第二〇五話 詠唱
・前回までのあらすじ
『エリンディア遺跡』より逸失した成果物の行方を追うマルセルは、ウェルバーグ公国の新興貴族・ミュラー男爵に接触、鉱物資源の売買契約を持ち掛けて関心を惹き、遺跡の成果物の謎を秘めていると思われるオートマータ・エリスの秘密を探るべく、ミュラー男爵が有する錬成工房へ立ち入る。そこで情報収集を行っているとエリスに遭遇、エリスはマルセルが錬成技師である事を即座に見抜き、その距離を詰めるかのように、親しげに話し掛けて来るのだった。
「ドラジ様が行った質問の続きですが――そちらの用紙、宜しいですか?」
「え、ええ、どうぞ……」
エリスはミュラー男爵の横槍に対応した後、改めてフルニエに声を掛ける。
フルニエは頷き応じて、タイプアウトされた用紙をエリスに返却する。
マルセルの立場が危うくなりつつある事実に、フルニエは未だ気づかない。
いや、錬成技師では無いフルニエでは無理からぬ事だ。
いずれせよ、フルニエでは対応出来ぬ状況になりつつあった。
「それでは『錬成技師』である貴方に改めて……失礼ですが、お名前をお教え下さいませんか?」
エリスは、手にした用紙を差し出しながら尋ねる。
マルセルは差し出された用紙を受け取りながら答える。
「……アルバンです」
その名前は、念の為にフルニエ達と取り決めておいた偽名だ。
本名を知られて良い事は無い。それでなくとも危険な状況だ。
どの様に危機を脱するべきか思考を巡らすマルセルに、エリスは囁く。
「お読みになれますよね? アルバン様」
ここで読めないと偽っても、もはや無意味だろう。
マルセルが錬成技師である事を、フルニエも同意してしまっている。
「かろうじて、ですが……」
「万物融解第一質料。明暗交錯不可逆道程。漆黒純白紅色貴石――」
マルセルが低く返答すると同時に、エリスが滔々と言葉を紡いだ。
フルニエや、ミュラー男爵には何事か全く解からないだろう。
いや――ミュラー男爵に仕える若い錬成技師達までもが、怪訝そうな面持ちだ。
『クレオ派錬金術』の知識が無ければ、全く理解出来ない言語なのだ。
エリスの紅く煌めく瞳がマルセルを見据え、そして口を閉ざした。
続く言葉を促しているのだろう。
マルセルは用紙に記述された古代文字を、静かに読み上げた。
「神聖幾何学四大元質。天上永劫第五元質。万物照応因果律……」
いや、実際には読み上げるまでも無かった。
錬成機関院付属の学習院にて『ベネックス女史』より学び覚えた言葉だ。
それはいにしえの神学的技術体系に基づき構築された『クレオ派錬金術』の基礎であり、『一般練成科学』の限界を超えて『練成的概念』を誘発せしめる神秘の文言――その序文だった。
マルセルの声に耳を傾けていたエリスだったが、おもむろに口を開くと言葉を引継ぎ、残る箇所を詠唱する。
「……火妖魔精霊燃え猛り、風妖魔精霊吹き荒れり、水妖魔精霊逆巻き、地妖魔精霊勤しむべし――と、続きます。そうですね? アルバン様」
「……ええ、そこまでが序文だと聞き及びますが」
エリスは微笑むと、序文に続く本文箇所を指で指し示した。
そこには解読不能のクレオ派古代文字と、数式が記述されている。
エリスの白い指先が、列を成す古代文字の上を滑る。
「これ以降は私も読む事が出来ません。読める者がいるとするなら、それは『クレオ派錬金術』を正式に学んだ者か、或いは学ばんと手を伸ばし続ける者か――いずれにせよ、ここに打ち出された内容は、この『差分解析機』に記録された『クレオ派錬金術』による記述式の一部でございます」
「……」
エリスの指先が、最下段の行までなぞり止まる。
マルセルの視線は、その指先を最後まで追い続けた。
エリスが囁く様に言う。
「この用紙は、どうかお納め下さいませ」
「……」
エリスとマルセルのやり取りを、ミュラー男爵は退屈そうに見つめている。
理解を超える話に、興味が持てなくなったのか。
傍に控える若い錬成技師達は、複雑な表情でこちらを見ている。
だが止めようとはしない、声も上げない。
大した事では無いと考えているのか。
それとも『エリス』の言動に口を挟まぬ事が常態化している為か。
目の前で重大な機密漏洩が成されようとしているのに、気にも留めないのか。
マルセルには、この用紙に打ち込まれた古代文字と数式の意味が、完全とは言えぬまでも理解出来た。これは『エメロード・タブレット』を構成する『翠玉切片』に刻み込むべき術式の概要――その一部だ。
