第二〇四話 異質
・前回までのあらすじ
『エリンディア遺跡』より逸失した成果物の行方を追うマルセルは、ウェルバーグ公国の新興貴族・ミュラー男爵に接触、鉱物資源の売買契約を持ち掛けて関心を惹き、遺跡の成果物の謎を秘めていると思われるオートマータ・エリスの秘密を探るべく、ミュラー男爵が有する錬成工房へ立ち入る。そこで情報を収集していると、外出していたエリスが戻り、マルセルの前で僅かずつ、秘密を開示し始める。
「クレオ派錬金術の『秘奥』……」
エリーゼの言葉にフルニエは反応し、口の中で小さく繰り返す。
『シュネス平安財団』に所属しているだけに、クレオ派錬金術の復活を以て『エルザンヌ共和国』の隆盛を実現すべしという、シュネス伯爵の悲願をフルニエは理解している。
――が、その言葉を発したエリスは、フルニエを見ていない。
煌めく紅い瞳は真っ直ぐに、フルニエの背後に立つマルセルを捉えていた。
「……」
マルセルはそれとなく視線を逸らし、稼動中の『差分解析機』を見遣る。
ちょうど専用用紙がタイプアウトされるところだ。
何が印字されているのか、気になるところではある。
「――気になりますか?」
涼やかに透き通る声が響いた。
その声を受けてフルニエは口を開き掛けたが応じず、代わりに背後へ視線を送る。
エリスがマルセルを見つめていた為だ。
束の間の沈黙を経て、マルセルは視線をエリスに戻すと、低く応じた。
「私ですか? いえ……何事かと思いまして」
「左様でございますか」
エリスは微笑むと、タイプアウトされた用紙を手に取る。
そのままフルニエに歩み寄ると、用紙を手渡した。
「どうぞ、こちらをご覧下さい」
「あ、ありがとうごいます……その、これは……?」
用紙を受け取ったフルニエは当惑しつつ、質問する。
フルニエの背後からマルセルは、その用紙を垣間見る。
そこにはウェルバーグの公用語ではない言語がタイプアウトされていた。
ウェルバーグの公用語に精通しているフルニエであっても、読む事は出来まい。
だがマルセルは、その一部を読み取る事が出来た。
ガラリア・イーサの学習院にて教示を受けた、客員講師・ベネックス女史のおかげだ。
ベネックス女史は南方大陸にて、クレオ派錬金術を正式に修めていた。
マルセルは彼女から、薬科学とクレオ派錬金術の初歩について学んだのだ。
そこに刻まれている文字は、クレオ派錬金術師が用いる特殊な古代文字だった。
タイプアウトには当然、専用の印字アームが必要だろう。
『差分解析機』に残された改修跡の幾つかは、専用印字アームを仕込んだ跡か。
ここに並ぶ若い技師達が、クレオ派錬金術を自在に扱えるとは思えない。
表情を見れば解かる、彼らはそういう人材ではない。
或いは精神病院に入る事となった錬成技師メルガル、死亡した錬成技師オーマン。
この二人なら、読み解く事が出来たのかも知れない。
改修を重ねた古い『差分解析機』が、それを物語っている。
この『差分解析機』は恐らく、メルガルが私用していたのだろう。
口を閉ざしたまま思索を巡らすマルセルに、再びエリスが話し掛ける。
「あなたは如何ですか? 何か気づかれた事はございますか?」
「さあ、私には……」
敢えて言葉を濁し、マルセルは話を切り上げようとする。
しかしエリスはマルセルを見つめたまま、微笑みを絶やす事無く続けた。
「――先ほど『差分解析機』の気圧調節弁が解放され、警笛音が発せられた際、『シュネス平安財団』の方々は皆、音の大きさに戸惑われておいででした。ですがあなただけが何ら動ずる事無く、稼動する『差分解析機』を見つめておられました。それは『差分解析機』の構造を理解している左証」
「……」
静かな口調で言葉を紡ぐ白い美貌を、マルセルは黙したまま凝視する。
逆立つ刃の上に起立し、試合を行っていた『ジングシュピル』でのエリスを思い出す。
先の先まで見通すかの様な眼差しで試合を愉しんでいた、あの時のエリスを思い出す。
「――また、ドラジ氏に手渡した用紙の記述内容を背後から確認しておられた時、あなたはそこに刻まれた文字列に対し、右から左へ視線を走らせました。その文字は失われて久しい『クレオ派錬金術』の術師達が用いた古代文字。ノミと槌を使い、石板に文字を刻みつけていた名残から、クレオ派の古代文字は右から左へ綴られるのです」
「……」
ごく僅かな綻びだった。
そんな些細な事に気づいたのか。
エリスは発言を続ける。
「――それ以外にも思い当たる事が多々ございます……『差分解析機』を見つめる視線。表情。息遣い。佇まい。そして指の形。彼らには無く、あなただけが特別。あなただけが異質」
「……」
「つまりあなたは錬成技師。それも驚くほど優秀な錬成技師であるということ」
