42 弾けて消えた
マリベル視点
簡素な食堂の奥を陣取っている私の元へ、アーサー様の従者がやって来て、申し訳なさそうに口を開く。
「本日も、まだお帰りではないとのことです」
「⋯⋯そう、ありがとう。ごめんなさい、私事なのに貴方に何度も往復させて」
「構いません、マリベル様。ただ申し上げにくいのですが、これ以上の出立の遅れは、アーサー様にも響きますので⋯」
「俺は構わんぞ」
従者の言葉に、アーサー様が澄ました顔で反論していたが、構わないわけはない。
アーサー様の本来のお仕事は、デトリス侯爵であるマーガレット様の補佐なのだ。
今は私に付き添ってくれているだけで、補佐の仕事が滞っているのは間違いない。マーガレット様は私に気を使って、弟は気まぐれだからと、いつもの言葉を言っていたけれど、お祖父様達を日々見ていた私は、領主の仕事量の多さを知っている。
マーガレット様もアーサー様を頼りにしているはずなのに、私の我儘に付き合わせてしまって申し訳なく思う。
いい加減諦めなければならないな。
私は、これから暫くはオルデイック王国に留まる事になるけれど、アメルースを育て始めたら、デトリス領を留守にするわけにはいかなくなる。
だからその前に、遠くからでもいいから、一目ユーリスの姿を見たかったのだ。
ユーリスがヘレンと結婚していると、ノーラ男爵を調査した伯父様に聞かされた時、ギカン達を追い詰めるのを躊躇する気持ちが生まれた。
でも、政略だと聞かされたから、踏み切ったのだけど、こんなにユーリスがショックを受けるとは思っていなかった。
私にしてみれば、憎いギカン一家だけど、ユーリスはヘレンに対して気持ちが残っていたのかもしれない。
幼い頃のゲンマン。
ユーリスはやっぱりもう覚えていないのかな。
取るに足らない小さな約束、私だけがずっと覚えているのが、おかしい事なのかもしれない。
おそらく、ユーリスはノーラ男爵家にいたのだから、公にされていないギカン達の罪も、私が生きていた事も今回知っただろうと思う。だけど彼からは一切連絡はなかった。それが彼の示す答えなのかもしれない。
それなのに私は、ケニスト公爵領まで来てしまった。
私って何てみっともないんだろう。
私がハスビス子爵領を飛び出すきっかけになったユーリスからの収穫祭の誘いの手紙。
その時の約束が守られなかった事で、踏ん切りがついたのだけど、あの手紙が仕組まれていたかもしれないと思ったのは、私が死んだ事になっているのを知った時だった。
死んだ人間に手紙なんか送るはずがない。
それに、差出人がユーリスだった事で、何の疑いもなく信じたけれど、ユーリスが大人になってからの字を私はそもそも知らなかったのに、どうしてあの時はそれに思い至らなかったのか。
そう考えた時、私を追い出したい誰かがいたのだと考えに至った。
ただ追い出したい理由が分からなかった。
だって、既に戸籍の上では死んでいる人間なのだから、追い出さずに命を絶てばよかったのだ。
私は捕縛されたギカンに何か言いたいことはあるかと、国王陛下に尋ねられた時、少し考えてその疑問を聞いてほしいとお願いした。
ギカンと話すつもりも顔を見るつもりもなかったので、人伝で構わなかった。
何故彼は私を本当に殺さなかったのだろう?
昔、アーサー様と考えて答えの出なかった問だ。
だけど彼は答えることなく逝ったそうだ。
最後まで腹立たしい人だった。
「アーサー様、お待たせいたしました。明日の朝デトリス領へ向かいましょう」
「いいのか?」
「はい、昔の事に私は色々とこだわりすぎているのかもしれません。知りたい事に必ずしも明確な答えがあるわけではない事を、最近身を持って知ったばかりでしたのに。ご迷惑、ご心配おかけしてごめんなさい」
「マリベル、この宿の裏が少し小高くなっていて、そこからの眺めがいいそうだ。宿には俺達しか泊まってないし、今から俺達は明日の出立に向けて、旅路の打ち合わせがある。マリベルは、気が済むまでそこで休憩するといい。今日は風も気持ちいいぞ」
「はい、アーサー様」
アーサー様の気遣いに感謝して、私は見晴らしのいい丘に一人で行った。そこは、昔ユーリスと一緒に見た夕日の丘を彷彿とさせた。
「丁度いいかもしれない」
昔ユーリスと見た夕日は、この丘にはない。あの幸せな日々のことは、もう忘れなければならない。
そのふたりが見えたのは偶然なのかな?
美しい景色を眺める私の目の端に、男の子と手を繋ぐ幼い女の子が、シャボン玉で遊んでいるのが映った。男の子の持つ容器にストローを刺してから、ふうっと息を吐いて、女の子は嬉しそうにシャボン玉を飛ばす。2人の手はずっと握られたままで。
飛んでいるシャボン玉の行方を目で追う。
空中にふわりふわりと漂う虹色がパチンと弾けて消えた。
それが私の心模様のようで、涙が止まらなくなった。私は嗚咽の漏れそうな口元を押さえて、その場を後退りしながら静かに立ち去った。
こんな慟哭を幸せそうなあのふたりに聞かせてはならない。
ユーリスへの未練をこの涙と共にその丘に置いて私は消える事にした。




