第二〇九話 逆心
・前回までのあらすじ
『エリンディア遺跡』より逸失した成果物の行方を追うマルセルは、ミュラー男爵が所有するエリスと共謀、エリス自身の亡命と『エリンディア遺跡』の成果物回収を画策する。エリスの亡命に際してマルセルは、エリスの『エメロード・タブレット』の代わりとなる模造品を錬成して用意、そしてエリスの計画に沿って、ミュラー邸の工房へと潜入する。
工房内を揺らぎながら漂う水蒸気は、徐々に晴れ始めていた。
『蒸気式精密差分解析機』の駆動音に混じり、換気扇の旋回音が低く響いている。
水蒸気ごと気化した『錬成パパベル・モルペウス』を排出しているのだろう。
この水蒸気が晴れたなら、『ハーブ入りグリューワイン』と『錬成パパベル・モルペウス』の効果で昏睡している錬成技師達も、遠からず意識を取り戻す筈だ。
そうなる前に目的を果たす必要がある。
エリスの魂が刻み込まれた『エメロード・タブレット』を回収するという目的だ。
マルセルは手にしたバッグより、金属製のジュエリーボックスを取り出す。
ボックスの内側はビロード貼りで、簡易濾過器付きのガラスケースが納まっている。
ガラスケースは希釈エーテル製剤で満たされており、そこにはマルセルが一ヶ月掛けて錬成した『エメロード・タブレット』が、濃緑色に発光しながら沈んでいた。
マルセルは取り出したジュエリーボックスを、眼前の施術台に乗せる。
金属フレームにて施術台に固定された『簡易生成器』の開封に取り掛かる。
『エリス』の魂を宿す『タブラ・スマラグディナ』を生成器から取り出す為だ。
生成器上部の留め金を外し、取り外す。
更に自身が用意したガラスケースの蓋も取り外す。
次いでバッグから取り出したのは、先端部の長い特殊な形状のプライヤーだ。
そして『簡易生成器』内に納まる『エリス』の『タブラ・スマラグディナ』と、予め用意しておいた『エメロード・タブレット』を、慎重に入れ替える。
エリスの魂が刻み込まれた『タブラ・スマラグディナ』は確かに特殊だ。
しかし『差分解析機』を用いて音響解析でもしない限り、その特殊性は解らない。
目視で見分けるならば、タブレットを構成する『翠玉切片』に刻まれた文字を、注意深く観察する必要がある。だが、エリスの『タブラ・スマラグディナ』は『錬成技師メルガル』が『グランマリー式』古代言語と古代数字を用いて再現したものだ。
一見しただけで通常の『エメロード・タブレット』と見分ける事など出来まい。
仮にエリスの『タブラ・スマラグディナ』が、通常の『エメロード・タブレット』と大きく違うなら、マルセルが『エメロード・タブレット』の錬成を請け負うと申し出た時点で、エリスがその事を伝えただろう。
いずれにせよマルセルが錬成した『エメロード・タブレット』と『エリス』の『タブラ・スマラグディナ』入れ替えを、現段階で見破る事は困難だ。
また、ミュラー男爵お抱えの若い技師達は、恐らく『タブラ・スマラグディナ』を乗せ換えにあたって、『差分解析機』の記憶箱に記録された手順を自動再生し、無難かつ確実に作業を行おうとするだろう。だからこそ休憩中にワインを楽しんでいる。
マルセルの『エメロード・タブレット』を新たな身体に乗せ換え、適切に起動しないと悟るその瞬間まで気づくまい。
入れ替え作業を終えたマルセルは、未だ目を覚ます様子の無い技師達を確認すると、稼動を続ける『差分解析機』の重厚な金属フレームに近づく。
床に片膝を着き身を屈めると、そのまま『差分解析機』と壁の隙間に手を差し込む。
軽く探れば、硬質な感触が指先より伝わる。
