29 マリベル・ウェスガル
エーリヤ帝国に向かう馬車が国境を越えた一番始めの休憩地で、私は馬車の乗り換えをするように言われた。
私はオルデイック王国で戸籍がない状態の死人だった。国境を超える時に身分の証明が出来ないと他国には正規のルートでは行けない。アーサー様とお祖父様は最終的にはそれでもしょうがないかと話していた所、皇帝補佐からの提案で、私は誰に咎められることもなく国境を越えることができた。
それは帝国の視察団に紛れるというものだった。
態々私を迎える為だけに、帝国が国を上げて協力してくれるのは異例な事だと、私にだって分かる。それもお母様のおかげだ。
私が土の魔力を持ち既に独学ではあるけれど魔法を使える事を、帝国が知ったからだった。お母様から受け継いだ代々その一族にしか受け継がれない土の魔力。
オルデイック王国では、その存在自体知るものがいるかも不明なんだとか。
神殿辺りは知っているはずだけど、お父様と子爵様はどうやって隠してくれたのか不思議だと思った。
友好国である帝国の視察団を国境警備隊が、詳細に調べる事は出来ないらしい。あくまでも形だけの検閲のみだ。
そういうわけで、私は帝国の視察団が帰国するときに、その一行に紛れて国境を越えたのだった。
一つ目の休憩所には、帝国の帝都の中心地であるアズール地区からお祖父様が迎えに来てくれていた。
私の顔を見たお祖父様は、直ぐに私が分かったようで、その顔は涙を堪えているようにクシャリと歪んでいた。
「マリベル、お祖父様だよ」
優しい声で私に両手を差し出してくれた人は、ロケットの中のお母様の写真と同じ、光に透けるような金髪に特徴的な青い瞳だった。だけど、私がお祖父様だと確信できたのは、それだけではなかった。歪ませているその表情だった。私の記憶の中に僅かに残るお母様の少し寂しそうに見える表情に、目の前で両腕を広げる人はソックリだった。
私は広げてくれるその腕に飛び込んだ。
マーガレット様に教えてもらった、貴族令嬢としてのお辞儀の仕方も挨拶の言葉も、沢山練習したのに全て飛んでしまった。
作法も何もなく、広がるその腕に飛び込んでただ受け止めてもらった。
その後の私は随分と泣いてしまって、いつの間にか寝入ってしまっていたようだ。
気がついた時には、馬車の中でお祖父様の膝を枕にしていた。
「あっ!起きた?」
目を開けると、真っ先に飛び込んできたのは誰かの膝で、知らない声が聞こえた。
状況がよく分からなくて、起き上がって始めて、お祖父様の膝枕で寝ていた事に気付いた。
「ご、ごめんなさい(涎出てなかった?)」
謝罪のあとに口元を拭う。
大丈夫そうでホッとしたけれど、初めてあったのに無礼者と怒られないか不安になった。
「謝らなくていいよ。ずっと気を張っていたんだろう。もうすぐ今日の宿に着くから、それまで横になっていてもいいんだよ」
優しくお祖父様に言われたけれど、私の睡眠は充分だった。お祖父様が言ったように私は随分と緊張していたのかも。
馬車の中だからお辞儀は出来ないけれど、折角マーガレット様が教えてくれたのだ。ちゃんと自己紹介がしたいと思った。
「名乗るのが遅くなりました。申し訳ありません。ラスティ・ノーラとアスベル・ノーラの娘マリベルです。お祖父様に会えて嬉しいです」
お母様はノーラではなかったけれど、私は両親の仲睦まじい姿を覚えている。2人は籍こそ入れられなかったとしてもちゃんと夫婦だった事をお祖父様には分かって欲しかった。
私の言葉にお祖父様は、ウンウンと頷きながら頭を撫でてくれた。
「ずっと平民のように生活させられていたと聞いた。挨拶も練習したんだろう?ありがとうマリベル。お前が生まれてきてくれて、そして生きていてくれたことを、本当に嬉しく思う。神を髄分長い間呪っていたが、ほんの少しだけ感謝しようと思うよ」
それから、お祖父様は一緒に馬車に乗っていて、私が起きてすぐ目に入った膝の持ち主で、声を上げた男の子を紹介してくれた。
「これは、お前の従兄だ。アスベルの兄の子だよ。ロイド、自分で自己紹介したいだろう?」
「うん。でもお祖父様、“これ”は酷いよ」
そう言って口を尖らせて私の方を向いたのは、お父様と同じくらい濃い茶色の髪で、瞳はお祖父様やお母様と同じ、深い緑が交じる濃い青色の従兄だった。彼は私より2つ年上で、帝国の学園に通っているそうだ。
その学園に、私も通うことになると教えてくれた。
「マリベルの戸籍は帝国で作ったよ。今日からマリベル・ウェスガルと名乗りなさい」
「⋯マリベル・ウェスガル⋯」
「そうだ、新しい姓だが、気に入りそうか?」
私は首肯してからお祖父様を横から見上げた。
「私一生懸命学びます。えっと、ウェスガル家の恥にならないように、がんばります」
私の決意の言葉に嬉しそうなお祖父様だったけど、「無理はしなくていい」と言った。
「生きていてくれただけで、それだけで私は嬉しいんだ。無理に頑張る必要はないけれど、マリベルがしたいことには、どんな事でも手を貸してやる。アスにしてやれなかった分まで、私の一生を掛けてマリベルを幸せにするから」
お祖父様は私の手を握って、またクシャリと顔を歪めながらそう言っていた。
何となく涙を我慢しているのだと思って、私はお祖父様の頬を無意識に撫でていた。
そうしたらお祖父様の青い瞳から、ツーッと1筋涙が流れたと思ったら、その後は止まらなくなった。
それを見たロイドも私も慌ててしまって、馬車が止まるまで、2人で交互にハンカチでお祖父様の涙を拭っていた。