父・ファブリスが密かに保管し、現在シュネス伯爵が管理している破損状態の『タブラ・スマラグディナ』に刻まれていた術式と酷似していた。
つまりエリスは『エリンディア遺跡』より失われた成果物の存在を把握しているのだ。
「他に質問はございませんか?」
マルセルから離れたエリスは、何事も無かったかの様に穏やかな口調で言った。
フルニエはマルセルに視線を送る、マルセルが軽く頷き応じる。
マルセルの意を汲んだフルニエは『差分解析機』に関する質問を行う。
古代文字が出力される特殊性に言及しないのは、さすがに不自然だからだ。
対してエリスは、淡々とした口調で質問に応じる。
眼前の『差分解析機』は『錬成技師メルガル』が手を加えた物であり、その後『オーマン教授』に引き継がれたのだと言った。
何事かを隠すという素振りは無い、事実なのだろう。
その後フルニエは、当たり障りの無い質問を幾つか投げ掛け、話を切り上げた。
必要な情報は得られたと、マルセルが合図を送った為だ。
程無くして工房を退出すると、ミュラー男爵が酒宴を持ち掛ける。
その誘いをフルニエは笑顔で辞退し、穏やかに告げた。
「――今日のところはこれで御暇させてもらいます。非常に有意義な時間でした、ミュラー卿。試験的に購入した『ガゼール領』の鉱物資源は『シュネス平安財団』本部で確認の上、改めて正規取り引きのご相談に参りたいと思います」
「いやいや、こちらこそ欣快の念に耐えんというもの、今後も良好な関係を続けたいものです。ご連絡をお待ちしております」
男爵は名残惜しげな様子だったが、それでも鷹揚に頷いて右手を差し出す。
差し出された右手をフルニエは握り返しながら、また連絡しますと応じる。
そうして、その日の会談は終了した。
◆ ◇ ◆ ◇
翌日の朝、マルセルは一人で外出した。
向かった先はウェルバーグ貴族達のタウンハウスが建ち並ぶ住宅街にほど近い、学習院付属の図書館――その向かいに建てられたオープンカフェだった。
街路樹が連なる石畳の遊歩道に面したカフェは開店直後である為か、ゆったりと配置されたパラソル付きのガーデンテーブルに客の姿は殆ど無い。
唯一の客がマルセルだった。
ガーデンテーブルのひとつに着席し、冷めつつあるコーヒーを前に、さりげなく周囲へ視線を送っていた。
そのまま更に一〇分が経過する。
マルセルはスーツの内ポケットに手を伸ばすと、折り畳まれた紙を取り出した。
それは昨日、ミュラー邸の工房にてエリスより受け取った用紙だった。
一般人には読む事の出来ない、クレオ式古代文字が打ち込まれた専用用紙だ。
風変わりな模様にも見えるその文字を、マルセルは改めて目で追う。
――と、その時、マルセルは背後に人の気配を感じる。
軽く身体を捻り、首を巡らせた視線の先。
黒いプロムナード・ドレスを纏ったエリスが佇んでいた。
プラチナに煌めく頭髪を緩く束ね、黒いベール付きのトーク帽を被っている。
そして手元には小さな革のハンドバッグ。
周囲には他に誰もいない。
エリスだけだ。
オートマータは本来、単独で出歩いたりなどしない。
主人から何らかの特別な指示を受けているなら別だが、しかしエリスがミュラー男爵や若い錬成技師達の指示を受けつけるとは思えない。
まず間違い無く、自身の判断で行動しているのだろう。
「――お待たせしましたか?」
言いながらエリスはテーブルへ歩み寄り、マルセルの向かい側に着席した。
口許に涼やかな微笑みを浮かべつつ、言葉を続ける。
「きっと来て下さると信じておりました」
「……」
マルセルは眼前に座るエリスへ、古代文字が刻まれた用紙を差し出す。
最下段の文字列を指先で示しながら言った。
「どうしても気になるからね」
指し示された箇所は、錬成科学に関する記述式では無かった。
ガラリア・イーサの学習院で『クレオ式錬金術』の初歩を学んだマルセルにのみ判読可能な、簡易クレオ式古代文字にて記述された一文だ。
『明朝九時、国立図書館前のカフェ、貴方と二人だけで再会を希望』
それはエリスよりマルセルに宛てられた、密会のメッセージだった。
・マルセル=達士、天才と呼ばれる錬成技師。レオンの実父。
・『シュネス平安財団』職員・フルニエ=クルーゾーの部下でありシュネス伯の配下。ドラジという偽名を使う。
・ミュラー男爵=エリスの主人。迂闊な性格なのか社交界で敬遠されている。
・イグノーツ=ミュラー男爵が雇った錬成技師の一人でリーダーを任されている。
・エリス=魔術を用いると評され、連勝を重ねるオートマータ。