掴んで取り出せば、それは小型のトランクケースだった。
マルセルはトランクケースを開く。
そこには分厚い封筒と、鈍く光るジュエリーボックスが納まっていた。
折り畳まれた書類の束を封筒から抜き出し、目を通す。
用紙は細かな文字で、隙間無く埋め尽くされている。
それは『クレオ式古代文字』に関する資料だった。
次いでジュエリーボックスを手に取り、蓋の留め金を外して中を確認する。
「……」
ベルベットの緩衝材に包まる『タブラ・スマラグディナ』があった。
マルセルは手早くジュエリーボックスと封筒をトランクケースへ片づける。
そのまま、革の鞄と纏めて抱える。
この工房で行うべき事を全て終えたマルセルは、周囲を見回す。
アルコールとドラッグで身動き出来ない技師達にも変化は無い。
『差分解析機』の挙動も安定している。
手抜かりや見落としは無い。
マルセルは工房へ立ち入った時と同じく、足音も立てず退出した。
鍵を閉め、マスクを外し、通用門を抜け出て、そのまま住宅街へ。
街灯の下を俯きがちに歩き続ければ、片道二車線の車道へ辿り着く。
顔を上げたマルセルの見据える先、その路肩には黒塗りの蒸気駆動車が停まっていた。
◆ ◇ ◆ ◇
マルセルは駆動車の窓ガラスを、指で軽くノックする。
運転手が窓を開ける――『シュネス平安財団』職員のクルーゾーだった。
「乗ってくれ」
「ああ……」
乗車を促すクルーゾーに、マルセルは短く応じる。
ドアを開けると後部座席に乗り込んだ。
同時にクルーゾーは、スチームエンジンを駆動させる。
微かな振動と共に、駆動車は走り始める。
後方へ流れる街灯の明かりを横目に、マルセルは座席へ深くもたれ掛かる。
「……それでどうだった? マルブランシュさん。『エリス』から『成果物』を受け取る事は出来たのかな?」
「ああ、大丈夫だ。間違い無く受け取る事が出来た。『エリンディア遺跡』の成果物たる『タブラ・スマラグディナ』をね」
「そうか、シュネス伯もお喜びになる、我々の悲願達成も近づこうというものだ……」
「……」
クルーゾーはマルセルの報告に口許を綻ばせると、感慨深げに呟いた。
彼が所属する『シュネス平安財団』は、その代表たるシュネス伯爵の悲願――『クレオ派錬金術』の復活を以て『エルザンヌ共和国』の隆盛を実現せしむる事――を叶える為に活動している。
クルーゾーもまた『エルザンヌ共和国』の隆盛を夢見ているのだろう。
「しかし取り引きの材料が、ミュラー男爵との貿易を二年継続とはな……フルニエの話を聞く限り『エリス』というオートマータは、自分の主であるミュラー男爵を何とも思って無いんだろう? まあ試算では五〇〇万クシールの損失で済む話ではあるんだが……」
バックミラー越しにマルセルを見遣ったクルーゾーは、改めて口を開く。
マルセルは視線を逸らし、車窓へ目を向けると低く応じた。
「……すまない、『エリス』はボクが『神聖帝国ガラリア』の錬成技師である事を察したんだ。あの時点でボクには言い逃れる術が無かった。『ウェルバーグ公国』とガラリアは対立関係にあり国交が無い、にも関わらずボクは入国を果たしている。行動を共にしている『シュネス平安財団』との関係も疑われた筈だ。五〇〇万クシールの損害は、ボクの軽率さが招いたミスだよ」
「何を言うんだ、マルブランシュさん。あなたの行動が無ければ『タブラ・スマラグディナ』は所在不明のまま、入手は不可能だった。それにシュネス伯爵は、ミュラー男爵との取引に一〇〇〇万クシールまで用立てる事を認めていたんだ、許容範囲内さ。念の為にホテルへ仮住まいだって移したんだ、言い逃れの方法は作ってある」
