第二〇二話 逢着
・前回までのあらすじ
『エリス』の秘密を握るミュラー男爵はしかし、想像以上に愚鈍な人物だった。『ジングシュピル』での連戦連勝を成し遂げるべく、禁じ手とも言うべき『エメロード・タブレット』の乗せ換えを行っていると、平然と暴露した。フルニエとマルセルはそんな警戒感の無いミュラー男爵に付け込み、彼が抱える錬成工房へ立ち入ることに成功する。
工房の鉄扉を通過した男爵は短い廊下を歩き、工房の内扉に突き当たる。
次いで呼び鈴を鳴らし、備え付けの伝声管に話し掛けた。
「私だ。お客人に工房内を案内したくてね、開けてくれ」
程無くして伝声管越しに返答があった。
慌てた様な、若い男の声だ。
「えっ? しかしミュラー卿……」
「何が『しかし』なんだ? 客が来ていると言っただろう?」
「は、はい……解りました……」
不安げな声と共にドアが解錠される。このドアは単純なピンタンブラー錠だ。
その事をマルセルが確認していると、工房の奥から痩せぎすの男が姿を見せた。
白衣を着ているが頭髪は乱れており、細い顎には無精髭が目立つ。
「よ、ようこそお越し下さいました、ミュラー卿……。ですが以前もお話した通り……工房への立ち入りは、予めご連絡頂かないと……」
白衣の男はそう言いながら、男爵の背後に続くマルセル達へ視線を送る。
「その……そちらの方々は……?」
「さっき言っただろう? 大切な客だよ。『シュネス平安財団』の職員で、当家のビジネスパートナーだ。工房内を案内したいんだが、構わんだろう?」
言いながら男爵は、返答を待たずに工房内へ立ち入って行く。
白衣の男はおどおどとした態度で、マルセル達を工房へ迎え入れる。
白壁に囲まれた工房は圧迫感の無い広さで、エーテル式白色灯に照らされていた。
部屋の中央に据え付けられた各種錬成機器も、手入れが行き届いている。
そして部屋の最奥には、金属フレームで構成された巨大なオルゴールを思わせる錬成装置『蒸気式精密差分解析機』――スチーム・アナライザー・ローカスが鎮座していた。
何処か疲れた白衣の男とは不釣り合いな、手入れの行き届いた清潔な工房だ。
そんな工房に立ち入った男爵だが、開口一番不機嫌そうに質問した。
「他の連中はどうした? 『エリス』もいないのか?」
「いえ……はい、錬成に関する最新の資料を確認しようと『学習院』へ……」
「またか? このでかい装置に『エリス』の情報は記録されていると、先代技師のオーマンが言ってたんじゃないのか? わざわざ『学習院』に出向いて資料を漁る必要なんてあるのか? 学生じゃないんだから」
「ですが最新の錬成科学に関する知識は必要ですし……それに『エリス』が言い出した事ですので……我々には何とも……」
「おい、何時までも『エリス』の意見を最優先にしないでくれ。ここのリーダーはお前だろう、お前が『エリス』を管理しているんだぞ、イグノーツ。解っているのか?」
「いえ……はい……ですがオーマン先生も『エリス』に関しては……」
「ともかくお客人に失礼だろうが、お前たちは私の顔に泥を塗るつもりか?」
男爵は酔いもあってか、背後に客がいようとお構い無しだ。
ただ、その口調は怒りよりも苛立ち、困惑の方が色濃い。
歳若い錬成技師は不安げに眉根を寄せ、弱々しく対応する。
彼の口調には、何故か諦めにも似た響きが混ざっている。
煮え切らぬ二人の様子にフルニエは、それでも変わる事無くにこやかに話し掛けた。
「いえいえ、錬成技師は常に知識を求め、進化すべきと聞き及びます。この場におらずとも、それは志の高さを示す証拠、我々は気にしませんよ」
ここで押し問答を眺めていても仕方が無い。
情報収集を行うべきだ――そう判断したのだろう。
「いや……そう言って頂けるとありがたい、ドラジさん。『エリス』はおりませんが……それについてはまた別に機会を設けますよ。取り敢えずは工房の様子をご覧下さい――おい、イグノーツ、工房内を案内して差し上げろ」
フルニエの言葉に気を良くしたのか、男爵は再び相好を崩す。
次いで傍らの若い技師を呼びつけると、指示を飛ばした。
若い技師は伏し目がちに男爵とフルニエの顔を見比べつつ、首肯し応じる。
「は、はい……で、ではこちらへ……」
へつらう様な笑みを浮かべた技師は、暖気状態で停止している『蒸気式精密差分解析機』の前へ皆を誘導し、そして口を開いた。
「ええ、この工房は……もともと『ウェルバーグ高等学習院』で教鞭を執っていたオーマン教授が管理しておりまして、教授の死後、教授の研究室に参加していた我々が、管理と運営を引き継いでおります。こちらの『蒸気式精密差分解析機』は、高等学習院で現在使用されている『差分解析機』にもひけを取らぬ、高性能な物となっております……」
若い技師は覇気の無い口調で機材の説明を行う。
マルセルにしてみれば退屈極まる解説だ。
眼前に鎮座する『差分解析機』の品質は、確かに悪くはない。
ただし古い――少なくとも錬成されて二〇年は経過している筈だ。
古い解析機の計算力を底上げする為か、或いは処理速度を挙げる為か、要所要所に何度も手を加えた改修の痕跡がある。
それが悪いとは言わないまでも、ガラリア・イーサの一級品と比べたなら、性能は数段落ちるだろう。
他の錬成機器も一般的な物ばかりで、眼を惹く物は無い。
解説を続ける技師にしても同じだ、何も感じない。
態度や表情、口調も冴えず、能動的に何かを創造出来る人物では無い。
