第二〇〇話 蒙昧
・前回までのあらすじ
マルセルは『エリンディア遺跡』に関する重大な秘密を握っているであろうオートマータ『エリス』の情報を引き出すべく、その主であるミュラー男爵に対して、経済的な取引を持ち掛けつつ接近する。
緑豊かな中庭を見下ろす三階建ての邸宅は、典型的な貴族のタウンハウスだった。
白く塗られたコンクリート外壁に濃紺の鋭角な屋根、鎧戸付きの格子窓。
重厚な造りであり、落ち着いた風情が漂う。
軽薄で短慮なミュラー男爵の趣味が反映されているとは思えない。
恐らくは先代男爵の要望で建築され、現男爵が相続したのだろう。
『シュネス平安財団』として『研究室長・ドラジ』を演じるフルニエと共に、マルセルはミュラー男爵の邸宅を訪れていた。
マルセル以外にも付き人がもう二人、更に秘書役の男がひとり同伴している。
人数はそれなりに多い方が良い、後の状況にもよるが、如何ともし難く反社会的な行動を選択する事になった場合、容易に犯人を特定させぬ為の備えだ。
ただ、クルーゾーには参加を見送らせた。
元より大使館員という役柄である事に加え、今後も大使館員として活動する事で、万が一の場合、それが事件では無く事故であり、大使館は全く与り知らぬという立場を貫く為だ。
立ち入ったミュラー男爵邸内には幾つもの絵画や彫像、動物の剥製が飾られていた。
貴族の権勢を誇るアイテムとしては一般的なものばかりだが、並ぶ作品に統一感が無く、そこから所有者の趣味や嗜好といったものは感じ取れない。
個々の作品にどれほどの価値があろうとそれは、ひけらかしの無意味な羅列だ。
ミュラー男爵の人間性が良く解かる。
老執事に案内された応接室もまた、過剰に飾り立てられていた。
天井に吊るされた巨大なシャンデリアからは無数のクリスタルが垂れ下がり、巨大な採光窓にはステンドグラスが嵌め込まれ、ダマスク模様の壁は何枚もの絵画で半ば覆われていた。高い天井を支える石の柱には金箔の飾りが施され、壁際のマントルピースにも金箔の意匠、足元に敷かれた絨毯は色鮮やかだが、部屋の窓際に設置された豪奢なソファセットとの調和は取れていない。
屋敷の落ち着いた外観とは掛け離れた、華美に過ぎた落ち着きの無い部屋だった。
そんな部屋の中央にて、ミュラー男爵は出迎える。
小太りな身体を包むコートには派手な刺繍が施され、式典にでも参加するかの様だ。
「ようこそ我が家へ、どうぞお掛け下さい」
緩んだ顎の肉を震わせながら、男爵は笑顔で傍らのソファを勧める。
『シュネス平安財団研究室長・ドラジ』ことフルニエは、失礼と断りを入れつつ、ソファへ腰を降ろす。その隣りには秘書役の男が座る。
付き人役の男とマルセルは、共にソファの後ろに立って控える。
男爵の傍には老執事と女中が一名、軽く目を伏せて並び控えている。
「この度は懇親の席を設けて頂き深く感謝致します、ミュラー卿」
フルニエは微笑みながら謝意を口にする。
ミュラー男爵は、どうぞ寛いで下さい――そう言って鷹揚に頷く。
そういうやり取りをしていると、ティートロリーを押した女中が部屋に入って来る。
ローテーブルの上にティーカップが並んだところで、フルニエが話を切り出した。
◆ ◇ ◆ ◇
「――いや、実にありがたいお話ですな! もちろん我が『ガゼール領』より採掘される地下資源は高品質であると自負しておりますが、その様に高く評価して頂けるとは!」
フルニエの話を訊き終えたミュラー男爵は、上機嫌で相好を崩した。
当然だろう、『ガゼール領』で採掘された地下資源を『シュネス平安財団』は一〇〇万クシール分も試験的に購入すると申し出たのだ。
有り得ぬ取引では無いが、それでも破格の好条件だろう。
経済的に不安定な状態にあるミュラー男爵ならば、飛びつくと思っていた。
フルニエは頷きながら応じる。
「やはりミュラー卿の所有されている、優秀なオートマータの存在が決定的です。オートマータこそ錬成科学最大の成果と言えるでしょう。我々『シュネス平安財団』が取り扱っている義肢にも、オートマータ錬成で培われた技術がフィードバックされておりますので。社交界で噂になるほど連勝を重ねる性能、一度この目で試合を拝見してみたいものです」
「いやあ、本来なら秘匿せねばならん事柄なのですが、人の口に戸は立てられぬとは良く言ったもので、ははは……。もしよろしければドラジさん、ワインで乾杯など如何ですか? お近づきのしるしにひとつ」
ミュラー男爵は嬉しそうに提案する、フルニエは笑顔で首肯する。
男爵の背後で老執事が無言のまま一礼し、そのまま退室する。
ワインの用意を伝えに行ったのだ。
或いは今回の話に、老執事は何らかの疑念を感じているのかも知れない。
それは彼の有能さを示している、が――彼の主は無能だった。