謝意を示したマルセルに、クルーゾーは微笑みながら軽く首を振り執り成した。
確かにマルセルは、二〇年以上も前からシュネス伯が探し求めていた『エリンディア遺跡』の成果物――『タブラ・スマラグディナ』を回収する事に成功したのだ。
これ以上の成功は考えられまい、マルセルが口にした落ち度など、些細な事だ。
最悪『エリス』が裏切り、マルセルと『シュネス平安財団』との関係を『ウェルバーグ公国』の社交界や政財界で吹聴して回ったとしても、ミュラー男爵の評判と素行の悪さを考えれば、そこまで酷い状況に陥るとは考えにくい。
また、男爵や『エリス』に気取られるよりも先に、外交官用の高層住宅からホテルへ、マルセルの居場所を移動しておいた事も、ギリギリ無関係を装う為の言い訳にはなる。
故にクルーゾーは、今回の結果に満足していた。
程無くして駆動車は、ホテル前に到着する。
後部座席を降りたマルセルは、運転席横の窓ガラスをノックする。
クルーゾーが窓を開けると、マルセルは『タブラ・スマラグディナ』が納められたジュエリーボックスを差し出した。
後部座席に座っている時、トランクから取り出していたのだろう。
「これを持って行ってくれ。『エリンディア遺跡』の成果物――『タブラ・スマラグディナ』だ」
「良いのか? 私が預かっても」
クルーゾーは運転席に座ったまま、驚いた様にマルセルを見上げる。
マルセルはクルーゾーにジュエリーボックスを手渡しながら言った。
「ああ。手ぶらで成果報告はやり辛いだろう? フルニエさんもそれを見れば喜ぶ筈だ」
クルーゾーは相好を崩すとボックスを受け取り、嬉しそうに口を開く。
「そこまで信頼されると面映ゆいな。いや、心から感謝する、マルブランシュさん」
マルセルは微笑みつつ頷き、軽く手を挙げて応じる。
クルーゾーも笑みを浮かべつつ、ゆっくりとアクセルを踏み込む。
黒塗りの駆動車は静かに走り始め、すぐに視界から消えた。
◆ ◇ ◆ ◇
ホテルの自室へ戻ったマルセルは、ネクタイを解くと椅子の背もたれに引っ掻ける。
次いでトランクケースから封筒を取り出し、テーブルの上に軽く投げる。
更に革のバッグからジュエリーボックスを取り出すと、封筒の横に置く。
その中には『エリス』の『タブラ・スマラグディナ』が納められていた。
シャツのボタンを外しつつ、蒸気圧縮式冷蔵庫からワインボトルを取り出す。
冷えたワインをデスクの上に放置されたマグカップに注ぎ、手に取る。
ベッドの縁に腰を下ろし、マグカップのワインに口をつける。
そのまま一息に呷り、深く息を吐きながら卓上のジュエリーボックスを見遣った。
「……信頼か」
誰に聞かせるでも無く呟くと、サイドボードのボトルに手を伸ばす。
改めてマグカップにワインを注ぎながら、マルセルはジュエリーボックスに囁く。
「ボクらには何の信頼も無かっただろう? そんな事、キミは気にも留めないのか?」
再びワインを口にする。
手の甲で口許を拭いながら、吐き捨てる様に言った。
「ましてや、このボクを思うがままに出来ると思ったのか? 上から見下ろすなよ……」
・マルセル=達士、天才と呼ばれる錬成技師。レオンの実父。
・大使館員・クルーゾー=エルザンヌ共和国の大使館員でシュネス伯の配下。
・大使館員・フルニエ=クルーゾーの部下でありシュネス伯の配下。
・ミュラー男爵=エリスの主人。迂闊な性格なのか社交界で敬遠されている。
・エリス=魔術を用いると評され、連勝を重ねるオートマータ。




