煩悩を祓うのは座禅とタライ、なのです(笑) 6
「ああ、知ってる。何年か前に涸れた清水で、確か町の東にある清水だよな」
「そのとおり、あの清水は五年前に涸れた。人間の間では原因不明となっておるが、人里から離れていた故、この国が近代化するに従って信仰心が薄れていくのと同様に、伍代清水もまた信仰が失われ、いつしか忘れ去られて涸れたのじゃ」
あのときは涸れてしまった清水がまたひとつ発見されたって、町の中では一瞬だけ話題になっていた。
「通常、役割を終えた清水の神は境界へと戻り天に召されていく。だが、信仰心の薄れなどによって涸れた清水の神はいずれ消失する。伍代清水の神、伍代浮柾の心はすでに荒みきっていた。清水が涸れた後、奴は消失を恐れ、人間への復讐心を燃やす禍々しい堕神へと姿を変えた。そしてあやつは堕神となって間もなく、行方をくらましたのじゃ」
ごくり、と俺は唾を飲む。なんとなく分かる。その正体が何なのか、そして今どこにいるのかを。
「儂らは同じ清水の神としての理を守らなければならん。かねてよりあやつの行方を追っていたのじゃ。そしてお主が想像するとおり、あやつは人間の体、つまりは玻雀の体の中に逃げ隠れ、息を潜めておったのじゃ。おそらく、潜在的に凶暴性を持ち、己の復讐心を燃やし育てるのにうってつけな人間を見つけてな。それが玻雀だったのだ」
「でもそれなら、玻雀から直接神の力とかで引き剥がせば良かったんじゃないか?」
「無論、それができていたらとうの昔にしておる。しかし、儂らには人間の中に隠れる堕神の存在を見抜ける力はないうえに、一度人間の体に入ってしまった堕神を引き剥がすこともできん。故にあやつの気配が消えたことで打つ手がなくなった。そしてここ最近の玻雀の暴れようを知って、水涼を使い様子を窺っていた。水涼には堕神の気配を察知する力があるのでな」
「はい。だからほかの清水だとか、ショッピングとか、夜市でも、一途さんの行く先々に付いて行っていたのです」
なるほど、そういえば俺が悠斗と話しているとき、水涼さんの姿が見えなくなっていた。あれは、玻雀が暴れたっていう店の裏とやらの様子を見に行っていた、ということか。
「流道から人にあらざる力を持った人間がいると聞いて確信した。あやつは玻雀の中に潜んでいると。だから儂らはお主の『加護』の付与を急いだ」
そう、気になっているのはそこ。それと俺とがどう関係しているのかだ。今までの話だと、俺が関与する部分がひとつもない。
「それで、俺とその浮柾ってやつと玻雀と……どういう関係があるんだ?」
一心は腕を組み直して話を続ける。
「儂ら神の姿をその眼で認識できる人間は限りなく少なくなっておる。遥か昔は人間のほとんどが持っていたごくありふれた理の力じゃったのだがな。お主はこの時代において、偶然にもその波長を持ち合わせた人間じゃった。だから水涼の姿が見えたのじゃ」
「私もびっくりしましたよ~。ここ百年以上は人間の方とはお話してませんでしたから」
びっくりした、はこっちの台詞だ、と今日は軽めのツッコミを入れる。
「まあそれは分からんではないがの。まあ、だからと言ってなぜお主なのかという部分じゃが」
俺のツッコミは一心には届いていたらしい。というか見えていたらしい。
「先ほども言うたとおり、儂らには人間の体の中に入り込んだ堕神を引き剥がすことができん。ただし、神の力を宿した人間であればそれは可能じゃ」
なるほど、となれば神の力を宿すとは――。
「そう、『加護』じゃ。神の波長を持たない生身の人間にそのまま『加護』は与えられん。身体に異常をきたし、その者の自我が崩壊するやもしれんからな。じゃから試練を通して神の波長を増幅させ『加護』に耐えうる体にしていったのじゃ」
「だから神の姿が見える俺は『加護』を与えるのにうってつけだったわけだ」
「はい、そのとおりでございます~。そこでお悩みをお聞かせいただいて、利害の一致する神の『加護』を得て回った、ということなんです」
水涼さんが笑顔でくるっと回って言う。この人は真面目なんだか、そうじゃないんだか分からん。一心はそんな水涼さんにはお構いなしに淡々と説明を続ける。
「『加護』を宿したお主の体を通じて、あやつの体から浮柾を引き剥がすことができれば――後は儂らの仕事じゃ」
言い終えた一心は、長椅子にぴょんと飛び乗り、いつかの澪琴と同じくどこからか出した湯飲みで茶を啜る。だからお前らどっからマイほうじ茶持って来てんだ。
「む、これは煎茶じゃ」
「そこじゃねえよ、大事なところ」
「ならば煎餅もあるぞ」
袂の中から次々と煎餅を取り出す一心。いただきまーすと水涼さんも乗っかってパリパリ食べてる。真面目な話はどこ行った、あ、話逸らしたのは俺か。
「浮柾はもとより性格の優しい神じゃった。しかし人間の信仰心の薄れで清水が涸らされたことにより、あやつは人間を憎んだ。それが、復讐心を『黒い炎』という力に変えた。そして玻雀という自分の波長に似た人間の中で、己の憎しみをすくすくと育てたのであろう。もはや浮柾には自我もあるまい、あやつはもう破壊の化身じゃ」
「そうだったのか……玻雀もほんの少し前までは好青年で評判良い奴だって聞いてたからな。その浮柾ってやつに取り憑かれているにせよ、心の弱さがあいつをああにまで変えてしまったのかもな」
「それも、一概には言えんがの……」
目を閉じてゆっくりと茶を啜る一心。その面影は、とても数年で人生に幕を下ろした幼子の顔ではなく、千年もの間で見てきた人と神との理を秘めた、美しい顔に見えた。
「あ――!」
水涼さんが目を丸くして何かに気づくと、煎餅を食べていた手を止めた。その様子を見た一心もまた、ぴょんと長椅子から飛び降りる。
「水涼、あやつか!」
ズズウゥン……。
水涼さんが一心に向かって頷くと同時に、遠くから鈍く響く地鳴りがした。
木々のカラスや鳥が一斉に羽ばたいて、まるで恐ろしいものから逃げるかのように鳴き散らしている。
俺たちも慌てて神社の入り口まで走り、周囲を確認した。
雨の上がった茜色の空に、黒い煙が止め処なく吹き上がっている。あれは……『湧くや』の方角――真愛が危ない!
「――馬鹿者、一途! 早まるでない!」
一心が声を上げるより早く、俺の体は『湧くや』に向かって全力で駆け出していた。




