57 守られた約束
「緊張されてるのですか?肩に力が入っているのではないですか?」
鏡越しに心配そうな声を私に掛けるのは、私の髪を漉いているヨリエールだ。
緊張しているのは自分でも自覚していた。
今日はユーリスと一緒にハスビス子爵領に行く約束をした日だ。
侍女たちに身支度を整えてもらって、朝食の席に着く。今朝は部屋で摂ることをお願いしていた。
少し厚めのベーコンにナイフを入れる。ナイフはいつものようにスッと入ってベーコンは綺麗に切り分けられたのだけど、自分が思っていた以上に緊張しているのが、目で見て分かった。
手首から先が震えているのだ。
ナイフとフォークを置いて、両手を組むようにして震えを止めようと試みる。
数年前、収穫祭に一緒に行けると、ノーラ男爵家の門の前で一日中待っていた3日間は、私にかなりのトラウマを植え付けてしまっていたようだ。
あの手紙が偽の手紙だった事はもう知っているのに、あの時の寂しさや惨めさ、待ちぼうけしている私を、凍えるように冷たい目で見る道を行き交う人達。
その人達への羞恥と恐怖。
そんな感情が、昨夜から思い出されてしまって、体が強張るのだ。
「大丈夫、今日は迎えに来てくれるもの」
門前で人の目を気にして立って待つわけではない。今日はちゃんと迎えに来てくれると、ユーリスは約束してくれたのだ。
小指を見つめながら、私は約束の時間まで自室で手持ち無沙汰でユーリスを待っていた。
「マリベル様、お迎えがいらっしゃいました」
ヨリエールに言われて立ち上がる。
あぁ、今日は来てくれた。
ホッと胸を撫で下ろして、もう一度鏡の前で自分の姿を確認する。
「大丈夫ですよ」
ヨリエールの優しい声が私の背中を後押ししてくれた。
私は伯爵令嬢だけど、ユーリスは今は平民だ。デトリス侯爵家の玄関から出入り出来ない。彼が待っていたのは、1階の奥にあるお茶会用のサロンだった。
温室のように、一年中温度管理のされたサロンで、部屋には観葉植物を多く置いてある。窓の外には庭園が広がり、窓から出入りが出来る仕様になっている。
端の方にはこじんまりとしたデッキもあって、ユーリスはそこで待っていた。
「お待たせしました」
今日の私は、少しばかり汚れても目立たない紺色のブラウスに、同系色の膝丈のスカートを合わせている。一見するとワンピースに見える。
デトリス侯爵領からハスビス子爵領までは、最短で5日程かかる旅程だけど、今日はマーガレット様が侯爵家から馬車を出してくれた。
専用の御者もいるけれど、ゼスが馬車を動かしてくれることになった。
アーサー様から休みをもぎ取ったらしい。
私の中ではユーリスとのお出かけだけど、世間的に見たら、侍女と護衛と御者を連れて旅行に出かける伯爵令嬢だ。
途中の休憩の時、その身分差が少し寂しかったけど、それよりも何よりも、2人の約束が守られた事が私の中では嬉しすぎて、ずっと燥いでいた。
お父様が亡くなってから、こんなに燥いだのは初めてかもしれない。
とても浮かれている私に、始めは一歩引いていたユーリスだったけど、2日経ち3日経つと少しずつ打ち解けてくれて、昔のように話せるようになった。
何より、ユーリスの表情に変化が現れてきた。
初めて会った頃は、少し鬱屈していたユーリスは不機嫌だったけど、段々と私に慣れる頃には、始めはお兄様のようで、そのうち私の騎士のように守ってくれるようになった。その頃は顔の表情がコロコロ変わる程、わかりやすい男の子だったのだ。
「ユーリス、私楽しい」
「良かった」
3日目の休憩所の近くに少し見晴らしの良い丘があった。そこからの眺めを楽しみながら、私の気持ちを伝えると、ユーリスは安堵したように返事をしたあと、そっと私の手を握った。
その途端、私の心臓が早鐘を打って、顔が真っ赤になっているのが自分でもわかるほどだった。




