第二〇八話 侵入
・前回までのあらすじ
『エリンディア遺跡』より逸失した成果物の行方を追うマルセルは、ウェルバーグ公国の新興貴族・ミュラー男爵に接触、遺跡の成果物の謎を秘めていると思われるオートマータ・エリスの秘密を探るべく、ミュラー男爵が有する錬成工房へ立ち入る。そこで情報収集を行っているとエリスに遭遇、エリスはマルセルが錬成技師である事を即座に見抜き、住宅街近隣のカフェにて密会する事を持ち掛ける。
マルセルとの密会を果たしたエリスは、『エリンディア遺跡』の成果物を報酬に、ミュラー男爵の元から神聖帝国ガラリアへの亡命を希望するのだった。
『ウェルバーグ公国』都市部に建てられた、富裕層向けのグランド・ホテル。
マルセルは外交使節団職員が滞在する高層住宅から、このホテルに移動していた。
エリスに騙った『アルバン』の偽名でチェックイン、そのまま部屋に閉じ籠る。
部屋の窓を厚手のカーテンで塞ぎ、差し込んで来る陽の光を完全に遮っている。
陽光に代わり室内を照らしているのは、エーテル水銀式のアーク灯だ。
その白々とした明かりの下でマルセルは、重厚なマホガニーのデスクに向かっている。
ただし、一般的なデスクよりも天板の位置が高い。
デスクの上に作業台を設置してある為だ。
更には彫金用の丸い固定器具――ヤニ台が、作業台中央に据え置かれている。
手の届く位置に配置されたサイドテーブルには、何本もの鏨が並ぶ。
マルセルの左眼には複数のレンズで構成された、拡大ルーペが掛けられている。
拡大ルーペを通して、ヤニ台に固定された極薄の『翠玉切片』を覗き込んでいる。
右手に鏨を握り、『翠玉切片』表面に、数値化された錬成概念を僅かずつ刻み込む。
慎重に、正確に、澱み無く鏨の切っ先を滑らせ続ける。
『エメロード・タブレット』を錬成しているのだった。
ヤニ台で固定している『翠玉切片』は七センチ角、厚みは〇・五ミリ。
この切片に数式を刻み込む事で錬成概念を誘発、更に百数十枚積層させたなら『翠玉切片』は『妖魔精霊』の憑代たる『エメロード・タブレット』として完成する。
繊細な作業を集中して行うのだが、それには適度な休息が不可欠だ。
故に『エメロード・タブレット』の錬成作業には、熟練の錬成技師であっても、完成まで数ヶ月から半年、長ければ一年掛かりとなる場合もある。
しかしマルセルは、そんな難度の高い作業を一ヶ月足らずで完遂しようとしている。
ごく僅かな睡眠とエネルギー補給の時間を除き、全てを作業に注ぎ込んでいる。
常人には不可能なレベルで、極度の集中力を持続させている。
呼吸は一定であり、指先に震えは無く、視線もブレない。
『差分解析機』を構成する無数の歯車よりも正確に作業を続けている。
この驚異的な集中力が、マルセルの天才性を支えていた。
◆ ◇ ◆ ◇
『エメロード・タブレット』の錬成を開始して二週間が経過する。
作業を続けるマルセルの姿に変化は無い。
疲労を些かも感じさせぬ姿勢で、作業机に向かっている。
拡大鏡越しにヤニ台上の『翠玉切片』を凝視しつつ、右手の鏨を滑らせている。
その時、部屋のドアに取り付けられたチャイムが鳴った。
ルームサービスか、或いは荷物が届いたのだろう。
すぐに二度目のチャイムが鳴らされる、ホテルのスタッフが退出した知らせだ。
マルセルは拡大鏡を外すと、部屋のエントランスへ向かう。
そこには昼食のサンドイッチを乗せたワゴンと、小さな小包が残されていた。
マルセルはサンドイッチの並ぶ皿と共に小包を手に取り、差出人を確認する。
エリスだった。
部屋へ戻り小包を開ける。
中には数枚の便箋と布に包まった鍵が二本、納められていた。
マルセルは便箋に目を通す。
そこには次回開催される『ジングシュピル』の日付と時間、後に行われる『身体の乗り換え』施術に関する詳細な予定が記述されていた。
「……」
手紙の内容を全て記憶したマルセルは、便箋に火を着け灰皿に捨てる。
次いで二本の鍵を、シャツの胸ポケットに納める。
そのまま無言で、皿の上のサンドイッチを頬張った。
◆ ◇ ◆ ◇