もう口を挟むなと男爵に言い含められているのだろう、老執事は何も言わなかった。
◆ ◇ ◆ ◇
ローテーブルの上には男爵とフルニエ、秘書役を務める男の為のワインが並ぶ。
更には付き人役として背後に控えるマルセル達にも、ワインが振る舞われた。
商談の席で茶を振る舞う事はともかく、次いですぐにワインとは奇妙だが、ミュラー男爵は気にも留めない。単に飲みたいのだろう。
そのまま暫く、他愛も無い世間話が続いた。
フルニエは巧みにミュラー男爵を持ち上げては機嫌を取る。
普段、内勤でデスクワークを行っているとは思えぬ口の上手さだ。
男爵は上機嫌で無駄話を続け、軽快にワインを呷る。
「ところでミュラー卿、現在連勝中の『ジングシュピル』ですが……」
頃合いを見計らった様にフルニエは、男爵に水を向けた。
この話を行うべく、一〇〇万クシールという金を使ったのだ。
可能な限り有益な情報を引き出したい。
フルニエの背後でマルセルは、慇懃な態度を崩す事無く耳を澄ます。
「聞く所によるとミュラー家は、先代男爵の頃から負け知らずだったとか。いや、先代男爵が実際に『ジングシュピル』に参加されていたかどうか、あくまで噂なのですが、この噂が事実なら、これは大変な記録だと思いまして。その点も考慮し、今回の取り引きを打診させて頂いたのです」
フルニエの言葉に、ミュラー男爵は何度も頷く。
手にしたグラスのワインを飲み干すと口を開いた。
「いやあ……良くご存じですな。仰る通り、ミュラー家は先代の頃から『ジングシュピル』に参加しており、そして噂通りの戦績――一度の負けもありませんな」
「おお、やはり噂は事実でしたか。産出される錬成素材の質の高さを裏付ける事実です、我々としてもありがたい」
「ははは、錬成素材もオートマータも、当家が扱う物に間違いはありませんよ」
男爵は欣快に耐えぬとばかりに破顔する。
顔を赤く染めるアルコールが、男爵の上機嫌に拍車を掛けているのだろう。
男爵は傍らの給仕に、更にワインを注ぐよう要求する。
フルニエは更に質問を重ねる。
「先代男爵の頃から『ジングシュピル』で無類の強さを誇っていたとなると、卿が庇護する錬成技師は、よほどの腕なのでしょうなあ。先日、歳若いと仰っておられましたが……その、お父上の頃から同じ錬成技師を?」
「いやいや違いますよ。先代技師は高齢で、もともと肺を患っていたのですが、それが原因で五年ほど前に他界しましてね。今は彼の助手に当たる者達が仕事を担当している次第で。もちろん腕の確かな技師達ばかりですよ? それは『ジングシュピル』の結果が示しております」
ワインの注がれたグラスを揺らしながら、男爵は鷹揚に応える。
つまり『エリス』を錬成したであろう錬成技師は、既に死んでいるという事か。
マルセルがそんな風に考えていると、フルニエは次の質問に移った。
「しかし、二代続けて無敗ともなれば……その『ジングシュピル』の試合も成立し難いのでは? ミュラー卿の代で更に一〇連勝もされているという事なら、尚の事でしょう。『ジングシュピル』は『投機』の対象でもありますし」
フルニエが言う『投機』とはつまり賭けの事だ。
賭け試合で特定のオートマータが連勝し続けたなら、賭けが成立しなくなるのではと、フルニエはその様に質問していた。
対してミュラー男爵は、赤ら顔で軽く答える。
「まあ確かに特定のオートマータが連勝を続けば、そうなる可能性もありますなあ、はははは……」
その口調は何処か他人事の様だ。
既に何らかの手を打っているという事か。
フルニエもそう感じたのだろう、鎌をかける様に言った。
「おや? ひょっとして何か対策を講じておられると、そういう事ですな? さすがはミュラー卿、我々の予想を上回りますな。しかしどの様な策を用いるのか、我々にはさっぱり……」
「はははは……いやいや、全く大した事はしとらんのですよ、ドラジさん」
「――と、申しますと?」
「単純な話です。新たな身体を用意して、魂が刻まれた『エメロード・タブレット』を、次々に乗せ換えておるだけですよ。当家の『エリス』は父の代からずっと、ミュラー家の庇護下で『ジングシュピル』を戦っておるのです、ははは!」
男爵はあっけらかんとそう言って、楽しげに笑った。
その背後では老執事が、感情を押し殺した無の表情で佇んでいた。
・マルセル=達士、天才と呼ばれる錬成技師。レオンの実父。
・大使館員・フルニエ=クルーゾーの部下でありシュネス伯の配下。ドラジという偽名を使う。
・大使館員・クルーゾー=エルザンヌ共和国の大使館員でシュネス伯の配下。
・ミュラー男爵=エリスの主人。迂闊な性格なのか社交界で敬遠されている。
・オラーフ=ミュラー男爵の執事であり高齢。
・エリス=魔術を用いると評され、連勝を重ねるオートマータ。




