第二〇三話 妖艶
・前回までのあらすじ
『エリンディア遺跡』より逸失した成果物の行方を追ってマルセルは、ウェルバーグ公国の新興貴族・ミュラー男爵に接触する。鉱物資源の売買契約を持ち掛けて関心を買う一方で、遺跡の成果物の謎を抱えていそうなオートマータ・エリスの秘密を探るべく、ミュラー男爵が所有する錬成工房へ立ち入ることに成功、有益な情報が引き出せないかと苦心していると、そこへ外出していたエリスが戻って来る。
エーテル式白色灯の明かりが燈された錬成工房の中。
黒いコルセットドレス姿の『エリス』が、ゆっくりとマルセル達の方へ歩み寄る。
音も無く歩くエリスの後に続くのは、黒い外套に身を包んだ若い男達だ。
状況が飲み込めていないのか、不安げな表情でフルニエやマルセル達に視線を送る。
イグノーツと呼ばれた男と同じく、ミュラー男爵が雇った錬成技師なのだろう。
エリスは錬成機器類の前を横切ると『差分解析機』の前で立ち止まった。
「お初にお目に掛かります。私は『ガゼール領』守護を務める戦闘姫――『エリス』と申します」
そのまま優雅なカテーシーにて頭を下げ、礼意を示す。
美しく咲き誇る漆黒の薔薇を思わせる佇まいに、フルニエは思わず息を飲む。
が、すぐに姿勢を正すと柔和な笑みを浮かべつつ応じた。
「これはご丁寧に。私は『シュネス平安財団』平安構築研究室長のドラジと申します。この度は『ガゼール領』で採掘される鉱物資源の売買契約に参った次第でして」
「左様でございますか」
頭を上げて背筋を伸ばしたエリスは、フルニエを見つめて微笑む。
更に、フルニエの背後に控える秘書と、付き人のマルセル達にも視線を送る。
マルセルを映す紅い瞳は、怖いほどに澄み切っている。
改めてフルニエに視線を戻したエリスは、おもむろに口を開いた。
「――『シュネス平安財団』は、国際交流と社会福祉事業を展開する公益財団だと聞き及びます。そういった方々が、どういったご用向きで当家の工房へいらしたのでしょう?」
「おいエリス、そんな質問は……」
ミュラー男爵が渋面で口を挟もうとする。
が、エリスは男爵を見遣ると、口許に微笑みを湛えたまま告げた。
「この工房は『ガゼール領』に益をもたらす重要施設であると、男爵様より承りました。私は『ガゼール領』守護の役を仰せつかっている身。男爵様の為、『ガゼール領』の為、形式的ではあっても、確認は怠らぬという姿勢を示したいのです。その姿勢を以て『ミュラー家』の家格を示したいのです」
「いや、しかし……」
濁り無く澄み切ったエリスの声が流れる。
穏やかな口調ながら、何処か抗しがたいものを感じさせる声と言葉だ。
そんなエリスの言葉に、ミュラー男爵は罰が悪そうに口籠りながら視線を逸らす。
エリスに対し、苦手意識でも感じているのかどうか。
やがてフルニエの方へ向き直った男爵は、質問に答えてやって欲しいと言った。
「エリス嬢の仰る通り、我々『シュネス平安財団』は社会福祉活動に従事しておりまして、その一環として近く革新的な『義肢』の開発を予定しております。故に素材となる鉱物資源の仕入れを検討していたのですが、ミュラー男爵が擁する貴方の活躍を小耳に挟み、その性能を支える工房を是非とも見学させて頂きたく、無理を承知でお願いさせて頂いたのです」
フルニエは笑顔で応じる。
エリスは質問を重ねる。
「男爵様は『ミュラー家』の家格を示さんと『ジングシュピル』への参加を、社交界にて其れと無く吹聴されておいででしたが、『シュネス平安財団』はその噂を耳にして鉱石の購入を検討され、後学の為に工房の見学を申し込まれたと?」
「はい、その通りです」
「左様でございますか」
フルニエの返答を受け、エリスはゆっくりと頷く。
次いで軽く頭を下げて後、傍らにそびえる巨大な『差分解析機』の方へ近づく。
そのまま『差分解析機』と繋がる金属製のタイピングボードに右手を伸ばした。
繊細な白い指先が、タイピングボードの上で軽やかに踊る。
すると今まで暖気状態だった『差分解析機』が、微かな振動と共に起動する。
その時、動き始めた解析機が蒸気圧を調整するべく、瞬間的に気圧調節弁を解放した。
一瞬、蒸気の抜ける甲高い音が『差分解析機』から響く。
ミュラー男爵とフルニエ、そして『シュネス平安財団』団員として同行している秘書と付き人役の二人が、その音に驚き怯み、僅かに眉を顰める。
「――本来『ジングシュピル』は違法な催し、これに参加するなら身元を隠すが常道。ましてや代理決闘が行われるとなれば尚の事。よほどの理由が無ければ、社交界にて参加を仄めかそうとは思わぬもの。とはいえ男爵様には、相応の思惑があるのです」
エリスは静かに言葉を紡ぎながら、片手でタイピングを続ける。
『差分解析機』を構成する鋼鉄フレームの内側には、数にして二〇〇を超える金属ドラムが起立し、それぞれ金属アームを介して干渉し合いながらゆっくりと回転している。
マルセルは稼動する『差分解析機』を凝視する。
何事かを計算しているのか、或いは何かを出力しようというのか。
恐らく『記録用ギアボックス』に保存された情報を出力しようとしているのだろう――マルセルは金属ドラムの挙動と歯車の噛み合う音から、その様に推察する。