他のメンバーは不明だが、リーダーがこれでは程度は知れている。
とはいえ工房の清掃と、工房に並ぶ錬成機器の手入れだけは万全だ。
つまり彼らは、死去したオーマン教授の錬成助手としては優秀だったのだろう。
――加えて先ほどのやり取りに、マルセルは違和感を覚えていた。
ミュラー男爵と技師の会話だ。
技師は『エリスが言い出した事だから』と言っていた。
男爵は『エリスの意見が最優先か』と問うていた。
これが何を意味するのか。
オートマータには自由意思があり、自身の意思を口頭と行動で表現する。
その上で主従関係を重視し、己が憑代である主の為に行動するのがオート-マータだ。
それが現世に顕現した『妖魔精霊』たるオートマータの基本的な在り方だ。
しかし『エリス』は、こうした基本事項を踏まえていない様な、そんな印象を受ける。
いったい『エリス』は誰を主と認め、現世に顕現しているのか。
眼前で狼狽えながら解説を続ける、薄汚れたこの若い技師か。
それとも赤ら顔でワイン臭い息を吐く、無能なミュラー男爵か。
違う筈だ。
『エリス』の試合を見れば解かる。
あの様な試合を行う『エリス』が、彼らを主と認めるとは思えない。
ならば『エリス』は、どういう存在なのか。
マルセルは、解説を続ける技師と男爵がこちらに意識を向けていない事を確認してから、フルニエに耳打ちを行う。フルニエは軽く頷き、了解の意を示す。
一頻り解説を終えた若い技師に、フルニエは笑顔で質問した。
「――なるほど参考になりました。それにさすがはミュラー男爵の工房、手入れが行き届いておりますな。これなら良い取引が出来そうです。――ところで質問しても宜しいですかな? こちらの『エリス』ですが、先ほどのお話にあった『オーマン教授』と仰る方が、錬成されたという事でしょうか?」
「いえ、違いま……」
「おい、イグノーツ!」
返答しようとした若い技師の言葉を遮る様に、男爵は声を荒げた。
伏せたい事なのだろう、しかしその態度が雄弁に事実を物語っている。
叱責を受けた技師は額に脂汗を滲ませながら、弁解がましく続けた。
「ああ、あの……『エリス』に関する情報は我々が管理する『差分解析機』に全て納まっておりまして、その基本的な作業を行ったのは『オーマン教授』であり、『オーマン教授』が『エリス』の全てを把握していた事に間違いはありません……」
フルニエは見て見ぬふりをする以上に上手く鷹揚な態度で頷く。
「なるほど何か訳ありのご様子ですが……いずれにせよ現在無敗の『エリス』を管理されているのは、あなた方という事で宜しいのですな? 無敗の状態を維持するべく、整備メンテナンスを行っているのは……」
「も、もちろんです、我々が責任を持って『エリス』の整備を行っています」
「ははは……まあ、彼らも、彼らの師である技師・オーマンも優秀ですよ。ここに間違いはありません」
技師はどうにか取り繕おうとする。ミュラー男爵も誤魔化そうとする。
触れて欲しくない話題なのだろう。
必勝不敗の『エリス』を自ら錬成し、所有している――それが今の『ミュラー家』にとって、最も重要な事柄の一つなのだ。
とはいえ、ここははっきりさせておくべき所だ。
フルニエもここで退けば不自然だと感じたのだろう、質問を重ねた。
「現状の『エリス』を支え、連戦連勝に導いているのが彼らであるという話に、私は些かも疑問を感じません。ここに並ぶ手入れの行き届いた錬成機器が証明していると言っても過言では無い。ですが……どうしても気になるのです、噂に聞く『エリス』を錬成した技師がどなたなのか。私の好奇心からの疑問、答えては頂けませんか?」
ミュラー男爵は眉根を寄せると傍らの技師を睨む。
面倒な事になったと感じているのだろうが、この態度は来客に対しても失礼が過ぎる。
男爵に睨まれた錬成技師は、泣きそうな眼で男爵とフルニエを交互に眺める。
フルニエは助け舟を出す様に促す。
「いやなに、この質問はビジネスと関係ありませんよ。取引は既に確定しておりますから。これはあくまで私の好奇心です。どなたが『エリス』を錬成したのか、それが知りたいだけでして……」
その時。
工房入口の扉が、音を立てて解錠された。
口籠っていた若い錬成技師は、救いを求める様にそちらへ視線を送る。
同時にミュラー男爵も、アルコールに濁った眼でそちらを見遣る。
フルニエとマルセル達が首を巡らせると、扉の向こうから一人の娘が姿を見せた。
しなやかな曲線で構成された細身の体躯を、漆黒のコルセットドレスが包んでいた。
プラチナに煌めくロングヘアが腰まで流れ、優雅に揺れていた。
何より眼を惹くのは、整い尽くした白い美貌だ。
緩く弧を描く柳眉、長い睫毛に縁どられた涼しげな目許に紅い瞳、形の良い鼻梁。
艶やかな紅色の唇は、穏やかな微笑みを形作っていた。
ミュラー男爵が所有するオートマータ――『エリス』だった。
「外出中にお客様がいらしていたのですね……」
工房内にクリスタルグラスを弾くような、澄んだ声が微かに響いた。
・マルセル=達士、天才と呼ばれる錬成技師。レオンの実父。
・『シュネス平安財団』職員・フルニエ=クルーゾーの部下でありシュネス伯の配下。ドラジという偽名を使う。
・ミュラー男爵=エリスの主人。迂闊な性格なのか社交界で敬遠されている。
・イグノーツ=ミュラー男爵が雇った錬成技師の一人でリーダーを任されている。
・エリス=魔術を用いると評され、連勝を重ねるオートマータ。




