無い。
ミュラー男爵も、彼の錬成技師達も、『ナックラビー』という強烈な個性を有する『妖魔精霊』に認められなかった、その器では無かったのだ。
最後のチャンスはくれてやった――マルセルにはその想いがあった。
◆ ◇ ◆ ◇
『エルザンヌ共和国』南端に位置するシュネス伯の領地は、有数の穀倉地帯だ。
マルセルを乗せた駆動車は、見渡す限りに広がる麦畑の只中を走り抜けて行く。
そのまま半日。
シュネス伯のマナーハウスに到着したのは、夕刻に差し掛かった頃だった。
「久しいな、同志よ……」
寝巻姿のシュネス伯は、ベッドのヘッドボードに立て掛けたクッションに身体を預けた姿勢で、軽く微笑んだ。
一〇ヶ月ぶりの再会だろうか、以前会った時より皺深く、更に痩せていた。
伯爵が身を横たえるベッドの脇には、彼の執事と、歳若い青年が立っている。
マルセルは伯爵に頭を下げると、感謝の言葉を口にする。
「これまでのご支援ご協力、心より感謝申し上げます、シュネス伯」
「クルーゾーから報告は受けているよ……こちらこそ感謝している、これで念願がひとつ叶った」
シュネス伯も謝意を以て応じ、嬉しそうに目を細めた。
ただ、青褪めたその顔色は芳しくない。
伯爵は再び口を開く。
「しかし私の代では『クレオ派錬金術』の復活と『エルザンヌ共和国』の隆盛は叶わんようだ、如何ともし難く、天命に追いつかれたというところか……」
「……」
掠れた声で告げた伯爵の微笑みは、やはり何処か寂しげだ。
マルセルは伯爵の言葉に耳を傾ける。
「だが、『エルザンヌ共和国』の為に希望は繋ぐつもりだ……挨拶なさい、オスカー」
「はい」
伯爵に促され、傍らに立つ青年が返答する。
次いでマルセルを見遣り、右手を差し出した。
「初めまして、マルブランシュさん。私はフリードリヒ・フォン・シュネスの孫――祖父より家督を継ぐ事となったオスカー……オスカル・フォン・シュネスと申します」
「初めまして、マルセル・ランゲ・マルブランシュです」
オスカーの右手を握り、マルセルは応じる。
ベッドの上から伯爵が言った。
「オスカーは学習院にて錬成科学を学び、並行して『クレオ派錬金術』の研究を独自に行っていた。私の意思と伯爵位を継ぐに相応しい者だ……そして同志マルブランシュ、君にひとつ、頼みたい事がある……」
「頼みですか?」
マルセルは伯爵を見遣る。
するとオスカーが、伯爵の言葉を引き継いだ。
「――マルブランシュさん。あなたが入手した『タブラ・スマラグディナ』、もし許されるなら、私に解析の手掛かりをご教示願えませんか?」
「手掛かりを?」
「クルーゾーより『タブラ・スマラグディナ』を預かり確認したのですが、そこに刻まれた古代文字が『クレオ派』の物である事は理解出来ました……が、失われて久しい言語だけに解析が難しい。聞けばガラリアの錬成技師は『クレオ派錬金術』の研究研鑽を正式に行っているのだとか」
オスカーは、真っ直ぐにマルセルを見据えたまま続ける。
裏表も揺らぎも無い真摯な眼差しだ。
「私も祖父も『シュネス』の人間――知識も技術も失いましたが、それでも『クレオ派錬金術師』の末裔なのです。可能ならば独力で『クレオ派錬金術』の再興を成し遂げたかった。しかし現実は厳しく、私の力だけでは祖父の悲願を叶えるには至りません。マルブランシュさん、どうかお力添えを、お願い出来ませんか?」
「……」
確かにガラリアの錬成機関院付属の学習院では『クレオ派錬金術』の研究と学習が推奨されていた。
が、同時に『クレオ派錬金術』の技術と知識は、門外不出であると定められていた。
錬成科学の発達した現世に於いて、技術と知識の独占は国力維持の要である為だ。
故に『クレオ派錬金術』の国外流出など、決して許される事では無かった。
マルセルは黙したまま、オスカーを見つめる。
オスカーは視線を逸らさない。
束の間の沈黙を経て、マルセルは軽く頷く。
おもむろに口を開き、微笑んだ。
「……解りました、協力しましょう。ボクもオスカーさんが独力で学んだ『クレオ派錬金術』の知識に興味がある。互いの知識を交換する事で『タブラ・スマラグディナ』の解析を進めようじゃありませんか。ああ……ボクの事はマルセルと呼んで下さい」
◆ ◇ ◆ ◇
その後、マルセルはシュネス伯の元に一年間滞在する。
オスカーと共に『タブラ・スマラグディナ』の解析を行う為だ。
解析に際してマルセルは『クレオ式古代文字』に関する知識をオスカーに提示した。
ガラリアの学習院で学んだ知識と『エリス』より受け取った資料に基づく知識だった。
オスカーも独自に調査した『クレオ式古代文字』に関する資料をマルセルに開示した。
互いに足りぬ知識を補い合いながら、解析作業を進めた。
しかしそれでも作業は難航し、やがて行き詰まる。
失われた一つの言語を復活させるには、足りぬピースが多過ぎた。
試行錯誤を繰り返す中、シュネス伯は解析結果を待たず夢半ばで息を引き取る。
シュネス伯の意思と家督は、伯爵の遺言通り、オスカーが継ぐ事となった。
そしてマルセルは、このタイミングで新たなアプローチを思いつく。
かつてガラリアの錬成機関院付属学習院で何度も講義を受けた『ベネックス女史』。
正当な『クレオ派錬金術師』の後継者である彼女を頼ったなら。
足りぬピースが埋まるのでは無いか。
マルセルは『クレオ派錬金術師』の末裔であるオスカーに、新たな策の実行を打診した。
・マルセル=達士、天才と呼ばれる錬成技師。レオンの実父。
・エリス=魔術を用いると評され、連勝を重ねるオートマータ。
・ミュラー男爵=エリスの主人。迂闊な性格なのか社交界で敬遠されている。
・シュネス伯=ファブリスの『エリンディア遺跡』発掘に力を貸した貴族。
・オスカー=シュネス伯爵領統治を伯爵より許された次期当主の青年。
・大使館員・クルーゾー=エルザンヌ共和国の大使館員でシュネス伯の配下。