「ですが男爵様の、そんな崇高な思惑に、社交界の方々は気づかない。己が嫉妬羨望から歪めて受け取ってしまう。口の端に上る話題には、嘘と毒が大いに混ざり込む……」
透明な清水の如き声が流れ続ける。
気づけばエリスは稼動する『差分解析機』を背に、こちらの方へ向き直っていた。
「……にもかかわらず『シュネス平安財団』の方々は、社交界の清濁入り混じる風聞の中より真贋を見極め、我が『ミュラー家』にお越し下さったと。その慧眼に敬意を表すると同時に、心よりの感謝を申し上げます」
エリスは微笑みながら、愉しげに眼を細める。
長い睫毛の下で紅い瞳が、妖しく濡れ光っている。
その瞳の煌めきは『ジングシュピル』の会場でも観た煌めきだ。
同時にマルセルは、エリスの発言に違和感を覚えていた。
試合を観て感じたエリスに対する強烈な印象、発言と挙動。
あの時の姿と今の発言は、如何ともし難く噛み合わない。
そう――発言内容を素直に受け止めたなら、だ。
或いはエリスが、主である筈のミュラー男爵を認めていないのだとしたら。
つまりエリスは、ミュラー男爵の言動を軽挙妄動だと認識しているなら。
妄動だと認識した上で、美辞麗句で言葉を飾り、揶揄しているのだとしたら。
その方が、先の発言に得心がゆく。
――が、ならばそれは『シュネス平安財団』も同時に揶揄した事になる。
ミュラー男爵の底の浅い思惑を真に受け、商談を持ち掛けた団体なのだと。
良い気はしないが仮にそうなら、むしろその方向で動けば良い筈だ。
軽薄な男爵に取り入ろうとする世間知らずな団体、そう思われた方が動きやすい。
この工房で好奇心から様々な質問を行ったとしても、不自然では無くなる。
その様にマルセルが思索を巡らせていると、エリスが更に言葉を重ねた。
「それではせっかくの工房見学、質問がございましたら私がお答えしましょう――そう……例えば先ほど工房入口より漏れ聞こえた『誰が私を錬成したのか』というご質問の答えなど如何でしょう。宜しいですね、男爵様?」
「――え? い、いや、しかしそれは……」
成り行きを呆然と眺めていたミュラー男爵は、急に話を振られて口籠る。
エリスは執り成す様に微笑みを向けると、噛んで含める様に告げた。
「問題ございません、男爵様。『シュネス平安財団』の方々は、私の試合に関する噂を信じて『ミュラー家』が有する鉱石資源の買い取りを検討して下さったのです。ならば当事者である私が、可能な限り詳らかに対応すべきでは無いでしょうか。先のやり取りで私は『ミュラー家』の家格を示したつもりです。ならば次いで親愛を示す事が、私の役目であるはず。彼らの『好奇心』にお応えして差し上げたいのです」
「ああ……ま、まあ、そうだな……」
納得出来たのかどうか、ミュラー男爵は曖昧に応じる。
やはり男爵はエリスに対し、苦手意識を抱えているのだ。
こちらに向き直ったエリスは、改めて口を開く。
「それでは先ほどのご質問、答えても宜しいですか?」
エリスの問いに、フルニエは一瞬口籠る。
常に会話の主導権を握っていたフルニエにしては、珍しい態度だ。
やはりエリスには、他者を圧する何かがあるのだ。
それでもフルニエは、動揺を抑えて口を開く。
「は、はい、ありがとうございます。では改めて……エリス嬢を錬成されたのは、どなたかお教え下さい」
「私を錬成したのは、一五年前に亡くなられたバーベン子爵擁する『錬成技師メルガル』……錬成されたのは一八年前の事でございます」
聞いた事の無い名だ――と、マルセルは思う。
しかし国交の無いウェルバーグ公国の錬成技師だけに、仕方の無い事ではある。
エリスは続けた。
「バーベン子爵は経済区を管理差配する大貴族でしたが、子爵が擁するメルガルは、決して高名な錬成技師ではありませんでした。ただ、一般的とは言えぬ特殊な学問を修めており、その学びを以て私の錬成に成功したのです」
「……特殊な学問というのは?」
話に耳を傾けていたフルニエが質問する。
その時、壁際の『差分解析機』から響く稼働音に、僅かな変化が生じる。
そちらへ視線を走らせたマルセルは、タイプアウト作業が開始されるのだと思う。
予想通り『差分解析機』前面部に設けられたタイプアウト機構が稼動し始める。
デイジーホイール状に取り付けられた印字用金属アームが高速で動く。
小型ラックに納まっていた専用用紙が、徐々に吸い込まれて行く。
「クレオ派錬金術――その『秘奥』です」
澄み切った声がそう告げた時。
マルセルは改めてエリスの方へ視線を戻した。
そして気づく。
エリスの紅い瞳が、真っ直ぐこちらを見据えている事に。
妖艶な微笑みと共に、エリスはマルセルに語り掛けていた。
※1:身内が入院した為、来週の更新はお休みとなります。恐れ入りますがご了承下さいませ。
※2:入院した身内の状態が芳しく無く、7/15の更新もお休みとなります。恐れ入りますがご了承下さいませ。
・マルセル=達士、天才と呼ばれる錬成技師。レオンの実父。
・『シュネス平安財団』職員・フルニエ=クルーゾーの部下でありシュネス伯の配下。ドラジという偽名を使う。
・ミュラー男爵=エリスの主人。迂闊な性格なのか社交界で敬遠されている。
・イグノーツ=ミュラー男爵が雇った錬成技師の一人でリーダーを任されている。
・エリス=魔術を用いると評され、連勝を重ねるオートマータ。