『ジングシュピル』開催当日。
マルセルは『シュネス平安財団』職員・クルーゾーより、試合の結果報告を受けていた。
当然の様に戦勝したらしい。
元より負ける筈は無いと、マルセルも確信していた。
エリスは確実に異質な存在だ。
現存する数多のオートマータが、アレを正面から凌駕する姿を想像出来ない。
それほどの――それほどに極まった存在だと認識していた。
報告を受けたマルセルはクルーゾーと共に、外交官用の高層集合住宅へ移動する。
もちろん五日前に完成させた『エメロード・タブレット』と、二本の鍵は持って行く。
更にエリスが手紙内に必要と記載していた『防毒マスク』と、希釈エーテル製剤で満たされた簡易濾過装置付きガラスケースを納めたジュエリーボックスを用意する。
そのまま夜が更けるのを待って、深夜〇時過ぎ。
マルセルはクルーゾーが用意した駆動車に乗り込み、ミュラー邸近郊へ向かう。
貴族達のタウンハウスが立ち並ぶ区画に近づいたところで、駆動車を降りる。
通りにはエーテル水銀式の街灯が燈され、黄色い光源が連なる歩道を足早に歩く。
右手には防毒マスクとジュエリーボックスを納めた革製のバッグ。
幾らほども歩かぬうちに、重厚なミュラー邸のシルエットが見えて来る。
マルセルは邸宅の裏へ回ると、通用門へ近づく。
内ポケットから鍵を取り出し、解錠する。
手紙と共にエリスより送られて来た鍵だ。
「……」
開いた通用門から邸内の様子を観察するが、警備員らしき姿は見えない。
エリスが送って寄越した手紙に書いてあった通りだ。
あの実直な執事をどの様に誘導したのか、ミュラー邸内の防犯はザルだった。
マルセルは通用門を潜り抜けると足音を忍ばせつつ、裏庭に建てられた工房へ近づく。
見咎める者など誰もいない、静かなものだ。
工房入口へ辿り着いたマルセルは、重厚な鉄扉に手を伸ばす。
扉を固めているのはダイヤル式の錠前だが、問題無く解錠する。
音も無く工房へ立ち入れば短い廊下があり、行く先を塞ぐ二重扉が見えている。
マルセルは革のバッグから防毒マスクを取り出すと、顔を覆う様に装着した。
二重扉に近づき、エリスより預かった二本目の鍵を使用する。
微かな金属音と共に解錠された扉を、ゆっくりとスイングさせる。
そして扉の隙間から、中の様子を慎重に伺った。
『蒸気式精密差分解析機』の駆動する音と、換気扇の旋回音だけが、鈍く響いている。
だが、それ以外に物音はしない、話し声も無い。
人の気配も感じられなかった。
マルセルは顔を覆う防毒マスクを確認して後、足音を忍ばせつつ工房内へ立ち入った。
◆ ◇ ◆ ◇
南方大陸東部高山地帯に、『パパベルス』という群生植物が存在する。
『パパベルス』は赤い花を咲かせる一年草であり、その実からは種が採れた。
『パパベル粉』といえばパンやクッキーの元になる食材であり、誰もが知っている。
一方で『パパベルス』の未成熟な実から白い乳液を抽出加工した場合。
それは『錬成パパベル・モルペウス』と呼ばれる、速攻性の高い鎮静麻酔薬となる。
とはいえ『錬成パパベル・モルペウス』は、誰もが安易に扱える代物では無い。
知識と資格が無ければ、入手すら困難だ。
しかし『ガゼール領』の領主たる『ミュラー男爵』と、彼が擁する若い錬成技師達を意のままに誘導する『エリス』は別だ。
オートマータでありながら、錬成科学に対する深い造詣を有する『エリス』は別だ。
しかもその上で、薬科学に関する知識すらも貪欲に吸収したのか。
エリスは鎮静鎮痛の効果を伴う強力な麻酔薬――『錬成パパベル・モルペウス』を用いて、工房にて小休止をとっていた若い錬成技師達を全て、昏睡状態に追い込んでいた。
「……」
工房の端に設けられた、休憩用のソファとテーブルのセットだった。
ある者はソファに腰を下ろしたまま、ある者はテーブルへ突っ伏したまま動かない。
テーブルの上には複数のマグカップと、そしてワインボトルが二本残されている。
ただ、卓上のワインは一般的なワインとは違う。
エリスの手紙には『ハーブ入りグリューワイン』と記載されていた。