「……」
エリスは愛おしげに眼を細めながら囁く。
繊細にして透明な囁きが、マルセルの耳朶を打つ。
掠れた声で、マルセルは応じた。
「いえ、私は……」
「良いのですよ? 隠さずとも――」
紅い瞳は濡れ光り、マルセルを捉えて離さない。
蠱惑的な美貌も相まって、強烈に胸中を掻き乱される。
エリスの言葉は途切れない。
「――例えば、錬成技師用に改定された現代の古代数字なら、ウェルバーグの錬成技師達にでも読み解けましょうが、そこに打ち込まれた古代文字は無理。今現在、隠遁の道を選択した『クレオ派錬金術師』達以外に、これを僅かなりとも読み解ける者がいるとするなら、それは自ずと限られて……」
その時。
エリスの発言を遮るように、横手からミュラー男爵が口を挟んだ。
「ま……待ってくれ、エリス。いったい何の話をしているんだ? 解かる様に説明しろ」
ワインで濁った思考では追いつけないのだろう。
いや、男爵の背後に並ぶ配下の錬成技師達も、困惑した表情で立ち尽くしている。
エリスは彼らに視線を送ると軽く息を吐き、事も無げに言った。
「……何も問題はございません。『シュネス平安財団』の方々が、男爵様との会談に際して錬成科学に詳しい方を呼んでおられた――それだけの事でございます。『義肢』の開発に由来して私の戦績に興味を持たれた結果、この度の契約をお決めになった。ならばこの場に錬成技師はむしろ不可欠……そうですよね? ドラジ様」
いきなり仮の名を呼ばれたフルニエは、驚いたのか僅かに反応が遅れる。
それでもすぐに立て直すと、これまでと変わらぬ鷹揚な態度で応じた。
「え? ええ……仰る通りです、エリス嬢。事前にご連絡差し上げるべきでしたかな」
「それには及びません。取引先である当家の工房を検分するにあたって、錬成技師という確かな目利きがいなければ、片手落ちというものでしょう。想定して然るべき事柄です。男爵様もご納得されるでしょう」
そう言ってエリスは、未だ困惑気味のミュラー男爵に微笑み掛ける。
ある種の圧力を感じさせる美しい微笑みに対し、男爵は曖昧な笑みと共に頷く。
「あ……ああ、そうだな……エリスがそう言うなら……」
その答えに呼応して、周囲に並ぶ錬成技師達も曖昧に笑う。
まるで男爵共々、エリスの太鼓持ちか何かだ。
いや、事実そうなのかも知れない。
蒙昧にして不遜なミュラー男爵であっても、エリスに何も言えないのだ。
経済的に困窮する『ガゼール領』を維持すべく、男爵は違法な賭博『ジングシュピル』での賞金獲得に大きく頼っているのだろう。
それだけに、試合に参加するエリスを御し切れずにいるという事か。
むしろ好きな様に振る舞う事を、許さざるを得ないのだろう。
エリスは間違い無く、男爵を自身の主だと認めていない。
しかし留意すべきは、その点では無い。
先ほどエリスが発した言葉――男爵が遮った話の内容だ。
『差分解析機』よりタイプアウトされた、古代文字の件だ。
ウェルバーグの錬成技師達には読み解けぬ――と、エリスは言った。
隠遁した『クレオ派錬金術師』達以外に読める者がいるとするなら、それは自ずと限られて来るのだと。その通りだろう。
恐らく、今現在『クレオ派錬金術』の基礎知識を有しているのは、それこそ『グランマリー教団』の弾圧を恐れて姿を晦ませた『クレオ派錬金術師』達を除けば、ガラリアで活動する若い錬成技師達だけなのではないか。
一八五一年――『クレオ派錬金術』の特別講師として、ガラリア・イーサの高等学習院へ『ベネックス女史』が招聘され、ガラリアの薬科学は飛躍的な進歩を遂げた。
その際『ベネックス女史』は『クレオ派錬金術』の基礎を、ガラリアの錬成技師達に教示したのだ。あくまで基礎ではあったが『クレオ派錬金術』に基づく薬科学を学ぶには必要な知識だった。
マルセルがタイプアウトされたクレオ派の古代文字を読めたのは、『ベネックス女史』から『クレオ派錬金術』の基礎を学んだからに他ならない。
そしてエリスはマルセルの事を『古代文字を読める錬成技師』だと認識している。
それはつまり『ガラリアの錬成技師』だと看破されたに等しい。
ウェルバーグ公国と対立関係にある『神聖帝国ガラリア』の錬成技師であると。
マルセルは、自身が危機に陥っている事を悟った。
・マルセル=達士、天才と呼ばれる錬成技師。レオンの実父。
・『シュネス平安財団』職員・フルニエ=クルーゾーの部下でありシュネス伯の配下。ドラジという偽名を使う。
・ミュラー男爵=エリスの主人。迂闊な性格なのか社交界で敬遠されている。
・イグノーツ=ミュラー男爵が雇った錬成技師の一人でリーダーを任されている。
・エリス=魔術を用いると評され、連勝を重ねるオートマータ。