要するに鎮静作用を有するマリファナ――麻薬入りワインだ。
ミュラー男爵に仕える若い錬成技師達は、昨今流行り始めた鎮静薬物入りのアルコール飲料を、仕事の合間に常々楽しんでいたらしい。
が、そんなグリューワインだけで、いきなり極端な泥酔状態に陥ったりはしない。
エリスがこの工房内に仕掛けた麻酔薬――『錬成パパベル・モルペウス』との相乗効果で、錬成技師達は意識を失い動けなくなったのだ。
マルセルは昏睡したままの錬成技師達を尻目に、工房最奥で無数の歯車が噛み合う音を響かせている『蒸気式精密差分解析機』の方へ、ゆっくりと近づく。
静かに歩くマルセルの周囲には、大量の水蒸気がゆらめきながら漂っている。
壁面を這う鋳鉄ダクトより大量の蒸気が送り込まれ、巨大な鋼鉄の計算機は稼動しているのだが、ダクトの隙間より溢れ出す水蒸気の量が、常より多い様に感じられる。
この状況は、故障や事故の類いでは無く、偶然でも無かった。
辺りに漂う水蒸気に『錬成パパベル・モルペウス』が仕込まれていた。
『蒸気式精密差分解析機』の精密動作を維持するには、常に均一な蒸気圧が必要となる。その為、ボイラー室に繋がる鋳鉄ダクトには、蒸気圧調整用の減圧弁に安全弁、スチームトラップ等が設けられている。
エリスは、そんな圧力調整を行う部位に『錬成パパベル・モルペウス』を仕込んだ。
排出される水蒸気に『錬成パパベル・モルペウス』を溶け出させ、知らず知らずのうちに吸引させる為だ。
当然『錬成パパベル・モルペウス』が気化するタイミング、そして換気扇より適切に排気されるタイミングは『差分解析機』を用いて、エリスが事前に調整している。
つまりエリスは『エメロード・タブレット』が元の身体より取り出され、予め用意してあった第二の身体に『濃縮エーテル』が馴染ませるまでの数時間――技師達が休憩し、ワインを愉しむ数時間に併せ、気化した『錬成パパベル・モルペウス』が散布される様に仕掛けていたのだ。
マルセルは『差分解析機』の前で足を止めた。
視線を移し、傍らにそびえる二対の水槽を見遣る。
いずれも円筒形の水槽であり、薄紅色の希釈エーテル製剤で満たされていた。
『錬成用生成器』だった。
マルセルは無言で稼動する『錬成用生成器』に近づく。
いずれの水槽にも肌を晒した娘が、目蓋を閉じて浮かんでいる。
向かって右側の娘は、ブロンドのロングヘアだ。
その白い肌と整った面差しはエリスのようで、どこか違う。
『エメロード・タブレット』を喪失し、身体が魂の影響を受けなくなった為か。
しなやかな裸体の至る所から露出する硬質な金属ソケットに、生成器上部より伸びるケーブルコネクタが何本も接続されている。魂を失った身体から少しずつ『濃縮エーテル』を抜き取り、保管可能な状態に整える作業を行ってるのだ。
左の水槽に浮かぶ娘は褐色の肌をしており、頭髪はダークグレーのショートカットだ。
敢えて元のエリスとは異なる風貌に錬成しているのだろう。
もし『エメロード・タブレット』の乗せ換えが成功し、あの特殊な武装も放棄したなら、よほどの事が無ければ、この娘が身体を入れ替えたエリスであるとは誰も気づかぬ筈だ。
こちらの身体にも大量のケーブルが繋がっており、そこから僅かずつ蘇生に必要な『リンゲル液』と『濃縮エーテル』が流し込まれていた。
未だ魂が宿らぬ身体を調整している『錬成用生成器』の脇には、金属製の重厚な施術台があり、施術台の上には、金属フレームに覆われた水槽――『簡易生成器』が、ボルトでがっちりと固定されている。
『簡易生成器』の内側は希釈エーテル製剤で満たされ、その薄紅色に揺らぐ液体の中で、錬成科学の結晶たる立方体――『エメロード・タブレット』が、緑色に鈍く発光していた。
それは『エリス』の意識が宿る『エメロード・タブレット』――『タブラ・スマラグディナ』だった。
・マルセル=達士アデプト、天才と呼ばれる錬成技師。レオンの実父。
・エリス=魔術を用いると評され、連勝を重ねるオートマータ。
・ミュラー男爵=エリスの主人。迂闊な性格なのか社交界で敬遠されている。




